No.016【対話 日本の詩の原理】『戦後的抒情について―黒田三郎/茨木のり子篇』(二 全三回)池上晴之×鶴山裕司 をアップしましたぁ。鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明、三好豊一郎、中桐雅夫、北村太郎と続いた「荒地」主要詩人の討議は今回の黒田三郎篇で一段落です。次は茨木のり子篇です。次回以降は範囲を拡げた戦後詩討議になります。
対話の鮎川篇か田村篇で「日本の自由詩のベースはフランス象徴主義詩」だという話が出ました。俗な言い方をすると〝天才〟大好き文化です。ランボーとかね。これに対して英米アングロサクソン文化は徹底したプラグマティズム。エズラ・パウンドの〝ABC of Writing〟を読めばよくわかりますが、パウンドは「詩はどう書くのか?」という設問に対して「とにかく読め」「とにかく真似ろ」「慣れたらパロディを書け」と指導し、「オリジナルから盗んでオリジナルより上手く書けたら、それはもうお前のもの(オリジナル)だ」と書いています。古来文学は徹底した模倣と創造の繰り返しであり、天才? んなお気楽な創作者、いるわけねーだろ、という姿勢です(笑)。
これはあくまで傾向ですが、「荒地」派戦後詩は英米プラグマティズム系、入沢・岩成に代表される現代詩はフランス象徴主義系だったと思います。いい悪いの問題ではなく、明治維新以降ずっと日本の自由詩は象徴主義系だったので、いまだになんとなく現代詩が生き残っている気配です。そのスピリッツは霧散しましたが、多くの詩人がまだ弛緩した現代詩のような詩を書いている。猫だましのような、小手先の目くらまし詩ですね。
戦後詩は単純化すれば作家思想の一貫性が問われる表現です。この思想性はスパッと単純に表現しないと伝わらない。表現として不完全になってしまう傾向があります。「荒地」派が英米文学寄りだった理由もそのあたりにあります。もちろんフランス象徴主義系の詩法も重要です。しかしどの文学ジャンルでも多様な視点が必要です。【対話 日本の詩の原理】は評論より遙かにくだけていてわかりやすいはず。詩の書き方についてのヒントもたくさんあります。戦後詩だけでなく詩のエッセンスを対話から読み取ってください。
■No.016【対話 日本の詩の原理】『戦後的抒情について―黒田三郎/茨木のり子篇』(二 全三回)池上晴之×鶴山裕司 縦書版■
■No.016【対話 日本の詩の原理】『戦後的抒情について―黒田三郎/茨木のり子篇』(二 全三回)池上晴之×鶴山裕司 横書版■
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