好きな人がいること

フジテレビ

月曜 21:00

No.133_TVドラマ批評_01

 

 

 いわゆる月9という枠だろう。しかしこの月9という言葉も、最近は聞かなくなった。曜日や時間帯でカテゴライズしたり、差別化したりするのは制作者・テレビ局側の考え方で、視聴者の実情がそれについてこなくなった、ということではないか。決まった曜日、決まった時間にテレビの前に座るというのは、現在の感覚ではあり得ない縛りのように思える。見逃し配信、という概念そのものも。

 

 かくも人は忙しく、多くの選択肢から自分の都合を選びとってゆく生活に移行しつつある。もちろん一斉配信を待ったり、時間や空間を共有したりする愉しみも絶滅したわけではなくて、ただそれは特別感のあるイベント、ポケモンGOのような世界的な社会現象にかぎられるようになった。

 

 そんな中で、月9ドラマと呼ばれるものの歩む道が、NHKの朝ドラの現状を踏襲しようとするのは不思議ではない。昨今のNHK朝ドラの快進撃は、「朝ドラ」の解体とメタ化が成功したことを示している。すなわち『あまちゃん』によるラディカルな解体を経て、それ以降の朝の連ドラは伝統的なラインのようでいて、どこか軽くなっている。過去の資産をフルに用いながら、現代に届いているのだ。

 

 フジテレビのこの月9ドラマも、その道行を探る試行錯誤の作品のようだ。ただ視聴者には、それが理解されていない。典型的な、少女マンガ的なボーイ・ミーツ・ガールの物語は、それを好む年齢層の視聴者を中途半端に夢中にさせる。夢中になってもらうのはドラマとしてはよいことなので、狙ってやったことだろう。しかしその結果、あえて紋切り型の物語でパターンの解体を目指す、という狙いが見えにくくなった。

 

 もちろん、このドラマにそんなエッジの効いた狙いがあるのかどうかは、それほど明確ではない。明確ではないから問題だと言っているのだ。しかし明確にすればするほど、数字はさらに落ちる可能性がある。月9という看板にまだ息があると信じる組織の中で、開き直るには時期が早い。保険をかけたくなるのは当然だろう。

 

 そこでストーリーはダブルバインドの様相を帯びる。ある年齢層以上には、あまりに退屈な紋切り型がいっそパロディに映るという可能性を求める。ある年齢層以下にとっては、型通りであるからこそハマってくれることを期待する。ドラマにのめり込むのは圧倒的に女の子だから、イケメンを3人取り揃える、という。

 

 しかしそうだろうか。女の子が観たいのは、イケメンの男の子たちなのだろうか。そんなのは特定のドラマでなくても、どこにでもいる。好きなところからゲットして、ポケモンのごとく自分の中にコレクションすればよい。女の子たちがいつも求めていてかなわず、心底観たいと思っているのは、単に親しみやすいだけでない、本当に魅力的な、目を離せないほど可愛らしい女主人公ではないか。

 

 それでこのドラマは何もかも中途半端で、観るべきところがないかと言うと、そうではない。実は一瞬たりとも目が離せないのだ。それは事物の美しさである。料理が主体の物語のせいか、すべてが生き生きとして美しい。海や緑は言うまでもなく、温かく、取り澄ましていないインテリアのセンス、顔を洗う水にいたるまで、ちょっと散らかったその室内の、すべてのアイテムが驚くほど美しく存在を主張する。その美しい世界そのものである画面、カメラはすでに月9という制度を振り落としているかのようだ。

山際恭子

 

 

 

 

■ 脚本の桑村さや香さんの本 ■

好きな人がいること(上) (扶桑社文庫) ブリザード (リンダブックス)

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■