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 いがらしみきおといえば、あの『ぼのぼの』で知られる漫画家だけれど、そのエッセイが印象に残る。と言っても、とりたてて何か特別なことが書かれているわけではない。漠とした不安感、その原因と目される加齢について、まあ、あるがままというところだろう。そのプレーンな感じが目に留まる。

 

 歳をとるということがこれほど単に肉体的、物理的な事象として捉えられた時代はかつてなかったのではないか。それは書き手単独の個性に加え、現代を象徴してもいる。加齢とは肉体的な衰え、すなわちハンディキャップでしかない、という。そこでの権威付けや経験への敬意といったものは少なくとも無条件ではなくなった。何らかの実質的な理由がないかぎり認められなくなったのだ。

 

 ここでの書き手は「歳とった漫画家の絵は古いから、仕事の依頼はない」と、ごくあからさまに言う。そうだろうか。漫画家は歳をとるかもしれないが、ぼのぼのもサザエさんも永遠に変わらない。ただ、ここではそれでなく形而下の書き手の肉体のあり様に集中している。それこそがエッセイだ、というように。たぶんそれは正しい。作品は問答無用に残るのだから、問答だけを書けばよい。

 

 だからこそ、いがらしみきおは自身の抱える漠とした不安感を文学的なものに還元しようとしてはいない。それも個としての書き手の誠実さといったこともさることながら、時代の要請だろう。読者にはなんら接点のない文学的なる幻想より、肉体のあり様を詳細に観察することは文学に接近する。

 

 それは誰もがほぼ同じような肉体を有するからで、普遍に通じるからだ。現代が老年への幻想を失ったのなら、医学の常識もまた変わりつつあり、私たち同時代人は等しくそれにさいなまれたり、享受したりする。通時代としても、肉体への普遍的な絶望は紛れもなく普遍の思想だ。

 

 ここで私たちの多くが『ぼのぼの』の作者として知るいがらしみきおが、それとは異なる作風の、まったく趣の異なる作品の作者でもあるということについて、感慨をもって考えることもできる。実際、その創作の本質はあからさまであることだったのだ、と思い至ると、あの『ぼのぼの』が社会的なコードを取り去った〝動物〟だったことがくっきりと思い返されるではないか。

 

 『ぼのぼの』はもちろん、ほのぼのにも通じるけれども、どんな表現もオブラートには包まれていなかった。人間に対するように何かを暴露する必要はないにせよ、日常の無為、存在の無意味が動物であるがゆえにころんと放置され、だからこそのヒットだったろう。私たちの無為とそれは同質だったからだ。

 

 それで身も蓋もなく加齢によるという日常の不安感だが、もしかすると加齢によるものではないかもしれない。現代は高齢者の特権とそれへの価値の幻想を数多く失ったが、医療の現場からも数多くの幻想が淘汰されつつある。食生活、長年飲まされている薬の影響をすべて検討し直すことをお勧めしたい。何のことはない、疑っていなかったある習慣を変えたら、けろっと治ってしまった、ということがめずらしくない。

谷輪洋一

 

 

 

 

■ いがらしみきおさんの本 ■

ぼのぼの(25) (バンブーコミックス 4コマセレクション) 誰でもないところからの眺め

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■