No.132 時をかける少女

時をかける少女

日本テレビ

土曜 21:00

No.132_TVドラマ批評_01

 

 

 あの『時をかける少女』である。何度目の映像化だろう。古典中の古典となったといってもよい本作だが、そのたびに新しいフェーズで捉え直さなくてはならないのだから、ハードルは上がり続けているかもしれない。今回、女主人公の少女は、ずいぶん賑やかなお転婆娘である。お転婆娘、という言葉も死語に近くなったが。つまり現代の普通の女の子だ、というべきだろう。

 

 そんなふうに感じるのも、かつての NHK 『タイム・トラベラー』の少女が、今からすると楚々とした、としかいいようがないからだ。そして原作が「中学三年生」に連載されたことから、このときの女主人公は中学三年生だった。今回の少女は、高校三年生。確かに、少女というにはややトウが立っている。

 

 そして当然、少女は高校三年生にしては幼いが、そこは田舎の朴訥さという文脈に置き換わっている。『あまちゃん』のラインである。高校生同士のやりとりもリアルで、苦笑いを誘う。そう、存外に幼いことをして時間をつぶしている田舎の高校生、というのは実際、リアルでいい。

 

 それでその田舎の高校生のまったりしたリアル感と、この古典的なストーリーとのバランスがちょっと難しいのかな、という気がする。つまりどちらも映像作品として傑作になり得るけれども、本来ベクトルが正反対で、そこがチャレンジングではあると思うけれど。そのチャレンジが、このストーリーの一番の魅力を危機に陥れるとしたら、それに見合うものかどうかが問われることになる。

 

 このストーリーの一番の魅力とは、すなわち「ラベンダーの香り」である。そこはかとない、微かな記憶。それが未来人 ケン・ソゴルとの時を超えた繋がり、という SF 的設定と響き合うことで、透明感のある少年・少女小説に仕上がったわけだった。したがって大切なことは、「ドラマにラベンダーの香りが漂っているかどうか」ということになる。素材が香気を失ったら、形が残るだけだ。

 

 かつて中学三年生の少女がどこか心もとなく、それゆえにラベンダーの香りにたやすく拐われて、未来へとタイムスリップしてしまうこと、ケン・ソゴルという抽象的な存在との関わりを生きはじめること、それそのものが透明感のある香気として我々に響いた。しかし高校三年生の少女は中学三年生の少女と違い、現実にしっかり根ざしている。騒がしさもお転婆も、現実的な存在感を強調するものだ。

 

 そこにおいてもラベンダーの香りは登場するのだけれど、物語全体を包み込む雰囲気、テーマを示す香気としてではなく、出来事を進行させるための道具立ての一つ、単なる「匂い」であるようにみえる。もちろん、他に楽しむべき新しい要素を用意してある、ということだろうが。

 

 そして今回、ケン・ソゴルの視点からも描かれていることで、彼の謎はなくなり、ますます現実的な青春ドラマに近づいている。原作者・筒井康隆自身も本作のパロディなど書いていることから、こういった変容・チャレンジそのものは、古典的作品の必然として試みるべきものだと思うが。

田山了一

 

 

 

 

■ 筒井康隆さんの本 ■

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫) 七瀬ふたたび (新潮文庫)

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■