遠藤徹 連載小説『ビューチーコンテストオ!』(第03回)をアップしましたぁ。ビューチーコンテストオ!が始まりました。子ども、能を舞う老女など、遠藤さんらしいペダンティックな登場人物たちが現れます。そして「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」の紀貫通(キノツラヌキ)の登場です。
「俺がいう漢は、いわゆる男ではない。漢であることは性別を問わない。いいか、もう一度いうぞ、漢に男女の区別はない! いわゆる男のなかにも、いわゆる女のなかにも、あるいはそのどちらでもないものの中にも、等しく漢は眠っている」
男のなかの漢!
女のなかの漢!
男にも女にも属さない者のなかの漢!
すべての者のなかにある漢!
若者が拳を突き上げて踊ると、会場がこぞってコールアンドレスポンスした。漢コールが会場を埋め尽くした。
「フェミニズムは必要だ。必要悪だ。そう、悪の部分がある。つまり、女性を差別してきた男性を嫌悪するあまり、男性性にまつわるすべてを否定してしまいがちなことだ。その攻撃性そのものが男性性の発現であることに唱道者たちは気づくべきだろう。つまり、じぶんたちもその男性性の要素、すなわち漢を持っていると言うことに。漢気、それは地獄のエネルギー、留まることをしらない、手名付けることのできない、善悪を知らない、果てしない、果てのない、果てることを知らない、貫く力、突き抜ける力、完遂する力、産み出す力、ぶちまける力である」
遠藤徹『ビューチーコンテストオ!』
紀貫通の言葉は『ビューチーコンテストオ!』のコンセプトを端的に表現しています。またそれは小原眞紀子さんの『文学とセクシュアリティ』のテキスト曲線理論と相似です。100パーセントの男も女も存在しません。男女ともに生物学的な男女性差とは審級が違う男性性と女性性ベクトルを持っています。
石川は「フェミニズムは必要だ。必要悪だ。そう、悪の部分がある。つまり、女性を差別してきた男性を嫌悪するあまり、男性性にまつわるすべてを否定してしまいがちなことだ」という言葉に同意します。少なくとも現代日本では社会的には男女は完全平等。男だから得することもありますが損することもある。それは女の方もまったく同じ。しかしその中で美(ビューティー)を持ち出すと話が途端にややこしくなる。だからこそ小説でしか表現できないテーマなのであり『ビューチーコンテストオ!』なのです。
■遠藤徹 連載小説『ビューチーコンテストオ!』(第03回)縦書版■
■遠藤徹 連載小説『ビューチーコンテストオ!』(第03回)横書版■
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