続続・言葉と骨董_No.032_08

『さくらんぼの木』 エッチング、紙 縦三九・四×横二八・三センチ 昭和三十七年(一九六二年)

 

続続・言葉と骨董_No.032_09

『異国の鳥』 エッチング、ソフトグランドエッチング、紙 縦三四×横二八・四センチ 昭和四十五年(一九七〇年)

 

 鳥や獣でも、南は多くの場合、一か二の存在を描いている。それはまず存在は孤独なものだという思想を表しているだろう。また孤独を分かち合えるのは、究極的にはただ一人の他者であるという彼女の思想を表現しているはずである。二つの存在が感情をあらわにせずただ寄り添っていることから、それが孤独な存在同士の結びつきであることもわかる。南作品に現れる少女は、彼女の自画像だと言っていい。

 

 南の作品は、作家の精神が生み出したイリュージョン世界である。この世界に強いリアリティを与えているのは孤独である。わたしたちが少女趣味のメルヘン画と言いかけて、いや、違うと考えるのはそのためである。彼女はこの世界を描くために夫と子供と別れた。その意味で南の自我意識は強固でかつ肥大化している。しかし我が儘なほど大きな自我意識を抱えていたかもしれないが、それは孤独なのだ。大切なものを捨て孤独を選んだからこそ、南はイリュージョン世界の住人でいられる。この孤独な作家にも時折寄り添ってくれる存在がいる。パートナーの浜口かもしれないし、女友達、あるいは故郷に残してきた子供たちが意識されているのかもしれない。それはかけがえのない一人の他者として表現される。しかし二つの存在が交わり合い融合することはない。存在の孤独を理解し得る者同士が、ひっそりとたたずんでいるのである。

 

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『作品名不詳《女と鳥と風景》』 グワッシュ、紙 縦三〇・五×横四六センチ

 

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『作品名不詳《湖に浮かぶ鳥》』 モノタイプ、紙 縦三二・二×横二五センチ

 

 南とエッチングとの出会いは幸福かつ運命的なものだった。作品名や制作時期は不明だが、南はそれなりの量の絵画作品を残している。『作品名不詳《湖に浮かぶ鳥》』のように、エッチング作品の下書きのような絵画もある。しかしはっきり言うと、南の絵画作品は魅力がない。ドローイング系の画家の道を進んでいれば、南は浜口の奥さんの素人画家という以上の評価を得られなかっただろう。形を抽象化し、色を塗り重ねるだけでは南の芸術世界は表現できないのである。浜口の影響でエッチング画家になったと思われがちだが、南は自分に合った表現形式を的確に選択している。それは優れた芸術家にとっての必須要件である。

 

 初期の絵画作品を見ると、南はかなり早い時期から具象抽象画を描いている。単に絵を描くのが好きで手当たり次第に人物や風物を写生していたのではなく、彼女の視線には最初からフィルターがかかっているのである。このフィルターは一種の観念である。観念フィルターが世界を抽象化、つまりある本質的イマージュに変えている。南の場合、この本質的イマージュは限られた形姿として現れる。同じ姿の少女、同じような形の樹木、鳥、魚、お城などである。この本質的イマージュは、エッチングでしか表現できなかったのである。

 

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『樹木』 エッチング、紙 縦二九・五×横三四・五センチ 昭和四十六年(一九七一年)

 

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『2人の少女と蝶』 エッチング、紙 縦三二×横二八・三センチ 昭和五四五十四年(一九七九年)

 

 南作品は恐ろしく細かい。一つの作品を仕上げるまでに相当な時間がかる。また作品点数から言って、南は勤勉に仕事し続けたはずである。そんな職人のような勤勉さと正確さが南には必要だったのだと思う。南が捉えた世界の本質的イマージュは、より緻密に、正確に表現されなければならなかったということである。版に傷を付けるエッチングはやり直しが利かない。曖昧さは許されず、確信を持って線を引き、点を打たなければならない。それは南がある断念を持って現実世界から抽象世界へ飛躍したことを示唆している。逆に言えば、南の実生活での迷いや逡巡は、それだけ深かったのかもしれない。

 

 富山には〝浄土の狭間(はざま)〟とでも呼ぶべき精神風土がある。浄土真宗の影響が強い土地柄だが、宗教においても中央ではなく辺境である。人々は口癖のように、「どうなるいね」=「世の中は思い通りにならない、なるようにしかならない」と諦念の滲む言葉を呟きながら、日々の生活で激しく足掻く。幸福な来世を信じているわけではなく、神仏の御利益で夢のような現世的栄華が訪れるとも思っていない。かといって絶望しているわけでもない。恐ろしく現実主義的でありながら、粛々と仏壇に手を合わせ神棚の前で頭を垂れる。何の役にも立たないと知りながら、人間には神や仏(先祖の霊)に祈ることが必要だと理解している。それもまた広義の仏教的心性である。

 

 このような敬虔だが現実主義的でもある精神は、矛盾と葛藤を引き起こしやすい。神仏にも現世にも精神的基盤を置けないからである。富山県人は概して理屈っぽく抽象的議論を好む傾向があるが、堂々巡りに終始することが多い。神学は存在しないがドストエフスキーの小説世界のように、果てしない抽象的議論に耽るのである。その一方で極めて勤勉でもある。一心不乱に仕事に打ち込むことが、現実生活面でも精神面でも大きな安らぎになることを知っている。しかしその精神がある〝極点〟への指向を内包しているのも確かである。それが時に極度の現実主義や、浮世離れした抽象思考として現れることもある。

 

 戦後の現代美術の守護者であった瀧口修造は、ほとんど意固地とも呼べる姿勢(信念)でジャーナリズムから距離を置いた。そのため生活に苦労したが、驚くほど旺盛に仕事をした。現代美術作家のために無償でエセーや評論を書き、売るつもりのないデカルコマニーと呼ばれる小さな美術作品をこつこつと作り続けた。また彼は極端な観念論者だった。瀧口はシュルレアリストとして知られるが、それは書物を読み頭で考えただけの思想ではない。『滝口修造の詩的実験 1927~1937』には「太陽氏」という言葉が頻繁に現れる。それは神でも仏でもないある極点――もっと言えば矛盾し混乱した思考が夢見る世界原理(もちろんそんなものは存在しない)を指す。そこに富山の陰鬱な空の下から究極の青空(観念)を夢想した瀧口少年の姿を重ね合わせることは、それほど的外れではないと思う。

 

 南桂子も勤勉な作家であり、メルヘンと呼ばれてしまうだろうが、彼女にとってはそれこそが現実(リアル)である観念世界を必要とした人だった。しかしわたしたちが南作品に惹かれるのは、明るく華やかなカラー・エッチング世界に、微かだが確実に暗い精神世界が透けて見えるからである。また頑固で孤独な人だった。説明できないことは、説明しようと試みもしなかった。しかし作品は自ずからその精神世界を語るのである。

 

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『城』 リトグラフ、紙 縦三五・五×横三九・五センチ 昭和五十七年(一九八二年)

 

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『少女と魚』 リトグラフ、紙 縦三八×横四一センチ 同

 

 後期になるにつれて南の作品は単純になってゆく。中期の緻密なエッチング作品を見慣れた目にはやや物足りないが、必要不可欠な対象だけを表現するようになったのだろう。なお初期から一九八〇年代頃までの南の作品にはEA、フランス語のépreuve d’artisteとサインされているものが圧倒的に多い。作品の試し刷り、あるいは作家の保存・贈呈用という意味である。南作品は昭和三十三年(一九五八年)にユニセフのグリーティングカードに採用され、世界的評価を受けたかのように見えるが、実際はあまり売れなかったのではなかろうか。僕の持っている作品もすべてEA版である。それほど作品の現存数が多いとは思えない。こういった調査もこれからの課題だろう。

 

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一九六〇年パリ近郊にて 浜口陽三と南 撮影・秋山庄太郎

 

 平成三年(一九九一年)に南と浜口は婚姻届けを出して正式に結婚した。八年(九六年)にはアメリカから帰国し東京南麻布にアトリエを構えた。南八十五歳、浜口八十七歳の時のことである。二人が日本を出てから四十年以上が経っていた。Exile(故郷喪失者)の帰還である。十二年(二〇〇〇年)に浜口が八十九歳で死去した。南は十六年(〇四年)に心不全で亡くなった。九十三歳だった。様々なことを想像させる伝記的事実だが、詳細はあまりわかっていない。いずれ必要に応じて必要な事だけが明らかとなる時期が来るだろう。

 

 僕が美術を好きになった一九八〇年代から現在に至るまで、エッチングの世界では浜口は押しも押されぬ大家だった。正直に言えば、僕もまた最近まで南桂子の存在を知らなかった。東京吉祥寺の武蔵野市立吉祥寺美術館で『生誕100年 南桂子展』を見て、その素晴らしさに気づいたのである。南は決して技術的に上手い画家ではない。しかしその愚直で切迫した作風は見る人の心を打つだろう。また彼女の絵が持つポピュラリティーは、絵画好きだけでなく多くの人に愛される可能性を持っている。もしかするとその評価は、将来的には浜口に拮抗するかもしれない。

 

 いつの日か、富山駅を降りたら南の大きな絵が目に飛び込んでくるようになるといいなと思う。南の絵は受け入れられやすいだろう。また難解に見える瀧口の詩も、理屈っぽい富山県人に愛される側面を持っていると思う。瀧口の詩をお菓子の包装紙などに印刷する業者がいてもいい。「ぼくの黄金の爪の内部の瀧の飛沫に濡れた客間に襲来するひとりの純粋直感の女性」という詩を読んで、買った人が「なんじゃこりゃ」と言うのを想像するのは楽しい。僕は故郷は必ずしも実際の土地ではなく、精神的なものだと思う。ただそれを最も鮮やかに描き出すのは、故郷を離れてしまった芸術家の作品ではないだろうか。

鶴山裕司

(了)