Interview:新倉俊一インタビュー(1/2

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新倉俊一:昭和5年(1930年)神奈川県生まれ。慶応大学法学部卒、明治学院大学大学院修了、ミネソタ大学大学院修了。明治学院大学で長く教鞭を執り文学部長を勤める。エズラ・パウンドの翻訳などで知られ、西脇順三郎に私淑し現代詩人たちとの交流も深い。詩人でもあり近年になって旺盛に詩集を刊行している。詩集に『エズラ・パウンドを想いだす日』、『遠い旅/海図』、『ヘレニカ』、『ヴィットリア・コロンナのための素描』、翻訳に『ノンセンス・ソング』(エドワード・リア)、『ディキンソン詩集』、『ピサ詩篇』(エズラ・パウンド)、評論に『西脇順三郎全詩隠喩集成』、『エミリー・ディキンスン 不在の肖像』、『詩人たちの世紀 西脇順三郎とエズラ・パウンド』などがある。

 

新倉俊一氏はアメリカ詩研究のパイオニアであり、その一方で詩人・西脇順三郎に私淑して西脇の仕事を公私に渡ってサポートした。深い詩の理解に基づく翻訳には定評があり、エズラ・パウンドやエドワード・リア、エミリー・ディキンスン翻訳は名訳として知られる。最近になってご自身でも詩を書き始められ、立て続けに詩集を刊行しておられる。最新詩集に『ヴィットリア・コロンナのための素描』があり『王朝その他の詩篇』が近く刊行予定。アメリカ詩と西脇詩の理解に基づく新倉氏の詩は日本の詩の中では異質であり、大きな注目を集めている。なおインタビューは新倉氏と親交のある鶴山裕司氏に行っていただいた。

文学金魚編集部

 

 

 

■鎌倉で田村隆一さんと■

 

鶴山 この前お会いした時に先生の御著書にサインをいただいたんですが、それを確認したらもう十六年も前でした。大変ご無沙汰してしまい恐縮です。でも新倉先生に初めてお会いしたのはもっと前ですね。

 

新倉 あなたが「現代詩手帖」の編集をしておられた頃です。確か鎌倉で、田村隆一さんと三人で飲み歩いたことがありますね。

 

鶴山 よく覚えています。僕は稲村ヶ崎の田村隆一さんのご自宅でインタビューしていたんです。田村さんのベッドの脇にはサントリーウイスキーの、いわゆるダルマのちっちゃいのがたくさん並んでいたんですが、田村さんは「医者から一日これ二本しか飲んじゃいけないって言われてるんだ」とか言いながら、インタビュー中にあっさり四、五本空けられた(笑)。しらふでも酔ってても田村さんはものすごく批評意識が強いというか、口の悪いお方だったでしょう。田村さんにかかるとたいていの詩人はボロクソになってしまう。「あいつは志が低い」とかね。田村さんはテープ起こし原稿が上がるとマズイところは全部切っちゃいましたが、インタビュー中は言いたい放題でした(笑)。

 

新倉 そうそう。爽快なしゃべり方をする人だった。

 

鶴山 でも新倉先生のことは大好きだったみたいですよ。僕は田村さんは機嫌が悪いんだろうと思って早く帰ろうとしたんですが、帰ろうとすると「なんで帰るんだ」って引き留められる。そうこうしてるうちに先生との待ち合わせ時間が迫ってきた。「本当に行かなきゃならないんです」って言ったら、「誰と会うんだ。なに新倉か、電話しろ」ってことになって、NTTで電話番号を調べて鎌倉駅前の喫茶店におられる先生にお電話することになった。それから夜の十一時頃まで小町通りの飲み屋をはしごしましたね。あれはもう、遊びに行きたくて行きたくてたまらなかったんでしょうね。奥さんや医者から外に飲みに行っちゃダメって言われてたから、先生に会うという口実を与えてしまった(笑)。で、あの時先生にお会いしたのは、「現代詩手帖」別冊の「ビート・ジェネレーション」特集のためでした。あの頃は金関寿夫先生や鍵谷幸信先生もまだお元気でした。もう三十年くらい前の話しですが、あの頃から鍵谷先生は僕に、「新倉はね、秘かに詩を書いているんだよ」とおっしゃっていました(笑)。

 

新倉 ああそう。西脇順三郎さんがご存命の間は表街道を歩けないんですよ。西脇さんの詩の解説を書いている人間が、こんな下手な詩を書くようじゃ、信用できないって言われてしまうからね(笑)。

 

鶴山 先生の詩は優れています。残念ながら僕は西脇さんにはお会いしたことがないんです。大学二年生の時にお亡くなりになったんですが。

 

新倉 同時代の人なのにね。会ったことがあるとないとでは、ぜんぜん違うでしょう。

 

鶴山 生きて動いてるところを見てないと、完全に文学史上の人です。谷川俊太郎さんにお会いした時に志賀直哉の話しになって、「オヤジと仲が良かったからよく遊びに来てたよ」とおっしゃった。思わず「志賀直哉って生きてたんですか」って言いそうになってしまった(笑)。

 

新倉 太宰治あたりから文学史上の人っていうイメージはありますね(笑)。そういう意味では会っておくのは大切なことです。

 

 

■『ヴィットリア・コロンナのための素描』について■

 

鶴山 先生は最近詩集『ヴィットリア・コロンナのための素描』をお出しになり、次の詩集『王朝その他の詩篇』もゲラで読ませていただきました。この二冊はペアというか、対になった詩集ですね。

 

新倉 『ヴィットリア・コロンナのための素描』はヨーロッパが題材で、『王朝その他の詩篇』の前半は『源氏物語』、後半は能が題材になっています。だから後半には亡霊が出て来るんです。亡霊だと『平家物語』の公達たちだけじゃなく、田村さんたちの戦後詩人もみんな出せる。

 

鶴山 先生の前に馬場あき子さんにインタビューさせていただきました。性差別だと言われてしまいそうですが、あんなに頭のいい女性は初めて見ました。

 

新倉 馬場さんの能の解説を読むと文章が光ってるんですね。他の人の解説とは違います。実は『王朝その他の詩篇』に、こっそり馬場あき子さんの言葉を借用させてもらっています。

 

鶴山 学問的に正しいかどうかはわかりませんが、詩人の直観として正しいことを書いておられると思います。

 

新倉 馬場さんが新作能『晶子みだれ髪』を国立能楽堂で上演された時に、私はあのひとの後ろの席で舞台を見たんです。高橋睦郎さんがパウンドの関係で新作能を出していて、それで呼ばれていったら馬場さんの後ろの席だった。

 

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『ヴィットリア・コロンナのための素描』

定価:本体2,500円+税

発行:2015年8月30日

版型:縦タテ210×横128mm/130頁/並製本

ISBN-978-4-908268-01-4

トリトン社刊

〒231-0861 横浜市中区元町3-143-501

お問い合わせ info@tritonsha.com

 

鶴山 馬場さんは新作能に関しては、能はきっちり形式が決まっているから、なかなか自由にやらせてもらえないと話しておられました。先生は能や『源氏』にも興味がおありなんですね。

 

新倉 私は外国の作家の作品を長く読んできたんですが、今は日本の古典作品と自分との距離を測定してみたいという気持ちがあります。それで今度の詩集『王朝その他の詩篇』では、能のワキとシテの構図を借りています。

 

鶴山 『ヴィットリア・コロンナ』と『王朝その他の詩篇』できれいに裏表になっていると思います。お能的な『詩篇(キヤントーズ)』と言えるかもしれません。

 

新倉 『王朝その他の詩篇』の最後にはパウンドが登場するんですが、これは前に出した『エズラ・パウンドを想いだす日』の続編を書くためのスプリング・ボードなんです。そこにまた戻るためにパウンドが登場してきた。

 

 

■何を書くかについて■

 

鶴山 先生は『ピサ詩篇』で〝ピサン・キヤントーズ〟を全訳されましたが、最初の第七十四篇は詩集一冊分くらいの長さですね。先生の抄訳では読んでいたんですが、あそこまで長い詩篇だとは思っていなかった。ピサの斜塔の下で檻の中に入れられた状態で、あんな長い詩が書けるというのは驚異です。

 

新倉 体調も悪かったし、極限状態で書いています。

 

鶴山 あの時点では国家反逆罪で死刑になる可能性がありましたね。

 

新倉 私はこの前ちょっと入院して、大げさに言うと極限状態に近づくでしょう。そういう経験をすると、パウンドが極限状態で最後に何を書こうかと考えた気持ちがよくわかりました。それで退院してから、今までパウンドについて研究してきたわけだけれども、今度は自分の気持ちをまとめてみようと思って『エズラ・パウンドを想いだす日』を書いたんです。だから冒頭で自分をパウンドに擬して書いたのですが、私としては他人事ではなく、自分を語ることがパウンドに重なったんです。

 

鶴山 もっとお書きになった方がいいです。先生は西脇さんのお弟子でパウンド研究の権威です。二十世紀で一番優れた詩人の作品を見分ける嗅覚を持っておられるわけで、詩がどんなものなのか、おわかりになっている。

 

新倉 私は引っ込み思案で、表に出るようなことはすぐ遠慮しちゃうんです。長い間西脇さんやパウンドの研究をしてきたわけだけど、最近になってやっと、自分自身を表白しなくちゃならないという気になったんです。

 

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『ピサ詩篇』

エズラ・パウンド著 新倉俊一訳

定価:5,200円+税

発行:2004年7月15日

みすず書房刊

 

鶴山 自由詩に関しては踏ん切りだと思います。僕は三十七歳の時に最初の詩集『東方の書』を出しました。二十代の終わり頃に出そうと思えば出せた。でも踏ん切りがつかなかった。理屈っぽい性格なもので、自由詩の原理のようなものが腑に落ちないと詩集を出す気になれなかったんです。それに僕は、一九八〇年代の終わり頃から、戦後詩はもちろん、現代詩という詩の流れも滅びるだろうなと思っていました。否応なくポスト戦後詩・現代詩を模索しなければならない世代に立たされてしまったわけです。そういった詩の原理とかポスト戦後詩・現代詩のヴィジョンに対して、一定の踏ん切りがつかないと詩集を出せなかった。自由詩は形式的にも内容的にもまったく自由な表現ですから、どこでいったん探求をやめるのか、どこで自分の表現と折り合いをつけるのか決めないと継続的には書けない。先生は今、踏ん切りがおつきになったんじゃないでしょうか。

 

新倉 今は何も恐れるものがないですから、本当に自由に書けます(笑)。

 

鶴山 詩を西脇さんにお見せになったことはありますか。

 

新倉 安藤一郎さんのところで英詩の会をやっていたでしょう。その会にちょうど西脇さんも一緒に呼ばれてみえたんです。たまたま私が初めて書いた拙い詩をタイプ印刷したものを持っていたので、その会でみんなに回し読みしてもらったら、西脇さんも読んでくださったんです。その時は何もおっしゃらなかったけど、「青」という同人誌でウォーレス・スティーブンズの特集をやった時に、西脇さんは「君の詩はスティーブンズみたいだね」と一言おっしゃった。瞑想詩だったんです。

 

鶴山 スティーブンズはお好きですか。

 

新倉 ひところはまって読んでいました。スティーブンズはアメリカでも読者が限られています。W・C・ウィリアムズみたいに一般的で、誰でも真似できるようなスタイルじゃありませんからね。だけど瞑想詩ないし思考する詩という意味ではスティーブンズはユニークです。

 

 

■アメリカ詩について■

 

鶴山 先生の大学時代の専門はシェークスピアですよね。

 

新倉 いや、それはあなたの幻覚で大学でもアメリカ詩専攻です。むろん英詩の研究もやりました。アメリカではT・S・エリオットの影響で、ジョン・ダンなど形而上派詩人が流行った時代でした。当時はエリオットも過去の伝統に目が向いていたんです。日本ではアメリカ詩というとビート・ジェネレーションが中心になっていて、現象的なヒッピー文化への興味と一体化していますね。でも私が接したアメリカ詩はそれとはちょっと違うんです。

 

鶴山 僕が「ビート・ジェネレーション」特集号を組んだ時は、実はブラック・マウンテン・カレッジを入れたかったんです。ビート・ジェネレーションにはあまり興味がありませんでした。ビートは乱暴な言い方をすると、アレン・ギンズバーグの〝Howl and Other Poems〟と〝The Fall of America〟でほぼ尽きるでしょう。あとはギンズバーグが名士としてアメリカ文学界に君臨する、と。アメリカにはテレビでギンズバーグの朗読の物真似をするお笑い芸人もいますから(笑)。

 

新倉 最近、チャールズ・オルソンの『マクシマス詩篇』の全訳が出ましたね。オルソンはとてもパウンドに対して思い入れがあった人です。セント・エリザベスという精神病院に十三年間軟禁されていた時に、何度も会いに行っています。けれどオルソンはパウンドの方法論に興味があっただけで、思想的には右と左で、結局は物別れに終わります。オルソンはパウンドと同じような詩の書き方をしているけれど、自分のエゴを出さない。パウンドは歴史でも政治でも、自分の考えていることをどんどん『詩篇(キヤントーズ)』の中に入れました。だけどどうもアメリカ詩は日本では浸透しませんね。ウィリアムズの『パタソン』も全訳されていて、あれは『詩篇(キヤントーズ)』なんかに比べるとうんと読みやすい詩ですけど、あまり読まれている気配はないですね。

 

鶴山 アメリカ長篇詩は人気がないですが、先生の『詩篇(キヤントーズ)』に続いてウィリアムズの『パタソン』、オルソンの『マクシマス詩篇』も翻訳が出版されました。ほぼ手つかずで残っているのはルイス・ズーコフスキーの〝A〟くらいですか。それにハーマン・メルヴィルの『クラレル』全訳が出ましたね。退屈極まりない長編詩ですが、すさまじい力業です。さすがに〝モビィ・ディック〟の作者だけのことはあります(笑)。でもやっぱりアメリカ詩を代表するのはパウンドの『詩篇(キヤントーズ)』だと思います。先生がおっしゃったように、パウンドはちょっと信じられないくらい自由に詩を書くことができた。自由詩にとっての一つの理想型です。

 

新倉 みんなパウンドのある一面を継承しているけど、パウンドのようにオールラウンドじゃないんです。ああいう包括的な詩の方に、私なんかは魅力を感じます。

 

鶴山 まったく同感です。

 

新倉 単に文学史的な知識としてでなく、具体的な作品として、パウンドの貢献を知ることは日本の戦後詩では殆ど等閑にされてきました。そこで私は『ピサ詩篇』その他の翻訳にとりかかりました。いまでは、詩人たちの間にもパウンドを口にされる人が出てきましたが、まだスタイルの上では殆ど影響はありません。

 

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『リアさんて、どんなひと? ノンセンスの贈物』

エドワード・リア著 新倉俊一訳

定価:3,456円(税込)

発行:2012年8月21日

みすず書房刊

 

鶴山 僕らは仏文科の学生だったんです。一九八〇年代の学生には知恵熱セットがありました。詩だとランボーからロートレアモン、シュルレアリスムに行って、映画だとゴダール、トリュフォーあたりを見てうんうん熱にうかされる(笑)。当時の文学青年が夢中になるのはフランス系の文化が多かったです。その時期にアメリカ詩というか、先生のパウンドの『詩篇(キヤントーズ)』を読んだんですが衝撃的でした。フランス詩とはまったく質の違う作品だった。ただ理解するには時間がかかりました。単にフランス文化へのカウンターカルチャーとして捉えるならそれで済みますが、アメリカ文化の本質を考えるとこれが理解しにくい。アメリカ文化はミッキー・マウスや数々のポップ・スターなど、すごく馴染みやすいんですが、実は世界で一番その本質を捉えにくいと思います。村上春樹さんが二十世紀最高の小説は『グレート・ギャッビー』だと書いていますが、僕もそう思います。あの作品には世界中のどの国の人も体験したことのない消費文化の頂点が描かれています。ギャッビーはものすごい金持ちで名士になる。でも後ろ暗い。それで金持ちで有名になればなるほど孤独になり内面が純化されてゆく。最後は孤独死です。それはある意味でアメリカ消費文化の行き着く先だと思います。マリリン・モンローもマイケル・ジャクソンもそうですが、そういった消費文化の頂点に立った人をアメリカ人はこよなく愛しています。一九二〇年代のフラッパーの時代、つまり最初のアメリカ消費文化の頂点の時代に、その本質を初めて捉えたのはフィッツジェラルドです。マッチョのヘミングウェイじゃなかった。ただパウンドはフィッツジェラルドの同時代人で、見事にフィッツジェラルド的なアメリカの対局にいた。利子が大嫌いで孔子が大好きな詩人ですから(笑)。また先生がおっしゃったように、パウンド以降のアメリカ長篇詩は『詩篇(キヤントーズ)』の変奏です。『詩篇(キヤントーズ)』は十九世紀、二十世紀初頭の現代社会を描いているだけでなく、中世ヨーロッパから同時代に至るまでの文化の総決算のような作品でしょう。いったいなぜあんなことができたんでしょうね。

 

新倉 イギリス人だと、どうしても視野が狭くなっちゃうのかもしれませんね。アメリカ人だから、自由に何でも吸収して表現できた面があるんじゃないでしょうか。それにパウンドには物事を包括的に捉えられるセンスがあった。だけどパウンドはイギリスに渡ってから、十年くらいで出版界からシャットアウトされてしまう。彼にはイギリス人にはとうてい許容できないような開放性があったんでしょうね。

 

鶴山 イギリスにいると指の間に水掻きができそうでイヤだと言って、パリに行ったんですよね(笑)。それからしばらくはシェィクスピア・アンド・カンパニー書店なんかを拠点にして活動するわけですが。

 

新倉 エリオットはアメリカ人だけど、晩年はイギリス人に変装してイギリス社会に受け入れられた。でもそれはパウンドにはできないんですね。それがまた二人の詩質の違いになって表れています。

 

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鶴山 エリオットは基本的に宗教者でしょう。神を信じ切っている。エリオットの晩年の代表作に『四つの四重奏』があります。「わが終わりこそわが初め」など名フレーズに事欠かない詩集ですが、こんなに綺麗にまとまってていいんだろうかというくらいまとまっている。完成度は高いんですが、それがどうも十九世紀以前のキリスト教秩序に見えてしまう。そういう意味では初期の『荒地』より退行しているかもしれない。

 

新倉 なが年、アメリカ詩の世界をいろいろ逍遙してきて、英詩との素性の違いを痛感してきました。

 エリオットの『荒地』は確かに、発表当時の英詩の伝統とは違いますが、この詩はしだいに保守的な批評家たちの象徴詩的解釈風によって卑猥化され、誤読されてきました。そして残念なことに、エリオット自身もその後象徴詩風な閉ざされた詩に退行してしまったことです。

 

鶴山 エリオットはパウンドの三歳年下ですね。先に亡くなりましたが。

 

新倉 エリオットの葬儀はウエストミンスター寺院で行われて、その時パウンドも参列して記者にコメントを求められて、「エリオットの詩を読め。彼は現代のダンテだ」という意味のことを言いました。だけどパウンドのダンテとエリオットのダンテにはずいぶん開きがあります。エリオットには本家のダンテにあったような社会意識がないです。晩年になるにつれて宗教心に凝り固まってしまった。

 

鶴山 エリオットは破綻の仕方も予定調和的です。完成され過ぎていて学ぶべき点があまりない。パウンドの『詩篇(キヤントーズ)』は失敗作かもしれませんが、学ぶべき点がいくらでもある偉大な失敗作だと思います。

 

新倉 パウンドはあらゆる時代に出かけていって、それをテーマにして自分の詩の中に取り入れてゆくでしょう。ああいう精神は面白い。

 

鶴山 パウンド以降のアメリカ詩はSuicide Ageくらいまで追いかけたことがあります。あの世代よりちょっと前ですが、ハート・クレインの〝The Bridge〟は素晴らしかった。でもローエル、ベリマンらになるとどんどん小粒になってゆく。

 

新倉 技巧的には完成されてゆくけれども、内容的には痩せていってしまいますね。パウンドは鉱石のような詩で非常にラフなところがある。でもその中に宝石が隠れているんです。

 

鶴山 パウンド論は概論としてなら書けますが、内容論としても技法論としても書きにくい。ほとんど変幻自在で、かつ内容と技法がほぼ完全に一致しています。内容だけ学んでも技法だけ学んでも『詩篇(キヤントーズ)』のような詩は書けないと思います。それに第一篇の「それから船に降りていき」からしてホメロスの『オデュッセイア』の引用でしょう。ポスト・モダン的な自在さがあります。

 

新倉 精神はモダニズムなんだけれども、方法はポスト・モダンです。

 

 

■飯島耕一のパウンド理解ついて■

 

鶴山 飯島耕一さん晩年の『生死海』などは、ずいぶんパウンドを意識していますね。

 

新倉 飯島さんは晩年に、パウンドに非常に興味を持ちました。特に私の『ピサ詩篇』訳を読んでから、それを自分の世界に取り入れようとした。詩集『アメリカ』が最後の詩集になってしまいましたが、「あとがき」で「連載が終わった頃に刊行された新倉訳、エズラ・パウンドの『ピサ詩篇』の刺激もあり、今度は一年も二年も間を置かず、また詩を書こうと思っている」と書いています。飯島さんくらい、日本の詩人でパウンドに心を開いた人はいなんじゃないですかね。北村太郎さんと高見順賞のパーティでお会いしたときに、「パウンドはどうしてもわかんないんだ」と言われましたが、考えてみると日本の抒情詩はフランス象徴派の流れでしょう。そういう詩人にはパウンドのような野放図な意識の叙事詩というものは、まず形の上で我慢できないんじゃないでしょうか。

 

鶴山 「荒地」派は基本、エリオットとW・H・オーデンでしたからね。中桐雅夫さんがだいぶ翻訳なさいました。

 

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『エミリー・ディキンスン-不在の肖像』

新倉俊一著

発行:1989年1月日

大修館書店刊

 

新倉 オーデンは〝巧みに書かれた詩〟なんですよね。田村さんはお好きでしたけど。

 

鶴山 田村さんは江戸っ子で、歌舞伎で見得を切るような書き方もお好きでしたから(笑)。ただアメリカ詩が日本で今ひとつポピュラーにならないのは、やはり決定的に日本文化と異質なものがあるからだと思います。日本は歴史があるのでヨーロッパ、特にフランス文化と近しい面があると思います。藤富保男さんがe・e・カミングスをだいぶ訳されましたが、日本ではユーモアとウイットに富んだ抒情詩くらいにしか受け取られていません。でも処女作で小説ですが〝The Enormous Room〟なんかを読むと、カミングスが一筋縄ではいかない剣呑な人だということがよくわかる。カミングスの詩にはシニカルな面があって、いろんな要素をそぎ落としてああいう単純で軽い詩になった。それがどうも伝わらない。パウンドは単純な叙述を積み重ねて恐るべき長篇詩を作りましたし、カミングスは難解をそぎ落としてこれ以上ないほど単純な詩を書いた。アメリカ詩は基本ストレートなんですが、その単純さの中に日本人が理解できない難解さがあると思います。

 

 

■今の詩の書き方について■

 

新倉 前に詩集『エズラ・パウンドを想いだす日』を書いて出した時は、人に送れなかったんです。送っても読んでくれるはずがないって思って。今度の『ヴィットリア・コロンナ』は一応詩らしい形で書いたから、やっと何人かに送りしました。『エズラ・パウンドを想いだす日』の書き方は、今の詩の書き方とだいぶ乖離していますから。

 

鶴山 先生は今の詩の書き方をどう捉えておられますか。

 

新倉 自分の中からマグマみたいなものが湧き出してきて、それを修辞的に器用にまとめているような作品が多いと思います。詩の中で思考するなんてことは、まず避けるべきことだとみな考えているんじゃないでしょうか。そういう意味では私の詩は詩壇などには関係ないので。好き勝手に書いています(笑)。

 

鶴山 確かに一般的な意味での抒情詩を、戦後詩や現代詩の技法のオブラートで包んだような詩が多くなっていますね。でも詩壇って存在してるんでしょうか(笑)。

 

新倉 大正詩壇とかそうですが、何十年か経つと、詩壇と呼ばれていたものは殆ど消えてしまいます。一種のファッションみたいなものだと思います。その流行が過ぎても作品が残るかどうかが問題です。

 

鶴山 西脇さんはいわゆる詩壇とつながりがあったんでしょうか。

 

新倉 ぜんぜん関係なかったです。戦後に現代詩人会の幹事長とかをやらされたりしていましたが、当時は詩人が四、五十人くらいしかいない時代ですからね。どうしたって大学の先生で、ヒマそうな西脇さんに頼んじゃいますよ(笑)。

 

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鶴山 僕が仲良くさせていただいたり尊敬している詩人は、詩壇とは関係ない詩人たちが多いです(笑)。吉岡実さんがそうだったし田村さんもそうですね。鮎川信夫さんは「荒地」の領主として祭り上げられていましたが、ご本人はまったく詩壇には興味がなかったと思います。

 

新倉 鮎川さんは詩の出版記念会には絶対行かなかった。なあなあのなれ合い関係になると批評が書けなくなるからと言ってね(笑)。

 

鶴山 でも出版記念会も少なくなったと思います。また重要な仕事をした詩人がお亡くなりになっても、あまり追悼会なども開かれていないようです。

 

新倉 飯島さんについては私たち数人で、横浜の神奈川近代文学館で小規模な偲ぶ会を開きましたけど、それは詩の雑誌などとはぜんぜん関係のない会合です。

 

鶴山 岩田宏さんもお亡くなりになりました。マヤコフスキーの新訳シリーズを刊行されている最中で、僕は毎巻楽しみにしていたんです。岩田宏、ついに詩の世界に戻ってくるのかと期待していました。先生は岩田さんとお会いになったことはありますか。

 

新倉 ないんです。一頃、文庫本の詩集で岩田さんの詩を愛読しました。ほかにああいうウィットの詩を書く人はいないからね。詩人はそういった個性がないとやはり面白くないです。みんなと同じような詩を書いていてはダメです。

(2015/11/11 後編に続く)

 

 

 

 

 

王朝その他の詩篇(おうちょうそのたのしへん) ヴィットリア・コロンナのための素描―新倉俊一詩集