Interview:荒木経惟 (3/3)

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荒木経惟:昭和五年(一九四〇年)東京市下谷区(現・台東区)三ノ輪に生まれる。父・長太郎は「にんべんや履物店」を営む下駄職人。母は上州(群馬県)の人。東京都上野高等学校、千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、電通にカメラマンとして入社。三十九年(六四年)写真集『さっちん』で第一回太陽賞受賞。四十六年(七一年)青木陽子と結婚。四十七年(七二年)電通を退職しフリーになる。平成二年(九〇年)陽子氏死去。二十二年(二〇一〇年)愛猫・チロ死去。陽子氏、チロの死の前後撮影した写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』、『チロ愛死』が大きな話題を呼ぶ。二十年(〇八年)に前立腺癌の手術を受けるが現在も旺盛に活動中。オーストリア科学芸術勲章、毎日芸術特別賞など受賞多数。

 

荒木経惟氏の芸術の評価は高い。特に欧米での評価は絶大である。また現代アートでもコマーシャル・フォト、ドキュメンタリーでもなくその全てを含み、かつ写真と現代アートといった芸術ジャンルの敷居を軽々と超えてゆく荒木氏の芸術は空前絶後である。荒木氏のように自由な芸術家は世界中を探してもいないだろう。また荒木氏は「私写真」を原点にしており、それは私小説に代表される日本文化の根幹に迫るものである。今回は現時点での荒木氏のお考えや思いをできるだけありのままに語っていただいた。なおインタビューは金魚屋アドバイザーの小原眞紀子氏と鶴山裕司氏にお願いした。。

文学金魚編集部

 

 

■「顔」を撮ることについて■

 

───オマンコを一年撮り続けたら、顔が一番卑猥に見えてくるっていう意味のことを書いておられましたね。そうかもしれません。

 

荒木 裸を撮っても、じゃあ最後トドメ行くぞって時は顔なんだ。もったいない話だよ。裸になってるのに顔だけしか撮らないんだから。ほかから見たら変だろ(笑)。

 

───富山県のミュゼふくおかカメラ館の開館記念で、「富山ノ女性101人」の顔をお撮りになりました(平成十二年[二〇〇〇年])。撮影は大変だったんじゃないですか。

 

荒木 気力と体力がないと撮れないよ。あのシリーズはホントは全国制覇する予定だったんだ。でも広島でやめちゃった。ニセなんだけど、原爆がどうのっていうこじつけをして広島の撮影で終わりにしたんだね。

 初めて会う人ばかりなんだけど、アタシに撮ってほしいって人は、どんどん自分を出してくるんだ。そうしたらアタシもノッてくるからさ。だから顔はさしで撮るのが一番いいね。その人が全部出る。中には隠そうという気持ちのある人もいるけど、それも出ちゃう。隠したいっていう顔になってる。だから顔なんだ。

 ちょっと普段言ってることと違うんだけど、顔はオブジェにして撮っちゃダメなんだ。向こうが熱をぶつけてきて、こっちも熱をぶつけて、顔がオブジェになるちょっと手前、その感じの顔が一番いい。四月に表参道ヒルズでやる「裸の顔」の写真展では、そういう顔を並べるんだ。

 

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『荒木経惟写真全集1 顔写』

平凡社刊 より

 

───ちょうど荒木さんのインタビューの掲載が、三月、四月頃になると思います。

 

荒木 それはいいね。ねえねえ文学金魚ってなんなの。文芸誌なの。

 

───基本的には文芸誌なんですが、文学の世界がつまらなくなっているので、詩や小説はもちろん、映画、演劇、美術とかなんでも取り上げるメディアです(笑)。

 

荒木 俺は金魚の文字に惚れてインタビューに来ただけだからさ(笑)。でも文学金魚は雑でいいじゃない。雑誌の雑っぽさが残ってるよな。俺はそういうところ、勘がいいからさ(笑)。

 

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───北斎は晩年になるにつれて画業が上がって行きました。欧米の芸術家ではまず見られないことですが、日本の芸術家では晩年になるほど力が上がる作家が何人かいます。荒木さんもそういうタイプだと思います。

 

荒木 辰年で昇り龍だからね。でも医者は、「昇り龍かぁ。でも下り龍は早いよ」と言うけどね(笑)。

 

 

■写真を選ぶということ■

 

───『写狂老人日記 嘘』は今拝見したばかりですが、〝ザ・写真〟といった感じの写真集ですね。グチャグチャに見えますが高度な作為でまとめられている。でも作為をぜんぜん感じさせません。だけどこういう写真集を出す一方で、きちんとした写真集もお出しになるわけでしょう。

 

荒木 『道』(平成二十六年[二〇一四年]、河出書房新社刊)なんかは、ちゃんとした写真集だよ(笑)。四月にやる「裸の顔」もちゃんとした写真だから、『写狂老人日記 嘘』なんかを見た人は驚いちゃうかもね。

 

───荒木さんは、作為を感じさせない作為の域まで達したプロ・カメラマンという側面と、写真の原点に忠実であろう、忠実であろうとする二つの顔が同居しているから得難い写真家なんだと思います。NHKの『スタジオパークからこんにちは』に出演された時に、病室で陽子さんと手を握った写真が紹介されて、「これは弟が撮った写真なんだ」っておっしゃったでしょう(笑)。

 

荒木 ほんとにそうよ(笑)。百ミリくらいのレンズのカメラで、二メートルから三メートルの距離から、手だけ入れて撮れって言ったの。人に撮らせるといい写真があがるのよ(笑)。電車で通勤してるうちの子分の連中にカメラ渡して、これ撮っとけって頼むといい写真が撮れたりするんだ。だから写真はカメラが撮ってるんだよ、写真機が撮ってる。

 

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『センチメンタルな旅・冬の旅』

新潮社刊 平成三年(一九九一年)二月二十五日刊 より

 

───でも選ぶでしょう。

 

荒木 選ばなくてもいいっていう、素晴らしい境地に入ってると口では言ってるんだけど、やっぱり選んでるね(笑)。写真は選びのアートって言っちゃ変だけど、選ぶってのは重要なんだよな。

 

───僕も頭でっかちの方だから、いろいろな写真論を読んだんです。でも一つも腑に落ちなかった(笑)。

 

荒木 何言ってるかわかんないだろ(笑)。

 

───荒木さんの仕事を見た方が写真がどういうものかわかります。写真が発明されてすぐに記録に残すっていう使われ方と、ポルノがほぼ同時発生して、写真が普及したわけでしょう。それは写真のある本質なんじゃないでしょうか。で、一番しみじみくるのが家族写真ですものね。自分だけじゃなくて、他人の家族写真なんかを見ても、なんか言葉で言い表しがたい何かが迫ってくる。

 

荒木 もう完全にそうだよな。写真家本人はがむしゃらにやればいいんだよ。写真家の周りの人間が、これはいい、これはダメって言って、写真家をダメにしちゃうところもあるんだ。自分がこうやるって決めての上での他人との作業だよ。編集者と仕事して、写真をお任せで渡したりするじゃない。そうすると俺が気づいていないいい写真を拾って入れてくれたりすることもある。だから二、三人で仕事するのもいいんだ。

 そういうのはいいんだけど、やたらと紙に凝る編集者とか写真家とかいるじゃない。それはそれでかまわないから付き合ってあげるけど、ホントは紙なんてどうでもいいだろ。打ち合わせで紙見本持ってきたりするんだからねぇ。

 

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『荒木経惟写真全集3 陽子』

平凡社刊 より

 

───紙に凝る写真家の方が圧倒的に多いと思いますよ。

 

荒木 え、そうなの(笑)。

 

───荒木さんは写真に自信があるから紙はどうでもいいんでしょうね(笑)。

 

荒木 自信とかいうのとはちょっと違うけど、ホラじゃなくて、今はこれはイケてるって思っちゃってる時期なんだ。だからもうちょっと腿の筋肉が欲しいなぁとか思っちゃう。

 

 

■写真と現実の関係について■

 

───『写狂老人日記 嘘』はカメラに〝虚〟だとうかがいましたが、ここには現実が写っていますね。現実の世界はこういうものだと思います。とりとめないんだけど、ふとある所に視線が行ってしまう。そういう人間の視線を、写真集として作れるのは荒木さんだけでしょうね。

 

荒木 俺の才能がバレちゃってるのがダメだな(笑)。

 

───裏表みたいに同じ場所とか構図の写真が配置されてるでしょう。これを見ていると、嘘だというと本当に思えてくるし、本当だというと嘘に思えてくるっていう写真のあり方がよくわかります。

 

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『写狂老人日記 嘘』

ワイズ出版 平成二十六年(二〇一四年)十二月二十五日刊 より

 

荒木 いいところ衝いてるよ。ここだけの話、っていってもこれが出る頃にはもう個展やってるからいいんだけど、今、五月二十五日の日付で写真撮ってるだろ。それをフィルム面反対にプリントするんだよ。塗ったりもするんだけど、そうすると現代アートの奴らが「おお、これはアートだ」って思うじゃない(笑)。

 去年、資生堂ギャラリーで「荒木経惟 往生写集─東ノ空・PARADISE」(平成二十六年[二〇一四年]十月二十二から十二月二十五日)って個展やったんだけど、東の空にはどうしてもでっかいフィルムが、垂れ幕があるように思っちゃってるわけ。今はこっち側から見てるんだけど、向こう側から東の空を見たいんだ。そうすると日付は反転するわけ。それを、つまり、あの世からの写真を撮りたいんだ。あの世で写真を撮り出すんだな。間違ったインテリが、荒木は祈りながら東の空を撮ってるとか言ったりするんだけどさ(笑)。それはまあいいけど、東の空の写真はいいんだ。ちょっと大判の写真集にしたいよね。

 

───『写狂老人日記 嘘』は極めて作為的な作品だと思いますが、この構成は考えて決まるものでもないでしょう。

 

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『写狂老人日記 嘘』

 

荒木 その時の勘、アドリブに従うだけだよね。考えているようで考えてないな。自分がシャッターを押した時の音に従うっていうようなね。

 

───『写狂老人日記 嘘』には女優さんの写真とかも入ってますね。

 

荒木 資生堂で「花椿」の写真の仕事とかしてるじゃない。645で撮るんだけど、それは脇に置いといて、俺の日記ってことでちょこちょこっと撮るわけよ。俺にとってはこっちの写真の方がメインになっちゃうんだけどね(笑)。

 

 

■写真批評について■

 

───荒木さんの写真集は、時間が経つとその時代時代が写っています。荒木さんと同時代の人なら、写真集を見て「ああこういう時代だったよなぁ」って感じると思います。

 

荒木 うん、結局時代が写っちゃうんだよね。文学金魚は文芸誌なんだよな、せっかく知り合ったんだから評論とか書いてよ。

 

───でも荒木論ってメチャメチャ書きにくいんですよ(笑)。写真がすべてを語っているようなところがあります。荒木さんの作品が一番の写真論なんだな。

 

荒木 そうだよな(笑)。インタビューでしゃべることないよって言うのは、そういうことなんだ。俺の写真ってすごいおしゃべりなんだよ。主張してない分、書く方は大変なんだね。文章で書く時は、主張とか思想みたいなものがある作家の方が書きやすいよね。評論書く人は書く人でメンツがあるしね。パリなんかに行くと、向こうの新進気鋭の評論家とかがインタビューに来たりするわけ。そういう人は、頭の中に思想とか観念とかいっぱい詰め込んでるわけだけど、写真はそういう思想なんかで語れるものじゃないんだね。

 

───荒木さんは、写真批評家にだけはちょっと愛想がないかもしれません。難しい質問をされると「んなこと知るか」って即答しちゃうでしょう(笑)。それにデジカメの出現は今までの写真批評、あるいは写真そのものに対する最大の批評かもしれません。デジカメによって、かなりの部分の写真技術が消滅してしまった。そういった技術が写真神話、写真批評を形作っていた面が確実にあると思います。

 

荒木 デジカメのおかげで、若い写真家が仕事がないっていうんで困ってるんだ。出版社への売り込みなんか、大変なことになってるみたいよ。顔写真を撮る仕事はけっこうあったんだけど、今は編集者が撮るだろう。写真家は頑張って撮るわけだけど、編集者が頑張り過ぎないで撮る写真もいいから困っちゃうんだな。デジタルカメラは写真家にとっての一番の敵になってるね(笑)。

 

 

■シャッターチャンスについて■

 

───でもアナログでもデジタルでも、シャッターを押すタイミングは天性のものかもしれませんね。NHKが「木村伊兵衛の13万コマ」(平成十八年[二〇〇六年])という番組を放送して、荒木さんもゲスト出演されていました。木村さんはライカをセッティングしてから対象に近づいていって、シャッターを押していたでしょう。

 

荒木 バッチリピントを合わせて撮ろうと思ったら、ライカなんてカメラは難しいんだ。ピントを二メートルなら二メートルに合わせて、自分が被写体に近づくんだね。行ってからピントを合わせるんじゃなくて、今日は二メートル、五メートルって勘を働かせるんだ。五分後に面白いことが起こるぞっていう勘でピンと合わせて撮るんだよ。そういう勘が働かない人は、無理矢理状況を作っちゃったりする。でもそれじゃあいい写真は撮れない。

 

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───『写狂老人日記 嘘』を実際に手にとって見てもらわないと読者には伝わらないと思いますが、現代ってこんな感じですよ。シンクロしてます。将来、二〇一四年がどういう時代だったか知りたい人がいたら、この写真集を開けばいい。

 

荒木 名作過ぎて照れちゃうよ(笑)。でも時代は確実に変わってる。雑誌の仕事はファッション誌でも一般誌でも、デジタルで撮ってるわけ。暗室を壊しちゃった編集部も多いね。フィルム作家はもういらないんだ。そうすると今度はプリントを売る、買うっていう流れが出てきたんだ。アタシのところにも海外のギャラリーから、でっかいプリントの依頼が来たりするんだ。アタシの場合は、そういう俗っぽい流れの面でもツイてるんだな。なるべくこの流れが長く続いて、写真にサインするだけで、ほかに仕事しなくても金をもらえるようになるといいね。将来のために、うちの子分に俺のサインの練習させてるんだけど、下手なんだな(笑)。

 

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『写狂老人日記 嘘』

 

───工房制のアラーキー・ウォーホールですね。『写狂老人日記 嘘』にも少し入っていますが、荒木さんのでっかい緊縛写真を壁に掛けて、その前で仕事したら最高でしょうね(笑)。

 

荒木 今は撮られたいっていう女の子が向こうから来てくれるからね。前は俺と末井さんで裸は芸術だ、アートだからとか言って女の子口説いて、すっぽかされたりしてたんだから(笑)。俺は縛りとかの写真も撮ってるんだけど、俺の写真全体を見て撮ってくれっていう子が来るんだからいい時代だよ。女は俺を見る目があるんだなぁ。撮ってくれっていう女はまた上玉なんだ。女の撮られたいっていう本能はいいねぇ(笑)。

 

───その時代時代の流れに乗っているとおっしゃいましたが、一九八〇年代のバブル時代にカラー作品が増えるわけでしょう。でも今見るとはしゃいでなくて、死の気配が濃い。八〇年代が写っています。

 

荒木 東松照明さんに「八〇年代は荒木だな」って言われたもの。(写真集『写真論』を手に取って)これは河出書房新社の編集者に、「なんでもいいから写真集出そうよ。好きな写真持ってきてよ」って言われて作ったの。向こうは裸とか緊縛写真だぞって思ってたみたいだけど、こういう写真持ってったから驚いてた。俺の真面目さが出ちゃったんだなぁ(笑)。俺は写真持ってって後は編集部におまかせってことも多いんだけど、この写真集は自分で構成したんだ。これは新幹線のプラットホームの写真だな。女の人を写してるけど、これはきっと不倫だな、男と待ち合わせしてんだなとか勝手に想像したりしてさ(笑)。この頃はカメラをいつも持ち歩いていたからね。

 

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『写真論』

河出書房新社 平成元年(一九八九年)八月三十一日刊 より

 

───荒木さんはお正月に浅草で木村伊兵衛さんにばったり会って、カメラを持ってなかったんで伊兵衛さんに怒られたんですよね(笑)。

 

荒木 あの人は正月には必ず浅草寺の二天門のところにいたんだよね。俺はたまたまカメラ持ってなかっただけだよ(笑)。いつも正月には浅草に行って、百ミリで参詣客の顔ばっかり写してたんだ。「正月の顔」、「浅草の顔」っていうシリーズだけどね。一メートルくらいの距離から撮ると顔がバッチリ入るんだ。

 

───意外と伊兵衛さんはお好きですよね。(笑)。

 

荒木 日本人はああいうちょっと軟弱で、粋だろって言ってる人が好きなんだ(笑)。伊兵衛さんの写真をよく見ると、田舎の子供の写真なんかがいいんですよ。土門拳なんかも同じだな。『筑豊のこどもたち』とかいいでしょ。土門さんは時代が時代だから、政治性というか社会性を写真に入れて『ヒロシマ』とか撮ったけどさ。あれはしょうがない。後半の方は『古寺巡礼』シリーズとかになるけどね。

 

───入江泰吉さんの前で、「千手観音に資生堂の口紅を塗ったらどうでしょう」って言いそうになったって書いておられましたね(笑)。

 

荒木 電通に入った時に研修があったんだ。その中に写真家に会ってお話を聞くっていうのがあって、俺は入江さんのところに行ったわけ。入江さんのところで骨董の壺とか見せられたりしてさ(笑)。いいお父ちゃんだったですけどね。あの人の奈良はなかなか撮れないよ(笑)。

 

───人からの批評で、これはこたえたなってのはあるんですか。

 

荒木 ないね。人からある女性がなんかひどいこと書いてるよって聞いたことあるけど、それはある男の写真を批評したら、そいつの女がアタシの写真を批判したってだけの話でね(笑)。アタシの写真にケチはつけられませんよ。覚悟がいる。ケチのつけようがないのかな、なんでも写っちゃってるんだから(笑)。

 

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『色景』

マガジンハウス 平成三年(一九九一年)十二月十九日刊 より

 

───初期のほんの一時期を除いて、他の写真家に対する厳しい批評は書いておられませんが、写真が意味ありげになってしまうことに対しては一貫して否定的ですね。

 

荒木 俺みたいな私写真を撮ってた写真家は何人かいるけど、やっぱりだんだん政治性とか社会性を入れるようになっちゃうんだな。でっかいカメラで構図がビシッと決まった一枚を撮りたがるとかね。それは写真家の周りの人もよくないんだよ。写真には社会的使命とかがあるとか言うからいけないんだ。写真にはそんなもん、ないんだよ。写真は自分だけのものなんだ。徹底すればなんでも撮っていいんだ。

 

 

■私写真の原点について■

 

───陽子さんとチロちゃんの写真は有名になりましたが、お母様がお亡くなりになった時に写真を撮っておかなかったことが原点にありますね。

 

荒木 そうなんだ。オヤジが先に死んだから、お袋の時は俺が喪主だった。喪主なんだけど、やっぱり首からカメラを下げてなくちゃいけなかったね。喪主はそんなことしたらマズイって考えちゃったんだ。ところがお袋の遺体を見た時に、カメラがあればなぁってホントに思ったね。それで通夜が終わって親戚なんかが帰って、お袋と二人きりになってから撮り出したんだ。その時は顔をどう撮るかってことばっかり考えてて、お袋の周りをぐるぐる回ってたね。だから彼女にとって一番いい顔を撮ったはずだよ。どんな人でもこれはいいっていうアングルがあるんだよ。写真家は、オヤジとお袋と妻が死んだ時には写真撮らなくちゃダメだね。そしたら写真家になれるよ(笑)。

 

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『荒木経惟写真全集15 死 エレジー』

平凡社刊より 荒木氏のお母様のお通夜の際の写真

 

───荒木さんの、特にスナップを集めた写真集は、一点見ただけではなんのことかわかりませんが、全部集めると明らかな調和がある。それは『文学全集』第八巻の『書き下ろし小説』なども同じで、正岡子規が『仰臥慢録』で私小説の原型のような文章を書いて後世に影響を与えましたが、荒木さんの『書き下ろし小説』も確実に現代的な小説のヒントになると思います。

 

荒木 俺は喀血しないけど血尿が出るからな(笑)。アタシの写真は束になればどういうものかわかるよ。前からめくっても後ろから見ても、どっちもいいぞ(笑)。

 

───それに作品を量産できるというのは、表現の核があるからだと思います。

 

荒木 「東ノ空」を撮ってたじゃない。空を撮るカメラとは別に、傍に三台くらいカメラを置いとくのよ。日付入りのとか、縦位置用とかさ。千手観音じゃないけど、そういうカメラを使ってどんどん撮る。これはライカの格じゃない被写体だと思ったら、デジカメのコンパクトカメラ使ったりさ。そういう写真が溜まる一方でね。今俺が一番気にしてるのは、生きてる間に自分が撮った写真を全部見られないんじゃないかってことだね。だからちょっと長生きしないとね(笑)。

 

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『往生写集』

平凡社 平成二十六年(二〇一四年)四月二十五日刊より 東ノ空

 

───荒木さんは、当然棺桶の中から写真をお撮りになると思いますが、意識がない時はどうしましょう(笑)。

 

荒木 ハイテク時代だから、そういう装置を作っておいてもらわなくちゃね(笑)。

 

───長生きして君臨していただかないと。といっても荒木さんほど権力の匂いからほど遠い作家はいらっしゃらないんですが。写真家の卵たちにいろいろ悪い影響をお与えになってはいますが(笑)、芸術の世界に荒木さんが一人いるのといないのとでは全然違う。写真の柱はコマーシャル・フォトですが、荒木さんの場合、私写真の中にコマーシャル・フォトが含まれる。こういう写真家は前代未聞で、これからもまず出ないでしょうね。芸術の世界に荒木さんのような方が一人はいてくれないと困ります。

 

荒木 自分自身のコマーシャルをやるために、自己宣伝のために電通を辞めたんだからね(笑)。ファッションだろうがドキュメンタリー、戦争写真でも、アタシの場合は同じなんだよ。そういう姿勢でやってる。

 

───でも現実問題、コマーシャル・フォトを中心にするしか写真家が食べて行く道はないでしょう。写真家はすべて私写真から出発すると思いますが、写真を仕事にするようになると初志貫徹できなくなる。

 

荒木 ファッション・フォトなんかを撮っていても、休みの日には街に出て写真を撮れって前から言ってるんだ。それをやっとかないと、スタジオに入っても光の具合やシャッターを押すタイミングが掴めない。ファッション・フォトだってシャッターチャンスはあるんだからね。

 

───原爆の光でシャッターを押したいって書いておられましたが、確かにすごいシャッターチャンスかもしれない(笑)。

 

荒木 書いたね。でもそれはまずい、怒られちゃうよ。だけどピカドンはシャッターチャンスだなぁ(笑)。上から光が降ってくるんだからすごいよな。自分も放射能浴びることになるわけだけど(笑)。

 

 

■写真集を出し続けることについて■

 

───『センチメンタルな旅・冬の旅』で陽子さんの臨終の様子を写真集にまとめられたわけですが、あのような試みは荒木さんが初めてだったと思います。前にちょっと話に出ましたが、篠山さんが「この写真集は絶対認めない」と猛反発されて、荒木さんが「いや、最高傑作だ」と激論になりました。篠山さんが何をおっしゃりたかったのか良くわかりますが、今になるとやはり荒木さんが正しかったように思います。誰だって死を写真で見たくない。でもそれを撮り、かつその写真が世の中に受け入れられたことに荒木さんの写真の本質のようなものがあるでしょうね。撮るだけならできるけど、誰もがそれを公開して、世の中に受け入れてもらえるわけじゃない。荒木さんは奥さんと飼い猫を亡くした世界で一番有名な人です(笑)。

 

荒木 一番いい写真は記録なんだな。でもシノヤマさんと仲が悪いわけじゃないよ。だいたいシノヤマの写真がいいって一番最初に言ったのは俺だからね。俺はシノヤマのことをスターの隣にいるから、ダジャレで「スターリン」とか言ってるけどね(笑)。でもシノヤマはアイドルなんかを撮ることで時代を表現してるわけだろ。それはそれでいいんだ。

 そう言えば、市川染五郎の結婚式でシノヤマに会ったよ。シノヤマのテーブルには松井秀喜とかいて華やかなんだけど、俺の隣は百科事典が好きな荒俣宏さんでさ、ぜんぜん話が合わないだ(笑)。会場出るときにシノヤマに呼び止められて、松井を紹介されたよ。握手したけどグローブみたいな手だったな。あれでシノヤマとは和解だよ。その後、シノヤマがAKBの撮影してるスタジオでかち合っちゃってさ。「俺は芸能誌だからな」、「俺は「SWITCH」だぜ」って感じだよ(笑)。でも俺らの世代の写真家は自分なりの姿勢を持ってるよね。写真として正しいとか正しくないとかは抜きにしてさ。

 

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───デジタルカメラをお使いになる時は、シャッタースピードとか露出を調整されるんですか。

 

荒木 ぜんぜんやらない。オートだよ。ちっちゃいのを置いといて撮るって感じだな。今、スタジオマンですら、フィルムをうまく詰められなくなっちゃってるね。俺はまだペンタックスの6×7なんかを使ってるから、フィルムの詰め方なんかを教えてあげると喜ぶよ。でもデジカメも面白いんだ。イチゴのアップを撮って、その次の写真を見ると女の子がホテルのベッドで裸になって横たわってて、その後になぜか新聞の死亡記事が写ってるとかね。後で自分で見ても驚いちゃうよ(笑)。

 

───だから写真集がどんどん出るわけですね(笑)。失礼ですが、写真集の刷り部数とか印税は把握しておられますか。

 

荒木 してない。特に印税とかは気にしてないな。それよか写真集をもっと出したい。写真集を出すのは生理的なものだね。クソ出すのと同じだよ(笑)。とにかく出していかないと、年平均五、六冊は出さないとね。十年、二十年かけてまとめましたっていう写真集を送ってくる人がいるけど、そんなの俺の感覚じゃ写真集じゃないね。次々出していかないとダメよ。でもデジタル時代は写真を見せるのは簡単だろ。見せた、見ましたってところで完結しちゃう。だけどそれだけじゃ足りないんだ。プラスアルファがないと写真集にはならないよ。

 

───そのとおりだと思います。今日は長時間ありがとうございました。

(2015/01/14 了)