デスノート New Generation

Hulu

9月16日より全3

金曜 0:00

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 ヒットを繰り返す映画『デスノート』の新しいのができて、その広報も兼ねたドラマだそうだ。なるほど、そういうやり方もあるか。Hulu というのは、メディアのサイズとしてもそれに合っている。制作に意欲を示す Hulu にとってもまた、このヒット作のオリジナル版なら間違いない。

 

 つまりオリジナルといっても、ヒットの路線は敷かれている。設定とキャラクターが決まっている以上、オリジナルというより二次創作と言うべきだろう。それをいうならドラマも映画も、原作漫画の二次創作だけど。ただ、キャスティングは俳優と映像制作とのオリジナルであると言える。

 

 今回は単なる映画広告ということでなく、丁寧に作られていて、鑑賞に耐える。ただ、時間が短いので、あれ、と思うだけだ。つまり長いコマーシャルだという解釈もできて、「短さ」がひとつのスタンスであり、メッセージであるとも取れる。嫌な言い方をすれば本気でない、別の言い方をすればこれに続く本編がある、ということだ。おあとがよろしいようで、とも。

 

 短い三部作の特徴として、主要な登場人物を変え、人物紹介の側面も併せもっている。この手法を眺めると、基本的な創作の段階というものがうかがえて、なかなか興味深い。まず作品として短く、主な登場人物一人の一人称で語られるものはいわゆる「純文学」。それをいくつか集めた「短編集」がある、という。そのバックグラウンドに大きな世界という設えがあれば「長編作品」が存在し得る。

 

 もちろん、それだけの構造を獲得するには、思いつきの短編を寄せ集めたのではだめで、最初に本編の骨格が定まっている必要がある。ここでの短編は、本編の世界からのスピンオフだ。するといわゆる「純文学」もまた、何か前提とされる大きな世界からのスピンオフということになるが。

 

 今、純文学が以前にも増して読まれなくなり、その原因としては読者の側の心変わりにあるというよりは、書き手の側の迷走が第一に挙げられると思う。「純文学」が前提としていた、大きく共通した世界の価値観を、書き手も読者も、いやもう誰も信じられなくなっている。

 

 けれども世界が崩壊したわけではなさそうだ。世界はけっこう、しっかりしてあって、しかしそれを捉える従来の視点が通用しなくなっている。こうなると人は世界の方を歪めたり、矮小化したりして、捉えやすい擬似世界を措定する。ヒット作シリーズは多かれ少なかれ擬似的な世界を確立しているが、今ほどそういった世界構造が渇望されたことはないのではないか。

 

 『デスノート』はスリラーであると同時に、ファンタジーである。現実の世界での恐怖によってサスペンスを与えながら、その世界の根源に「死神のノート」という想像的なフィクションを置く。このフィクションが観念を生み、登場人物が入れ替わっても、世代交代しながら同一の世界を保ち続ける。その観念が SF 的な思想ではなく、ノート利用の厳格な「ルール」であることが、ジャンルとしても新しい。

田山了一

 

 

 

 

■ 原作・大場つぐみ 作画・小畑健さんの本 ■

DEATH NOTE モノクロ版 2 (ジャンプコミックスDIGITAL) Death Note, Vol. 1

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■