トーリライハルは
毎日原稿を書いた
一文にもならなかった
それはまあいいとして
誰も読んでいる気配がなかった
最初から絶望していたのでこれ以上深く
絶望しようもなかったのだけど
コトの次第として死にたくなった
さて死のうと思って原稿を
いや遺書を書きはじめたのだが
これがまあなかなかの難物だった
ある原稿には東里来晴と署名した
別の原稿は東李来春だった
Tori Reihalもあった
トーリライハルの本も出したことがある
ああだから四人分書いちまったのか
さらにうんざりした
子どものころ
近所にばかでっかいショッピングモールがあって
駐車場はモールの何倍も広かった
その隅っこのアスファルトの上に
白いチョークでトーリライハルと書いた
初めての署名を地面に書いた
でもカタカナだったのかアルファベットだったのか
思い出せない
もしやと思い
バスに乗って確かめに行った
やはりと言うべきか
雑草だらけのアスファルトの
どこにも署名はなかった
トーリライハルは歩き始めた
片道三車線の幹線道路はデコボコで
車がスプリングを軋ませて猛スピードで走り抜けた
海の近くは倉庫街で
壁一面落書きだらけだ
ここでは絵も象形文字になるのだから
どこかに東里来晴か東李来春の絵が
文字があってもいい
しかし見つからない
もう夜であたりは暗く
バスが何台も通ったが乗らなかった
星が流れて
星が流れて
足元で
砕けた
街灯で光の滴になった
涙かもしれなかった
古いアパートが建ち並ぶ路地を歩いた
バーもカフェも
コンビニもなかった
明るい光に吸い寄せられて中に入った
ステンレス製の大型洗濯機がずらりと並ぶ
コインランドリーだった
しかたがないので洗剤を買い
スニーカーを脱ぎ
靴下も脱いで
洗濯機に入れた
壁には大きく「禁煙」とあったが
床に何本も吸い殻が転がっていた
コインを入れて洗濯機を回した
プラスチック製の椅子に座った
「豪勢なことするのね」
斜向かいに座っていた女の人が言った
目はブルーだが瞳だけ透明なガラス玉のようだった
名前が決まらないんです
「どういうこと?」
トーリライハルはポケットからノートを取り出した
トーリライハル、Tori Reihal、東里来晴、東李来春
シャープペンシルで書いて手渡した
「インディアンかと思ったけど東洋系なのね
中国? 韓国? それとも台湾、日本?」
漢字は読めないのだと言った
「わたしはルシアだけ
わたしの世界はとても狭いから」
トーリライハルは女の人と話した
当然のように死について話した
女の人は遺書の内容が決まらないのだと言った
「わたしは一生遺書を書いて
書き直し続けるのね」
ぼくはどうしたらいいんでしょう
トーリライハルは聞いた
あなたは音楽だから名前が分かれるのよ
きっと男の人だからだわ
「メキシコのジャングルの奥に
トーリライハル
トーリライハルと鳴く鳥がいる
今考えたウソよ」
トーリライハルは女の人と顔を見合わせて笑った
「わたしは毎週土曜に洗濯に来るの
誰も気づかないだろうけど
土曜に来なかったら死んでるわね」
土曜日に死ぬってことですか?
「たぶん違うわ
大嫌いな月曜日
ううん 水曜日かもしれない」
洗濯物を畳みながら女の人が言った
ブザーが鳴ってトーリライハルの洗濯機が止まった
まだ温かく湿った靴下とスニーカーをはいた
「また来週」
大きなビニールバッグを肩に掛けて女の人が立ち上がった
アパートから30分は歩くけど
来週の土曜日に
その次の土曜日にも
同じ時間にこのコインランドリーに来るだろう
今度はたくさんの洗濯物を持って
そして女の人の
ガラス玉のような瞳を見て
また同じ話をするだろう
トーリライハルは思った
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