叡古教授の事件簿

テレビ朝日

2016年5月21土曜 21:00

No.128_TVドラマ批評_01

 

 

 なぜ藤木直人なのか。観始めた瞬間から、その問いで頭がいっぱいになってしまった。藤木直人が嫌いなのではない。知的で爽やかなイケメン。むしろ大変好みだ(誰も聞いてないか)。ただ、このドラマで主人公の要件とされる部分は、この「知的」というところしかない。

 

 藤木直人はなんと、早稲田の理工学部の出身だそうで、確かに「知的」の要件を満たす。しかしそれはその情報を持っている視聴者に、やや納得をもたらすということでしかない。番組サイトではなぜか冒頭、理系の天才たちに触れ、「文系にも天才はいる」という解説が続くが、これも藤木直人のプロフィールを踏まえてのことだろうか。しかしそれは的外れと言うしかない。

 

 視聴者が異議申し立てをする可能性があるのは、「文系に天才?」ということではないだろう。そもそも理系、文系という分け方自体がアウトオブデートで、制作者側の知性を感じない。今日びテレビ局は東大卒だらけと聞くが、その東大や慶応を始め、最近は名もない私大も皆、理系も文系もない学際的なスタンスを打ち出している。

 

 大学を舞台にして、そこでの権力争いや陰謀、ハラスメントを描くのに、「大学」というイメージだけを流用し、大学のリアリティがないというのはドラマの魅力を半減することになる。ここで援用したかったのは、大学という知のイメージに過ぎず、それが主人公である叡古教授のキャラクターを補強するということだろうか。そうするとやはり、補強を必要とするキャラクター作りに難がある気がする。

 

 宇野辺叡古という風変わりな名前は、もちろん『薔薇の名前』のウンベルト・エーコを踏まえている。少なくとも原作はきっと、その博覧強記の、衒学的な雰囲気に感化され、それへのオマージュを含んだ作品なのだろう。それがドラマからは、ほとんど伝わってこない。なるほど教授の謎解きは昔の暗号の知識を踏まえていたり、現場で「物語はあるか?」と呟いたり、古書店を経営したりとテキスト的ではあるのだが。

 

 そのような衒学的、テキスト的な重厚感を期待する向きに応えないからといって、もちろんつまらないドラマになるとはかぎらない。つるんとした皺ひとつない藤木直人の顔に、博覧強記の教授らしさがなく、謎解きに持ち出された知識が、まさにそれだけをさっき脚本で覚えたようにしか映らないからといって、それだけでミスキャストと決めつけるのも不毛なことだ。俳優の問題以前に、制作が何を狙ったのかだろう。

 

 パソコンでもスマホでも、難なく使いこなしそうに見える藤木直人だが、アナログな教授をフォローする学生もまた、ドラマには登場する。現代の知性とは、確かにあれこれと覚えこむことではなくて、検索し、引用するスキルであるとも言える。ならばこのドラマも主人公も、ウンベルト・エーコ的なるものを引用しただけ、かもしれない。

 

 そこへの思い入れやオマージュを敢えて排したということだと、しかしそれはパロディとして、徹底した批判意識がなくてはなるまい。それこそ知識の山積に対する、切れ味鋭い知性が試される。それに挑戦するなら、まずその覚悟、はっきりと伝わる宣言が必要だ。そこまでは思わないなら、多少の重量増しをする方が無難ではないだろうか。

山際恭子

 

 

 

 

■ 原作者・門井慶喜さんの本 ■

東京帝大叡古教授 若桜鉄道うぐいす駅 (徳間文庫)

 

 

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