自由詩は現代詩以降の新たな詩のヴィジョンを見出せずに苦しんでいる。その大きな理由の一つは20世紀詩の2大潮流である戦後詩、現代詩の総括が十全に行われなかったことにある。21世紀自由詩の確実な基盤作りのために、池上晴之と鶴山裕司が自由詩という枠にとらわれず、詩表現の大局から一方の極である戦後詩を詩人ごとに詳細に読み解く。
by 金魚屋編集部
池上晴之(いけがみ・はるゆき)
一九六一年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。元編集者。三十五年以上にわたり医学、哲学、文学をはじめ幅広い分野の雑誌および書籍の編集に携わる。共同体としての「荒地派」の再評価を目下のテーマとして評論活動を展開している。音楽批評『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』を文学金魚で連載。
鶴山裕司(つるやま ゆうじ)
一九六一年、富山県生まれ。明治大学文学部仏文科卒。詩人、小説家、批評家。詩集『東方の書』『国書』(力の詩篇連作)、『おこりんぼうの王様』『聖遠耳』、評論集『夏目漱石論―現代文学の創出』『正岡子規論―日本文学の原像』(日本近代文学の言語像シリーズ)、『詩人について―吉岡実論』『洗濯船の個人的研究』など。
萩野篤人(はぎの あつひと)
一九六一年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。元IT関係企業に勤務。十代の頃から文学・哲学・思想に関心を持つ。二〇二三年、相模原障害者殺傷事件をテーマにした評論『アブラハムの末裔』で第一四回金魚屋新人賞を受賞。現在、小説『春の墓標』、評論『人生の梯子』を文学金魚で連載中。
■戦後思想からポストモダニズム思想へ■
池上 『言語にとって美とはなにか』を詩論として展開しようとした本に菅谷規矩雄の『詩的リズム――音数律に関するノート』があります。菅谷さんは五十三歳で亡くなったんですけれど、吉本隆明は「詩的な喩の問題」(『ことばの力 うたの力』)という講演で、晩年の「METS 84(part1)」という詩を部分的に引用して論じています。
つぼ ウツホ ひとつ 地にこもり ツボみ
けものめくむなさわぎの
石に みち みちミツ もの
名あるゆえの、モノ、もののけ、
タマシイに、さわりたい、ヨ。
うちのタマ いなくなった
つかのまのタマばなれ
サキタマ・ところざわ めぐり
川こえてウマ肥えて コマ いるま タマ
吉本隆明がこの詩の何に着目したかと言うと音韻で、「音がメタフォアになりうる」、「日本の近代詩以降の現代詩にとってもひとつの頂点をなす表現」だと評価しています。「意味のない音の連鎖が喩をなしうる」ということが自分にとっては切実な問題なんだと言っているんです。菅谷さんも吉本隆明も宮沢賢治の擬音の世界に関心を持っていたようですけれど、鶴山さんは現代詩の音韻について、どう考えていますか。
鶴山 リテラルに音韻にこだわった詩人たちに中村真一郎や福永武彦のマチネ・ポエティックや那珂太郎さんらがいます。マチネ・ポエティックの詩人たちは押韻詩を書いた。難解な現代詩は黙読の書き文字詩ですから全般的に音韻には無関心だった。ただ押韻とリズムは別です。厳密に言うと押韻は音韻ですが五七や七五はリズムです。短歌や俳句で定型になっているので音韻とも呼ばれるわけだけどあれはリズム。意図的にリズムを一定の音韻に近づけた詩に那珂太郎『音楽』や谷川俊太郎『よしなしうた』などがあります。でもそのやり方で詩を書き続けるのは難しい。賢治文学は音楽性が高いわけだけど、マチネ・ポエティックや那珂太郎、谷川俊太郎さんのように意図的にやっているわけじゃない。賢治の内在的音楽性が音韻・リズムになって表れたとしか言いようがない。詩における音を考える場合は、それこそ吉本さんが『言語にとって美とはなにか』でやったように広義の自己表出性と指示表出性に分けた方がいいと思う。作家性からでも修辞からでも音韻は生まれます。焦点は単純でそんな作品が魅力的かどうかということですけど。
飯島耕一さんも晩年近くになって定型ということを言い出して『定型論争』という本も出しています。でも読んでも何をしたかったのかよくわからない。僕は飯島さんを、瀧口修造は別格として朝吹亮二さんと並ぶ日本の正統シュルレアリストだと考えています。でも飯島さんはちょっと不思議な詩人で、シュルレアリスムについても何冊か本を書いていて『シュルレアリスムよ、さらば』という本もあるんですが、どうして、どこで〝さらば〟しているのかやっぱりよくわからない(笑)。飯島さんは定型にしてもシュルレアリスムしても大胆に問題提起して、でもそこから脇道に逸れるように彼自身の詩の糧になるようなヒントを探っていた気配があります。既存の枠を排除してさらに自由な詩の書き方を求めていた。
で、何が言いたいかというと、定期的に現れる定型や韻律論争は日本文化の原理的探究不足から生じていると思います。どの文化圏でも文字の前に音があったのは間違いない。言葉の音、音韻が人間の世界分節の始まりだった。欧米や中国では脚韻が世界分節の重要な要素でした。だからそれらの文化圏では脚韻を論じることに意味がある。しかし日本では脚韻は生じず五七や七五のリズムになりました。そこに書き文字表記用に借り物の漢字が附加されさらに平仮名、カタカナが附加されて複雑化していった。また『万葉集』などを読めばわかりますが原初的リズムは五七や七五調だけではなかった。ただし五七・七五調が確立されてから日本人の世界分節能力は飛躍的に伸びた。その意味で脚韻と日本の定型は同質の機能を持っている。五七・七五調の発見あるいは獲得によって日本人が独自の世界観を表現できるようになったのは間違いありません。
この日本語の発生構造を解明するのは至難の業です。残されたテキストの分析が基本になるのは言うまでもありません。が、それだけでは足りない。直観が必要です。調や漢字表記などの変遷分析の積み上げと同時に五七・七五調の繰り返しによって日本人が何を表現しようとしたのかという問題ですね。形式は核に向かって変化していっている。乱暴な言い方ですが核のない生成はあり得ない。言語機構を生み出す世界認識原理としての像があるのだと言ってもいい。この直観的〝像〟を措定しないと分析を積み上げても混乱したまま終わる可能性が高い。もちろんそのアプローチ方法には文学評論、言語学、民俗学、宗教学と様々な組み合わせ方法があると思いますが。
池上 なるほど。日本語の伝統的な詩歌は、ほとんど無意味な詩句でも音数律、つまり七五調によって意味のある表現ができるところが謎でもあり魅力でもあるわけですが、「荒地」派の詩は、田村隆一は独特の内在的なリズムがあるからちょっと別なんですけれど、意味を表現しようとした反面、音韻や韻律の問題については切り捨てたわけです。でも吉本隆明や菅谷規矩雄は音数律の先にあるもの、つまり七五調を喪失した現代詩における音韻や韻律の問題を考えようとしたんだと思うんです。その結果、結局は日本語の問題に帰することになるわけですけれどね。吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』で、何をやったかということについて自分でこう解説しています。
われわれの言語美学的考え方からすると、まずはじめに〈韻律〉が根底にあり、それから場面をどう選んだかという〈選択〉があり、表現対象や時間が移る〈転換〉ということがあります。そして、メタファー(暗喩)やシミリ(直喩)などの〈喩〉があるわけです。この四つは言葉の表現に美的な価値を与える根本要素になるわけです。またこの四つに尽きます。作品のよしあしを決定するのは、この四要素がいかに巧みにおこなわれているかだといえます。
(「言語論からみた作品の世界」『詩人・評論家・作家のための言語論』)
「韻律」「選択」「転換」「喩」という見方で見事に日本語の音数律による詩を評価できる理論を作ったわけで、これはやっぱりすごいことですよね。『詩人・評論家・作家のための言語論』という本は、創作学校のようなところで話したものが基になっているということで、はじめから書いた文章よりずっとわかりやすいので、もし詩作の参考にしたいと思っている方であれば、『言語にとって美とはなにか』を読む前に、この本を読むといいと思います。
萩野 吉本さんは講演や対談で聴衆や相手に向かって話をされる時は比較的わかりやすいですね。じっさいに話をされてから本になるまでにはもちろん手が入っているのでしょう。けれど僕自身、生で吉本さんの講演を聴いた時の印象も本で講演録を読んだ時のそれもどちらもわかりやすいんです。ところが、はじめから書き言葉というか書下ろしで書かれた文章を読むと、とたんにわかりにくくなる。
池上 批評にも文学体と話体がある。
萩野 そう。文語と口語くらいに違うんです。だからいつも話体で書けばいいのにって思います。書き言葉でないとどうしても伝えられないものが吉本さんの中にあったんでしょう。それはそれで理解できなくはないんですけど、読者は悩みます。これから吉本隆明の思想について知りたいという人に僕がおすすめするのは、まずは講演録や対談集から入るといいですよってことです。文庫で何冊も出ていますし。
池上 本当にそうですよね。鮎川信夫篇の時にお話しした一九八二年九月二十六日の思潮社二十五周年記念の「詩のカーニバル・詩はこれでいいのか」という西武劇場で行われたイベントで、吉本隆明が「若い現代詩――詩の現在と喩法」という講演をやって、講演録が「現代詩手帖」の一九八二年十一月号に掲載されたんですが、これは現在は『吉本隆明〈未収録〉講演集〈10〉詩はどこまできたか』で読めます。一方、この講演を基にした同タイトルの評論が思潮社版の『戦後詩史論』に入っています。この両者を読み比べると、これもはるかに講演のほうがわかりやすいんです。吉本隆明には批評を書く際にわざわざわかりにくくしたいという意図があったんでしょうか。
鶴山 それはないでしょうね。文章では吉本さんは一つのテーマを可能な限り厳密に分析しようとします。この分析は手順を踏んだ緻密で論理的なもので専門用語も必要になる。ただこの専門用語がえらく厄介でたいてい吉本さんのオリジナルです。吉本さんの中では整合性が取れていて一貫しているんでしょうが、批評対象や内容によって次々生まれて来る。「修辞的現在」のようにピタッとはまることもあるけど全部を正確に理解するのはほぼ不可能です。一方で吉本さんの分析は正確だから、分析結果としての結論(結果)は単純でわかりやすい。分析しても相変わらず謎だとそれは分析が間違っていたことになるからね。講演「若い現代詩」と『戦後詩史論』「若い現代詩」のどちらが先なのかわかりませんが、結論は同じでも手順が違うということでしょう。
池上 ああ、確かに評論のほうが先に書かれていて、講演でその話をした可能性はありますね。いずれにしても、これから吉本隆明の評論を読んでみようという人は、まず糸井重里さんのウェブの「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されている「吉本隆明の183講演」をチェックするといいと思います。記録が残っている吉本隆明のほぼすべての講演の音声データとそれを文字起こししたテキストが掲載されています。一九六四年の「芸術と疎外」という講演以降、二〇〇八年の「芸術言語論――沈黙から芸術」という講演まで、吉本隆明が評論で書いたテーマが網羅的にあって、文字起こしはラフなものもありますが、評論よりずっとわかりやすいです。音声も聴き取りづらいものもありますが、吉本隆明の話の魅力がわかると思います。小林秀雄も講演の音声を聴くと話がうまくておもしろいですけれど、吉本隆明は説得力がすごいんですよね。あと声としゃべり方がいいですね。ちょっと丸みがあって、訥弁のようだけどユーモラスなんです。ぼくが高校生の時に聴いた「現代詩の思想」という講演の文字起こしも掲載されていますし、「若い現代詩──詩の現在と喩法」は録音の状態が比較的いいので音声で聴いてみるといいと思います。
それからこの講演の三か月後にこの講演自体をテーマにした「〈若い現代詩〉について」という講演があって、これもぼくは「無限アカデミー」で当時聴いたんですけれど、すごくおもしろいです。「若い現代詩」という講演は「作品」としてしゃべったんだ、「自分のおしゃべり自体を作品にするつもりでしゃべった」と言っているんです。吉本隆明はやっぱり意識的に同じテーマを書き言葉の評論としゃべり言葉の講演で、つまり文学体と話体で表現しようとしたんじゃないかと思うんです。「ほぼ日」によると、ハルノ宵子さんは「父がいちばん、多くの人に、たいらに聞いてほしいと思っていただろうから」と講演の公開の無料化を希望したそうです。この「多くの人に、たいらに聞いてほしい」というのは、萩野さんがおっしゃった『最後の親鸞』の「〈非知〉に向って着地する」ということに通じるような気がするんですけどね……。実際、これだけ多くの講演の記録を残した批評家はいないんじゃないかな。『戦後詩史論』の「修辞的な現在」も、まず一九七七年の「戦後詩における修辞論」という講演の文字起こしを読んでおくと理解しやすいと思いますね。
鶴山 『戦後詩史論』は詩史論としては出来が悪いと言いましたが吉本思想を論じる上ではとても重要な本です。出来が悪い理由は戦前プロレタリア詩経由の思想詩として戦後詩を厳密に読み解いている一方で、画期的言語実験だった現代詩の検討を一切欠落させていることにあります。思想詩は戦前からありました。しかし複雑に膨れ上がっていく戦後社会をパラレルな像としてほぼ純粋な言語構築物として表現しようとした現代詩はそれまでになかった。二〇世紀後半に初めて登場した。だから難解にも関わらず現代詩が同時代文学にショックを与え短歌俳句や小説にまで影響を与えることになった。でも見方を変えれば思想を追う吉本戦後詩史論は正しかったとも言えるんです。
簡単に言えば戦後詩は戦後社会を個の思想で捉えようとした。当然社会批判や思想表現がメインになった。これに対して入沢・岩成現代詩は詩が思想・感情の表現の〝道具〟として使われることに激しく反発した。これも単純に言えば詩はほぼ純粋な言語体験であるべきだと考えた。実際詩人たちは入沢・岩成現代詩に驚きすぐさま戦後詩的表現にその修辞的成果を取り入れていきました。複雑化する戦後社会を表現するために現代詩的修辞が必須のものになっていったんです。ちょっと変な言い方になりますが純粋に近い戦後詩は「荒地」派を代表する数人、純粋な現代詩は入沢・岩成を中心とする数人しかいない。あとの戦後の詩人たちはすべて戦後詩と現代詩のマージ技法で詩を書いていた。戦後詩・現代詩を中心に据えた場合の見方ですが。
吉本さんは社会が平穏になり豊かになるにつれて戦後詩の表現が社会に食い込めなくなってゆく状況を「修辞的現在」と定義した。「いまから二三十年ほど前には詩の言葉はじかに、現実を引掻いている感覚に支えられていた。言葉は現実そのものを傷つけ、現実そのものから傷を負うことが実感として信じられたほどであった。現在では詩の言語は言葉の〈意味〉を引掻いたり傷つけたり変形させたりしているだけだ」と書いています。正しい認識です。
だけどこの思想の衰弱は実は現代詩にも起こっていました。現代詩には戦後詩的思想や意味の伝達方法を排した言語そのもので現代を表現するという強い思想があった。戦後詩が現代を思想的に捉えられなくなった時に現代詩がそれまでのように現代社会を純粋な言語像(言語構築物)として捉えられるわけがない。しかし現代詩には表層的には思想表現がありません。読み取れない。そのため『戦後詩史論』のエピゴーネン詩人が尻馬に乗って「戦後詩は終わった」とか「滅びた」とか無責任な言説をまき散らしたことはありますが、現代詩については誰一人批判しなかった。現代詩が生き残ったわけではありません。「修辞的現在」とともに本来的現代詩は空洞化していた。
僕が何度もいまだに特殊概念を含まざるを得ない現代詩という呼称にこだわるのは命取りだと言っているのはそういう理由です。たかが呼称だと侮ってはいけない。単純ですが詩は原理的に自由詩です。その呼称を用いることはとても有効なパラダイム転換になります。
吉本さんは『戦後詩史論』「若い現代詩」で中島みゆきを取り上げて「中島みゆきの詩はそんなに甘くも幼稚でもない、高度なものだと納得させることができるか。それはたとえようもなく難しく、また現在的な課題だとおもえる」と書いています。プロ詩人の作品ではなく中島みゆきや小椋佳らの詩を高く評価したわけですが、初めて読んだ時、やはり僕は反発した。自由詩の方が歌詞より格上だと考えていたからではありませんよ。僕は吉岡実の正統後継者ですからポスト現代詩には当たりがついていた。戦後詩はもうその役割を終え現代詩も早晩そうなることはわかっていた。中島みゆき評価に苛立ったのは「吉本さんさぁ、あなたも詩人なんだから、じゃ、どうすればいいのか教えてくれよ」と思ったからです(笑)。でも池上さんがおっしゃったように『戦後詩史論』は実践的には役に立たない。
『戦後詩史論』は昭和五十三年(一九七八年)刊で最も重要な「修辞的な現在」と「若い現代詩」が収録された『増補戦後詩史論』は五十八年(八三年)刊です。高度情報化社会前夜です。『増補戦後詩史論』を読んで僕はそれまでの吉本とは違う不穏な蠢きを感じたんですがそれは本当だった。
吉本さんはこの時期すでに『マス・イメージ論』を書きはじめていました。『マス・イメージ論』が本にまとまったのは昭和六十三年(一九八八年)ですが『マス・イメージ論』を読んで初めて現代の状況は詩なんか論じてたんじゃわかりゃしないということがようやく伝わって来た。漠然とですが吉本さんが現代にアップデートしたのを感じました。
僕は戦後文学の終焉は一九八七年頃だろうと思っています。それ以降は高度情報化社会、インターネットを基本インフラとしたポストモダン社会に入ります。この時期直輸入のフランスポストモダン哲学を援用してスターになっていった批評家や思想家がたくさんいました。しかしみな十年、二十年で消えていった。実際どんどん著作が読まれなくなっています。でも吉本さんの『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』は今でも読む価値がある。時流に乗った流行り物ではなく戦後直後から現代まで一直線にその思想が持続しているからです。
で、なぜ吉本さんが「マス・イメージ」「ハイ・イメージ」という極めて現代的概念を引き出せたのかというと、それはやはり彼が詩人でもあったからだと思います。詩の世界は小さいですが文学界の縮図であり夾雑物を排して何が起こっているのかを的確に把握しやすい。『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』の端緒になったのは間違いなく『戦後詩史論』です。
池上 これも今でもよく思い出すんですけれど、さっき言った「〈若い現代詩〉について」という講演の中で、吉本隆明は、「詩はこれでいいのか」というシンポジウムで鈴木志郎康が中島みゆきについてコメントしたことに関して強く反発したんです。
鈴木志郎康さんが、「現代の詩は中島みゆきから谷川俊太郎の詩まで通路ができるようになった。それは結構なことだけど、片方は一つ詩を書くと何千万円と儲かる。片方は原稿料をくれるか、くれないかもわからない。そういうことについて吉本さんに解明してもらいたい」と発言していましたが、それはまことに心外で、そんなことは詩とは何の関係もないことです。
その人が一編の詩を書いてもろくに原稿料ももらえないか、あるいは一編の詩を書くと、それが作曲されレコードになり数千万円入ってくるかというようなことは、詩とは何も関係ない。また、ピーピーしている人がいい詩を書いて、数千万儲かっている人がいい詩を書かないというほど、文学や芸術があっさりしたものであれば、別にそんなことはする必要も何もない。そういうことは『言語にとって美とはなにか』で解明済みですから誤解のないようにしてほしい。つまり、そういうところに誤解の余地は一切ないと、僕は思っています。だから、そんなことはあらためて触れるまでもない。
そういうことが気にかかるのでしたら、鈴木さんが一編の詩を書いて数千万円儲ければいい。鈴木さん自体の力量があれば、そういうことは少し練習すればできるのではないでしょうか。(笑)つまり、そういう通路ができていくのではないでしょうか。また、鈴木さんの中にもその通路はちゃんとできているのではないか。もし鈴木さんがそういうふうに数千万円を欲していながら、なおかつしていないとするならば、何かが鈴木さんを押しとどめている。それは鈴木さんの倫理、こだわり、あるいはタブーの問題であって、それは自分で自己解放するより仕方がないと理解しています。だから、それは初めから問題にならないことのように思われます。
(講演「〈若い現代詩〉について」、ほぼ日「吉本隆明の183講演」)
ぼくは一九八二年の十二月に講演会場でこの吉本隆明の話を聴いていて、「そういうことは『言語にとって美とはなにか』で解明済みですから誤解のないようにしてほしい」という発言の意味がよくわからなかったんです。いま考えると、鈴木志郎康の発言は冗談めかしているものの、詩の価値を無意識に経済的価値と結び付けていて、吉本隆明は、これはかつての政治と文学、つまり政治的価値で文学を評価するのと同じパターンだと感じたんじゃないかと思います。一方、鈴木志郎康には、現代詩と歌詞を同時に扱う吉本隆明の『マス・イメージ論』的な視点に対する反感があったんでしょうね。当時、現代詩を書いていた詩人は多かれ少なかれ鈴木さんと同じように感じていたような気がします。
ぼくも鶴山さんと同じように当時は「じゃ、どうすればいいのか教えてくれよ」という思いで『戦後詩史論』を読んでいたんですけれど、繰り返し読んでも実作へのヒントは得られなかった(笑)。
鶴山 今でも鈴木さんのようなことを言う詩人はいるね。でも金が欲しいなら詩じゃなく少なくても小説を書いて多少でも原稿料を稼げるようにしたらいい。金儲けといっても文学じゃたかが知れてるから、とっとと文学なんかやめて実業に専念した方がいいね。文学は無償の精神的賭け金の高さが問われる面がある。それがわからないなら文学なんて、特に詩なんて今すぐやめた方がいい。
池上 この時期からの吉本隆明は「現在」を捉えることを最大のテーマにしたんだと思うんです。だから「修辞的な現在」というタイトルだったわけですけれど、当時の詩人たちは「修辞的」というほうに力点を置いて詩論として読んでいて、吉本隆明が考えている「現在」を捉える視点についてはあまりピンと来ていなかったんですよね。
吉本隆明はすでに一九八二年の『空虚としての主題』という文芸時評で小説を題材に「現在」を捉えようとしていました。その延長線上に『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』があったんだと思います。萩野さんはこの両著についてはどう読みましたか。
萩野 『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』には当時賛否両論がありました。あそこで吉本さんはポストモダン社会に取り残されたんだと批判する人もいた。
鶴山 ん、逆だと思うよ。ポストモダン社会を捉え始めた仕事でしょう。
萩野 僕自身はもちろんそう思っています。日本でポストモダンという概念が流通しはじめたのは、具体的には一九八三年に浅田彰さんの『構造と力』が人文書では異例のベストセラーになったことがきっかけだと思います。『構造と力』は思想書や哲学書というより、フランスを中心とした現代思想の見取り図を示した啓蒙書ですが、当時そんな本を書けるほどの人はいなかったし、いまもいないかもしれませんけど、それで「ニューアカデミズム」なんて言われて最新流行のハイブランドモノに飛びつくようにサラリーマンまでこぞって読んだ。その後もフーコー、ドゥルーズ、デリダっていうだけでその思想をよくわかりもしないのに追いかける人がいっぱい出て来て、かれらのタームを使わなければ夜も日も明けないという時代がありました。そんな中で迎合しない吉本さんの方法や表現が古びて見えたんでしょう。たとえば『マス・イメージ論』が出た同じ年に埴谷雄高との「コムデギャルソン」と『死霊』とは等価なんだ、いやとんでもないって論争が話題になりましたね。もちろん等価に決まってる。いや「コムデギャルソン」のほうが高価だ(笑)。この論争や『マス・イメージ論』をちょっとめくった程度で、資本主義におもねる主張だと批判する人もいたけれど、吉本さんはそんな批判など百も承知ですから。僕は吉本さんが取り残されたなんて思っていなくて、むしろ逆だと考えています。かれはもっと異次元から眺める眼差しをもっていた。きっかけは共同幻想のありようの変化です。吉本さんが一九六八年に『共同幻想論』を出した時から、共同幻想はたんなる国家や宗教に還元できるものではなくなってきて、いやそもそも国家や宗教というものがとてつもなく怪物化していき、その正体も見えなくなっていった。今日の世界を見わたしてもなおさら言えることです。とうぜんそれに対する個人や対幻想つまり性のありかたもこれまでにない大きな変容を被ってきているし、いまもそうです。『マス・イメージ論』があつかうのは成熟した消費社会の、『ハイ・イメージ論』はさらに高度情報化社会あるいはハイパー資本主義下での社会と個人の変容の正体をあぶり出そうとしたこころみですが、この変容はそれまでのヘーゲル由来の「世界認識の方法」では収まり切れないようなものだった。そのため吉本さんはこの二つの著作で思想的なコペルニクス的転回をこころみたんだと思っています。こちらからの、認識主体からの視線の延長のままでは変容する世界をとらえきれない。世界のきわまで包み込むように視線をもっと遠くへ跳ばさなくてはならない。跳躍してさらに世界の向こう側まで突き抜けてしまわなくちゃいけない。そして今度は逆向きに、いわば宇宙からの視線によってこちら側の世界を語らなくてはならない。『ハイ・イメージ論』冒頭で語られる臨死体験者と富士通館での3D体験の話はその転回の宣言です。臨死体験者が蘇生して死後の体験を語るような、つまり「往相」にたいする「還相」です。けれどそのように語るのは困難をきわめます。そのための具体的な分析と表現のツール、あるいは方法として提示したのが「像」というコア概念です。僕はそれを「真言(マントラ)」と呼びたくなりますが。
鶴山 今じゃわかりにくいけど、当時は「大関朝潮が六本木のWAVEから「現代思想」を小脇に抱えて出てきたのを見た」といった冗談が通用した時代だからね(笑)。でも振り返ってみると一九八〇年代半ばから九〇年代前半が「わが国では、文化的な影響をうけるという意味は、取捨選択の問題ではなく、嵐に吹きまくられて正体を見失うということだった」最後の時代かもしれない。
で、『マス・イメージ論』の「マス」は「大衆」ではありません。戦後的なインテリゲンチャと大衆という構造がなくなったフラットな社会のことです。それだけでも吉本さんの変化がわかる。だけど一貫してもいる。まあある意味インテリに主導される無知な大衆がいなくなった代わりに誰もが一家言あるインテリ社会になったわけだけど、そのインテリ社会のマスの欲望が様々な現象を生み出す。それは当然ですが舶来知性で武装した知識人の影響より強烈で根深いものになります。
『マス・イメージ論』は「変成論」から「語相論」まで多岐に渡ります。批評対象は文学からマンガ、アニメ、テレビなど様々ですがいずれもマスが生み出すイメージが現代ではいかに大きく変容しているのか、その理由を探求しようとしている。この変容は戦後社会が経験したことのない未知のものです。もちろんそこには当然戦後文学の終焉も含まれる。
この時期吉本さんは高橋源一郎さんの作品を好んで取り上げました。高橋さんは戦後文学を解体させた革命家のような作家です。吉本さんは『さようなら、ギャングたち』について「ひとつの膨大な〈空虚〉が真剣な眼なざしで湛えられている貯水池のような印象に達する」と書いています。高橋さんの初期作品は小説としてはメチャクチャ。従来的小説、戦後小説を壊そうとしている。またハチャメチャな前衛小説なのに彼が鮮やかにデビューできたのは無意識的にそれが求められていたからだと思います。冗談のような小説ですが解体の意志は真剣だった。僕は高橋さんのよい読者ではないですが『日本文学盛衰史』で彼が描いたのは日本文学における父性の喪失だったと思います。もちろん革命は一回限りでその後の小説家としての高橋さんの歩みは苦しげです。しかし画期的な仕事をした。高橋さんの仕事を端緒に小説界に前衛小説の時代が来ますが彼の仕事を越えられたとは思えない。
また吉本さんは小島信夫の小説もよく取り上げました。長編の『別れる理由』ですね。読後感から言えば『別れる理由』は退屈極まりない。読むのが苦痛です。でもこの小説が読まなければならない文学の前衛だった時期があった。『別れる理由』は古典的な意味での戦後作家による戦後文学(小説)のレクイエムだからです。
『別れる理由』は私小説で主人公・永造が作者・小島信夫のモデルです。吉本さんは「永造のこころのなかでは、家族や近隣関係にもう物語は創りだせなくなっている。永造のこころのなかを吹き抜けて、かれの内面をばらばらにこわしているのは、現在という巨大なシステムのデーモンなのだ。永造の意識は、どこまでもつづく等密度の人間関係パターンを紡ぎだせはするが、発端があり、生活の盛り上がりがあり、そしてパピイあるいはアンハピイな結末があるという物語を、家族のあいだでも交際圏のなかでもつくりあげられなくなっている。作者はもちろんそんなふうに、現在に吹き抜けられた永造を造形しているのだ」と書いています。
永造には不倫相手がおり家庭問題も抱えています。しかしそれが物語として立ち上がって来ない。そこには「等密度の人間関係パターン」しかない。戦後作家によって小説はエクリチュールのゼロ地点に引き戻された。『別れる理由』以降、高橋さん的前衛小説とは別に〝何も起こらない前衛小説〟がたくさん書かれましたがいずれも『別れる理由』の衝撃を越えられなかった。吉本さんの作品セレクトは正確だった。
現在伝統的な表現の世界が高度なもの、価値あるものとみなしてきたものが、高度なもの、価値あるものだと決定できなくなった。それと逆に低俗なもの価値のないものとみなされてきたものが、まったく別途の差異線にそって高度なもの、価値あるものを実現するようになってきた。そういう事態から、現在わたしたちは、しずかに震撼されているのではないか。
(『マス・イメージ論』「縮合論」)
現在では世界の言語的秩序とは無関係に無意識が上昇してゆく通路が想定できるようになった。そしてそこをたどってゆくポップ的な線分はどこかで、世界の制度がこしらえた言語的秩序の下降線と擦れちがうにちがいない。その帯域で言葉は、暗喩や幻想の表現をうけとり、矢印を交換する。そしてほんとうはもう一度下降してゆかなくてはならない。
(同)
画像にともなう言語的な位相は、いつも多層化の試みにさらされている。それはさまざまなモチーフを秘めているが、いちばん大切なモチーフは、画像にともない言語の〈意味〉の重さを分断して軽くし、またその言語的陰翳を微分化しようとするところにあるように思われる。
(同「語相論」)
現在でもマンガやアニメを昔ながらの用語でサブ・カルチャーと呼んでいて、まあそういう言い方はめったにしませんが相変わらず文学やファインアートなどがメイン・カルチャーの位置付けです。しかし実態として日本を代表する文化がサブカルなのは言うまでもありません。世界的に見てもそうですね。ボブ・ディランがノーベル文学賞なんですから。
吉本さんはかなり早い時期にサブカルの台頭を予想しています。それだけなら勘のいい人でも指摘できますが「現在では世界の言語的秩序とは無関係に無意識が上昇してゆく通路が想定できるようになった」と書いている。この「無意識が上昇してゆく通路」が生んだのが優れたマンガやアニメ、ゲームなどの視覚芸術です。しかしそれらは必ず「言語的秩序の下降線と擦れちがう」。視覚芸術は決して言語と無縁ではないからです。
現代のマス・イメージが無意識的に生み出した新たな像が言語と接触する際に、言葉は像から新たな暗喩や幻想表現を受け取る。もしくは像に言語的暗喩や幻想表現が附加される。そしてそれらの一部がさらに言語線を下降して表現の深みを増すだろうと示唆されています。
「語相論」はマンガ批評ですが、優れたマンガ最大の特徴は「画像にともない言語の〈意味〉の重さを分断して軽くし、またその言語的陰翳を微分化しようとするところにある」という分析は見事です。要するに作品解釈の幅が大きくなり多様化する。アニメやゲームにも同じことが言えます。像を中心とするサブカルが文学よりマスに支持される理由です。文字のみの表現よりも多面的で現代のマス・イメージを的確に表現できるからです。逆に言えば文字のみの文学は像に近づかなければ支持を得られない。
『マス・イメージ論』は現代のマスが生み出すイメージを分析批評した本ですが、吉本さんは次のステップに進みます。『ハイ・イメージ論』です。
想像的な像の特徴はふたつかんがえられる。ひとつはその像が、はっきり輪郭をつくれない凝視覚像だということだ。もうひとつは、にもかかわらず全方位の像であるため、視覚ではまったく不可能な、対象物の裏側も側面も上下も、あたかも視えるかのようにあらわれることだ。このふたつの特徴はたがいに関連している。輪郭をつくれないぼんやりした像しかあらわされないことと、視えるはずのない裏側や側面は上下などが、全方位から像をつくっていることは、いわば代償関係として想像力により像にあずかっている。
想像力でうみだされた対象物の像を、いまここで分解してみる。これは理論的な仮定だけからすれば可能だ。すべて想像力でつくりだされた像は、対象物と想像している主体とを同時に視ているもうひとつの〈眼〉と、対象物のただの視覚とに分解される。もうすこし突っこんでいえば、対象物とそれを視覚像としてみている主体の視座の双方を、同時に包み込んでいるもうひとつの〈眼〉を内在化できれば、想像作用でつくられた像にたどりついたことになる。
(『ハイ・イメージ論』「映像の終わりから」)
吉本さんは『ハイ・イメージ論』を臨死体験から始めています。臨死体験では自分や他者、外界を客体化してすべて見ることができる。〝世界視線〟です。この世界視線という概念を使って吉本さんはマス・イメージ世界をさらに客体化・相対化して捉えようとした。それが『ハイ・イメージ論』です。
吉本さんの試みが成功しているかどうかは別として、これは本当に画期的な試みだった。吉本隆明という戦後一貫して強烈な個の自我意識で戦後社会を割ろうとして来た思想家が、高度情報化社会の到来に敏感に反応していわば自我意識を捨てて希薄化した私――死者の視線に限りなく近い――の世界視線で世界を綜合的に認識把握しようとし始めた。『ハイ・イメージ論』で吉本さんの批評の方法は変わった。明らかに批評の審級が変化した。フランス哲学にまったく影響を受けていない日本の思想家独自のポストモダン思想です。
萩野 今おっしゃった世界視線、垂直に上から見る眼差しは吉本さんの正しい時代認識にもとづく的を射た方法だと思います。臨死体験の話の後に3D体験を語られているわけですが、あれはとてもリアルな記述です。映像技術がリアルだという意味ではなく、吉本さんが語っているそのこと自体がとてもリアルに、しかも象徴的に現代の実相をあらわしている。〝世界視線〟で吉本さんが言いたかったのは新しい世界把握の方法です。『ハイ・イメージ論』の対象とする範囲は広くて、文学、ファッション、都市、舞踏、消費、自然学、古代、音楽、童話などと現代を特徴づける要素だけでなく、ほとんどルネサンス人のような射程の大きさで、それらの要素をある種の映像体験に還元していく。西洋中世から近世の人びとだったら還元するのは神ですけど、そこからあらたな「人間」概念が育っていったように、吉本さんが育てようとしていた独自の「人間」や「社会」概念があったのではないか。そのキーになる概念が像です。像といってもたんなる想像とか空想という意味でのイメージとはちがいます。鶴山さんがおっしゃったように言語としてのイメージ、それも言語そのものを包み込むようなこれまでにない視覚イメージに還元しようとしています。さっき「真言(マントラ)」って言ったのはそんなニュアンスを込めています。だからいきおい、言語的イメージからなる文学作品への参照がかなりのウエイトを占めています。これまでにないこころみですから上手くいっている章もあるしイマイチぴんとこない章もありますけど、吉本さんのこころみの大きさを感じずにはおれません。
鶴山 ポストモダン思想は神様がいるヨーロッパの思想で、日本は欧米と比較すれば基本的に最初から無神・無本質ですから、なぜあの思想に大騒ぎするのかよくわからない。
萩野 そうなんですよ。欧米の人たちが唱えていた「ポストモダン」って、一神教的な神のいない日本人にとってある意味ではあたりまえの日常のふるまいのひとコマですよね。「脱ロゴス中心主義」や「脱二元論」や「脱構築」などといった「脱ナンとか主義」もそうですし、ボードリヤールの「シミュラークル」だってラカンの「シニフィアンの戯れ」だってそうです。だから周回遅れのようにクール・ジャパンなどと世界的な日本ブームがあとになってやってきて、わかっていない当の日本人自身は相変わらずさすが欧米の人たちだな、ポストモダン思想ってすげえとかオレたちも逃走しようだとか、そんなことを言う人はもういないと思うけど、いやあボクたちそれほどでも、なんてこそばゆく感じてたりして。だとしたら悪い冗談というか戯画でしかない。
池上 お二人がおっしゃった「像」についてですけれど、『言語にとって美とはなにか』は最後「記号と像」という項目で終わっているんですよね。どうして吉本隆明が「像」を問題にするようになったかというと、元はと言えば、服部達が一九五五年に発表した「われらにとって美は存在するか」の中で大岡昇平の「俘虜記」などを論じて「想像力」の問題を取り上げていて、これが吉本隆明に影響を与えているんです。
「未知なるもの」の観念は、現実のもろもろの事象と、どのような面からも対応しない。ということは、われわれの現実的知覚をもってしては、「未知なるもの」に至る道は見出されない、ということである。残されるのは、現実的知覚を否定することによってはじめて働き出すところの、想像力を通ずる道のみである。つまり、「未知なるもの」の観念は、ただ想像力の働きのみによって得られる。その観念が造型できるか否かは、人間の想像力が十全に働き得るか否かの指標である。
(「われらにとって美は存在するか」)
服部達たちが提唱した「メタフィジック批評」の「メタフィジック」というのは、この「未知なるもの」の観念のことを言っています。
吉本隆明は、「戦後文学と言語表現論」(『吉本隆明が語る戦後55年②』)という一九九五年のインタビューで、服部達が取り上げた想像力の問題を自分はまだ展開できていないんだ、『言語にとって美とはなにか』を書いた時には想像力の問題を取り扱う術がなくて、「言語の指示表出性という側面と、自己表出性という側面が結びつく場面があるとして、そこで想像力という問題が生じるだろう、というくらいのこと」しか書けなかった、それで後になって「『言語にとって美とはなにか』の延長線上で、想像力の問題を理論的にやってみようと思ってはじめたのが、『ハイ・イメージ論』です」と語っています。
服部達は、「しかし、「メタフィジック批評」とは、何らかの哲学的理念にもとづいて作品を截断する批評ではない。そのことは「われらにとって美は存在するか」(群像)のなかにも書いておいた。このエッセイのなかで、私は、文学作品を純粋に美学的な立場から評価すべきこと、私小説とヨーロッパ流の小説とでは美の基準が異るようだが、想像力という視点から見れば、美学はつねに単一であることを証明しようとした。しかし私小説という相手は、一筋縄では行かない」と後に書いています(「「近代文学」的公式の崩壊」)。
先ほど触れた『詩人・評論家・作家のための言語論』の中で、吉本隆明は「いまのフランスを中心とした西欧の文学理論は、もとをただせば、ロシアの文学理論からきています。かつてロシアでは、マルクス主義文学の陰に隠れて、かなりいい理論をそれでも展開していた人たちがいました。その再評価なわけです。いわゆる構造主義文学理論が主たる流れですが、戦後にフランスの文学者たちが再評価して、日本にも輸入されてきたわけです。/いまの日本でその文学理論が通用するかどうかは、私小説に象徴されているとおもいます」(「言語論からみた作品の世界」)と述べています。
ここで何を言っているかというと、要するに私小説を西欧の文学理論で論じようとしてもしょうがないということなんです。吉本隆明は〈アジア的〉ということも後期の大きなテーマにしていましたけれど、文学理論の段階も地域によって違いがあるということを言っているんですよね。浅田彰さん以降の日本の思想家や批評家の多くは、無意識に西欧の思想家や批評家と自分たちを同一のフィールドで考えているとぼくには思えるんですけれど、やっぱり〈アジア的〉という問題はいまでも避けて通れないように思います。
あと、吉本隆明が最後まで『試行』に連載していた『心的現象論・本論』は未完ですが、これは後期の吉本隆明が最も力を入れて書いたものですよね。萩野さんは『心的現象論』についてはどう思いますか。
萩野 正直言ってよくわかりません。ただ吉本さんが生涯でもっとも書きたかったことの一つがあそこに凝縮されているんだな、という印象があります。『ハイ・イメージ論』にも共通することですが、いきなり眼(視覚)の話が延々と続いて、そして〝世界視線〟の話に分け入っていきます。「了解」と「時間性」という、ハイデガーやビンスワンガー由来の問題が独自の視点で論じられていたりして、それはそれで面白いんですけど、そう思いながら本論を読み進んでもけっきょく吉本さん自身の視点はどこにあるのかよくわからない。どこでもない異世界から射し込まれるような視線と言うしかないものがある。吉本さんはこれを「向こうから来る視線」と言っている。そういうものが絶えず現在の中に入っていないとダメなんじゃないか、っていうんですね。それで思い起こしたことがある。ひとつは折口信夫の「まれびと」論です。「まれびと」は世界の果てというか海のかなたというか、われわれにとって世界外の存在で、いつも向こうから突然やってくる異者のことです。もうひとつが『言語にとって美とはなにか』の冒頭近くで、古代人が海を見て「う」と言葉を発しただろうという箇所です。論点も内容も異なりますが、あれは言語の発生論ですよね。吉本さんはものごとの関係性の分析を徹底しておこなう人ですけど、もうひとつ忘れてはならないのが〝発生〟の探求です。吉本さんの広大な関心領域の中心にずっと〝発生〟ということがあるんです。あの箇所には〝発生〟にまつわるとても重要な視点が提示されているんですけど、そのことに読者が気づかないうちにソシュールの言語学が流行って、「示差」の概念を抜きに言語の成立をうんぬんするなんて粗雑だと批判され、その重要性が見過ごされてしまった。識者たちはまったくわかってないと思います。
鶴山 うん、それは審級の混乱だね。ソシュール言語学は基本発生論とは無縁ですから。あれは話言葉の分析中心でシニフィエとシニフィアンから成る言語(記号)体系は恣意的であるという関係性理論です。言語を静的(スタティック)な体系として捉えればその通り。でも言語起源論になるとなんらかの原型イメージを措定しないと、言語は体系化されなかっただろうと考えられます。
吉本さん自身、「わたしたちの言語(美)学とソシュールの言語学とを隔てているものは、帰するところはこの反復と固定化(すなわち自己表出の発生)であるということができよう。話行為の内部でこの反復と固定化がいわば飽和点に達して、それにたえられなくなったとき口承文学(神話・伝説)がうみだされたのだし、口承時代の反復と固定化の繰り返しにたえられなくなって爆発点に達したとき、文字がうみだされたものだといえるからである」(『ハイ・イメージ論Ⅱ』「拡張論」)と書いています。単純にソシュール関係性言語理論と発生論は違うということです。
また関係性理論としてのソシュール言語学を中国や日本の漢字文化圏にそのまま援用できるのかということについて根本的な疑問があります。漢字という表意文字には言語発生時の原型イメージがうっすらとですが附着している。漢字文化は表音文字圏の言語より言語の原初形態を残している。これについて言い出すと面倒臭いのでやめますが。
萩野 そう。表音文字が中心となるソシュールの視点からは言語の共時的構造や世界の文節構造、つまり文や語の生成とか、アナグラム研究のような興味深い成果は得られても、おっしゃるような言語のもつ「表意性」だとか、まして言語そのものの〝発生〟は出て来ようがない。吉本さんのような発生論を語っている人はほかに一人だけいますが、それがさっき言った折口信夫です。
鶴山 それに井筒俊彦。
萩野 ああそうですね。井筒さんは慶應で二人の師と認める人に出会っています。西脇順三郎と折口信夫です。井筒さんはそのころ折口さんの『国文学の発生』を読んで影響を受けています。言語の発生を人間の意識の深層構造のダイナミズムから解き明かそうとした井筒さんの思考の足跡をたどると折口さんと共通の原点、つまり大乗思想と啓示宗教に至ると思います。一方で吉本さんの『心的現象論序説』は三木成夫さんの影響を受けていますけど、原点は二人と同じじゃないかと思うんです。吉本さんは生命の〝発生〟、そこから人間存在の原初的本質を解き明かそうとして「原生的疎外」という概念を提示しました。キリスト教的に言えばこれが「原罪」です。そこから人間の心的領域の構造分析、これ構造主義の「構造」じゃありませんよ。吉本さん独自の概念分析へと発展していくわけですが、『心的現象論』まで一貫して根っこにあるのは生命の発生論です。「了解論」で時間性の中での了解とか言っているんですけど、ほんとうに吉本さんが言いたいのはハイデガー的な、時間内的存在としての「了解」ではなく、〝発生〟それ自体は時間の外にあるんだということです。人間の発生、生命の発生、言葉の発生、それらは時間性をはみ出している。さっき「まれびと」と言った視線はここにつながります。
鶴山 『心的現象論』は形式的に捉えると空間・時間軸を前提とした伝達論で、ニューロン理論に似ているのでこりゃ実験した方がいいんじゃないかと思ったりしますねぇ。
萩野 そこは理系なんですよ。記号や数式を使って一所懸命説明しているんですが、説明の補助として用いるというより、何よりご本人が好きでのめり込んでやっているから。吉本さんご自身には明解でも、こちらはますますわからなくなる(笑)。
鶴山 理系と言えばそうなんだけど、どっぷり理系かと言えばそうでもない。
池上 でも『言語にとって美とは何か』だって、数学の表現論をヒントにしたんだと自分で言ってますからね。まあ初期の「詩と科学との問題」を読むと、最初から詩と科学は吉本隆明にとって切り離せないものだったんでしょう。ランボーやマルクスも科学に関連付けて論じていますし(「ラムボオ若くはカール・マルクスの方法に就ての諸註」)。しかし、ランボーの「言葉の錬金術」について、「彼にとっては詩とは言葉といふ自然現象を組合はせて新たな現象を得る科学(彼は錬金術と呼んだ)であった」と書いているのには感心しちゃった。言われてみれば錬金術も科学というか化学だものね。やっぱり理系の発想が基本にはありますよ。
鶴山 マルクスには興味があったけど現実のコミュニズムには興味がなかった。でもパブリックイメージは左翼。不思議だよね(笑)。
池上 六〇年安保闘争でブントにコミットしたのが〝左翼〟というパブリックイメージに繋がったんでしょうね。スターリニズム批判とか「新日文」批判の文章もずいぶん書いていますし。
鶴山 今読むと時代状況がわからないので理解しにくい文章が多いんですが、人の批判をすると天才的だなと思う時があります。もう本当に身も蓋もない(笑)。
池上 六〇年安保闘争の敗北と、その後に商業メディアから干されたことで、「自立の思想」の拠点として『試行』という同人誌を一九六一年に村上一郎と谷川雁と三人で始めるわけですよね。一九六四年の十一号からは吉本隆明の単独編集になります。ぼくは実は吉本隆明を読み出したのは中学三年の時に『荒地詩集1951』に出会うより前で、『試行』も一九七六年頃から読んでいたんですよ。どんな中学生だったんだという感じですけれど……。田村隆一のファンになる前のアイドルが吉本隆明で、髪型を真似して「吉本カット」と自称していた(笑)。もちろん『試行』を読んだって、『心的現象論』なんてわかるわけがないんですけれど、巻頭に掲載されていた「情況への発言」がおもしろかったんです。自分を批判してきた人を返す刀で徹底的に批判しているのが痛快だった。大半の読者が「情況への発言」を楽しみにしていたんじゃないかな。ご本人はそんなに力を入れて書いているわけではないと言っていますが、必ず巻頭に「情況への発言」を載せていたのには意味があると思います。
「文学金魚」も独立系メディアですけれど、インターネットがない時代に自力で雑誌を出し続けたのはすごいことですよね。ぼくも鶴山さんも商業メディアで仕事をした経験があるから、誰にも慮ることなく既存のメディアで発言することの困難さはよくわかると思います。その意味で「情況への発言」は「自立の思想」を象徴する連載でしたし、その時々の政治や経済や文学をとりまく状況に対して、自分の考えを『試行』の読者に表明しなくてはならないという使命感があったんじゃないでしょうか。
三浦雅士さんが聞き手の「批評と学問―西欧近代化をどうとらえるか」(『読書の方法』に収載)というインタビューを読むと、吉本隆明は、自分は学問という領域の外にある、その「非学問」の場所とは「総合性というものをいつも頭においている場所だ」、「いつでも大衆的な現象、現実の文化現象にたえず接触して、そこから脅かされたり、波を受けたりしている場所だ」と言っています。批評家としての吉本隆明の立ち位置がよくわかりますよね。
この三浦さんのインタビューはとてもすぐれていて、吉本隆明の思想の核心を引き出して語らせています。例えば、学問における「日本とヨーロッパ」という問題に関連して、「折口信夫の発生論にもっとも影響を与えているのは、ニーチェです。ところが折口信夫はニーチェという名とひとことも言わないのです。肉にしてしまっているのです」と言っています。
鶴山 「現代詩手帖」誌に書くときは、編集部がどれほど「現代詩」を重視しているのか、忖度してしまう詩人がいるでしょうね。雑誌の看板だから詩は現代詩と呼ばなきゃダメなんじゃないかとか。もちろん編集部はそんなこと、気にもしてないでしょうけど。で、折口とニーチェが繋がるんですか。よくわからない。
萩野 それは微妙なところでして、吉本さんはニーチェをよく読み込んんでいます。ニーチェのたとえば初期のマトモな論文である『悲劇の誕生』はギリシャ悲劇の発生について論じていますが、ようするに文学の発生です。これも発生論なんです。吉本さんがニーチェのディオニュソス論を読んだ時の直観的印象と、折口の発生論、たとえば『国文学の発生』やその後の「産土神」にかんする論考を読んだときのそれに、互いにひびき合うものがあったのだろうと思います。すくなくとも僕自身はそう感じています。折口の発生論にはニーチェを思わせるような何かがあるんです。
折口全集をひっくり返してもニーチェに対する言及は見つからない。だから吉本さんがそのことに気づいた嗅覚は並外れたものです。すくなくとも発生論にかんして僕は折口とニーチェに同じ匂いを感じずにおれません。折口さんは敗戦後、敗れた神に代わって「産土神」を中心とした新しい神道教を打ち立てようとしました。「産土神」とはひとに魂を植えつけ育てる神のこと。つまり発生の神です。かれは『神道の新しい方向』というエッセイでこう言っています。「日本の神々を、宗教の上に復活させて、千年以来の神の軛から解放してさし上げなければならぬ」ってね。それまでの神道というのは宗教ではないと言ってるんですよ。すごいでしょ。それはけっきょくうまくいかなかったですけど、その背後には折口さんの西洋のキリスト教をはじめとする啓示宗教への深い造詣があり、その中にはニーチェのあの「神は死んだ」思想の影が射しているんです。折口さんって「啓示」の人なんです。神々が死んだ後の世界にどうやって新しい神を打ち立てるのか。それが折口神道のこころみです。
鶴山 難しいことを言うねぇ(笑)。でも折口さんの思想は正しいと思います。存在とも言えない日本の神の正体は空白なんだ。御衾の中は空っぽ。神社の御神体も鏡で自分の姿が写るだけだったりする。神は死んでいるとも言えるしそこから不断に発生が生じているとも言える。周辺の発生・生成は見えるけど空白の正体は恐らく正確には掴めない。
僕は欧米世界は有神論から離れられないと思います。無神論は有神論の一部だと思う。確かに無神論はニーチェから本格化してポストモダン思想まで続いてゆくわけで、それにはソシュール言語学なども大きく寄与した。言語総体を恣意的な関係性総体であり中心不在と考えれば世界もまた中心がない。根底は不在ということになる。世界はインターネットのように無限に広がる情報の海であり無数の求心点はあるけど中心も根底もないリゾームの蠢きの無限連鎖だと捉えることもできる。一方で中心も根底もない世界、つまり神という中心点が崩壊すれば人間存在も崩壊するはずで世界は無秩序に陥ってもおかしくない。でも理論的にも現実社会を見てもポストモダン社会になっているのに世界は調和を保っている。なぜなのか。そこから簡単に新たな有神論に転換できると思います。
ただユーラシア大陸の宗教思想の配置は面白くて、ヨーロッパ・中東エリアは一神・有本質でインドエリアになると多神・有本質になる。中国は複雑ですが一番メジャーな儒教を例にすると無神・有本質です。儒教を代表する孔子の思想は正名論ですから。人にも物にも固有の本質があると考える。
これが日本になると禅が典型的で、ほかの仏教(葬式仏教と揶揄されますが)の信者であっても多くの日本人は無神・無本質です。つまり日本人は欧米人がポストモダンで苦労して神の解体を行った地点に最初からいる。しかも日本人の宗教思想は無神・無本質なのに世界的に見ても最も秩序を守る民族である。それはなぜかと言えば日本人の無神・無本質は欧米一神・有本質思想では決して捉えられない宗教思想だからです。それは無神・無本質的な循環的かつ調和的世界観という宗教観を持っている。それを一番代表しているのが俳句です。僕は俳句人口が減らない限り日本人は秩序を守る民族であり続けるだろうと本気で思っています。俳句は端的に循環的かつ調和的世界観を表していますから。
また欧米文化と対比して言えば、日本文化に決定的に欠けているのは構造。空白の周辺に平面的に文化が生成される土壌だから当然ですね。日本文化を構造化できなければ真に欧米文化と肩を並べたとは言えない。僕は長篇詩へのオブセッションを抱えていますが、日本語で長篇詩を書くと間違いなく二千行程度で止まる。パウンドの『詩篇』ほどの長篇詩でなくてもそれ以上書くには構造が必要です。日本の小説を代表するのは地を這うような構造のない私小説でこれはこれで世界に誇れる日本独自の形態ですが、自由詩はいつの時代でも前衛文学です。詩で日本文化を構造化することは文学全体に寄与すると思う。
こういった日本文化の特徴を的確に表現している思想家は少なくて、井筒俊彦さんはほぼ完全に解明している。吉本さんもそうです。『最後の親鸞』の「絶対他力」分析も画期的だ。二人ともヨーロッパ思想に振り回されずに日本文化を構造化した思想家です。
(金魚屋スタジオにて収録 「吉本隆明篇」第03回 了)
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