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「岐路に立つ俳句結社」という見出しの記事が、朝日新聞の7月17日付朝刊に掲載されました。大野林火、飯田蛇笏、高浜虚子という、俳句史に名を刻んだ代表的な結社主宰の肖像写真が掲げられています。そして、それぞれの写真の下には、次のような見出しが並んでいました。

 

大野林火「濱」812号で終刊/赤字、さらに後継者なく限界

飯田蛇笏「雲母」→「白露」→「郭公」/「会員へ責任」後継者が新雑誌

高浜虚子「ホトトギス」1400号へ/主宰世襲、日本一の規模を維持

 

これだけ読めば、かつて1990年代初頭の俳句ブームの渦中にあって「結社の時代」を謳歌し、その最盛期には1000を越えるともいわれた当の俳句結社が、長い俳句史からすればわずかともいえる20年足らずのあいだに、終刊といった限界を迎えたり新たな結社誌を創刊することで生まれ変わりを図ったりと、生き残りをかけた変革期を迎えていることが分かります。

 

そんななかでも、会員数6000を数える「ホトトギス」といった、いわゆる勝ち組の結社も存在するわけです。つまり、俳句結社にも企業や大学並みに二極分化が始まっている、ということではないでしょうか。企業や大学が、経営理念や教育理念といった、「客」に伝わり難い「商品価値」を棚に上げ、価格(=学費)のディスカウントによるコストパフォーマンスの向上といった、「客」の財布の中身につけこんだような価値で他社・他大学との差別化を図る、それこそ背に腹は代えられないといわんばかりの作戦に打って出ているように、結社といえども勝ち組として生き残るためには、文学や理念などといった大義名分にかまけている場合ではありません。結社の最前線では、会員を集めるためのマーケティングが重要課題として主宰に突きつけられている、といっても過言ではないのです。

 

そもそも結社という組織形態は、短歌・俳句・川柳という定型詩の世界に限られたもので、詩や小説の世界では聞いたことがありません。詩や小説では同人誌という組織がそれに最も近いと思われますが、同人と結社が決定的に異なるのは、前者が、特定の理念を共有する同人会員同士に上下関係がなく、お互いが対等な立場で共有する理念に沿った創作活動をするのに対し、後者はというと、理念の共有までは同じですが、そこに会員を指導する主宰の存在を挙げることができます。この結社における主宰は絶対君主といってもよく、結社が定期刊行する「結社誌」には、主宰が選んだ作品しか掲載されないそうです。

 

こうした結社における絶対君主制について、朝日は「主宰の選を基準に、自らの作家性を培う場」と定義しています。つまり、会員にとって結社とは、主宰が提唱する理念を継承するための場ではなく、理念に基づいて表現された作品が、どれだけ自分の個性に接近し得たか。要するに抽象的且つ不可視な理念を、自らの個性という具体的且つ可視的な「モノ」で表現できたかどうかを、主宰が判断する仕組みである、ということができるでしょう。その仕組みは、短詩型という特質が作品世界そのものの曖昧さを許し得ない、あるいは抽象的な世界認識では、作品としての形式的特性を充分に生かしきることができない、という短詩型ならではの事情によって成立したと思われます。

 

この6月に終刊した大野林火創刊の「濱」は、90年代後半に700万人いた会員が、現在半分以下の300人ほどに減ったそうで、その要因として、「有力俳人の独立や、自ら(現主宰の松崎鉄之介氏・94歳)も含む会員の高齢化で夜の句会を中止したため、新たに参加する若い会員が減った」ことを挙げています。高齢化によって組織の若返りが疎外され、それがまた組織の硬直化を進行させている状況は、結社とて例外ではないようです。それにしても、高齢化で夜の句会が開けないというのは悲し過ぎる現実です。若者と高齢者ではどうしても生活時間帯が違いますから、こういった場合は社会通念上、若者が高齢者に合わせるべきではないでしょうか。つまり、出勤前の早朝句会です。朝の6時に集合すれば、たっぷり2時間は句会に集中できます。夜の句会ではどうしても仕事のストレス発散ってことで紛糾しかねないですから、会員同士の友好のためにも一考の価値はあると思います。

 

また、添削料収入についても触れられています。主宰は会員個々の作品を添削までするんですね。しかも有料で。「濱」では、松崎氏が主宰を引き継いだ直後は、この添削料収入がなんと月に60万円以上あったとのこと。大企業に勤める中堅社員の給料並みです。それが今では月15万に減ったそうで、これだとバイト並みです。「昨年は発行所経費に3百万の赤字が出た。結社も経営。赤字では続けられない」と記事のなかで松崎氏がいうとおり、赤字では経営は成り立ちません。知らぬ間に結社の世界では、高齢と経営という、まさに水と油をかき混ぜたような、治療の施しようがないくらい症状が進行していたのです。

 

蛇笏と龍太といえば、昭和俳句を親子2代で牽引した重要な俳人ですが、その結社誌である「雲母」から、「白露」、そして「郭公」へという誌名の変遷は、「終刊する主宰が後継者を指名し、後継者が新雑誌を作るという方法」を踏襲した結果です。「結社誌の安易な世襲を憂えた」龍太の考えによるものでした。しかし当の龍太は、「結社誌は一代限り」との考えを持ちながら、「雲母」を父の蛇笏から世襲したわけで、その責任も同時に感じていたとのことです。だから、「雲母」の「終刊の辞」で、「異常なまでの俳句結社誌の増加」を憂えたというわけです。結社誌もスクラップ・アンド・ビルドしない限り、お互いの食い合いによる絶滅への道を辿るだろう、との憂慮があったのでしょう。

 

龍太の指名で後継者として「白露」を創刊した広瀬直人氏が、次なる後継者として指名したのが「郭公」を立ち上げた井上康明氏です。記事のなかで井上氏は、「年間1万2千円の雑誌代を払い、投句し、選者の選を待つ会員への責任がある」と述べています。こうした「会員の願い」によって結社誌が支えられているのは間違いありません。「選はいのち」といった広瀬氏や、「その苦労が選者になって初めて分かった」という井上氏の言葉裏には、結社誌を支える会員一人ひとりの情熱が垣間見えます。その情熱を肌で感じれば、理念の継承などというものは結果にしか過ぎないと思えてきます。

 

前回のコンテンツにも書きましたが、朝日俳壇の選者を務める長谷川櫂氏が、自ら創刊した結社誌「古志」の主宰を、二回り以上も年下の大谷弘至氏に譲りました。長谷川氏は、俳壇の若返りのために、主宰の「60歳定年制」を唱えているとのことですが、俳句の結社は、企業のように「制度」で割り切れるものではありません。また、理念の継承という「仕来り」ですらありません。結社は、選句によって師が弟子に俳句の価値を伝える場である、と同時に、師と弟子とのコミュニケーションによって、優れた俳句テクストが生み出される場でなければならない。結社の意味とはそれ以外にあり得ないと思います。

 

つまり、会員の数によって結社の価値が決まるわけではありません。師はもちろんのこと、会員ひとりひとりが生み出す俳句作品の質によって、結社の優劣が論じられるべきなのです。とはいえ、俳壇ニュースのほとんどは、結社のイベントやら句会の報告やらで占められているのが現状です。俳壇の広報メディアといってもいい「俳句」誌上では、毎月毎月これでもかというくらいたくさんの結社の催しが紹介されています。巻頭のモノクログラビアを飾るのは、会員数を誇るいわゆる名門結社のパーティー風景です。「創立○○周年」や「○○先生の米寿お祝い」といった結社主催のイベントが、列席者の集合写真とともに所狭しと並んでいます。

 

こうしたグラビアを見る限り、俳句結社が「岐路」ともいうべき問題を抱えているようにはとても思えません。結社にかける情熱を見るにつけ、俳人のアイデンティティーは、俳人個人ではなく、結社という共同体によって支えられているように見えます。そこが詩や小説とは決定的に違います。結社の成長とは、会員の成長よりも優先すべき課題なのでしょうか。俳句ブームに乗って結社同士の競争が激化したのは事実ですが、ブームが去った今からでも遅過ぎることはありません。作品によって結社の質が測られる風潮を、俳壇の総力として作るべきです。その一役を担うのが「俳句」詩であるのは当然です。

角川「俳句」7月号で真っ先に目を引いたのは、特別作品21句に掲載された神野紗希氏の新作です。神野氏といえば、すでに若手俳人のトップ集団を抜け出し、俳壇のアイドル的存在として活躍中です。が、ここでいうアイドル的存在とは、あくまでも作品に限ったことでして、「アイドルのように誰からも広く愛される俳句作品」という意味です。この新作21句は、どの1句をとっても神野氏ならではの見事なくらいに愛すべき作品ばかりですが、全句読みたい人は雑誌を買って読んでいただきたいので、ここでは内容やモチーフで分けながら2句ずつを引用するにとどめておきます。

 

新妻として菜の花を茹でこぼす

お義母さんよりのメロンや木箱入り

 

神野氏が実生活において結婚したばかりだということを、たとえ知らなくても作品を読めば分かる、という意味で秀句です。ありきたりの生活描写が、言葉によって新鮮な叙情へと昇華する快感。俳句形式によって日常が普遍へと瞬時に切り替わるさまが見事です。

 

春氷薄し婚姻届ほど

マリッジブルー屋根から雪の落ちる音

 

これも同様に新婚生活での感懐をモチーフにした句ですが、どちらも新婚の喜びという日常性とは相容れない、不気味で不安定な叙情を表現した句です。薄く張った春氷や落雪の音によって、平凡な日々の繰り返しに思いがけない陥穽が穿たれます。その陥穽の深さこそが、神野俳句の真骨頂だと思います。並みの俳人だと穴を掘り下げることだけに躍起になるところを、神野氏は穴の上の空間をより高くすることで、穴の底までの落下時間を稼ぎます。あえてテクニックと言いますが、俳句初学者には大変参考になる実作例です。

 

抱き締めて凍滝溶かす身丈欲し

蛍火を華燭としたり歩みゆく

 

特に幻想性豊かな句を引用しました。神野氏の作品の特質は、その全方位性にあるといえます。バラエティー豊かといってしまえば身も蓋もないのですが、単に多様なだけではありません。俳句は基本的に、数え切れないほどある日常の事象のなかから、作者が恣意的に切り取った現象をモチーフとしているので、その外見は多様にならざるを得ないといったほうがいいのですが、神野氏の場合は、そうした作品として表現されたモチーフの多様性ではありません。それは、極めて綿密な計算を経た表現といったらいいのでしょうか、つまり、モチーフの多様性ではなく、表現技法的な多様性ということです。

 

今は昔の話ですが、前衛の風が吹き荒れた頃の俳壇では、こうした表現技法へのこだわりが、「文体」という批評用語となって注目されたことがありました。もちろん神野氏と前衛俳句との関わりはほとんどないと言ってもいいでしょうが、「文体」のような文学的切り口に対し、神野氏は極めて意識的だと思われます。引用した2句を見ても、モチーフそのものが幻想的なのではなく、「凍滝」といい「蛍火」といい、むしろ日常的な現象の域に充分収まっているモチーフです。にもかかわらず作品自体が幻想的なイメージをかもし出しているのは、他でもない「文体」によるものと思われます。

 

汝にわれ樹に囀のある限り

絶海や水母ふたつが並び浮く

 

「文体」と「モチーフ」のバランスによって幻想世界が立ち上がっている句を引用しました。「俳句は読者によって作られる」とはよく言われることですが、つまり俳句作品は読者の「読み」によって、作品そのものの姿形が変わってくるという意味です。神野氏は、そのテーゼに対し極めて従順だと思われます。つまり、つねに読者の読みを想定しています。先ほど綿密な計算といったのはそういう意味です。それによって、神野氏の作品は、広範囲な読者を獲得し得ているのです。現今の俳壇でいうところの読者層の広さとは、伝統や前衛、保守派や新派といった基本的なスタンスの違いだけにとどまらず、俳人としての力量の差にも関係ないことを意味します。つまり初学者であれ大御所であれ、神野俳句は読者を選ぶことがないということです。これは神野紗希という俳人の懐の深さを表すと同時に、これからの俳句にとって重要な価値基準になるともいえそうです。

 

「俳句」誌が緊急特集を組むということには、よっぽどの理由があるように思えますが、それが「俳人の晩年力」と題する金子兜太氏のインタビューとなると心配になってしまいます。なにしろ大正8年生まれの93歳ですから、緊急というタイトルはなにかあった後以外ではつけるべきではないでしょう。ところが「九十三歳、ひと言もの申す」と題されたインタビューの出だしから兜太節全開で、心配が全くの杞憂だったといわざるを得ません。たとえば今年の蛇笏賞を受賞した99歳の文挾(ふみばさみ)夫佐恵氏についての感想を求められた一言。

 

あの人の力の魅力は「底力が強い」ということです。自分の句を宣伝することが全くない人で、自分に与えられたことだけをきちんとやる。(略)ああいうじっくり腰を落とした女流が長生きもするし、長続きするんじゃないですか。自己顕示欲に努めるという無駄なエネルギーを消費していないから。

(『九十三歳、ひと言もの申す』より)

 

99歳の女流俳人に対する93歳の御意見ですから、その通りとしかいいようがありません。それに比べて私をはじめとした、なにかにつけ自己顕示したがってしまう輩が何をやっても長続きしないのは、無駄なエネルギーを使っていたからというわけです。それはさておき、このインタビューがなぜ緊急で特集されたのかということが分かるのは、「俳壇に言っておきたい三つのこと」と小見出しの付いた部分からです。この見出しもなんだか遺言めいていますが、兜太氏が俳壇の最長老格として何を言いたいのか引用してみます。

 

一つは、最短定型詩形五七五、これが俳句というものの唯一の伝統であるということ。(中略)他のものはみな、伝統とはいえない属性。つまり、季題季語と俳諧もすべて五七調最短定型から生まれてきた属性だと俺は断言したい。(中略)最短定型だけが俳句なんで、それに徹していないとろくな俳句はできないと確信しています。

(同)

 

つまり、定型こそが俳句の本質で、有季は俳句の属性に過ぎないと言っています。それでは季語はどうなるのかというと、二つ目の言っておきたいことで次のように続けます。

 

季語は約束ではなく、独立自由な言葉としての詩語、つまり「詩の言葉」として開放したい。俳句の側から自由に手づかみで詩語をつかんで使うようにしたい。

(同)

 

季語は季語のまま存在はするが、作句における約束事ではないので、季語のない俳句や、季語が複数ある俳句も、俳句作品として批判にさらされることなく、当たり前に成立し得る、と言っているようです。確かに有季定型を約束事と捉えることから、伝統派の旧習墨守に対する批判が生じたわけですから、主張自体は筋が通っていると思えます。がしかし、俳壇最長老があえて主張するほどのこととは思えません。季語を「詩の言葉」として認識したところで、作品に影響を及ぼすとは思えないからです。逆にこうした認識によって、季語が言葉としての機能を束縛されることもないとは言い切れません。いずれにしろ、わざわざ兜太氏が主張するからには、その意図は別にあるのではと思えてなりません。その別の意図は、兜太氏自身の言葉を辿ればすぐに分かります。少し長く引用してみましょう。

 

第三は、昭和三十六年の『俳句』に書いた「造型俳句六章」の内容がどうも伝わりにくいということで、今でも不十分な扱いを受けています。(中略)私はこう言いたかったんです。正岡子規の提唱した俳句の方法は写生。これは天下周知のこと。だけどこれは、客観、主観という二元の設定から始まる手法を軸とした近代の方法です。それに対して、現代の俳句の方法としては造型がある。しかし、造型という言葉は誤解を招いてしまっているので、この言葉にはあまりこだわらない。その中で私が言った「主体の表現」、その主体が作り出す映像。そのイメージを作る方法を包含して私は「造型」と言ったつもりだった。現代の方法はその意味での「映像」であると。近代の方法は「写生」である。現代の方法はその映像であるということでした。

(同)

 

なにやら判じ物めいた言い方ですが、言いたいことはいたって単純です。つまり、俳句は目の前の世界をありのままに写生するだけでなく、自由な想像によって世界を変えることができる、ってことです。要するに、このコンテンツでも今まで何度となく使ってきた言葉ですが、「フィクショナル」な世界の現出ということです。いうなれば新興俳句運動の屋台骨を支えた方法でもあるわけで、今さら目新しくもありません。というより方法論としてはいささか食傷気味と言ってもいいでしょう。しかし、そうはいっても近代から現代へと至る俳句史において、こうした方法の変化こそが刻まれるべきなのも確かです。兜太氏は自らの「造型論」を、俳句史におけるパラダイム変換の記念すべき出発点として、自ら率先して俳句史に刻み付けたいのです。失礼な言い方ですが、最後の我儘ってわけです。

 

だからといって、それを批判しても仕方ない、というのが偽らざる本心です。93歳の長老がそう言えば、それに従うより仕方ありません。無礼を許していただけるなら、死ぬ前の最後の願いくらいはきちんと聞いてあげるのが人の道というものでしょう。問題は、そうした個人的な願いが、公器たる俳句総合誌に堂々と掲載されてしまう、俳壇の生ぬるい空気にあると言えます。兜太氏の「造型論」が誤解や批判を招いたのは、論としての説得力に問題があったからです。俳句を革新する理論としては中途半端だったと言ってもいいでしょう。誰でも自分の書いた論には愛着があります。愛着がありさえすれば、その弱点は真っ先に見抜けるはずです。そしてその弱点を克服できるのは、他ならぬ筆者本人以外に有り得ません。それが面倒ならば、結局はそれだけの論でしかなかったと諦めるべきです。面倒を惜しんでは歴史に残るような作品にならないのが文学の厳しさなのです。

 

「映像で書く」、これが俳句の現代の方法ですよ、とだれかが言っておかないといかん。そうなってくると俳句は面白く、多面的、多様性を持ってくると思っています。

(同)

 

兜太氏は、こうした言い方で三つの主張を締めくくりますが、「映像で書く」という主張が具体的にどのような方法なのか、明確に提示されているようには読めませんでした。俳句を面白くしたい気持ちは俳人なら誰でも同じでしょうが、俳句が多面的であればいいかというと、そうとは限らないと思います。俳句の多様性といわれても、そうした紋切型がいまだに説得力を持っているとは思えません。つまり、こうした言い方のすべてが稚拙なアリバイにしか思えません。が、だからといって兜太氏を非難しても仕方ないでしょう。繰り返しになりますが、糺すべきは、93歳の兜太氏をして我儘としか思えない暴論を言わしめた、俳壇の生温い空気そのものです。

 

最後に取り上げるのは、櫂未知子氏の現代俳句時評です。「詩歌の鉄人レース」とのタイトルで、詩と短歌と俳句による三詩型交流を謳う詩歌梁山泊主催の第3回シンポジウム「詩歌トライアスロン」を論じておられます。櫂氏の偉いところは、シンポジウムにきちんと足を運んだ上で取り上げているところです。批評対象に対し真摯に向き合うのは時評執筆の基本ですが、思いのほかここをないがしろにして書かれた時評が多いことは否定できません。櫂氏はこうしたパネルディスカッションが、パネリストの準備不足から空中分解してしまい、開催した意義すら不明確になってしまうものが多いとした上で、この「詩歌トライアスロン」が予想外に面白かった、とくに、「それぞれメインとする詩型が違う人々が、詩型を越境している作品を語り合う、これは聞き応えがあった」と述べています。

 

この詩は、最初に句が置かれ、その後に現代詩が置かれている。冒頭の句だけ見るといささか緩いというか、物足りないのだが、その緩さゆえ句が現代詩の中に無理なく溶け込んでいるということを、柴田千晶(パネリスト)の指摘によって知ることができた。

(「詩歌の鉄人レース」より)

 

今の現代詩の中心にいると言える人が、詩歌の国境めいたものを越えながら、定型も視野に入れながら詩作している。たかだか十五年ほどの間に、ずいぶんと変化したことを実感した。

(同)

 

言葉を尽くして表現しようとする作品を前にすると、俳人は怯んでしまう。その意味では、当日、選者賞となった池田瑠那(「澤」所属)の作品も心に残った。三つの詩型のそれぞれのあり方以前に、まずは言葉をそぎ落とすことを第一にしていたことが、その作品から感じられたゆえである。

(同)

 

櫂氏は、一見これらの三詩型交流作品に好意的と見受けますが、作品を評価する視点は俳句的な価値基準に留まっているといえます。また櫂氏は時評の結びで、「一つにだけ専念するのもいいが、もっとご自分の可能性を試してほしいと心から願う次第である」と提案していますが、本心とは素直に受け取れません。また、最初の引用部分ですが、作品中の俳句が「緩い」からこそ現代詩に溶け込んでいるという評価に、疑うことなく同調しているのも解せません。作品を構成する俳句なり詩なりが、単体の俳句として、あるいは詩として優れていなければ、それらを融合させたところで、作品全体が高い評価を得るはずがありません。とりわけ俳句に厳しい審美眼をお持ちの櫂氏であるなら、俳句ジャンルを越えた作品には緩い評価をしても構わないとは思わないでしょう。櫂氏はおそらく、こうした詩型を超えた試みに対し、好意的というよりはむしろ懐疑的なんだと思います。であれば、疑わしいとはっきり言うべきです。確かに三詩型交流作品は冒険段階にあるといえるでしょうが、だから大目に見るのは作品にとって不幸です。この櫂氏の連載時評には、ところどころに「ぬるさ」や「ゆるさ」が顔を出し、そこに私は違和感を覚えるのです。

釈 照太