世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
二四、美彌子の絵葉書
ついにVR体験が終わった。『三四郎』という作品を、つぶさに読書=体験し尽くした感があった。作品の内容を文字一つ一つに注力しながら、体験した。これほど熱心に読み、そして体験したことはめったにない。全身全霊で作品に耽溺したという感覚があった。俺はその体験を反芻し、そこからせりあがってくるものを掬い上げようとした。
どういうわけか、最初に俺の脳裏に浮かび上がってきたのは、美彌子が三四郎に送った絵葉書だった。俺はページを遡って、あの絵の場面を呼び出した。
『小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。』
「この絵が見える?」
「ええ、当然。できれば、デビルは往年のわたし、アングリー・デビルにしてほしかったわ。残念ながら男性みたいだけど」
「俺が思うには、この絵が『三四郎』の表層の物語の要約なんだよね」
「表層の? へえ、どうして」
「推理小説の場合、犯人捜しというプロットが物語の牽引力になるだろ?」
「当然じゃない」
「じゃあ、『三四郎』を牽引するプロットは何?」
「なに、迷い羊だって、言いたいわけ?」
いや、ほんと短絡的なんだよね、この人は。まあ、当たらずとも遠からずではあるわけだけれど。
「いや、だから三四郎が執着するのは、犯人じゃなくって」
「ああ、美彌子ね」
ようやく、伝わった。
「そう、それなんだよ。物語の全体は、三四郎の美彌子への執着によって推進されている。読者は、三四郎に引きずられて、美彌子をずっと追いかけ続ける、そういう読書=体験をすることになる」
「そうね。メインプロットはそれなのは間違いないわね」
「そして、美彌子は得られない女性でもある。最後は絵になってしまう。絵に描いた餅、絵に封印された女になってしまうわけだから。逆にいえば、三四郎が見ていたのはずっと絵に描かれた美彌子でしかなかったともいえるわけだけど」
「ってことは、画工原口が描いた『森の女』が、この物語の終点ってことね。二枚の絵が、この物語を綴じてるってことでしょ」
「いや、まあ、そう簡単でもないように思うんだけどね。もう一枚絵があるから」
そう、この絵は三四郎によって『「題が悪い」』と退けられているわけだし。別の絵が登場すべきだという風に俺には思われるわけだ。
「あら、そうだっけ? よし子の描いた柿の木の絵かしら」
いやはや、何をおっしゃるのだろうね、この人は。拍子抜けとは、こういう場合に使う言葉なのだということを、俺は理解した。
「そう急がないで、ゆっくり考えてみようよ。時代背景を考えるとさ、三四郎の美彌子への執着ってのは、ひとつの隠喩になってるようにも思うんだよね」
「インユ?」
明らかに脳内で漢字変換ができていないことがわかるオウム返しだった。しまった。難しい言葉を使ってしまった。
「ああ、つまりはっきりとは言わない比喩みたいな感じかな」
「何をはっきり言っていないわけ?」
「うんそうだなあ、この時代の欲望のかたちっていうか」
「欲望のかたち?」
そんなもんに形はないと言いたげな目付き。
「なんていうか、このころって東洋の小さな島国が、日清日露の二つの戦争を経て、西洋の帝国主義諸国と肩を並べたいって焦ってた時代だよね」
「つまり?」
「うん、だから、植民地だよ。中国が欲しい、韓国が欲しい。領土が欲しいっていう、絵に描いた餅=植民地を追いかけ続けてる当時の日本の姿ってこと」
「三四郎と日本がパラレルってわけ」
だから、単純化しすぎなんだよなあ。これもまあ当たらずとも遠からずではあるわけだけど。
「三四郎って、結局迷い羊だよね。三郎でも四郎でもなくて、その中間点をうろうろしてるわけだから。九州人でありながら、東京の人になろうとしてなりきれない。黒い肌の色ゆえに、東京の人たちの間で一種の異人となってしまう。だからといって、蔑視されるかといえば、同時に帝国大学の正規学生という地位ゆえに、支配層の側に半分属してもいる。けれども、まだ何の学問もおさめておらず、科学にも、文学にも、芸術にも、政治や経済活動にも踏み出していない、未決定状態の「高等遊民」である。貨幣経済にもうまくなじめきれていないし、女性を欲しながら女性に近づくこともできない」
「美彌子は?」
「美彌子もそうだろ? イプセン流の自立した我の強い女を演じてみせるけど、実態は明治の社会制度に逆らえず、家制度に取りこまれていく弱い女でしかない。いわば西洋風の理想と、日本の現実との間で迷い羊になってしまった存在だ。野々宮と三四郎の間で迷っているという部分もあるかもしれないし」
「じゃあ、デビルは?」
高満寺は、美彌子の絵葉書を見ながら質問しているようだった。
「デビルは社会だよね。結婚前の男女が一緒に出掛けることを糾弾する存在だからね。そして、その社会とは、つまりは帝国主義の国家のことだ」
「帝国主義の国家に睨み据えられている、二匹の迷い羊ってわけか」
「でも、同時に三四郎はそんな帝国主義国家の隠喩でもある」
「どういうこと?」
「日本っていう国自体もまたどっちつかずの迷い羊だってこと」
「へえ、どうして」
「東洋の国でありながら、欧化政策によって西洋になろうとしている国、そしてなりきれていない広田流にいえばアナクロニズムの国が日本だったわけだよね。そして、広田流にいえば、明治憲法発布前のアイデンティティを見失って、植民地への欲望にかられるままに暴走していくことになる迷い羊、いや迷ったままデビルになってしまった、そんな国家になる。それが見えている広田は、この国の未来を『「ほろびるね」』と看破したわけだ」
「なるほど」
素直な返事。たぶん、本当にはわかってない感じの頷き方だが、まあいいとしよう。
「これが、『三四郎』の表層なわけだよ」
「表層?」
「うん、今回反聖文が仕掛けた殺人事件のおかげで、この作品の裏の層、あるいは深層がクローズアップされたからね」
「裏の? 深層?」
「まあ、言ってみれば図と地の反転だな」
「どういうこと、大事に見えることがほんとうは大事じゃなくって、大事じゃないように見えることが本当は大事なことだったって感じ?」
「うまいね。当たらずと言えども遠からずだ」
君にしては上出来だ、とまでは言えなかった。言いたい気持ちはあったが、高満寺の額に、イラチ筋がぴくりと浮かび上がったのを見てあきらめた。ここで命を失うわけにはいかないからだ。
「つまり、何が言いたいわけ?」
「そうだな。今回の反聖文が仕掛けた罠は、この表層の物語に捕われていたら見えなくなるってことかな」
「ってことは、『三四郎』の主要な物語が、目くらましになってるとか」
「うん、そういう感じだね。だから、犯人を見つけるためには主要な物語としては語られていない部分を見なきゃいけないってことだと思うんだ」
「わかんないわ。ちゃんと説明しなさい」
命令が下った。従う以外の対応が許されない、絶対命令である。
「了解、じゃあ、いったん美彌子の絵と、『森の女』に挟まれた三四郎の物語は忘れてみよう」
(第39回 了)
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* 『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』は毎月13日に更新されます。
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