アルジャーノンに花束を

TBS

金曜日 22:00

 

No.084_TVドラマ批評_01

 

 

 ダニエル・キイスの名著で、映像化はチャレンジングだと思う。物語は発達の遅れた青年に、ある研究所が手術を施し、極めて高い知能の持ち主に変貌させる。アルジャーノンとは、その研究の実験に使われていたネズミの名だ。その成果をもとに青年は人体実験の被験者となる。

 

 ドラマでは、映像化のための映像的な工夫がなされ、登場人物の数や関係性を豊かに改変されている。もちろん舞台は日本で、現代的なアレンジも為されている。青年を中心とし、周囲の人々それぞれの事情や思惑を膨らませることで連続ドラマのボリュームを得ているわけである。

 

 主演は山下智久。発達の遅れた青年を演じるのはなかなか難しいようだが、この場合のポイントはピュアな感じを出すことで、線が細くて少年っぽい山下の起用は必ずしも悪くはない。担当する女性研究員に栗山千明。これも今観ていたい女優の一人であり、主人公の友人役の窪田正孝、工藤阿須加の複雑な屈折感は、テレビドラマ独自の仕上がりにスパイスを添えている。

 

 ひとつ気になるのはやはり、ドラマとしての設えが十全であればあるほど、原作のエッセンスを損なう、あるいは損なわないまでも見え辛くならないか、ということだ。原作が名著として知られるのは、主人公一人のあり様、変容、内面に読者の視線を釘付けにしたことで誰にも忘れがたい印象を与えたことにある。丁寧な説明的シチュエーションは、もちろん単にボリュームを作り出すためと切って捨てるべきではないが。

 

 ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』が年月を経ても記憶に残っているのは、それが何かの本質を突いているからである。それは作品のテーマである知能や知性の本質であり、一方では書くこと、小説の本質である。その奇跡的とも言える重なり合いこそが『アルジャーノンに花束を』という作品そのものだ、と定義できる。つまりは他の登場人物が増えようとどうしようと、本質ではない。

 

 知性を獲得するにつれ、主人公の日記はみるみる変貌してゆく。そのテキストの変化こそがその小説の魅力であった。知性とは言語で表されると同時に、言語そのものであること。内面とはすなわちテキストであること。本を読むほどの者ならば、そのことを見てとるに十分だろう。

 

 そして最大の見どころは、むしろその知性を失ってゆく過程にある。知力は衰えながらあらゆる感情を包含し、言葉を超えた思想を抱えつつ滅びてゆく。涙なしには読めないのは結局のところ、それは極端化された私たち自身の生涯ではないか、と思えるからだろう。

 

 ピュアな精神遅滞者を演じることにも、知的な主人公を演じることにもさほどの危惧はなくて、この知性を喪失する過程がどのように為されるのか、そこを観ないかぎりは何とも評価し難い。もちろんそこでの感動は、そこに至るまでのプロセスの積み重ねからもたらされるものだ。しかしそこに予断を持ち込むのは、それこそ表層的な知性の為せる業と言われても仕方あるまい。

田山了一