性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
三浦 言論の自由が回復されそうだという明るい兆しが出てきましたね。メタのザッカーバーグの告白といい。やっぱり2020年の大統領選ではかなりなことをやらされたと。
小原 そのようですね。
三浦 自分は情報統制に影響力を行使してしまった、ハンター・バイデンのパソコンの件を隠すなど、いろいろ民主党に言われるままに。不思議なんですよね。リベラルなんですよ、必ずそういうことするのは。
小原 そうですね。保守の方がやりそうなイメージがありますけどね。
三浦 リベラルなんだよね、キャンセルしたり、検閲したり、ロバート・ケネディを引きずり下ろしたり。
小原 国家もそうじゃないですか。検閲が厳しいのって社会主義国家だし。彼らのリベラルって社会主義的なもんで、行きつく先は共産主義でしょ。
三浦 リベラルが共産主義になっちゃうこと自体が逆説なんだよね。
だからアメリカでも共和党に勝ってもらって、イーロン・マスクにでもザッカーバーグにでも、とにかく言論の自由をプラットフォームに回復してもらって。
小原 リベラルであろうとしたのが行き過ぎて、いつの間にか異を唱えるものをブロックするという、検閲の方に行っちゃった。一周回って戻ってきたみたいな、変な感じですよね。
三浦 で、ジェンダー方面の言論ということで、ちょっとこの本の宣伝をしたいんですよね。案件でもなんでもないですけど。斉藤佳苗『LGBT問題を考える 基礎知識から海外情勢まで』鹿砦社。
小原 他人の本ですか。
三浦 他人の本です(笑)。こういう入門書的なLGBTの本、いっぱいあるじゃないですか。今までは全部、性自認肯定陣営ね。そうじゃないのが初めて出た。
著者は女医さんなんですよね。ぜひこれ、皆さんに読んでほしいと思いますね。なぜこれが希少かっていうと、海外の状況がいっぱい書いてある。トランスジェンダリズム批判なんですが、自分の意見を書くっていうよりは、海外でひどいことになってますよ、と。スウェーデンやイギリスではもう完全に揺り戻し起こってますよ、と。
ドイツだとか日本とかは、一周遅れて、今頃やろうとしている、その滑稽さっていうのかな。進んでるところはとっくにもう気がついている。草の根から政府に至るまで、ということがよくわかるんですよ。
小原 ドイツや日本はいつも周回遅れっていうのはわかるんですけど、フランスってだいたいずっと先頭にいたわけじゃないですか。特に性や自由・文化に関しては成熟していた。今、どうなってんですかね。
三浦 フランスは不思議。この本を読んでもね、フランスは抜けてないと。
小原 マクロンがおかしいですよね。テレグラムのCEОがフランスで逮捕されたじゃないですか。今さっき詳細を見たんですけど、マクロンが食事に誘って、おびき寄せて捕まえたっていうんですよね。昔からの友達なのに、ちょっと人としておかしくないですか。何を考えてるんですかね、マクロンって。
三浦 ともあれ日本では、斉藤佳苗さんのこの本と、ジェンダー批判では雑誌の『情況』2024年夏号も出てますね。あと、慶應義塾大学出版会のサイトでキャスリン・ストック『マテリアル・ガールズ――フェミニズムにとって現実はなぜ重要か』が告知されています。トランスヘイターだとして大学を追われた哲学者のGC本ですね。カナダ在住ユーチューバーのやまたつがamazon限定で出した『裸の共産主義者: 虹色の狂気の正体』も売れに売れているようだし、8月から9月にかけて「反トランス本」は大豊作です。まだまだこの系統の出版企画は控えていると聞いています。これだけ立て続けに出版されれば、『トランスジェンダーになりたい少女たち』のときみたいなヒステリックな妨害も成立しないでしょう。日本もようやく言論の多様化の兆しが見えてきました。
アメリカではもうあちこちで反LGBT法ができて、巻き戻してるんで。ところがやっぱり都市部ですよ、問題は。都市部が狂っちゃってるんで。アメリカ全体の発信力はなんといっても都市部なので。で、アメリカはもうこうなってるよ、っていう形で古い情報がいかにも新しい倫理であるかのように日本に伝わってしまう。これは困った話で。
小原 ハリウッド、まあカリフォルニアの人たちは、だいたい昔から狂ってますもんね。アメリカ人だってそれはよくわかっていて、あそこの連中は頭おかしいって思ってるわけじゃないですか。
三浦 おかしいのは本当は魅力であってね。
小原 まあね。
三浦 芸術制作の原動力っていうのはおかしさだから。ただ、それが今、ステレオタイプ化して、想像力を失ってしまっているんですよね。
小原 それを政権が後押しして、グローバリズムとして一般化しようとしてってのが頭おかしいんで、一部の地域の人が頭おかしいっていうのは別にいいわけですよ。そんなの大阪のおばちゃんがスゴいのと同じなんだから。
三浦 グローバリズムは本来ね、多様性に反する思想なわけだからさ。多様性で統一しようとするところがグローバリズムの矛盾で。多様性っていうのはさ、ローカルを見た時には消えるべきものなんだから。ローカルに見たら偏ってるわけですよね。いろんな偏りが集まって、グローバルに見たときに初めて多様であればいい。
小原 偏りを許さないって言ったら、一様になってしまうだけなんだけどなぁ。
三浦 それをリベラルの知的な連中がわからないわけはないと思うんだけれども。
小原 オバマが最初から警告していたように、バイデンが恐ろしく頭悪いからですよね。そういう場合、自分より頭の悪いナンバーツーしか許しがたい。だから今のカマラ、ぶっちゃけ。
三浦 まあ、アメリカ次第ですよ。これからの日本の出版界も。
小原 ずっと感じてきたことは、我々みたいに出版のカルチャーの中で育ってきた、それで社会性や倫理観を学んできた者にとって、昨今の例えばヘイトっていう概念は理解できない。なんでヘイトなんて概念が生まれてきたのか。だってヘイトって、別に犯罪じゃないでしょ?
もちろん名誉毀損とか侮辱罪とかいう犯罪があるのはわかるけど、そもそも出版の世界では、批判されたときに裁判でどうこうなんていうのは恥である。言論人だったら自分の言論で戦うのが筋じゃないですか。
だって裁判ってのは、一般人が回復できない被害を受けたときに法で救済するっていうものであって。実際、宗教的な価値とか思想的な言い争いとかに対しては、裁判なんか起こしても基本的には介入してもらえない。
それが、ヘイトだからいけないって、法律でもあるかのように勘違いされてないですかね。法が介入するとしても、それは一般人の仕事や生活に回復できない被害があるからであって、ヘイトだからじゃないでしょ。「あいつが嫌い」って言うのがヘイトだったら、「私もお前が嫌い」って言い返しゃいい。何がヘイトだよ、さっぱりわかんない。
三浦 だからヘイトを込みにして、コンテンツを作ってたはずなんですけどね。
創作物にも跳ね返ってきてるんですかね?
小原 フィクションであるという前提だと、大丈夫じゃないかな。フィクションでない言論に関しては、どうなんでしょうね。そもそもヘイトなんて言い出したら、何も言えないじゃないですか。
三浦 個人を対象にしたものであれば、名誉棄損とか侮辱罪とかに該当する場合はあり得る。ある集団、カテゴリーに関するものをヘイトって言うんじゃないですかね。
小原 そっか。でも不快に感じるのも文句言うのも個人ですよね。女性へのヘイトとか言ったって、わたしはたいてい、そう思わないもんね。
ヘイトとかいう非難が大手を振って通ると、若い人たちが思い込む方が問題だと思う。我々が出版のカルチャーの中で学んできた、言説の社会性を全然教育されてない。だけど発信力だけはSNSである程度持っている。そういう人たちは誹謗中傷と批判との区別がつかない。で、気に入らないこと言われると、何でもかんでもヘイトだの中傷だの言う。
出版業界が力を失っているっていうのは、経済的なもの以上に、そういう社会的な教育を担えない。その弱さが一番の問題なんじゃないかって気はしてますけどね。
三浦 昔は民間のレベルで自発的に言論統制が起こるということはなかったんですよ。時代を遡れば国家が検閲してたんですよね。トップダウンで言論統制がされてたわけですよ。だけど今、民間なんですよね。出版としては『あの子もトランスジェンダーになった』への妨害から始まって。ただ来月からの出版ラッシュが実現するなら面白い。
小原 出版を妨害するって、ゆゆしきことですよね。それはね。
三浦 一例では「化粧は悪」、社会に女性が迎合している証拠だという本が出た。
小原 それも頭、おかしいの?
三浦 一昨年に翻訳が出た『美とミソジニー』です。その中に、たまたまトランスジェンダリズム批判が書いてあった。トランスジェンダーになることもその同一線上にある、と。私自身は化粧がミソジニーだという説には賛成できないけれども。ラディカルフェミニズムのちょっと内容がアレな本ではあるわけ。
小原 だいぶ変だね。
三浦 そうだけれど、その中のトランスジェンダー批判の部分はまともで、しかしそこが問題視されて、アメリカではかなりバッシングを受けたわけですよ。その翻訳出版で翻訳本も日本でやっぱり抗議の嵐を受けて、版元はかなり難儀したらしい。
小原 どんな変な思想の本でも出版妨害はよくないね。デマを事実として拡散するような実害があれば別だけど。そもそも本なら買った人しか読まないからね、基本的に。
三浦 今は左派が結構、反トランスジェンダリズムもやってますから。さっき宣伝したこの本は取り次ぎに渡す直前まで宣伝しなかったんですよ。
小原 左派が反トランスジェンダーになってるんですか。
三浦 もともと反トランスジェンダーを唱えている市民運動の一般人たちは、ほとんどが左派ですから。私も左派だし。
小原 そうか、保守って別に動かないよね。めんどくさいから、わたしも。すると世の中は左派の分裂によって進んでゆく、と。うん、分裂を待ってるんだよ、保守は。
三浦 誤解されてるけど、つまり新聞なんかではよくヘイターたちは右翼なんだ、保守派なんだと。で、政党でいうならば、そういうのはだいたい自民党で、リベラル政党はトランス支援というイメージがありますよね。だけど市民レベルで見るならば反トランスは圧倒的に共産党員とか、旧共産党系の人ばっかりですよ。
小原 へー。そうなんだ。
三浦 でも右と左は手は組まない、そこが厄介でさ。ともあれ左系の出版社がこういうのを出してくれ始めたのは心強い。
小原 なんとなく皆、正気に返った感じなんじゃないのかな。熱が冷めたというか。
三浦 まあ、売れるからでしょうけど。やっぱり左系の出版社が本腰を入れ始めたというので、アライたちもだんだん目が覚めてくると思いますよ。
『トランスジェンダーになりたい少女たち』は産経出版が引き継いだでしょ。それで右のイメージが拭えなかったですが、鹿砦社や情況出版が乗り出してくれたことで、ようやく市民活動としての本当の姿が表に現れてきた。
小原 どうやら楽観視できそうだ、という。
三浦 かなり明るい見通しを持っています。理解増進法が良かったのかなっていう気がするんですね。理解増進のためには、いろんな方面からの声を聞かなきゃいけないということが浸透してきたんじゃないかなと。あの法律ができるときは私も大反対だったけど。いわゆる「理解」というのが当事者への寄り添いという意味じゃなくて、客観的な事実の理解の意味だってことが、法律の文言からも読み取れるものになったし、結果的には出来てよかった法律ですね。
小原 人の関わることは、結局は常識的なところに落ち着くんですよね。つまんないけど、そう思ってるのがすなわち保守だから。
三浦 『トランスジェンダーになりたい少女たち』の出版のときの焚書騒動も、うがった見方をすればね、角川の戦略というかね。現場が、出版停止によって逆説的に世に訴えたというか。
小原 そんなに頭いいの? とても信じられないんだけど(笑)。
三浦 いや、フィクションで(笑)。社内でいろいろ言われたときに現場がふてくされて、放り出そうとするじゃない。社内の圧力に抵抗して出すってこともできたとは思うんだよね。
小原 角川じゃ無理だよ。
三浦 だから他の出版社が出してくれることを期待して、放り出すことによって世間に、こんなにひどいことになってるんだぞって警告する身振りだったんじゃないか、と。
小原 まあ、神の意志としてそうだったかな。
三浦 だって普通はあれ、頑張れるよ。普通は出せます。出さないことでアピールするっていう。よその国では出てるんだからさ、日本でだけ翻訳が出ないなんてことになったら、世間が騒いで逆効果だということぐらいわかるよね。あえて出版放棄したっていうのは、そういう意図を持った人が一人か二人、やっぱりいたと思うね。だって、やはり出したいと思った人たちはいたわけじゃない。これ出さなきゃ、って思った人たちはいるわけですよ。
小原 海外での売れ行きを見て、見込みが立つと思ったんでしょ。思想はどうでも、売上がさ。だって角川だよ。だから簡単に放り出せるんじゃないの。
三浦 性自認至上主義で、子供たちが被害を受けているという風潮には非常に危機感を持っていた人たちなわけですよね。
小原 そういうテキストを読めば、そのときはそんな気がするでしょうね。普通の人も、編集者も、上司に叱られるとすぐに気が変わるけど。
三浦 じゃあ放棄しますよ、と。世間にどう思われても知りませんからね。と。それはうまくいった。だから角川はある意味、功労者かな。
小原 角川がどんな会社か、ってことはアピールできたかもね。皆知ってるけど。
三浦 だから私は、これからの流れに非常に期待してるんだけどね。最高裁のあの馬鹿げた判決がいつまた覆るか。最高裁が反省して判決を出し直す、あるいは特例法そのものが廃止される。そういうところを私は望んでますけどね。
小原 お上のすることに間違いはないんですよ、どうせ。無謬なの。あれ、何だったんだろうね、っていうふうにはなるんじゃないですかね。しばらく経ったら。
三浦 長いスパンで見れば、これからテクノロジーや医療の発達で、男女の区別自体がそれほど必要ではなくなってくるでしょう。男女っていうのは本当に趣味のレベルになって、自分は男になりたいか女になりたいか、その男女のステレオタイプだけ残るんですよ。ただ、そうなっちゃうと面白くないんだよね。
小原 それが悩みの種だって人たちがこんなにいるんだったら、なくしたらいい。他に面白いことはいくらでもあるし。
三浦 今に比べて単純になっちゃうじゃないですか。トランスジェンダリズムっていうのは、自認と性別が一致すべきだっていう、多様性をなくそうという運動なんで、ある意味ね。
小原 天使とか仏像とか、中性的な魅力だって言われますね。それはそれでいいんじゃないですか。
三浦 中性っていうステレオタイプができるだけで。非常につまらない社会を志向しているってこと。
小原 つまらないかどうかは、なってみないと。今だって、性別から得られる面白味なんて限られていると思いますよ。恋愛幻想が抜けない若い頃だけじゃないですか。
三浦さんって、ずっと共学で来られました?
三浦 そうですね。共学ですね。
小原 わたしは女子校にいたんで、まあ、女の子ばっかりなわけですよ。そこにボーイッシュな女の子っていうのがやっぱりいる。大人たちはね、そういう時期はあるもんだ、と言う。女の子に男の子にも、ちょっと自分の性別アイデンティティをフラフラさせるときがある。タイプにもよるんだけど、男になりたいとまで思わなくても、女であることをまだ素直に受け入れきれないような人がいる、そういう年齢ってあるもんだって言う。
でね、男子校における女の子っぽい男の子がどうなのか、よくわかんないんだけど、男の子っぽい感じの女の子がどうなるかっていうのは、あんまり知られてない。それこそ趣味の領域だったり、一時期のことだって言われて、片付けられている気がするんですね。
昔、「ひまわり」という雑誌文化があって、それに対して小林秀雄が異常な嫌悪を示した。ということは、そこにある種の本質があるのかもしれないとも思いますね。
三浦 まあ一時期というかね、「女性っていうのはこういうもんなんだ」っていう堅固な思い込みがないと、中性っぽいとか、男っぽいとかいう概念も生まれようがないですよね。だから感情的に、というか感覚的・感性的に女の子らしくないとか、そのような印象に染まる、自分のことをそう思うとかっていうのは自由なんだけど、そのステレオタイプを正式に認可するような風潮が良くないという建前がある。自分は男の子みたいだとか男っぽいとか中性的だとか、女の子っぽくないとか、ローカルルールではいいけれども、正式な自意識として公にする、他者からも承認を受けるとか、ましてや医療的にそれを承認されるとかはね、建前もそうだし、実際にもあってはいけないと思うね。
小原 社会的にはそうですね。だからこそ社会化される前の女の子たちの話なわけです。ステレオタイプに反発するって段階にすら達してない、映画「櫻の園」みたいな空間の話です。それはあまり言語化されていない。
三浦 うーん。ちょうどそれは不細工とか美人とかね。イケメンとかっていうのと同じだと思うんだよ。つまり自分でそう思うのは自由だし、他人がそう思うのも自由。そう言い合うのも自由だけど、こういう人たちはブサイクですとか、こういう人たちはイケメンですとか美人ですとかって、正式に認可する必要ないじゃないですか。建前上はそんな区別はないわけで。
小原 ない。
三浦 だから自分で悩んで整形手術を受けに行くのはいいですよ。だけど、この人はブサイクですから法的に美醜カテゴリーを変えるのを認めましょうとか、女の子っぽい可愛さがないので希望通り男にしてあげようとか、特別なカテゴリーの一員とするなんてことを社会レベルで、ましてや法律レベルで認めるのは弊害でしかないわけでね。
小原 え。ブスだから性別変えたいの? むしろボーイッシュな人って美形が多い気がするけど。
三浦 トンボイとかっていうやつだよね、英語で。日本語ではそういう偏見がもともとないから、そういう言葉もないのかな。
小原 ボクっ娘、っていうのかな。偏見どころか、可愛いって感じじゃないですか。鈴木蘭々の若い頃とか。
三浦 ブサイクの人権を守れ、とかやんないじゃないですか。
小原 うーん。でも、そう言ってる人たちはいる。減税してくれとか(笑)。佐々木希で「美人税」ってショートドラマがあったそうで。
そもそも美人とかブスとかって、「税」という概念が出てくることからしても、社会化された価値観ですよね。だから女子校内では、そんなには気にされない。わたしんとこは勉強できるかどうかの方が、よほど決定的・差別的だった。
それに対して、女子校内に生息するボーイッシュ・ガールは、社会化される以前の存在だと思う。「ブスだから男になりたい」なんて志の低いボーイッシュ・ガールは見たことないよ。そもそもブスは美人になりたいのであって、別に男になりたいわけじゃない。そんなもん、ブサイクな男ができるだけじゃんか。
それでね、今の若い人たちにとって、ルッキズムはずいぶんウェイトが大きい。それが特に女の子の生産性を下げている面があってびっくりする。これはいけないよね。昔はそんなの、ただの冗談だったのに。
三浦 感性の面では、誰を美しいと見たり、誰を美しくないと見たりっていうのは結構、万人共通なところがあって、確かに人生を左右する大問題ではあるんだけど。一応正式にはそういうものはないものとするのが道徳。
小原 もちろん。だからミスコンとかやっちゃいけないんだね。
三浦 あれはあれでいいと思うよ。自己申告だし。全員を対象にやってるわけでもないんだから。参加したい人だけが参加する。
小原 だから最近、レベル低いのか。昔は他薦が主だった気がするんだけど。
三浦 だからそうじゃなくて、客観的な美醜のカテゴリーがあるかのように振る舞わない。トランスジェンダーにノンコンフォーミングっていう概念があるんですよ。性自認とは別に、男らしさ、女らしさの典型に当てはまらない人たちを指す言葉。そんな概念が英語にはあるわけだけど、そんなカテゴリを正式に認めるなんてことは一切やめるべき。やめろと言われるまでもなく、そういう人たちの人権だのなんだの考える必要はないと思いますけどね。
で、女子校では、男の子っぽい女の子っていうのは居心地の悪い思いをするということですか?
小原 逆です。女子校にいる間は人気者なんですよ、結構。だけど卒業してから、なんか居場所がない感じ。
三浦 じゃあ、男性社会では地位が下がってしまうということかな。
小原 男性社会っていうんじゃなくて、とにかく社会に出ると、ってことです。女子校じゃない環境だと、なんか座りが悪いというか。
三浦 じゃあ女子校にいたときに、地位が高すぎたってことかな。
小原 地位とかってヒエラルキー的な、社会的なものじゃなくてさ。その発想がそもそも男のものだよね。
女子校って性差がないから、さっきの話で言うと、一様でつまらないはずですよね。ところがその環境では、女の子の中での様々な個性が肥大化される。社会に放り込まれると男か女か、あるいは美人かブスか、みたいな雑なカテゴリー分けをされて、その中で紛れてしまう個性が、女の子だけの環境では多様に目に入る。だからね、女子校教育って無駄じゃないと思うんですよ。
『源氏物語』は男女の話だと思われてますけど、男で重要なのは光源氏と、まぁ薫ぐらい。とすると、大半が姫たちの個性の百花繚乱の物語ですよ。あれはほぼ女たちだけの世界なんです。でも単調でも一様でもないでしょ。
ただ、女子校でも高校の高学年になってくると、校外で男の子のグループと接触する機会が出てくる。すると「あ、この同級生はずいぶん男のことを気にして生きてんだな」と気づいてびっくりすることがある。こんなボーイッシュな、サバサバ系の女の子だと思ってたのに、男の子たちの前では、そういう人に限ってクネクネしてたりして。なんか見損なっちゃったわ、みたいな。
三浦 まあ、そういうのは、だから社会学者か何かが調査してくれるといいよね。漠然とそういうカテゴリーに当てはまる人がどういう人生を歩むか、例えば自殺率とか、寿命とか、そういったいろんな調査の仕方ができるはずなんだよ。
小原 うーん。そういうことでもないんですよね。なんか大げさすぎるというか、その調査の項目設定そのものが、すでにわかってない。指の隙間から本質が漏れていってしまうような調査になるというか。
強いて言えば「ひまわり」研究の本田和子さんの視点が的を射ているかな、さすがに。
一般的に女子校の中では、男の価値観とか男に関する概念とかは、わたしの母校は特にそうなんだけど、入ってこないわけですよ。
外からは一様でつまらなく見える女子校の中には、普通の意味でめちゃくちゃ可愛い子もいるし、ボーイッシュでかっこいい感じの人もいるし。それぞれ個性として認められていて、卒業してからだけど、このボーイッシュでかっこいい、後輩から慕われていた感じの人たちが、なんか収まりどころがない。だからといって自殺するとか、フェミニズムに走るとか、そういうんでもないんですよね。なんとなく当然のように独身で、かといってバリキャリでございます、ってのでもなくて。それが悪いとも思えない。収まりどころがないところが、やっぱり素敵というべきかも。
三浦 結構ね、例えば身長と社会的地位の相関関係とか、ルックスと社会的地位の関係とかって調べられてるんですよね。
小原 それはあるかもね。
三浦 男の場合には圧倒的に身長が高い方が出世しやすいとか。そのステレオタイプに合致している人とそうでない人ではどうなのかと。
小原 調査のゴールがいずれも「社会的地位」になってるでしょ。その縦軸だか横軸だかに何を持ってくるか、っていうのがまず調査者の価値観を反映してるんですよね。男についてはそれでいいかもしれないけどさ。
美人は生涯収入が一億円高い、とかいうけど、そもそも結婚しないで生涯働く真性のボーイッシュ・ガールはたくさん稼ぐに決まってる。で、ルッキズムの軸で言えば、ボーイッシュ・ガールは決してブスではない。むしろ美形が多い。この二つの軸を、調査者に都合よく混同させずにきちんと設定できますかね。人文系でそんなすごい研究者がいたら、お目にかかりたいものです。
三浦 女性の場合、評価軸は男性より本当に複雑で、例えば背が高いことが不利になるのか、有利になるのか。
小原 価値観って考え方次第なんですよね。モデルやCAになるには背が低いとまずい。ルッキズムに関しては、ほぼ本人の思い込みですね。
三浦 実質とイメージが剥離しているのも問題だと思うね。ルッキズムは女性の方に負担を強いているイメージだと思うんですよ。男性は別に、イケメンだろうが不細工だろうがさほど有利・不利はなくて、女性には有利・不利があると。男の目は、女の美醜を極めて重要視するという思い込みがあると思うね。実は逆だと思う。
小原 そうか(笑)。
三浦 社会的地位に影響するのは、男が被るルッキズムが圧倒的に強いんですよ。アメリカの調査では写真をバーっと見せて、地位の高そうな男とそうじゃない男の区別をつけろっていう。大体当たるんですよ。初めて見る写真ですよ。顔を見ただけで当たるんですよね。女の場合にはそれがないみたいなんです。そもそも地位の高さで女性の価値は測られないということなのかもしれないけれど、ただルッキズムはね、男が対象となる方が明らかに多いんです。
小原 社会的影響ってことなら、もともと社会的影響が大きいのは男だから、男の方があるに決まってるって、そこはトートロジーじゃないですか?
三浦 恋愛関係も同じことが言えるんですよ。ストライクゾーンは男の方が広いって言われるじゃないですか。男っていうのはね、変態というかフェチが多いわけ。
小原 (あんたはね…。 ― 心の声)
三浦 じゃあ男は皆、美人が好きですか? っていうとね。そんなことないんですよ。これは女性の思い込みで、整形手術したいと思う女性も多いと思うんだけど、女性の中でマウント取ろうとしたら正解かもしれないけど、女性はルッキストが多いから。ところがね、男性に気に入られたいという目的なら、間違ってるんですよ。
小原 それは絶対そうだと思う。マウントっていうか、そもそも美人を好きなのはね、女性なんですよ。
三浦 私も女子大でガールズトークを浴びるほど聞いてるから知ってるんだけど、ブスは大っ嫌いとか言ってる。で、男は実は、美人が好きとは限らないですから。
小原 そうかもしれないね。
三浦 美人って、目の保養ぐらいに考えて彼女にするんだったら、こういうのがいいっていうのはあるかもしれない。でもフェチがもう満載だから、男の中で。私なんかも結構、ありますからね。例えば、歯ぐきが出れば出るほど好きなんですよ。
小原 沢口靖子みたいな感じ?
三浦 あれはまだ。もっともっと、あの三倍ぐらい出ないと。
小原 あなたみたいな極端な変態の話を聞いてもさ、参考にも慰めにもならないと思うよ(笑)。
三浦 でもね、男はそういうのはいるんだって。胸もね、もう真っ平らがいいとかね。もう、いっぱいいますから。
小原 女性はそういう男に出会って見初められたいなんて思ってないと思うよ。変態は変態だよ。
三浦 うん。つまりね、女性は実は、ルッキズムの犠牲になんかなってない。女性は自分がルッキストだから、それを投影して、男がそう思っているに違いないと思ってるんですよ。
小原 それはそう。だからさっきの本でも、化粧もそうなんだよ。男のために化粧しているわけじゃなくて、自分がしたいだけ。
三浦 女性の中でマウント取りたいんでしょ。
小原 それはちょっと違うんだけど。有吉佐和子が小説の中で、武装してるんだ、と。戦闘意欲を湧かせるために化粧をして、いい服を着るっていうのは社会へ出ていくときの戦闘服なんだって。その通りだと思いますよ。女に対してでも、男に対してでもなくて、世界と対峙するときの自己像を作っているんですよ。
三浦 そうそう。
で、私も女子大にいて痛感したのはね、男が知らない女性の恐ろしい部分というか、男はこれを知ったら震え上がると思うんだけど。女の子たちは、友達の彼氏がどういう人かっていうのにやっぱり興味があるわけ。
小原 うーん。そうかなあ。
三浦 男はそれ、ないんだけどね。友達の彼女がどういう女かなんて、いっさい興味ないんだけど。
小原 わたしもないよ。
三浦 女の子たちは、グループの中の友達に彼氏ができたら、その彼氏がどういう男かって、一番の評価ポイントはイケメンかどうか。
小原 そうなの?
三浦 これ意外でしたよ。
小原 わたしも意外。
三浦 私がいた女子大は決して特殊ではない。たぶんね、全国の典型例が集まっていると思う。びっくりしたね。世の男ども、これ知らないよなぁと。
小原 わたしも知らなかった、そんなの。
三浦 ガールズトークやんないもんね。
小原 やんない。うちの同級生たち、ひどくてさ。宴会でいきなり飲めや歌えの大騒ぎでさ、帰る間際に玄関先で「あ、そういえば私、結婚するから」とか言って出て行くんだわ。聞いた方も「あいつと結婚するなんてチャレンジャーだな」って言って終わり。
三浦 だからちょっと風土が違うんだって。それ、特別なんで。
小原 風土の違いでそんなに違うなら、男がどうとか女がどうとか、言えないんじゃないの。ようするにヒマな人たちか、忙しい人たちか、って違いなんじゃないの。
三浦 うーん、私が見聞きしたガールズトークはたぶん、世の典型だと思うんだけど。ただ、それは彼氏の場合ね。結婚相手となると、実は社会的地位とか経済力とかの方がまあ重要になるんだけどね。
小原 うーん。全然、意味わかんないな。結婚相手と彼氏をきっぱり分けて考えて付き合うって、そもそも無駄だし。女子大だから、彼氏っていってもボーイフレンド、友達というか、ようは手駒なんじゃないのかな。一緒に勉強もしてないから外見ぐらいしか知らないわけだし。共学の大学では、彼氏のなんのと言わなくても男の子の友達なんかたくさんできる。友達付き合いして、気が合った人と結婚すればいいだけ。
とにかくまあ、誰もが自分の半径五メートルぐらいで見聞きしたことを典型と思い込むのがカルチャーってもんですよ。
三浦 そうかな? ただ女性はどこまでもルッキストですよ。
自分がブサイクであるのと、虚弱な身体であるのと、どっちかにならなきゃいけないとしたらどっちを選ぶか質問したのね、話の流れで。そしたら複数の女子が一致して絶対にブサイクは嫌だ、と。ところが自分の子供がどっちかになるとしたら、それはブサイクの方がいい、虚弱は困る、というダブルスタンダードを言ってましたね。
小原 自分が大変だからね、子供が病気すると。
三浦 自分本位で考えているのか。
小原 そうですよ。それでも美人薄命って言われたいぐらいナルシストというか、ルッキストであることは確かですね。
幼児は男女問わずルッキストですが、女の子は特にお人形さん遊びを経て、それ以降も可愛い子が好き。自分がそうなら嬉しいなあ、ってぐらい。
三浦 それだったらやっぱり子種をもらうにはイケメンの方がいいってことになるね。子供も美形になるでしょう。
小原 結果的には何十年も経ったらそうかもしれないけど、子種とかいう発想はないんじゃないかな。それだと可愛い女の子が大好き、という理由もないし。まずやっぱり自分のことしか考えてない。
三浦 じゃあ、やっぱり自分の投影か。友達の彼氏に対しても。
小原 友達の配偶者が優しい人かどうかは気にしたことがある。友達がしんどそうにしてたら、いったいどんな男だよ、って思うでしょ。友達の彼氏がイケメンかどうかしか気にならないって、まずその女の子たち同士は本当に友達なの?
ただ若い人の間で、ルッキズムが高まっていることは確かだね。やっぱり画像の時代でしょ。画像修正してインスタにあげるとか日常的にしてると、意識がプチ芸能人に近づくし。
三浦 やはり、それは女性限定の現象でしょうね。男性は自分の画像を修正したりしないし、インスタに自撮り写真を上げるとしても、自分のルックスに関して無頓着なのは多いよね。かなりのイケメンであっても、ゲイ以外は。男性同性愛者は非常に気にするんだけど。どうでもいいっていうのは男が大半ですね。
小原 でもやっぱりよく写ってると嬉しいと思ったり、大事にしたりってことはあるでしょ。ただ気に入らない写真でも執着しない、っていう態度を自分で肯定する、無頓着さを快く感じる、そのように刷り込まれていることはあるでしょう。それはすなわち、自分は男だから、外見のことで傷ついたりしないんだ、という既得権益の確認でもあると思うんです。逆に言えば、こんなにも女の子たちは傷ついているんだ、という情報の共有が、今の時代はある。これだといわゆるルッキズムがタブーになっても仕方ないのかな、と。
三浦 小説とかトークのテーマで取り上げるのは、別に大丈夫でしょう。それに対して、性的マイノリティを揶揄するようなトークは地上波でできなかったりするかもしれないけど。
小原 性的マイノリティなら権利が守られるのに、という不満があるみたい。でも権利もなんも定義できないもんね、美醜なんて。吉永小百合と佐々木希は紛れもなく美人だけどさ、それ以外の線引きが難しい。
三浦 なのに、男がそういうのを決めつけるって言うんだよね。
小原 露骨に態度を変えたとか、当てこすりを言われたとか。それはある種のいじめなんですよね。美人にデレデレするのは勝手だけど、なぜ不美人をターゲットにするのか、と。
三浦 うーん。男同士で、「おまえの彼女、あれカボチャじゃないか」とかは、しょっちゅう言う。だけど、それは本心じゃないんだよ。友達の彼女に関心があるんじゃなくて、友達の好みをからかってるだけ。男をからかってんで、女性をからかっているつもりはないってことです。男同士のからかいであってね。
小原 なかなか苦しいですね(笑)。まあ、でもそうなんでしょう。
すれ違いざまにひどいことを言うとか、八〇年代にも流行ったそうで。そのときは確かにジョークという文脈だったらしい。「ほんとのブスには言ってないってばー」という魂の自己弁護を昨夜、家人から聞きました(笑)。
三浦 それあるわ。だからそれやるのはね、男二人組とかの場合に限ると思うよ。男同士のね、コミュニケーションに使ってるんだよ。ああいうのは、ちょっとダメだなとかね。
小原 ここでも魂の自己弁護が(笑)。
でも当の女性に聞こえるように言うわけでしょ、「あれは僕、ダメ」とか。何様なんだって話ですよね。女の子もさ、傷ついてないで、言い返せばいい。だって女の方が本来、筋金入りのルッキストなんだから。
で、言い返したってツワモノがいて、そうすると男の子たちは意外にショックを受ける。つまり男はルッキストではないわけではなくて、自分は無条件にその縛りから解き放たれていると思い込みたいだけなんだと思う。
三浦 それがいけないのはね、道徳的というよりは女性が勘違いする、本当に嫌われるタイプの女性なんだと思い込む可能性がある。で、そのルックスを直さなきゃとかって、もったいないことに整形しちゃったりとかね。
小原 整形までするということは、他に何かやるべきことがあるのに、自信喪失して身が入らなくなっている部分が結構、あるんじゃないか。それは本人にとっても、社会にとっても大きな損失ではないか。
三浦 女性はあまり男性に対してルックスのことを言わなくても、男性が女性に対して言うことはよくありますね。心と言葉は違うと思うよ。女性の方が、男性に対して、ルックスのことを思っている度合いは大きいと思うけど。男性は心底からこういう容貌の女性は劣ってるんだとか、もてないんだとかは思ってない。こういうのが好きな男いるよな、って思ってるんだよ。
小原 魂の自己弁護、第二弾(笑)。笑っちゃ悪いんだけどさ。
三浦 こういうのがたまらない男いるよな、みたいな、そういう感じで言ってるわけよ。
小原 はいはい。
それでね、沖縄の男はすれ違いざまに女性にブスとか言ったり絶対しないんだって。なぜ沖縄の男はしないんだろうと考えて、ストレスがないんじゃないか、と。ストレス解消で女性をすれ違いざまに罵るんじゃないかって。
前もちょっと言ったけど、「ぶつかりおじさん」っているんですよ。通りすがりに女性にぶつかる。なんでそんなことするのかって、やっぱり会社で何か鬱屈を抱えているとか、ストレスがある人がそんなことする。
三浦 うーん。
小原 家庭円満、順調に出世、仕事が面白くてたまらない、って人がそんなことする理由がない。男がストレスの捌け口として、女性に物理的にぶつかっていったり、地味で気弱そうな女性を言葉で傷つけたりすることで溜飲を下げる。そういうストレス解消っていうのがある。
三浦 ただね、男にとってのブスとか不細工っていうのはある意味、美的範疇なんですよ。エステティックなカテゴリーで、崇高とか滑稽とか優美とか、そういういろんな美的性質があるじゃないですか。ブサイクってね、そういうものの一種なんですよ。
小原 (爆笑)。
三浦 いや、あのね、AVの世界とか見るとわかりますよ。ブサイクとかってタイトルを唱っているのがある。
小原 カテゴリーがあるわけね。
三浦 ブサイクだけ揃えました、それが売りになっている。そういうのがもうたまらない男たちがいるわけ。これはね、ある意味、美的範疇なんですよ。グロテスクっていうのは、ゾンビ映画などの美じゃないですか。ホラー映画とかね、グロテスクっていう意味も含めて。グロテスクとはまたちょっと違うんだけど、ブサイクっていうのはね、一種の美しさなんですよ。
小原 そう言われても、若い彼女たちには慰めにならないというか。だって美人が好きなのは彼女たち自身なんだからさ、そういう趣味の男がいるって言ってもね。
三浦 そこはね、女性の美意識が画一的であるのが悪い。男の美意識っていうのはそう画一的じゃないんですよ。男の美意識は結構、多様性に向かっていて。いろんな美を見出しているわけ。これはね、女性には本当に信じてほしいんだよね。
小原 三浦さん、苦しい(笑)。
三浦 いや、苦しくないんだよ。これね、美人を見ればそれなりに気持ちいいわけ。ところがね、ブサイクを見てもね、気持ちいいんですよ、男って。それぞれ見てね、見どころを見てんのよ。男は。
小原 それは信じますよ。『源氏物語』でも源氏はさ、いろんな女性の見どころを見てるの。それは。
わたしは自分の著書で書いたけど、源氏が末摘花をわりと大事にした理由、これまで誰もちゃんと説明してこなかった。気まぐれじゃないのよ、理由がある。
三浦 それよ、それ。
これね、たぶんね、女性はわかんないと思うよ。女性はブサイクな男をじっと見ていたいなんて思わないと思う。だけど男はね、すれ違いざまにブスって言うっていうのは、惹かれたんだよ。小中学生でも女の子に石投げるのは、それにブースとかっていうのは一種のね、告白なんですよ。求愛なの。
小原 わかんないことないよ。『源氏物語』を書いたのは女性なんだしさ。そもそも女が何をわかって何をわからないかなんて、男にわかるはずないでしょ、その論理でいくなら。先生、究極のトートロジカル・パラドクスだよ。
それに男がどんなつもりで言ってるのか、それがナンパなのか侮辱なのか、それだってすぐわかりますよ。わかんなかったら目的を達成できないじゃない。ナンパのときはね、ずっとこっちの顔を見てるから。目つきと言葉が裏腹だし。
まあ、ブス、ってナンパされたことはないけど、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしてるとき、隣りにいた小太りの男の子がニヤニヤしながら「ババア」って。「あんたさ、わたしのこと、いくつだと思ってるの」って訊きたかった。だって渋谷で、マジのババアだよ。四〇代後半ぐらいだったから。その子は年増趣味なんだと思うけど、わたしの歳がよくわかんなかったんだね。
三浦 なんか似合わない化粧とかアクセサリーとかも、ちょっと男にとってはかわいいなと思うことあるんだよね。そういう不調和っていうのがね。だから男と女の価値観というか美意識が違うっていうのがあるので。
小原 ただ他人の価値観では癒されないんですよ、どっちみち。自分の容姿を自分で好きだと思えることが大事で、その自己肯定感で生産性が高まるわけだから。
それに異性に対する美意識が結構、多様だというのは女性も同じですよ。だから旧ジャニーズはいろんな男の子を取りそろえたんでしょう。もちろんジャニーさんの趣味の多様性もあったでしょうが。
大学の理工学部で、男の子は約千人いたんだけど、四十人の女子学生で人気投票して、秋田出身のM君ってのがナンバーワンになった。スキー部のキャプテンで、ジュリー、沢田研二の若い頃みたいなルックスで。今思うと、まあ、かっこいいんだけど。で、彼が数理工学科に来て、もう一人の幼稚舎あがりの、これもちょっと芸能人ふうのHさんって人と二人で、わたしの相手をわりとよくしてくれた。どっちも遊び人で女の子慣れしてたし、数理では女の子はわたし一人だったからね。
そしたら他の学科に行った女の子たちが「まきちゃんずるーい」って。「Mくんに投票してなかったくせに」とか。わたしの趣味は変わってて、教養で同じクラスだった、細くてちっちゃい妖精みたいな、それでいて雀荘に入り浸ってる香川出身の男の子にギャップ萌えしててさ。
で、ずるいもなんも、数理は試験一発だからマジ大変。別の男の子のアパートで、一緒に朝まで一夜漬けの勉強したなあ。Mくんにしたら、自分のこと眼中にない女なんか初めて見たのかもしれんが、こっちはそれどころじゃないわけ。まあ男女を問わず、状況と個人の趣味嗜好はさまざまなんですね。
三浦 だけど価値が一元化してるから「ずるい」という言葉がは出てくるわけで。男はそういう一元化はないと思うよ。「あっ、おまえなんかが彼女と仲良くしてずるい」とか絶対ないと思うな。
小原 口に出さないだけで、男の方が女より万事、嫉妬深いと思うよ。「まきちゃんずるーい」とか、かわいいじゃん。人気投票はイベントなんだから、そうでなくちゃ(笑)。
理工学部の四十人の女の子たちについては、いわゆる女同士のなんたらでイヤな思いをしたことは一度もない。ただ同じ慶應でも他学部、特に文学部の女の子には辟易しまくりだった。ようするに人によるし、カルチャーによる。
三浦 これははっきりした調査の結果出てるんだけど、男の場合はルックスがいい男とそうじゃない男っていうのは、異性の経験人数が違う。ルックスのいい男の方が明らかに多いんですよ。女性の場合には、ルックスのいい女性とルックスが悪いと判断される女性との間で男性経験の差はない。
だから評判のいい男に女性が集中するっていう。その生活スタイルや生活の充実度は、ルックスを見れば、男の場合にはわかる。で、女性の場合にはわからないんですよ。どのくらい男性経験があるのか。美人だから恋愛経験が多い、というのは成り立たないんですね。
小原 それはそうですね。別に調査しなくても。
三浦 だから女性がルッキストになるのは当たり前の話で。つまり男性のルックスで判断する。
小原 なるほど。
三浦 いい種をくれそうな男性を見分ける。
小原 でも女性同士でなんでルッキズムなんだろう。きれいな人、個性的で魅力がある人はたくさんいるけど、天にも届くような、と表現するとなると、生殖とかとは関係なさそう。
女子校に中学1年で入学してすぐ、教科書をもらうのに半地下の廊下に並んでましてね。隣りの教室の前の薄暗い中に、ふっと後光が射してるみたいな小柄な子がいて。あれは天使か妖精か、と思ったのをよく覚えてます。二度と見られない幻かと。
高校生になってから、彼女とは一度、グループ学習で一緒になった。当時、西城秀樹のファンだったみたいで、課題放り出してその話ばっかりしてるんだよね。他の同級生なら「あんたバカじゃないの」とか言うところだけど、わたしったらひたすら彼女に見とれて、うん、うん、って。こんな娘に出待ちされて、手も出さないなんて西城秀樹って頭おかしいよね(笑)。高校卒業後は上智でミス・ソフィアになったとか。竹内結子がクリームチーズのCMで天使の恰好してたけど、それとよく似て、もう少しふわっとさせた雰囲気の人でした。昔のことなので、今は会いたいけど、会うのが怖い感じ。で、芸術作品に例えるなら、天上に向かう美としか言えない。中性的でもあることは別としても、そのような美が人を対象とするときだけ生殖と結びつけるのは無理がある気がします。リビドーをよほど抽象化しないと、それへの視線は説明できないのではないか。
三浦 だから、それは進化心理学でいう多面発現ですよ。
小原 なんと名前を付けようと、それは勝手ですけどね。
前にも言いましたが、その進化心理学とかいうものは信用できませんね。まあ、三浦さんのお話を聞くかぎりですが、時間軸の扱いがおかしすぎて。
そもそも進化論は数万年という、あまりに長い時間軸を対象とするので、通常は単なる仮説の積み重ねになる。証明するには、まさにその遺伝子を特定するか、何世代にもわたる観察研究が必要でしょう。それをしない結果、文学的な〈物語〉、おもしろ仮説の宝庫になります。三浦さんのお話では、それを本当らしく裏付けるのに、簡単な実験心理学を持ち出している。以前にお聞きしたラットの実験も、ごく短期間で完了するものですよね。それと数万年にわたる進化論的な〈物語〉を組み合わせている。このように極端な時間軸の差は、問題の審級の違いを生みます。「アキレスと亀」のアカデミック版です。
そもそも科学実験とは基本的に定量的なもので、同じパーセンテージであるなど、有意性のある数値の比較ができなければ評価できません。何万年にもわたる事象と、今見たラットの行動とで、どうやって比較できる数値設定をするのか。なんとなく連想できる行動が認められるでしょ、というなら単なる〈物語〉の仕掛けです。
また進化論を定量的に証明しようとすると、歴史的時間の経過と突然変異のスピードとの間に数値的な齟齬があり、進化論そのものを大前提とすることにも議論の余地があるという研究があります。
いずれにしても審級の混乱、前提条件の違いを利用して、恣意的な結論を導くトリックがあれば、それはエセ科学の常套手段です。
三浦 進化心理学を詳しく勉強してからの方がいいんじゃないですか。
小原 真っ平ですよ。どんなものにも勉強する価値があるわけじゃない。ムック本を読む暇があったら、大学一年生の教科書をやるべきですよね。三浦さんの引用が正確ならですが、脊髄反射でインチキが透けて見えたものに時間を費やすことはできません。
科学的ロジックとは、すなわち論理構造です。ヘリクツを紐で繋いで悦に入っても、それは科学ではない。だから「科学」と僭称しなければ、まあ、いいと思うんですよ。
典型的なのは柄谷行人で、「例えば~」、「例えば~」と比喩で論旨を傍流にずらし、それきり本流に戻ってこない。論理の脱臼です。これで論理はぐるっと歪みながら、恣意的な結論に至るわけです。華やかなだけの目くらましで、くだらないけど素人は心酔する。心酔するのもエンタメの一種だから、好きにすればいい。
しかし「科学」となると実害が出る可能性があり、少なくとも正しい科学教育の支障になる。わたしについてはおかげさまで、「進化心理学」というワードを聞いただけで、あからさまな審級の混乱に目がチカチカして、素人を騙す悪意、低劣なこじつけを連想して吐き気を催します。
三浦 では、ここでは言論統制ということですね。
小原 その通りです。わたしの体調に重篤な被害がおよぶので、とり急ぎ禁句です(笑)。
(了)
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*『トーク@セクシュアリティ』は毎月09日にアップされます。
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