下町ロケット

TBS

日曜 21:00

No.101_TVドラマ批評_01

 

 

 池井戸潤原作である。面白いわけだけれど、ただ面白がっていても仕方ない。どんな物語に我々は惹き込まれるのか、ということだ。そこにテレビドラマの要素を盛り込んだり、それによる制約が加わったりする。しかしながら原作が文句なければ、ほぼ勝ちは決まっている。逆もまた然り。ウッディ・アレンも言う通り、神はまさしく脚本家なのである。

 

 『半沢直樹』と同様、徹底した現場のリアルがあれば、むしろトリッキーなプロットはいらない。現実には、びっくりするようなことはそうそう起きないのだ。人はただ、見覚えのある光景がリアルなミニチュアのように展開しているだけで、十分に目を奪われる。

 

 ロケット打ち上げ失敗で、詰め腹を切らされた技術者が父の会社を継ぐ。高い技術力で売り上げを伸ばしたところに、大企業から特許侵害の訴えが。真似したのは相手の方なのに、巨額の賠償金で追い詰め、乗っ取りを計画しているのだ。まずこのところで理不尽への義憤が視聴者を襲う。

 

 上手いなあと思うのは、この後の細部だ。やっと見つけた知財専門の弁護士から注意を受けて、すべての出願特許を見直す。そこにたまたま含まれていたロケットのバルブエンジンの特許を押さえ直したことで、初の国産ロケット開発に血道を上げていた別の大企業が泡を吹く。この二つのせめぎ合いが細い部品で繋がっているようだ。バルブエンジンの要が小さなゴムパッキンであったように。

 

 実体験や取材をもとに、細部のリアルを描写しようと努めるドラマは時折見かける。それはたいがい一定水準以上のものにはなる。しかし必ずしも、誰もが夢中になる大ヒット作になるわけではない。当のその業界人が、ある程度の評価をして関心を示すだけのこともある。

 

 銀行の内幕も、ロケット打ち上げも、興味があるという向きは大多数ではない。そこへ皆を引っ張ってゆくには、万人に訴えるものが必要になる。池井戸作品の場合、それは胸のすくような報復、とりわけそれが正義の名の下に為されるとき、我々は一昔前の水戸黄門の視聴者と変わらない。どんなに斜に構えて現代を受け入れても、むしろだからこそ我々の求めるものは同じだ。

 

 リアリティの描写が生き生きしたものになるかどうかは、つまるところはそれへの確信にかかっている。そのリアルに対する感情が定まってなくて描写されたものは、単なる複雑な情報に過ぎない。観る者の共感を誘導する感情は、シンプルであればあるほどよいのだ。

 

 まっすぐな情熱とそれを守ろうとする正義感。最強である。笑ってしまうほど豪華な俳優たちの、やや戯画的な演技が加わればなおのこと。娘とのエピソードも欠かせないのだろうか。裁判所での主人公の演説という、並みのドラマなら間違いなく弛緩するシーンで感動を呼ぶのは素晴らしい。ただ、「娘がかけてくれたアイロンを発明したのは…」云々は、原作にあるかどうか知らないが、短いドラマでは無理スジに思える。

田山了一

 

 

 

 

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