水族館ガール

NHK

金曜 22:00

No.125_TVドラマ批評_01

 

 

 松岡茉優が爽やかな、典型的テレビドラマである。NHK なので、朝の連ドラふうドラマ10 というべきか。朝の連ドラは今、絶好調なので、そんな言い方をしても嫌味に聞こえないところが嬉しい。そうなのだ。パターンは飽きられるというのは嘘で、けれども何か新味がなくてはならない。

 

 それでこの『水族館ガール』の新しいところというと、そんなに目にはつかないが、朝の連ドラとしては女主人公のおっちょこちょいなり、ハメの外し方がちょこっとだけ図抜けてるかもしれない。朝の連ドラの女主人公のおてんばぶりというのは、こうして見ると筋が通ってるし、大時代で品がいい。説明のつくおてんばなので、その時代には大目玉をくらうというだけだ。

 

 すなわち女主人公のドラマでの立場と、私たちの共感とのギャップに、時代の流れを感じるという仕組みが朝の連ドラだ。『水族館ガール』が違うのは、この女主人公がもっぱら本人の出来として難があり、失敗して会社から水族館に追いやられるということだ。それは現代としてはリアリティがあるけれど、リアリティがあるから切実か、というとそれはまた別だろう。

 

 失敗して会社を追われ、しょぼくれた出向先で起死回生する、というストーリーなら、主人公は男の方が視聴者には響く。女の子の事情として会社で付き合っていた彼氏にもけんもほろろに振られ、というところで居場所のなさが強調されるが、「居場所がない」とは抽象的な嘆きに過ぎない。男の左遷とは違う。

 

 女の場合は、左遷ではなく、河岸を変えるというほどのことだ。新しい場所にいい男がいればハッピーエンドは見えている。ここでは彼女にやたらと(意味もなく)反発し、意地悪を言う同僚(桐谷健太)がそうなることも見えている。ドラマの進捗をラブシーンの進捗がコントロールすることになる。

 

 見えている物語を魅力的にするのは、俳優のフレッシュさより他にあるまい。松岡茉優はなかなか魅力的だ。桐谷健太は、新顔の女の子をなぜか追い出したがるという狭量さが意味不明で、いまいち見ていたい状況にないが、やがて彼が素敵に見えるような脚本になっていくだろう。

 

 これを見ていて、なぜか昔のドラマ『不機嫌なジーン』を思い出した。竹内結子が主演の生物学研究者、内野聖陽が大学教授で、元恋人同士。教授の女グセの悪さから距離を置いたが、互いに忘れられない。それが説得力を持つくらい、竹内結子も内野聖陽も魅力的だった。女主人公は研究者としても少しずつ成長し、それを認めた教授は、もはやここまでと彼女を手放す。

 

 数年後、女主人公は、女連れの教授と再会しても動じない。だが国際会議に出席した帰りのタクシーのラジオから流れる思い出の「ラバーズ・コンチェルト」に、思わず掌で顔を覆う、というラストシーンだ。爽やかさと痛ましさが、テーマ曲の抒情と相まって大変印象的だった。抒情性は失うときに発露しやすい。失ったところからいろいろと回復する物語は、やはりあまりロマンチックにはなりにくい。

山際恭子

 

 

 

 

■ 原作者・木宮条太郎さんの本 ■

水族館ガール (実業之日本社ジュニア文庫) 王子になるまでキスしない (朝日エアロ文庫)

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■