さやは女子大に通う大学生。真面目な子だがお化粧やファッションも大好き。もちろんボーイフレンドもいる。ただ彼女の心を占めるのはまわりの女の子たち。否応なく彼女の生活と心に食い込んでくる。女友達とはなにか、女の友情とは。無為で有意義な〝学生だった〟女の子の物語。
by 金魚屋編集部
5 フランス(中編)
*
翌朝まいまいは、泣きそうな顔をして言った。
「あんなに迷惑かけたのに、あの二人一言も謝らないんだよ」
「昨日のこと、話題にしたの?」
「してない」
「気まずくて、忘れたいのかもよ」
「私のほうが居心地悪くて出てきたの。信じられない」
「あー。それで? 二人は今なにしてるの?」
「亜紀ちゃんとゆかは、朝食食べて二度寝」
「たらは?」
「漫画描いてる。もう、なに考えてるのかわからないよ」
「でもさ、まいまいだって、普段私が何か聞いても答えてくれないじゃん」
「それは、そうだけど」
下を向きながら話す。だって、言ったってどうにもならないんだもの。
私は、勝手に言葉を補う。実際には人がどう思っているのかなんて、言ってくれないと誰にもわからない。目だけを動かして相手の横顔を見つめ、表情をうかがう。きっと、私の予想は当たっている。
その後、私たちは二人でオペラ座に行って役者たちの稽古の様子を見た。椿姫のワンシーンだ。同じ台詞を、何度も練習している。
「なに考えてた?」とまいまい。
「衣装、まだ着ないんだな、って」
「他のところ行こうよ」
「私はもうすこし見てたいかも」
「じゃあ、私も一緒にいる」
まいまいが私の腕をつかむ力が、強い。意識が集中してしまいそうなくらい、圧がかかっている。組む、というよりは巻きつかれている。
「もうお昼だし、出る?」
「うん。オムレツ食べたいなあ」
それから、夜まではまいまいとウインドーショッピングをした。かわいいものを見つけると、まいまいの「見てみて」攻撃がはじまる。ラメのミュールとか。ファスナー部分にベリー型のチャームが付いたポーチとか。私は、「すごーい」とか「欲しい」で返す。まいまいは、いつも自分の気持ちを確認するような口調で喋る。一人ではなにも感じられないみたいに。
今、彼女は部屋でバッグの中身を整理している。空気が振動するような緊張感。人の気持ちは互いに伝染する。
私が持っているものなんて、なにひとつ確実なものではない。彼女は、それを思い出させてしまう。まるで、足元に穴が開いているようだ。彼女は、不安感を感じるたびに自分の行動に完璧を求めるのだろう。長く使っているのに、真っ白なバッグ。しわひとつないように見えるワンピース。今度は前髪を何度もなでつけている。次第に私までイライラしてきた。
さみしいとか、つらいとか。何か言葉にしてくれたら、私も同じ気持ちだと言えたのに。そう思うと、私は彼女のことをすこし憎んでしまう。
亜希ちゃんのことも、たらのことも。ゆかのことでさえ。
私は実は感情が濃いのだ。外に見せるときは受け入れてもらいやすいように規格化しているけど、自分でも持て余している。
「もっと細くなりたいなあ」
まいまいがぽつりと言った。
「もう、充分すぎるくらい痩せてると思うけど」
ほんとに細身だ。
「でも、スカートに隠れてる部分とか、太いの」
声を出しているだけの無難な会話。
「そのままで大丈夫だよ」
自分でも驚くくらい、冷たい声が出た。
私の中になにか軸になるようなものがあれば、動揺しないで済むのに。淡々とオペラ座で稽古を続けていた一団みたいに。
私は意味もなく焦りはじめる。教室でも、彼女はいつもこんなふうだった。とらえどころがなくて、普段はすごく優しいのに、急にそっけなくなって、数日間連絡がとれなくなったりして。どんなことでも極端なのだ。
なんだか落ち着かない気持ちは私の中にもあった。私はたまに、まわりの人たちの間で飽和状態になってしまうかのようで怖くなる。女の子というのは、一人一人あまりにも似ている。少なくとも、表面的にはそうだ。皆適当に親切で、たまに意地が悪い。極端に良い人も、悪い人もいない。個性といえる個性が無くて、その事実がお互いを圧迫しているように感じてしまう。
群れの中に溶け込めばいつも、行動の責任を取らなくてすむ。けれども、私という存在は死んでしまう。総体の中でユニークな存在でありたい。それ自体が矛盾した欲求であるにも関わらず、私の心は日々そう叫んでいた。
「だよね。ありがとう」
「うん。そのままがベストだよ」
気持ちを消して猫撫で声を出す。優しさですら、どこまで相手のためなのかわからない。まるで誰かに常に見張られているかのようだ。こんなとき、私は自分自身が嫌いでどうしようもなくなる。
金魚が酸素を求めるように、私はだれかから認められることを欲していた。ほかの金魚とは違う、と認識されること。それが重要だった。大きいとか、目が飛び出ているとか。理由はなんでもよかった。新顔の金魚が自分のテリトリーに入ってくると、びくびくしていた。ただでさえ、水面には同じような個体が集中しているのに、私はもう空気を吸えないのだろうか。けど、私には斑があるし、ここにいる権利がある。適当な言い訳をして、他の個体を押しのける。すると、それはシミだよと指摘されてしまう。それでも私はそこに留まる。横には、均一な色をした金魚たちがいる。苦しい。違う水槽に移れたらいいのに。けれどもほかの金魚も同じことを考えていた。
翌日、八時頃に目が覚めた。隣の人を揺さぶったが、反応はない。新しい場所で、人生をリセットしてみたい。けど、バイトしかしたことがない私の経済状態では、不可能だ。歯を磨き、顔を洗って服を着替える。顔色が悪いから、はっきりした色の口紅を付けた。グレーのタートルネックと赤のスカート。ドアを開けると、そこは私だけの空間だった。身体が軽く感じる。
「おはよう。ちょっと散歩してきます」
皆に同送メールを送る。昨日、彼氏から着信があったようだ。携帯を閉じて、バッグにしまった。宿は、パリの中心地に近い。観光するよりも、住人のように過ごしたい。まるで、別の人になったみたいに。私は目的もなく歩く。
ZARAと無印良品が目のはしに入った。通行人は誰も、早足だ。人の流れに合わせて、ただまっすぐ進む。表通りを外れたところに大型スーパー、Casinoがあった。カゴを持って中へ。自動ドアの近くには、果物類が並んでいる。朝食を食べていないことを思いだした。炭水化物が欲しい。奥へと移動し、パンのコーナーを見る。ジャムの入ったものからシンプルなものまで、種類が多数ある。円い形のバゲットと、質感のなめらかなミルクパンをカゴに入れた。店内を一周する。速乾性のマニキュアがワゴンセールされていた。ランダムに選び、追加する。さらに、ペリエを放りこんでレジへと向かった。キャッシャーの女性が、携帯でだれかと話している。列がなかなか進まない。前に並ぶ人が抗議し、それからしばらくして私の番になった。
袋を持って、外に出る。一人の時間。車が石の上を横切る音。影がぼんやりするくらい、弱い陽射し。公園のベンチに座り、バゲットをかじる。鳥が寄ってきた。白くてまるまるした鳥。一口ぶんをちぎり、投げる。鳥はどの程度味覚がわかるのだろうか。首をかしげることに意味はあるのか。もしかして、こちらが観察されているのではないか。妄想ばかりが広がってしまう。私の中の、独立した国。
バッグから携帯の着信音が聞こえる。急いでファスナーを開け、中をのぞく。だれかからメールだ。
「さやちゃんはもうフランスかな? こっちは、三木とテニスしてる。帰りたい(笑)」
彼氏からだった。
*
彼氏は、私を好きになってくれる人だ。けれども、愛してくれはしない。他人で、いつでも私を見捨てることができる相手が、私を見ていてくれる。それは私に根拠のない自信を与えてくれた。たまに、「彼のことを世界で一番信用してる」なんて言う人がいるけど、信じられない。男女関係は戦争なのだ。そうでなければ、あんなにたくさんのハウツー本が出るわけがない。返信メールを打つ。
「着いたよー。みーくんと離れちゃって、さみしい。涙が出そう。帰りたいよ。三木くんは、元気?」
送信ボタンを押した。
前に会ったとき、「悩んでても、笑ってるままのさやちゃんが好きだ」と言われた。めんどくさい感情を表明する私のことは、受け入れてくれないのだな、と思った。内心ウザいと思った。その場ではへらへらしてたけど。だから、秘密で合コンに出てほかの男とデートした。けど、そいつはもっとムカつく奴だった。まだましだから付き合ってるけど、そのうち着拒してしまうかもしれない。でも、こんなこといつまでもやっていられない。
彼氏の家は、明らかに両親の仲が良くないみたいだった。彼と同じように、父親もデリカシーのない人間なのかもしれない。青学を出て、そのまま専業主婦になった彼の母親は、ほとんど家事から撤退していた。だから、私がどんなにレベルの低い料理を作っても、彼はよろこんでくれた。父親は、給料明細も見せないし、なにか不満なことがあると家族カードを止めてくるという。しかも、マザコン。だから、母親は必要最低限のことだけこなして、息子にもほとんど感情移入していなかった。負の連鎖が起こっているのだ。宮田家には、お正月もクリスマスも存在しない。だから、彼と私は他人なのにイブとクリスマスを一緒に過ごしていた。深夜はファミレスにいる。意味がわからない。彼は意図的に私を傷付けているのかもしれない。母親に愛されないから。彼の母親と私は、世の中に向き合う姿勢がそっくりなのだと思う。私たちは、似たものどうしなのだ。
五十分後、彼から返信がきた。
「三木? あいつ元気すぎて死んでほしいくらいだよ。さやちゃん今、なんか本読んでる? 旅行中だから無理かな。でも、あったら教えて。離れてても、同じものを共有したい」
読みながら私は、さみしいのだと自覚した。気持ちが動きそうになった。不安定で落ち着かないから、心をピンで留めておきたい。
(第13回 了)
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*『学生だった』は毎月05日にアップされます。
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