「津久井やまゆり園」事件はなぜ起こったのか。それは偏執狂的人間の常軌を逸した犯行なのか。そうではあるまい。そこには「全人類が心の隅に隠した想い」、決して表立って語られることのない〝思想〟が隠されている。
金魚屋新人賞選考委員辻原登が、「その真の価値は作家の〝肉体的思想〟が表現されていることにある」と絶賛した現実の事件を超えた思想的事件を巡る衝撃的評論!
by 金魚屋編集部
五.アブラハム=キルケゴール(後編)
こうしてアブラハムは、いや私は刃を振り上げる。えもいわれぬ痛苦とともに。「話せないことによって、自分の存在を開示する」ために。愛が自らを証しするために。
かたや、子はどうか。「創世記」では、息子イサクはことの次第を知らない。アブラハムは沈黙を守ったからである。ただひと言「生贄の羊はどこですか?」というイサクの問いに対して、「神が供えて下さるだろう。」と、これ以上ありえないほど絶妙な応答を除いて。イサクも黙って応える。縛られ、燔祭のための薪の上に載せられようとする。いよいよというその「瞬間」、ついに稜線を踏み出し、頂点から一方へと転んだアブラハムを制したのは、神の使いだった。アブラハムは勝利した、と同時に神話となった。
ならばこの私は? 英雄・アブラハムとうって変って、刃を振り上げたその手を止めたまま立ち竦む私。そんな父に、子はこれまたありえないような応答を返す。何かを訴えるでもなく、何かの覚悟を秘めたようでもなく、色さえも無いただ澄みわたった眼差し――私の底の底まで浚い尽くすような眼差しを向けて、子はさっきから何やらぼそぼそと呟いているではないか。それは意味不明の呟きだった……そう、喃語だった。くり返されるその喃語はやがて独特の調子をおびて、こう語りかけているように聴こえた――お父さん、早くぼくを殺して。
声は私以外の誰にも聴こえない。聴こえても他人には意味不明の呟きでしかない。アブラハムがただ信仰のひとであるならそれは聴こえまい。あるいはそれは、信仰から愛が引き剥がれた「瞬間」だろうか? アブラハム=キルケゴールと袂(たもと)を分かつ分岐点でもあろうか? 否。もし「アブラハムはほかならぬこの世の生のために信じた」(「おそれ」三五頁)のであるならば、またもし「イサクを愛するその愛の軌道の延長線上で刀を振り上げ、そして同じ愛の軌道の延長線上で振り下ろしたのだ」(山城むつみ『ドストエフスキー』一三一頁)としたならば、しかもそれが、いま・げんに「ある」当のものを葬り去ることの本質的な不可能性を担うのならば、かれらはなおも私をつなぎとめて離さないだろう。もし神の奇蹟と呼びうるものがあるとしたら、ただ二つのことに尽きる。「ある」をもたらしたこと(「神は、モーゼに答えられた、『私は、〝在すもの〟である』」。「脱出の書」三-一三~一四、『聖書』フェデリコ・バルバロ訳)、そして、なぜか人間に愛という不可解なものをあまねく与えたこと、である。この意味で、アブラハム=キルケゴールはいまもその「延長線上」に息づいている。
いずれにせよ、この声が私のふるまいを決めることになる。稜線のどちら側に転ぶかは、その時ならぬ「瞬間」の到来までわからない。それは誰にもわからない。それを決定しうるものは存在しないのだから。わかっているのは、声が聴こえなければ、私は立ち竦んだままだろうということだけだ。決断の「瞬間」をおそれ、私は退いて竦み続ける。私は子の手を引き、ともにうなだれて山を降りる。それはすべての土俵から降りるということを意味しよう。幼子のごとき信仰への至誠もなければ、ひとを愛し抜くこともかなわない敗残者として。キルケゴールが言ったように、自死という途もあったろう(「彼は刀をわれとわが胸に突きさしたであろう。」「おそれ」三六頁)。ただ立ち竦むそのことをよろこんで選び、胸を張って下山する途もあったかもしれない。がそれもできはしない。土俵を降りるとは、あらゆる予定調和の世界を、自らとわが子の救済を拒むことである。たとえそれが、神への道と呼ばれるものから降りることだとしても。愛の自己運動がその目的を遂げることなく絶えるとしても。なぜ拒むのか。黙して応えた子は親とともにあろうとして、自らを滅ぼしてしまうからだ。私もともに滅び、愛に躓いた者となるほかない。――躓き。ここにおよそ悪というものが要請あるいは招かれる原点がある。しかしもしそうであるなら、悪はもろともに抱かれなくてはなるまい。
ところがそのとき――私は聴いてしまったのだ、あの声を。
アブラハムと言えばキリスト教的分類によれば旧約の話だが、では新約はどうなのか? 新たな契約と言う以上、旧約の世界に対して、新約たるゆえんであるイエス・キリストという存在はわたしたちに何をもたらしたのか?
イエスは旧約の神よりも、わたしたちに対するハードルをさらに引き上げたようにみえる。律法や預言者を「廃しようとして来たのではなく完成するために来た」(「マテオ書」五-一七、『聖書』、フェデリコ・バルバロ訳)というかれは、「息子をその父から、娘をその母から、若い嫁をしゅうとめから別れさすために来た」のであり、(同一〇-三五)「自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そして自分の命までも憎まぬなら、私の弟子にはなれぬ」(「ルカ書」一四-二六/同訳)と言う(「これは苛酷なことばである。だれがこれを聞くに耐えうるであろうか?」「おそれ」一二〇頁)。アブラハムの神と違って、かれは心の中ですら姦淫してはならぬという。人間の内面に干渉してまで、いや内面というものをわざわざ持ち出してまで執拗に愛を説くひとなのか? とうんざりして躓いた者は少なくないはずだ。こうして愛はわたしたちに課せられたもっとも重く負い難い試練となった。アブラハムの神とは違うと言ったが、訂正しよう。アブラハムの神をいっそう精錬させた表現がイエスのことばなのである。愛から離脱せよと説くあらゆる考え方は、第二章に挙げた仏教がそのひとつであろうが、「愛」という概念のそもそもの相違を措いたとしても、ゆえなしとしない。愛に生きたくて生きたくて、でも生きとおすことができなくて悶死し、さまよい続ける数知れない亡霊たちによってげんにこの世は、わたしたちの歴史は成っている。かつて小林秀雄は言った、「歴史は人類の巨大な恨みに似ている。」(「ドストエフスキイの生活」一二頁、新潮文庫)。イエスのことばは、そのただ中に置かれなくてはなるまい。イエスはこのようにハードルを上げる一方、もうひとつもたらしたことがある。十字架上の死である。アブラハムが息子イサクを神に召し出そうとしたまさにそのとき、神は天使を遣わしてアブラハムのふりかざした手を止め、イサクの命の代わりに羊を供する。この羊こそイエスである。「二人の弟子とともにそこに立っていたヨハネは、イエズスが通りかかられるのに目をとめ、〝神の子羊を見よ〟と言った。」(「ヨハネ書」一-三五~三六、『聖書』、フェデリコ・バルバロ訳)
だが、これはあまりにも陳腐な解釈であろう。たんなる身代わり地蔵では新約と言われる意味などあろうか。先に述べたとおり、アブラハムが偉大な信仰の父であり預言者として称えられるに止まったのみだろう。そうでなく、アブラハムになれなかった者、愛において「貧しき者」のための羊となって、「お父さん、早く僕を殺して。」とささやきかける者、それがイエスだとしたら?――否。そう語ったとたん、愛の見せる安っぽい媚態のひとつに頽落してしまうだろう。私の背中を押す子の呟きは、山城がデリダを通してラスコーリニコフの内心の葛藤を語る「他者には見えない証人、彼とは別のものであると同時に、彼以上に彼に対して親しいような証人」(山城むつみ『ドストエフスキー』一六三頁)であり「彼の中にあって彼を超えた何か、彼自身も知らないにもかかわらず、彼以上に彼である」(同一六三頁)ような存在――いやむしろ亡霊の声である。それは「無言の痛み」(新宮一成、前掲書)を負いながら自らの存在を挙げて発する声、代わりうるもののないある絶対的な一なるものの声――リザヴェータがラスコーリニコフに見せたあの「ごく小さな子供」の訴える声なき声であり、虐待を受けながら「ママ、ごめんね……。」と言い残して世を去った五歳の子の声であり、かつて私の妹が身を震わせて発した叫び声でもあろう。それらこそがイエスだというなら、もはやそれ以上は返すまい。ただキリスト教に限らず、これらの声を代替し無限遠点へ霧消しようとするのが宗教=物語だとすれば、そのような代物は断固として退けられなくてはならない、とのみ添えておこう。かなたはどこにもありはしない。ここがかなたなのだ。
さて、私にはどのみち殺せないだろう。殺せないのはむしろあたりまえのことで、ごく一般的な倫理規範の域内のおこないにすぎない。一方、殺していればそれは子殺しであり、たんなる殺人者と変わらない。しかし私は、人倫に悖ってはならぬと思って殺さなかったわけではない。かたや、よかれと思って殺したのでもない。どちらへ転んだにせよ、あの声を聴いたからなのだ。声は私を愛の稜線の頂にまで引き上げた。そこから降りる方向がいずれかは、私には決定できない。ただいずれにせよ、私はそれを語りえない。語ったところで、それは狂人の譫言か殺人犯の言動にしか解されえない。声は私にしか聴こえないのだから。このとき、私は亡霊にほかならない。愛は、わたしたちの間ではそもそも成就不可能なのだ。それを普遍的に語ろうとすれば、ありふれた寓話か神話にしかならないだろう。だがそれは、たしかに愛の自己運動の結末だったのだ。その運動から降りようとした私だったが、それ以前に、私とこの子とはたまさか絶対的な「ある」の下にあって、二にして一なるものだったのだ。この意味で、私もまたアブラハムの末裔にほかなるまい。
そろそろこのあたりで、問うてみてもいいだろう。植松という男を、愛に躓いた者のひとりとみなすことは可能だろうか? と。わが内なる植松は、こううそぶく。「おれは殺ったよ。踏み越えたんだ。きみのような意気地なしとは違ってね。何? 愛から殺ったのかって? そうに決まってるじゃないか。これこそ無償の愛、隣人愛じゃないか!」
この男に決定的に欠けていることがある。あの声は、かれにはけっして聴こえないだろう、聴こえても意味不明の呟きでしかないだろう、ということだ。耳を塞がれていることが、初めてかれのおこないを可能にしているのだ。だから「彼とは別のものであると同時に、彼以上に彼に対して親しいような証人を彼の内に持ちえたと」(山城むつみ、前掲書)はとうてい言えまい。山城はその前の箇所でこう書く。
ラスコーリニコフを最も苦しめたのも、犯行を正当化する、やむをえない事情も隙のない理論もあるにもかかわらず、《私は殺した》ということが何を意味しているのか(何故、何の為に殺したのか)分からないということだった。《私は殺した》ということが何を隠しているのか彼自身にも分からないのだ。
(強調引用者。同書一五六頁)
植松という男は踏み越えてもいなければ、殺してすらいない。その次元にすら達していない、悪にすらなりえない悪、という意味だ。あるいは、絶対悪とはえてしてこのようなものかもしれない。かれにあの声は届かず、「ごく小さな子供」を見出すこともなく、したがって、躓きも、証しえぬ痛みも、一なるものもけっして訪れることはないだろう。
では、かれの兄弟とおぼしいもうひとりの主人公を、かの偉大な作家は筆を擱く直前にどう描いたか。
ラスコーリニコフは小屋から川岸っぷちへ行って、小屋の傍に積んである丸太に腰を下ろし、寂寥とした広い大河を眺め始めた。高い岸からは広々とした周囲の眺望がひらけた。遠い向う岸のほうから、かすかな歌声が伝ってきた。そこには日光の漲った目もとどかぬ草原の上に、遊牧民の天幕が、ようやくそれと見分けられるほどの点をなして、ぽつぽつと黒く見えていた。そこには自由があった。そして、ここの人々とは似ても似つかぬ、まるでちがった人間が生活しているのだ。そこでは、時そのものまでが歩みを止めて、さながら、アブラハムとその牧群の時代が、まだ過ぎ去っていないかのようであった。ラスコーリニコフは腰を下ろしたまま、眼も放さずにじっとみつめていた。
(中略)
とつぜん、彼の傍らへソーニャが現われた。ほとんど足音も立てずに近寄ると、彼と並んで腰を下ろした。(中略)彼女は例の貧しげな古い外套を着て、緑色のきれを頭からかぶっていた。その顔はまだ病気の名残りをとどめて、やせて蒼白く、頬がげっそりこけていた。彼女はよろこばしげに愛想よく、にっこり彼にほほ笑みかけたが、いつもの癖で、おずおずと手を差しのべた。
彼女はいつもおずおずと手を差しのべるのであった。時によると、押し退けられはしないかと恐れるように、まるで出さないことさえあった。いつも彼はさもいやらしそうにその手をとり、何だかいまいましいという様子で彼女を迎えた。時によると、彼女が訪ねて来ている間じゅう、かたくなに口をつぐんでいることもあった。で、彼女は男の気を兼ねてちりちりしながら、深い悲しみを抱いて帰るのであった。ところが、今は二人の手は離れなかった。彼はちらとすばやく彼女を見ただけで、何にもいわずに眼を伏せた。彼らは二人きりだった。誰も彼らを見るものはなかった。看守はちょうどこのとき向こうをむいたのである。
どうしてそんなことが出来たか、彼は自身ながらわからなかったけれど、不意になにものかが彼を引っ掴んで、彼女の足もとへ投げつけたような具合だった。彼は泣いて、彼女の膝を抱きしめた。はじめの一瞬間、彼女はすっかりおびえ上がって、顔はさながら死人のようになってしまった。彼女はその場から躍り上がり、わなわなふるえながら彼を見つめた。けれどすぐその瞬間に、彼女はなにもかもをさとった。彼女の眼の中には無限の幸福がひらめいた。男が自分を愛している、しかもかぎりなく愛しているということは、彼女にとってもう何の疑いもなかった。ついにこの瞬間が到来したのである。
(ドストエフスキー『罪と罰』エピローグ、米川正夫訳、岩波文庫(下)四五四~四五六頁)
作家がアブラハムの名を書きつけたのを偶然と思ってはなるまい。この情景には(「そこには自由があった。そして、ここの人々とは似ても似つかぬ、まるでちがった人間が生活しているのだ。」)、たんなるユートピア幻想として片付けられない世界の本質的な複数性が――お互いに与り知らぬ生がはからずも、もろともにかなでるたとえようもないひびき合いが――まぎれ込んでいる。すぐれたドストエフスキー論を残したロシアの批評家・ミハエル・バフチンにならってそれを「ポリフォニー」と呼ぶことに、私はやぶさかではない。そのひびきはかの殺人鬼にはいかに歯ぎしりしても見出しえないものを、主人公とかれに寄りそう貧しき女にもたらしたのだ――かなたを宿しながら、時ならぬ「瞬間」に愛が見せる微かなともし火を。
エピローグ
愛は気まぐれと言われる。
試練を与える一方で、ときには思いがけない果実をもたらすことがある。
一例を挙げよう。「二.自身の内なる差別者」の末尾から五段落目で私はこう問いかけたのだった。「授かった子がお腹の中にいるとき、その子に重度の知的障害の可能性があると告げられたなら、どうするか。心から喜んでその子を産みたいと思うだろうか?」と。NOと答えるか、ためらうひとが大半を占めるだろうと言ったら不遜に過ぎるだろうか。(事実、NOと選択した者が九割超を占めたとの統計結果があることは、先に触れた。)そのひとは良くも悪くも優生思想の持ち主である。非難するのではない。誰しもそれを免れないし、たんなる事実確認にすぎない。では逆に、YESと答える可能性、つまりその子に心から喜んで会いたいと思う場合はあるだろうか?
ある。その子のことを誰よりもよく知っている場合である。言うにおよばず、過去と未来が入れ替わりでもしない限り、ありえない想定である。しかし、だからこそ現実にその子と生き、その子を心の底から愛するに至った者にとって、以下はどこまでも切なる祈りでありえよう――どうかこの子とのただひとつきりの生が、そっくりこのまま永遠の時でありますように。たとえひとの定めからこの生を離脱することになっても、死んで生まれ変われるものならば、幾度でもこの子とめぐり逢って、そっくりそのままこの子との生を送れますように。――この思いは、時という最大の背理から、そのただ中に湧き出る泉から、つかのま汲むことのできる無二の恵みである。もしも万が一「時間の結び目が断たれ」、時がはがれ落ちるようなことがあったとしたら、そのひとにはきっとかいま見えるだろう。端から一切合切ことごとく出揃っている世界を。そして知るだろう、この世界はただ円かなばかり、何ひとつ過不足などありはしないということを(ニーチェの〝永劫回帰〟とは、この洞察の上に時の概念を重ね合わせにした祈りであろう)。くり返そう。かなたはどこにもありはしない。ここがかなたなのだ。
こうして優性思想と、その子に障害がある/ないということとは、まったく次元の異なることである。優性思想の持ち主であろうとなかろうと、重度の障害のあるわが子を心から愛さずにおれない者がいるかと思えば、その子に躓き、愛憎に振り回される者もいることだろう。隣人愛に生きるという者もまた同様だろう。そこに矛盾はない。というより、矛盾こそ愛の本性なのである。だから「その子のことを誰よりもよく知っている」という者の中には、自分たちとその運命を悲嘆し憎むあまり、死んで生まれ変われるものならば、幾度でもこの子とめぐり逢って、生をともにしよう、そしてこの手で殺めよう、と思わずにおれないひとだっているだろう。しかしそのひとは、自身は気付いていないが、すでにその子を誰よりも愛している。
(第07回 了)
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