宋(ソン)美雨(メイユー)は民主派雑誌を刊行する両親に育てられた。祖国の民主化に貢献するため民主派のサラブレッドとして日本に留学するはずだった。しかし母親は美雨を空港ではなく高い壁に囲まれた学校に連れていった。そこには美雨と同じ顔をしたクローン少女たちがいた。両親は当局のスパイだったのか、クローンスクールを運営する当局の目的は何か。人間の個性と自由を問いかける問題作!
by 金魚屋編集部
16
遺体の山に火がつけられた。校内から見つかった胡の亡骸は裾野に転がっている。
見上げれば快晴の夜が広がっていた。黄金に輝く星々に向かって、空よりも黒い煙が立ち昇っていく。今夜は雨に妨げられることもない。彼らの体は炭の塊になり、城壁から吹き下ろす風に砕かれ、やがては砂塵に同化する。何事もなかったかのように。
第三世代との関わりはもちろん、ここで働いていた痕跡さえ抹消されるに違いない。
死者は無力だ。自分が生きてきた証を踏み躙られても睨み返すことさえできない。完全な終わりであるがゆえに、死に際には意義や意味が要る。生きている者の都合で、いくらでも生前の痕跡を操作できるのだから。
火焔を浴びながら、曾は、崩れ落ちる骸を眺めた。やがては土くれに還る塊だと呟いてみた。瞳が震え、声は掠れた。恐怖と絶望のせいではない。空しさを通過したその先に見つけた激情のせいだった。
自分の終わりも近い。死に神の息遣いを感じ取れるほど、すぐそこまで迫っている。この国の科学史から排斥され、研究内容そのものも否定されてしまう。第三世代は存在しない。のちに入校する第四世代がそう呼ばれることになる。しかも、第四世代が第三世代に成り代わるとき、自分はこの世にいない。憤りを口にできる者が誰ひとりとして残っていないのだ。そのすべてを王が主導する。恩師と崇めた男が。ときにはその剛腕ぶりに男性性の象徴を見ていた。師弟という一線を超え、生娘のように胸をときめかせたことさえあったのに。彼の汗臭さを傍らで感じる幸せを噛み締めながら、役に立てる現実を矜持まで高めてきた。安い恋心に溺れずに済んだのは、彼に尽くせば第一人者のひとりになれると実感したからだ。役立たずと言われ続けた過去を焼き消せる確信したからだ。
曾は炎に近づいた。網膜が悲鳴を上げても凝視した。肌を刺す業火の猛りが、いまは心地よく感じた。このまま赤い海のなかに飛びこめそうなほど。
肩に手が置かれた。王だった。危ないぞ。その直後に聞こえたのは、言葉の温もりを半減させるものだった。「しっかり聴取したまえ」
彼の視線の先には、捕縛された生徒たちがいる。装甲車の運転手が銃を突きつけ、妙な動きを察知したら昏倒させてもいいと指示を受けていた。彼らは跪き、こちらの様子を見詰めている。ひとりは膝をついているだけでもつらそうな様子だ。第一世代の卒業生で「30」と彫られてあった。足首にひどい怪我を負っていた。配給部で見つけた湿布薬を貼り、テーピングしておいたが治療というレベルには程遠い。あの様子では鎮痛剤も必要だろう。もうひとりは、たったひとりだけ生き残った第三世代「22」だ。唇を真一文字に結び、毅然とした態度を崩さない。自分で定めた使命をまっとうしているかのように、隠れていた場所から引き摺り出されたときも感情を表に出すことがなかった。態度と容姿で判断するなら、銃殺された87のほうがよほど反逆的だった。事実、彼女は抵抗し続けた。逃走していた生徒たちが死に際に漏らしたのは彼女のことだろう。花を散らすように死んでいく様には、確かにカリスマ性を感じた。
その87に自己犠牲を果断させたのだ。22の存在は特別な研究素材になるはずだ。
解放軍の施設は数キロ圏内にある。効率よく質問すれば訊き出せる内容は豊富だろう。彼らは謀反の生き残りだ。希望と絶望を往復した経験は貴重であり、クローンの心にどう影を落とすのかという点でも興味深かった。ケーススタディのなかでもデータ不足を懸念されているのが、こうした非常時に発生した心理への対応だ。その懸念を解消することはクローン研究の必須テーマと言えた。
有能な同僚に嫉妬心と敵愾心を抱きながら、自分の不甲斐なさを憤っている者は多い。王は再び見出すに違いない。曾の代わりになる黄金の卵たちを。この研究に向いている、美しき使い捨てたちを。
エンジンが唸り、炎を真横に倒した。
兵士の遺体は袋詰めされ、王の足元で帰還のときを待っている。それに比べれば、自分の死はどれほど荒っぽく扱われるのか。ここから先は師匠と弟子ではなくなる。処分する者とされる者という関係に切り替わる。いまの自分は有益な情報を運ぶ鵜でしかない。
ホバリングは短かった。王の頭のなかにあるのは第四世代のことだけなのだ。彼女たちはいつ送られてくるのか。同じ研究に携わっていても、世代間で情報の共有はない。上の世代が卒業して初めて、フィードバックされた情報が次世代へと送られる。第四世代の情報は、その担当者たちが独占するものだ。曾が関係できる余地はない。
ヘリが去っていく。風は止み、再び炎が垂直に昇りはじめた。
曾は目を疑った。装甲車を担当する兵士が顎をしゃくったからだ。早くしろ。乗れ。苛立ちを隠さなかった。一介の軍人があんな素振りを見せることはない。研究者が党の僕であったとしても、兵士より下に扱われることはなかったからだ。彼らは軍の階級規定のなかで生きている。その外側にいる者に上下の意識を向けることは普通ならば考えられない。工場に来たとき、彼らは岩の態度を貫いた。軍人特有の言動パターンだ。王の言葉に反応するだけで、曾に対しては無為と無言で接していた。いまは蔑みがある。軍人が最も嫌う、落伍者として見られているからだった。助手はいまにも食ってかかりそうな顔をしていた。
何もわかっていないのよ。曾は助手に囁いた。蔑みは油断を生む。こちらが激情に振り回されなければ最大限に利用できる。助手はすぐにそう気がついたようだ。
それでいい。あなたに与えられた役回りは重要なのだから。曾は瞬きだけで頷いた。
「さ、行きましょうか」
曾は兵士に言った。遅えよ、という舌打ちには付き合わないようにして。
助手が1―30を立たせた。彼女は、兵士の手で処分されそうになったが、鶴のひと声で救われていた。旧式の解析はすでにおこなわれ、第二世代へフィードバックされている。第一世代を再分析する意義はない。兵士の行動は納得できるものだった。敢えて王が止めたのは、彼女が培養組だったからだろう。非常時に発生した心理への対応は、外組に適用される教育カリキュラムばかりではなく、培養組への教化プログラムにおいても拡充すべき、ということではないか。
「傷めたところは」
曾は22に訊いた。しかし、1―30が救われたときでさえ彼女の目に表情はなかった。単に淡泊だったのではない。凄みを感じさせるのだ。何かを決断した者の潔さがそこには見えた。後ろ手で縛られていても、真の不自由はほかにあるとでも言いたげではないか。
兵士が運転席に着くのを確かめると、曾は助手に言った。
(用意はいいわね)
複数あるサイドミラーのなかに兵士の顔を見つけていた。口元を動かさないように注意しなければならない。
(合図はすぐにわかるから)
助手の返事は短かった。何気なさを装い、助手席に着いた。曾は聴き取りをするため後部席に乗った。運転席とは防弾性の板で仕切られているものの、小窓が開いており、会話は筒抜けだ。
発進した。時間がない。
「なかなか勇敢ね」
曾は22の胸にある「手形」を指した。
「工場から逃げることができたのは、あなたひとりだけ」
穴に落とされた生徒が完全に動けなくなるのは時間の問題だった。死を嗅ぎつけた烏に突かれても追い払えない。鳥や虫や風や、陽の光にさえ嘲笑われながら息絶える。
「あなたは、みんなを見殺しにしたの」
ブロンズ像に話しかけているかのようだ。彼女が何を考えているのか。確かめないうちはこちらも行動に移せない。
「わたしが彼女たちにしてきたこととは意味が違う」
曾は前のめりになっていた。
「わたしは彼女たちを作り替えてきたけど、胸が痛むことはなかった」
22は曾のほうを向いていたが、見てはいなかった。
「彼女たちは役に立っているからよ。誰かの手足になって生き続ける。一生、働く」
曾は語気を強めた。兵士がルームミラーでこちらを観察している。
「この世に生を受けた者は役に立つべきなのよ。どんな目的に使われるのだとしてもね。あなたも同じ。最後の役目が回ってきたの。第一世代のおまけつきとは思わなかったけど」
1―30が顔を上げた。つらそうだ。捻挫かと思ったが、色や熱や腫れ方が尋常ではない。皹が入っているおそれもある。
「第一世代の担当者も驚くでしょう。培養組が謀反に加わっていたとわかればなおさらよね。第四世代以降が楽しみだわ」
兵士を視界の端に捉えながら、曾は彼女たちに近づいた。
「そのための資料が必要なの。協力してね」
「わたしは個人的な理由で動いていただけ。主犯は張たち。第三世代は利用されたのよ」
1―30が荒い息で返した。
曾は22に言った。「あなたの言い分は。利用されているとは思わなかった?」
ようやく目が合った。それだけだ。
「工場で何がおこなわれているのかを知って、決意した。そういうこと?」
無言は肯定、と考えていいのか。
「あんなことをすれば、どうなるかわかっていたでしょう?」
眉を逆立てている。わかっていたが実行したということか。
「勝ち目があると思ったの?」
無言。
「中央が是認するとでも?」
ヘリが施設に到着した頃だろう。曾は早口になった。
「教師のスキャンダルはひとつやふたつじゃなかった」
1―30が捲し立てた。
「胡を筆頭にして、腐敗が広がっていた。それを証明できれば、中央も動かざるを得なくなると思ったのよ。彼はスキャンダルだと認めなかったけど」
胡は煙に巻いた。すべては壮大な実験だったと嘯いて。
「あなたは工場に送られ、脱出した。いまもこうして生き残っている」
曾はさらに体を寄せた。
「――選ばれた。そう思わない?」
車の揺れが鎮まった。舗装路に入ったのだ。
間もなく施設だ。
「逃げ切れるかもしれないわ、あなたなら」
曾は22の手を握り、声を上げそうになった。なんという熱さか。伝わってくるのは固い意思だった。打開できると信じているのか。ここには奥の手を考えつける余地さえないはずなのに。
曾は横目で兵士を確認した。ミラーに映る顔は助手に向けられている。話しこんでいた。話題が尽きるまえに合図を送らなければならない。
「信じているのね。こんな状況でも」
曾は兵士に背を向けた。
「秘策が?」
22が眉間を狭めた。
「そんなものは存在しない。でも、あなたは諦めていない。どうして」
ボールは投げた。あとは彼女がどう扱うかだ。
買い被りすぎたか、それとも命中したのか。
22の口が静かに割れた。
「絶体絶命だからといって絶望するのは嫌なの」
曾は話の先を促した。
「わたしには責任があるから」
22は曾の目に注ぎこむように言った。
「わたしを慕って死んでいった人たちがいた。彼女たちが生きていけるのは、わたしの心のなかだけだから」
その自覚があるからこそ、絶望さえ味わおうとする。味わえなくなった者たちの代わりに受け入れようとする。恐怖が付け入る隙もなくなるというわけか。
あらためて研究者としての血が騒いだ。可能なら徹底的に調べてみたい。これほどの思いに至るまでのすべてを訊き出し、究明したいという欲求が湧いてくる。
もうできない。しかし、できることもある。
メモをとるフリをして、短く記した。
『脱出できるなら?』
やり取りを見詰めていた1―30が、思わずという顔で口を押さえていた。
「わたしたちが手伝う」
助手のサポートを仄めかした。
「三十分後、あなたは街の喧騒に紛れているはず」
22の警戒心は変わらなかった。これも聴き取りの一環だと疑わない。甘美な誘い文句にどう反応するか。観察されているのだと思っている。しかし、訝りを解すだけの時間がない。言葉を繋ぐしか手がなかった。
「これを。わたしにはもう必要ないから」
曾がキャッシュカードを差し出すと、22は震える手で受け取った。
「……両親に、会える」
ついに熱量の正体を口にした。みるみる表情が露わになった。
「それはお勧めしないわ。近く、党の担当者が出向くでしょう。ご両親は責任を取らされる。あなたがすべきことはひとつ。『地下』で身分証とパスポートを買うの。いいわね」
曾は同情をこめた。
「ある意味で、あなたの立場が一番つらい。みすみす殺されてしまうのは悲惨だけど、こんな時代を生きていくのは、それ自体が悲劇みたいなものだから」
「わたしには無理」1―30が自嘲した。
「バカ言わないで」22が肩を掴んだ。置いていくという選択肢は頭になかったようだ。
「現実を言っているの。こんな足で何ができる?」
装甲車両には救急用の備品が積まれている。いくらでも手当てできるし、負傷兵が使用する松葉杖さえ揃えてある。しかし、一分一秒でも早く、一歩でも遠くへ逃げる必要があった。降りた瞬間からそれが求められるのだ。
この聡明な少女を救えないか。逃げ果せることができないのなら、せめて命が尽きる瞬間まで生を実感できるような使命を与えられないだろうか。
22がすすり上げていた。絶望の真下にいたときは大人より大人びていたというのに。希望を得られたとたんに少女らしい姿に変わった。1―30が頭を撫でている。どちらに死が迫っているのかと見間違えそうだった。
22のためなら、という思いが伝わってくる。
そうだ。ひとつだけある。1―30にまっとうさせるべき使命が。
曾は胸いっぱいに息を吸いこみ、絶叫した。合図だ。車は急停止し、何事かとドライバーが振り返った。助手はタイミングを見逃さなかった。懐に忍ばせていたスタンガンを首元に炸裂させた。鎮静剤を拒む生徒と戦ってきた経験が生きた。
ここまで来ればヘリの爆撃を恐れる必要はない。攻撃すれば「事態」を隠せなくなるからだ。もっとも、テロリストが使用する車で乗りこんでいるわけではない。これは我が国所有の装甲車である。
首都圏内とはいえ、軍用車両に物珍しさはなかった。頻発するテロに備え、公安の車両とともに街のいたるところに姿を現す。通常より重いパトロールだと思われる程度だろう。
天安門まで数キロの場所で停めた。
降りる間際、22が1―30と抱擁を交わした。お互いの頬を両手で包み、言葉にならない何かを語り合っていた。微笑んでいたのは1―30のほうだった。おかげで、やるべきことが見つかった。そんな感謝の念さえ口元にあった。
曾は助手の手を握った。助手は、命よりも大切な何かを掴むように握り返した。
「頼んだわよ」
その言葉に助手は真っ直ぐに頷いた。これから先は、彼女が22をサポートする。研究者として犬死するわけにはいかない。お互い、やるべきことがある。
曾はハッチを閉じ、1―30の足を手当てし直した。積まれている品はすべてが救急用で、実用的なものばかりだ。
使命があると伝えたときの反応は想像以上だった。1―30は迷わず承諾していた。胸に秘めていた思いがあったのかもしれない。培養組なら誰でも同じだろうが。
データベースにアクセスする権限はまだ生きている。おかげで目的地を特定できた。ここから数十キロの距離だ。
「それくらいなら、タクシーで行けるわ」
1―30の顔に血色がもどった。痛み止めが効いてきたのだろう。
曾は、兵士の財布から抜き取ったICカードを彼女に渡した。「片道切符」ならこれで間に合う。後戻りはできない旅、という証明書を発行したようなものだが。
1―30が松葉杖を手に取った。降りた背中は、初登校する生徒のように昂って見えた。
曾は運転席にもどった。
装甲車を奪われたと知れば、王はどう思うだろう。想像するだけで全身が粟立った。
今頃、王は何をしているか。わかり切ったことだ。兵士や研究者に話しているに違いない。「親」ならば、絶対に口にしてはならないひと言を。
あの役立たず――。
装甲車から蹴り落された兵士はまだそこにいた。体をくの字に曲げたまま昏倒している。曾は、彼の腰から拳銃を抜き出すと、助手席に押しこむようにして乗せた。意識は回復しなかったが、背中を撃たれた瞬間だけは目を見開いた。できるだけ弾を浪費したくない。奪ったサバイバルナイフで止めを刺すことにした。
空港まで僅かだ。その先に軍の施設が居並んでいる。こうしているあいだにも追っ手とすれ違うおそれがあった。曾は、自分の左肩を撃ち抜いた。景色が真っ赤になったと錯覚するほどの衝撃だった。止血は必要だが、それ以上にこの焼けつく痛みをなんとかしなければならない。卒倒の手前にいる。
曾は太腿に鎮痛剤を打ちこんだ。生徒に使っていたものなら一発で効いたはずだが、これは意識を白ませるほどの強さがなかった。重傷の兵士から冷静さを引き出すためのものだろう。立て続けに三発打たなければ鎮まらなかった。
消毒。止血。また消毒。走らせながらすべてを済ませた。四発目の鎮痛剤を打った頃、霞む視界のなかに屯所が見えた。ゲートも迫っていた。装甲車の様子は確認されているはずだ。こちらは蒼白の兵士を助手席に乗せている。慌てる様子が目に見えるようだった。
兵士たちが現れた。銃を構えているが、ポーズだけだ。曾が指を窓に押しつけたからだ。血塗れの肩に触れた五指である。真っ赤な跡が彼らを承知させた。ひとりが屯所へと駆けもどり、落としそうな勢いで受話器を手に取った。
間もなくゲートが開き、男たちの手で降ろされた。担架が待っていた。曾は乗ることを拒み、兵士のひとりに告げた。
「王先生に」
直接伝えたいことがあると言い、曾は、ようやく担架に体を横たえた。すぐ応急処置室へと運ばれた。何名か兵士が治療を受けていた。ドクターは曾の状態を確かめるや、彼らの処置を看護師に任せた。
腕と肩の付け根を撃ち、完全に貫通させた。組織の損傷が激しく、すぐに手術しなければならない状態だ。処置室はそれなりに慌ただしかったが、不可解さを拭えなかった。王に会いたいと告げても姿を現さない。何より兵士たちが平時のように落ち着いている。追っ手を放ったという緊迫感が希薄なのだ。
22は工場から脱出を試み、見事にやってのけた。拘束されて装甲車に乗せられたとはいえ、油断すれば逆転劇が起こるかもしれないと考えていたのではないか。王が1―30を処分するなと命じたのはそのせいだったのか。見捨てられない誰かを残しておけば保険になると踏んだ。逃亡の足枷。少なくとも荷物にはなると。
「五分で済みます。王先生を」
白衣を掴み、縋った。ドクターは困り顔を見せたが、責任問題に発展すれば厄介だと思い直したようだ。曾が「1―30の件で」と付け加え、最悪の事態が発生したことを臭わせたからだ。
王が現れた。珍しく息を切らしていた。彼のメンツに関わる何かが出来したと思ったのだろう。ドクターや看護師はもちろん、治療中の兵士さえ外に出してしまった。
「大変だったな」
数分前まで、同じ口で話していたはずだ。曾薇という弟子は出来損ないだと。
曾は頭を上げ、聴き取れない声で囁いた。
王が耳を近づけてくる。
親の役目は罵ることではない。ともに未来を願い、寄り添い、戦うことだ。絶望的な状況でも希望を探し、夢を語って聞かせることだ。あの22は、おそらくそうやって生きてきた。
急げ、娘たち。
曾は無傷の手でナイフを抜き出した。
(第16回 了)
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