言葉と骨董_No.044_01

 

 

 文学金魚編集人の石川良策さんから「今年もクリスマス骨董について書いてくださいませぇ」というメールが来た。石川さんは意外とイベント好きなようだ。「なぜお正月じゃなくてクリスマスなんですか?」とお聞きしたら、「お正月って、やっぱりちょっとだけ厳粛な気分になるでしょう。クリスマスは外国のお祭りだから、気兼ねなくどんちゃん騒ぎできるところがございますですよ」という返信だった。

 

 確かにそうかもしれない。日頃仕事で忙しい日本のお父さんには、クリスマスは絶好の家族サービスの日だろう。恋人たちにとっては互いの愛を確認する日でもある。本来キリスト様のお誕生日を祝う日なのだが、クリスマスは日本では家族愛や恋人愛を確認するための日としてすっかり定着している。もちろん欧米の、特に先進国では、かつてのような熱心なキリスト教信者は減っているかもしれない。しかし日本人がお正月にどうしても厳粛な気分になってしまうように、無神論者を自称している欧米人でも、クリスマスには一種独特の爽やかさと緊張を感じるのではなかろうか。

 

 よく知られているように、西暦三二五年に小アジアのニカイアで開かれた第一ニカイア公会議でキリストの誕生日が十二月二十五日に定められた。さまざまな理由があるのだが、一つには一年で最も日が短くなる冬至に近い日だからだと言われている。日照時間が長くなり始める冬至は生命復活の象徴である。キリスト教は三一三年にローマ皇帝コンスタンティヌス一世がキリスト教に改宗(ミラノ勅令)したことでその基礎を盤石なものとした。キリスト教以前のローマでは、十二月二十五日に太陽神ミュトラを祭る冬至祭が行われていたのである。

 

聖ニコラスの奇跡

 

子供が三人 あつまって

落ち穂拾いに 出ていった(くり返し)

 

日がくれ子供は肉屋に言った

――お肉屋さん、僕らを泊めてくださいな

――おはいり、おはいり、いい子だね

場所ならちゃあんと あるからね

 

中へと子供が入るやいなや

肉屋は子供を殺してしまい

小さなかけらに切りきざみ

豚肉みたいに樽詰(たるづめ)に・・・・・・

 

七年たって 聖ニコラス

歩いて行きます 畑中を

やがて肉屋の戸をたたく

――肉屋さん、どうか私を泊めとくれ

 

――おはいり下さい ニコラスさま

部屋ならあるし 何でもそろう

ニコラスは中に 通されて

さっそく頼むは 夕ごはん

 

――ハムなどいかが ニコラスさま?

――欲しくはないね、まずいから!

――小牛のひと切れ いかがです?

――いやいらねいね、感心しない!

 

――私が本当に 欲しいのは

七年前から漬けこんだ 樽詰にした豚の肉!

これを聞いたら 肉屋は仰天

店の外へと 逃げ出した

 

肉屋よ、肉屋よ 逃げるでないぞ!

悔い改めよ、主は許される!

ニコラスは樽へと近よって

どっかとすわった 縁の上

 

――そこに寝ている 子どもたち

わしの名前は聖ニコラス かの偉大なる聖者じゃよ

聖者は伸ばす 指三本

三人の子どもは 目をさます

 

最初の子どもが言う――よく寝たな!

二番目が言う――僕だって!

そして最後に三番目、

――僕、天国にいたんだよ

(『サンタクロースとクリスマス』カトリーヌ・ルパニョール著 今井裕美子訳より)

 

 聖ニコラスは小アジアのローマ帝国パラタ生まれのキリスト教の大主教である。ニコラスはスペイン語表記で、ラテン語ではニコラウス、ギリシャ語ではニコラオス、フランス語ではニコラ、ロシア語ではニコライである。日本でも学問や蚕の神様がいるように、キリスト教カトリック圏でも特定の職業や地域を守護してくれる聖人を信仰するという伝統がある。各国で親しみを持って呼ばれていることからわかるように、聖ニコラスは国境や民族を超えてキリスト教圏全域で愛されている守護聖人の一人である。

 

 キリストの誕生日を十二月二十五日に定めた第一ニカイア公会議は、史上初めての汎キリスト教圏宗教会議だった。聖ニコラスもこの会議に出席しており、三位一体の教義を巡ってアリウスと激しく言い争い彼を殴ってしまったと伝えられる。父と子(キリスト)と精霊を一体の唯一神とするのか、キリストは人の子で預言者なのだから父なる神と同質ではないと考えるのかは、初期キリスト教会最大の宗教議題だった。ニコラスは三位一体を支持し、アリウスはユダヤ教や後のイスラーム教のように唯一絶対神の信仰を主張したのである。言うまでもなくキリスト教会は三位一体を正式教義とする「ニカイア信条」を採択し、アリウス派は異端として追いやられることになった。ニコラスが愛されるのは、初期教会においてキリスト教の教義を確立した聖人でもあるからである。

 

 ただニコラスは西暦四世紀頃の人である。その生涯は実際の業績よりもむしろ、数々の宗教伝説に彩られている。引用した『聖ニコラスの奇跡』はフランスで伝承されている宗教詩(歌)である。肉屋に殺され塩漬け肉にされた三人の子どもたち(七人という伝承もある)が、ニコラスによって復活させられたという奇跡譚である。貧乏な男が娘を売らざるを得なくなった時に、ニコラスが金塊を与えて救ったという伝承もある。ニコラスは貧乏人の家の窓から金塊を投げ込んだとも、暖炉で干してあった靴下の中に入れたとも言われる。ヨーロッパの貧しい人々は木靴を履き、夜は暖炉で濡れた靴や靴下などを乾かしていた。クリスマスに長靴の形をしたパッケージにお菓子を詰める風習は、聖ニコラスの伝承などに源流があるようだ。

 

 またニコラスには大飢饉の時に船から少量の小麦を分けてもらい、人々を救ったという伝承がある。いくら民衆に配ってもニコラスの小麦は減らず、船の積み荷の量もそのままだったのだという。この伝承からニコラスは海運業の守護聖人にもなった。十六世紀にいち早く大航海時代に乗り出したオランダでは十二月五日がシンタ・クラース(聖ニコラスのオランダ語読み)の日と定められている。海運業を生命線としていたオランダでは、十一月中旬にシンタ・クラースがスペインから、たくさんの贈り物を船に積んでやってくるという伝承が生まれた。日本の伊万里焼に描かれた黒船と同じく富の象徴としての宝船である。今でもシンタ・クラースの日には子どもたちがプレゼントを交換し合う。このシンタ・クラース伝承を持つオランダ人がアメリカのニューヨークに移住し、英語読みのサンタ・クロースとなったという説がある(『サンタクロースの大旅行』葛野浩昭著)。

 

言葉と骨董_No.044_02

言葉と骨董_No.044_03

ロベール・クートラス 『聖ニコラスと三人の子どもたち』表・裏

テラコッタ 直径11.7×厚さ1.8センチ(いずれも最大値)

 

 ロベール・クートラスは一九三〇年にパリで生まれ、一九八五年に五十五歳で死去したフランスの画家である(34回、35ロベール・クートラス賛参照)。ペインティング系の画家で、油絵、グァッシュ、それにカルトと呼ばれるカード形式の絵の他に、テラコッタ製の焼き物も作った。クートラス作品を扱うGallery SUの山内彩子さんにうかがったところ、クートラスは三人の子どもたちを復活させた聖ニコラスの話しが好きだったようだ。ヨーロッパに限らず日本にも、飢えた人々が秘かに人肉を食べたという古い民間伝承はたくさんある。貧困は人の心を歪ませ矜持を失わせるのである。

 

 クートラスは若い頃からその高い才能を認められながら、画家の生命線とも言える画廊はもちろん、ほんの少数の友人を除いてうまく人と付き合えなかった。そのため彼はしばしば飢えた。若い頃には食料を得るために盗みに入ったこともあると告白している。彼はそれを悔いたが貧者の心を痛いほど知っていた。絵で最低限度の収入が得られるようになると、自ら望んでほぼ何も持たない聖なる貧者画家となった。友人が拾ってきた紙のポスターの裏にグァッシュを描き、街で集めたボール紙をカード型に切ってカルトを作った。油絵も粗末な板の上に描かれている。テラコッタ作品は粘土を捏ねて形を作り、彼が「詩人」とあだ名をつけた自宅の暖炉で焼いたものである。クートラス作品にはキリスト教の聖者をモチーフにしたと思われる作品が数多くある。しかし彼は敬虔なキリスト者だったわけではない。(後編に続く)

鶴山裕司

(図版撮影・タナカ ユキヒロ)

 

 

 

 

 

 

■鶴山裕司詩集『国書』■ 

国書

 

クートラスの思い出 僕のご先祖さま―ロベール・クートラス作品集