詩にも、いろいろ賞があるらしい。詩作品より詩集に出されるものが比較的多いようだ。
詩作品に対しては、小説と同じように雑誌の新人賞というのがあるということだ。だけど小説家と違い、詩人は新人賞を獲ってデビューするというのは、そう多くないみたいだ。新人賞を獲る頃にはすでに詩集を出版する準備が進んでいて、その詩集が評価されたことが事実上のデビューになることもよくある、と。一方で新人賞を獲ったきり、詩集がまとまらないというケースもないことはない、というのが詩人のデビュー事情だと。
詩集に出される賞は、何かの財団とかが出してもいるようだけれど、資生堂が出しているものがある、と聞いた。詩に賞を出すというのは、なかなかオシャレかもしれない。それならオシャレな詩集に出さないと格好がつかないはずだが、装丁とかが選考基準になることがあるのか。
こういうこと書くと、またふざけてるとか言われるんだろうけど、それでりょんさんは、それを避けたいと思うようなタマでもないんだけど、でもそれって結構、大事なことなんじゃないか。
だって、詩集ってのは中身 = テキストだけじゃないんだって。装丁、版元、帯や栞のあるなしに至るまで、すべてが「読まれる」のが詩集だって。りょんさんは、教えられたことは真に受けるタイプなんだよ。
詩集ってのは、小説本よりも「もの」= 肉体に近いんじゃないか。そこにテキスト = 中身が加われば、つまりそりゃ人間そのものだね。そうすると版元ってのは、その人が属する会社組織とか、ビジネス・グループとかか。いろんな版元から出た本に、順繰りに賞を出すとか、ちっちゃい版元から出た本には賞を出さないとか、そーゆーのって文学ってより社会的なもんだし。
で、この資生堂の賞は花椿賞っていうオシャレな名前で(資生堂のシャンプーはTSUBAKIだけど、やっば「頭を洗う」ってのは詩とかに通じるかも。足の角質取りとかより)、その30年史みたいなのを現代詩手帖で特集している。
だからって、この賞が現代詩手帖の版元から出た詩集にばかりいくというわけでもないだろうけど、そうであっても、あんまり誰も気にしないっていうか。私企業、対私企業って雰囲気なんで。
まあ、賞というものが、権威でございますって顔しても、いまやあんまし誰も本気にはしてない。てゆか、自分が獲るとき以外に興味はないとか。だから、たとえば「この詩集がオシャレだったで賞」なんだと前面に打ち出していった方が、まだしもその詩集に注目が集まるんじゃないか。
過去の花椿賞を獲った詩集は、別にオシャレな感じでもなくて、他の賞とどう違うのか、やっぱ掃除当番みたいなローテーションに組み込まれての受賞なのか、よく見えない。だったらプロ野球やサッカーみたいに、ハム会社とか乳飲料会社とか、情報通信会社がそれぞれ名前を冠した文学賞を出したら、面白くなるかも。健康っぽい詩集賞とか、ケータイたくさん出てくる文学賞とか。球団持つよりは安上がりだし。
りょん
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■