性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
■令和2年(ク)第993号 性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄 却決定に対する特別抗告事件 令和5年10月25日 大法廷決定■
三浦 いや、しかし、まあこれは予想外の結論というか。
小原 予想はされてたんじゃないですか。
三浦 直接こんな違憲と出るとは思ってなかったですね。だっていわゆる家事審判っていう密室でやるやつじゃないですか。もともと公開の、原告と被告がいる普通の裁判ではない。家庭裁判所から始まったやつだから、傍聴人もいない。
小原 抗告人自身もちょっとびっくりしていた感じですもんね。
三浦 でさ、違憲って。違憲っていうのはほんと、重いからね。法律を変えろという重い判断が出ちゃうという。
小原 全員一致なんですよね。
三浦 もうおかしいね。多様性に反しているよね。
小原 そういえばそうだ(笑)。
三浦 偏っているんだよね。マスコミからしか情報を得ないから最高裁判事は。違憲としてくれという活動家たちが陳情に行ったときは、敷地内の奥まで迎え入れられている。ところが手術要件は維持してくれということを言いに行った、ほぼ同じ人数の陳情団は、そこに弁護士も入っているんだけど、中に入れてもらえずに、門越しにしか陳情書を受け取ってもらえないという。注1
小原 おかしいんじゃないですか? わたしたちが裁判員になるときには、あらかじめ何らかの先入観を持ってないということをチェックされて、その上で裁判に臨むわけでしょ。それなのにそんな露骨に意見が決まっていることをわざわざ示すって、どういうことなんだろうか。
三浦 政府への陳情も、理解増進法の前だけれども、賛成派は岸田首相に会っているけど、反対派からは誰一人会えてないですからね。これはやはりマスコミの世論形成なんだよ。初めからそういうバイアスがかかっている。
小原 うーん。
三浦 ちなみに両側にトランスジェンダーの当事者が複数名入っているんです。一方の側はまったく首相にも会えないし、敷地内にも入れてもらえない。他方はもう、優遇されるわけね。
小原 そこまで露骨だと単なるバイアスなのかな。
三浦 利権がかかっているしね。天下りとかいろいろあるじゃない。利権団体がポストを約束したりするでしょう。
小原 そんなことがあっていいんだろうか。
三浦 冒頭からしておかしな話だよね。第1 事案の概要等 1 本件は、生物学的な性別は男性であるが心理的な性別は女性である抗告人がって。これは「心理的な性別は女性であると称する」と書かないといけないわけですよ。この書き方だと「心理的性別」が本当にあることになってしまいますよね。こんな書き方したら、少なくとも学術論文としては通用しないですよ。
小原 そうですね。
三浦 問題は次の2で自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者。これがもう性同一性障害の定義ですよね。ガイドラインにもあれば、特例法にもある。その「身体的」っていうのは重要で、身体的に自分が割り当てられた方の性別じゃない性に適合させようとする意思を有する。だから普通に考えると性器は改造する。で、その生殖腺も元の性別の生殖機能をなくすってことが当然含まれるはずなんです。定義に忠実に扱えば、女性であると自らを信ずる男性であれば、ペニスがついていることには耐えられないはずなんだよね。生殖腺も精子が出ることによって、それは男性であるということだからね。
小原 不思議なことですよね。自分の身体が嫌でたまらないっていう、かわいそうな状態の人っていうはずなのに、抗告人は元の生殖機能は保持したいと思っているわけですよね。
三浦 だから他の性別に適合させようとしてないんですよね。そういう人に性別変更を認めようと言っているんですよ。これは非常に不合理ですよ。で、4の上のところ、抗告人は5号規定に該当するものであり、仮に該当するものではないとしても5号規定は憲法13条、14条1項に違反する旨の主張については、判断していない。抗告人の主張は「自分は5号規定に該当する」と言っているんです。だからやはりこの人は、前回、我々がお話したように、どうやらペニスは見た目、ないように見える人みたいです。ただし「該当するものでないとしても」って言ってるから、非常に主観的な判断によって左右される程度のものなんですよね。
小原 あるっちゃあるし、ないっちゃないんじゃない? みたいな。
三浦 そうそう。だからホルモン剤でそんなに小さくなるのか、よくわかんないけど、もしかしたら事故で欠損したとかいうこともあり得るけれど、いずれにせよ、ないというふうに見れば、そう見ることもできる程度じゃないかっていうくらいのものかもしれませんね。
小原 何らかの事情でそれが欠損に近い状態になっているときに手術要件があるって言われちゃうと、ちょっと厳しいかなっていうのはありますけどね。
三浦 だからこそ5号規定は判断しなかったということかもしれませんね。あるいは5号が判断されなかったっていうのはすでに4号でもう引っかかっているんだから5号は考えるまでもないということかもしれませんが。
小原 あらためて4号の生殖腺がないこと、またはその機能を永続的に欠く状態にあること、と。手術してなければ永続的じゃないですよね、たぶん。
三浦 永続的ではないですね。だから4号はもう該当しないわけですよね。両方該当しなきゃいけないわけだから、そのためには手術を受けなきゃいけないと。ただ、4号もその解釈の仕様によってはホルモンで非常に機能が減退しているから該当するとこの人はたぶん主張しているわけで。ただ5号が、4号に比べると見方によってペニスがないように見えるというような抗告をしたのかもしれませんね。
小原 でもペニスがないように見えるか見えないかはあんまり本質じゃないかもしれなくて、生殖機能がある女性にとっては生殖させられるリスクがある存在を男性だと認識するわけだから。
三浦 挿入できる形になっていなければ、生殖機能を発揮できませんね、普通は。だから前回も言ったけど5号の方が重要なんですよね。男性の場合は。
小原 その人が、人工受精でもって女性を妊娠させる能力を内的に有していたとしても、その人とお風呂に一緒に入っても別にあなた方には影響ないでしょ、って、そういう感じですかね、ぶっちゃけ。
三浦 まあ、そうね。実害は、普通はないと。5号が満たされていればね。
小原 ハンセン病の患者さんから実際には伝染することはないんだから一緒にお風呂に入れないっていうのはおかしい、みたいなことですね。この人が精子を体内で生産してようと、いきなり女性に挿入する能力はないんだから、それを恐れて一緒にお風呂に入れないとおかしいですよってことね。
三浦 もちろん羞恥心とかね、それだけでは尽きないわけですよ。
2ページから3ページにかけて、今日では、心理的な性別は自己の意思によって左右することができないとの理解の下に、心理的な性別を生物学的な性別に合わせることを目的とする治療は行われておらず、って書いてある。性同一性障害の治療としては、最終的には性別を変えるしかないっていう意味なんですね。身体性別や社会的性別をなるべく心理的な性別に寄せると。ホルモンとかいろんなものでね。それでも満足できない場合には、今までは手術をしたわけです。段階的だったわけですよ。だけども今は医学的な知見が変わってきて、段階的じゃなくなってきて、治療の仕方が一直線ではないと。だから必ずしも最終的に控えている関門が手術というわけではないということですね。だから性別適合手術を必要としない治療の一つとして、性別適合手術抜きでの性別変更も認めようと、そういうことのようです。「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることを可能にし、治療の効果を高め、」とか言ってるので。
小原 ほう。
三浦 ただこれはね、私ははっきり嘘だと思いますね。この「心理的な性別は自己の意思によって左右することができないとの理解のもとに」、これはまあ認める。性的嗜好もそうだし、性的指向も、同性愛者が自分の意思で異性愛者になることできないし、その逆も無理だし。ただ意思によって左右することができなくても、変わりうるんですよね。自由意志ではないけれども、環境要因とかいろんな影響によって変わるってことはいくらでもあって。「心理的な性別を生物学的な性別に合わせることを目的とする治療は行われていない」っていうのは、嘘だと思います。イギリスではトランスへの転向療法が復活しているし、日本でも認知行動療法とかで変わっている人はいくらでもいるはずです。自然に戻ったっていう人、私、数名知っていますしね。睾丸までは取って、だからもう生殖機能はなくなったんだけど、ただ外性器の外観はまだ、男性の性器があるという人で、自認が男性に戻っている人っていますよ。心理療法を受けたわけじゃないんだけど、いろんな環境要因でやっぱり自分は男だって。そんな人、たくさんいるわけですよね。環境により変わるということは、人為的に、心理療法で変えることもできるということです。
小原 最高裁はどうしてそんな嘘を言うんでしょうね。
三浦 自然に戻る人がいるってことは、カウンセリングとか、治療を受ければより効率的に治るでしょう。
小原 それでいつの間にか治ってるのに、でも自分は女だと言いつつ、女性スペースを使い続けるって、事実上、身も心も男性である人が女性スペースに自由に出入りするっていう状況になるわけですよね。それで我々は、身近な女性スペースっていうのを気にするんですけど、実際には、より重要なことは戸籍の問題ですよね。前回、おっしゃったように、男が母親になるとか、そういうことですよね。
三浦 法律的に女性となっていたら、文句のつけようがなくなっちゃいますからね。女性だという主張が、とにかくお墨付きを得てしまっているわけで。この前提がすべて間違いだと私は思うんですね。心理療法で治るし、自然に治ることもある。そういった方面の支援を行なわずに、逆の支援しか行なってないでしょ。あなたが今思い込んでいる、そちらの性別でやっていきましょうねっていう偏った支援、歪んだ認識に合わせた支援しかしないっていうのは極めて不合理で。手術なしでの性別変更を認めるなんてことをしたら、より悪化させて固着させるだけですよ。
小原 それがむしろ良いことだという価値観の勢力があって、そっちの方に流されている。無理やりに男を男に戻すっていうことは暴力的という印象操作に耽っているというか。
三浦 本人の主観を肯定するという、いわゆるジェンダー肯定主義。だけどこれはジェンダーだけなんですね。だってドラッグ肯定とかしない。ドラッグ漬けになりたい人にやめろってみんな言うわけでしょ。自傷行為、リストカットなんかやっている人にもそういう衝動を抑えろって言うわけでしょ。で、性別違和だって、望んで反対側の性になりたいと願っている性同一性障害者なんていないわけだからさ。認識と願望は違うから。異性になりたいと願っている人は、結局、オートガイネフィリアとかね。そういう性的嗜好ですよ。プレファランスの方の嗜好ね。だから、なるべくそういうものは抑えるっていう、ドラッグとか自傷行為全般と同じように合わせなきゃいけないと思いますけどね。なぜかこのジェンダーに関してのみ逆なんですよ。これはやはりLGBTという言葉が災いしている。確かに同性愛者に無理やり異性愛者になれっていう治療は酷なんですよね。で、それと同じようなものと捉えちゃっているんだよね。
小原 性的指向は無害な衝動だから、あえて治療する必要はないけれど、性別違和は社会生活上、本人も不便で他者にも迷惑という場合が多いですからね。
三浦 そう。治療の必要性が全然違うよね。
性同一性障害を有する者の示す症状は多様であり、どのような身体的治療が必要であるかは患者によって異なるとして、段階的治療という考え方は採られなくなった。具体的には、性同一性障害を有する者について、まず精神科領域の治療を行うことは異ならないものの、身体的治療を要する場合には、ホルモン療法、乳房切除術、生殖腺除去手術、外性器の除去術又は外性器の形成術等のいずれか、あるいは、その全てをどのような順序でも選択できるものと改められた。
それは分かりますけどね。ただ、だからといって身体的性別を心理的性別に合わせるっていう結論はそこから得られないはずですね。その下の「心理的な性別は」っていうね。何遍出てくるのか、この言葉。この書き方がもう完全に偏っている。科学的な教育を受けてないんですかね、この裁判官たちは。心的な性別が女性であるとは、どういう意味なのか?
小原 定義はないんですかね。
三浦 だからここに書いてある、トランスジェンダーを受け入れている女子大学の最初の例である、お茶の水女子大なんていうのはジェンダー学の拠点なわけでしょ。ジェンダー学はまさにこういった「心理的な性別」などというものは、社会的な虚構、社会的な構築物だっていうのが前提だったじゃないですか。それが百八十度転換して、なぜか心理的に男女は全然違うと、身体に基づかない「心理的性別」があると。この学問的変節は不思議な現象ですね。まあ、せめて裁判官はね、「心理的な性別が女性であると信ずる学生」とか「称する学生」とかいうふうに書いてもらわないと、本当に困りますね。
小原 それがすでに存在する前提、その理由として「あのお茶大でも」といった雑な帰納法ですかね。
三浦 もうこういう文章を書いたら、学生のレポートとしては落第ですね。で、このページの下の方でしかしながら、本件規定は、性同一性障害の治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として同手術を受けることを要求するものということができる、と。確かにリニアな治療法の考え方だと、まだ手術までやってないんだから、性別変更が必要かどうかわかんないでしょ、ってなる。今はそうじゃないっていうふうに言っている。本当ですかね? 生殖腺除去の手術を嫌がるというその時点で性別変更を望んでないでしょって言いたいですよね。
小原 それ、フツーの人たちがフツーに言っています。
三浦 それが普通の考えだと思いますよ。だって、生殖腺というのが性別のもともとの定義なわけだから。それを基準として今があったはずですからね。なのに、その性器という定義的特徴に関して、自分がそれに反していてもいいという状態で、なおかつその自分はそちら側のメンバーであると言い張るっていうのは、これは単なる心理的混乱でしかないです。
小原 そうですね。まずそれを整理してあげることの方が先決じゃないかと思いますけどね。
三浦 そういう人に対して、あなた、そういう生殖腺を除去したくないということは、よく考えてみたら結局、あなたは女性じゃないってことでしょ、女性でありたくないってことでしょ、男性のままでいいってことでしょ、という、いわゆる論理的な会話によって、指導していくのが認知行動療法なんだけど、それによって簡単に治ります。手術したくない、という程度の人であれば。
小原 そうですよね。そんな誰が考えたってそうなのに、それを押して、こういう判決を下させる勢力だか圧力だかっていうのに興味がありますね。何かあるはずだって気がしますけどね。
三浦 他方で、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況が既にみたとおりのものであることに鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。
これが非常に私は疑問で、当人にとって本当に利益なのかと。身体に合った性自認を尊重されることは確かに利益ですよね。ところが、身体に合わない性自認というものはそもそも間違っているわけです。その間違った性自認に従った法令上の性別の取り扱いを受けることが本当に法的利益なのかと。本来であれば治療の対象になるべきものを諦めているわけですから。
小原 手術までしてしまった人に関しては例外的に、っていうのはまだわかりますけどね。
三浦 身体も合わせてあるのであれば、もうそれ以上合わせるものはないですからね。この抗告人、今までは身体性別と法的性別が合っているわけじゃないですか。心理的性別だけが食い違っているわけでしょ。心理的性別っていうのは不安定なものですよね。だから不安定なものと安定なもの二つが対立しているわけですよ。そうすると安定したもの二つが合致しているんだから比較的安定してますよね。
小原 そうですよね。
三浦 ところが手術なしで性別変更されちゃうと、身体性別と法的性別が食い違うことになって、安定したものと安定したものの不一致になるわけじゃないですか。これは極めて不安定になるわけですよ。ブリッジの片方だけが不安定っていう現状であれば、いずれは一致させることができる。ところが安定したもの同士が今度は引き離されるわけです、性別変更によって。そうすると、これはもうどうしようもないですよ。だから果たして性別変更が本当に当人の利益になるかっていうと極めて疑問です。不一致が増進してしまうわけですから。
本件規定の目的のために制約が必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度等を較量して判断されるべきものと解するのが相当である。
まあ、この「自由が制約される」って言うけれども、虚偽に基づく自由というのは当然制限されるべきですよね。ドラッグを自由に摂取したいという自由ですら、自分の本当の欲求なんだから、虚偽でも何でもないんだけど制限されている。実際に自分の性別に対する認識が間違っている場合、なおさら制限されるべきですよね、本来は。
性同一性障害を有する者は社会全体からみれば少数である上、性別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による身体的特徴に対する不快感等を解消するために治療として生殖腺除去手術を受ける者も相当数存在することに加え、生来の生殖機能により子をもうけること自体に抵抗感を有する者も少なくないと思われることからすると、本件規定がなかったとしても、生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。
結局、いろいろ社会的な不都合な問題というのは稀なことだから大したことないと言っているわけですね。まあ、それを言ったらすべて犯罪とか不都合なことは少数ですね。
小原 どんなリスクも稀なことなんだから、っていうことになりますよね。これが原因としか思えない状況で、例えば小さい女の子に何かあったりしたら、どう責任取るのかな。国全体、長い期間では必ず起きるでしょう。予見できたことだったとなれば、訴えられますよね。最高裁が?(笑)
三浦 「医学的知見が進展し」と言っているけれども、精神医学者の「医学的知見」そのものが混乱していて政治的・経済的動機によってゆがめられていることが問題なんですよね。昔から、薬害が繰り返されてきたことからわかるように。性別違和を増やせば、ホルモン剤とかで大儲けできるわけですから、医者は。
小原 医者の娘の立場から言うと、直接の大儲けというのはぴんとこないですが。ただ医者もいろいろで、いったん自分の立場を作ってしまうと、エビデンスをゆがめるなんて日常茶飯事です。学者と一緒ですよ。周囲への意地とか虚栄心とか。製薬会社にいい顔したいとなれば、もちろん間接的な利権もあるでしょう。特に精神科はよく内情がわからないので、やはり疑ってしまう。
三浦 針間っていう精神科医がいるじゃないですか。Abemaで本音を喋っていましたね。注2 この最高裁決定が下る前、やはり手術で身体を変えるということ、すでに変えたとか、せめてこれから変えるとかっていう客観的な基準がないと自分たちは正しい診断ができないって、ちゃんと言っていましたね。
小原 それはそうですよ。
三浦 だって患者の内心、心を読むことはできないし。客観的基準がないとダメですよ。
小原 それも含めて現場の声ですよね。我々も、また我々と同じような知性を持ったトランスジェンダーも、良心のある医者でも、皆が思うことなんじゃないですかね。多様性も大事だけど、多くが共通して、実感として思うことの方がもっと大事だと思いますけどね。特に裁判官は選挙で選ばれてないし。
三浦 多様性は本来、関係ないですよ。自分が女だと思っている男、そういう独特な存在を女の側に入れてしまえってだけの話だから。男の多様性を減らしているだけ。自己判断でカテゴリ間の行き来を許しているだけの話だから。多様性を感じることはいいことだって、こういった決定を支持する人いるけど、本来これは多様性とは関係ない。
小原 たしかに、そういう人の存在そのものは、いてもいいと思う。他人に影響を及ぼしかねない公的な扱いについての話です。でも、そもそもなんで女になりたがるのか。そこにも社会的な構造が関わってないか。何度もよく言われるけど、身体女性が、心は男だから男風呂に入りたいって言わないわけですから。結局、男と女の社会的・暴力的な圧が非対称でしょ。
三浦 そのために分けたんだからね。
小原 暴力的だから、男の側に行きたくないって、皆が思っている。男同士だけがしょうがなくて一緒にいるわけじゃないですか。だけど、それに耐えられない男がいるっていうだけのことで。
三浦 そういうことですよ。結局はね。
本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。
この「法的利益を放棄」するということは、さも深刻なことであるかのように書いてあるけれども、これは逆にその妄想的な錯覚を放棄する最善の手段ですからね。法的性別を変えさせてしまったら、治るものも治らなくなりますよ。
生殖能力の喪失を法令上の性別の取扱いを変更するための要件としない国が増加している
こういった手術要件を求めない国が増加してるっていうけども、手術なしで性別変更できるようにして、また戻したっていうのも結構あるらしいですね。ハンガリーとかヨーロッパに何か国か、あるはずですよ。だからちょっと一方的な書き方だと思いますね。増加しているとは必ずしも言えないと思います。
本件規定の目的を達成するためにより制限的でない新たな要件を設けることや、本件規定が削除されることにより生じ得る影響を勘案し、性別の取扱いの変更を求める性同一性障害者に対する社会一般の受止め方との調整を図りつつ、特例法のその他の要件も含めた法改正を行うことは、その内容が憲法に適合するものである限り、当然に可能である。
まあ、新たな要件を設けることを提案してはいるんですね。これは大いに国会で頑張ってほしいところですね。違憲判断が出てしまった以上、4号と5号は除去しなきゃいけないわけですね。4号が違憲になっちゃったわけだから、5号もセットになっていますから。
そうすると、それに代わる、女性と子供を守って社会を混乱させないような要件を法改正のときに付け加えるってことですね。まあ、それはさすがに、多数意見は言っているわけです。
小原 ということは、これ自体ちょっとケチがついたから、なしにしましょう、と。また一から考えるきっかけにはなり得るってことですかね。
三浦 私はそれがいいと思いますけどね。特例法そのものを違憲ってことにしてね。
小原 それがいい。
三浦 ただ、それはいかんって言っている裁判官もいる。先回りしてね、違憲とされたものだけが削除されるべきで、他には影響してはいけないと。
小原 違憲とされていない法律部分をどう改正するかは、立法府が決めることじゃないんですかね。
三浦 いちおう、そういうふうに意見を言っているわけで。ここから三人の反対意見が始まるわけです。より過激な、5号も違憲として、この人の性別変更を即認めろって言う、そういう三人ですね。
この三浦守という人は、「身体的に他の性別に適合させようとする意思」という性同一性障害の定義、この「身体的に」っていうのが、幅がありますよ、と言っているわけです。この人の書いているところを見ると、服装を変えるだけでいいと言いたいみたいですね。ホルモン剤の投与ですら不要だ、と。
ホルモン療法は、ホルモンに関する薬剤を投与することにより、身体的に他の性別に適合させる一定の効果が生ずるものであり、他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えるという点で、相応の効果が得られる場合がある。これも、上記外科的治療より強度は低いものの、身体への侵襲である。そして、ホルモン療法は、生涯又は長期にわたって継続するものであり、精巣の萎縮や造精機能の喪失など不可逆的な変化があり得るだけでなく、血栓症等の致死的な副作用のほか、狭心症、肝機能障害、胆石、肝腫瘍、下垂体腫瘍等の副作用を伴う可能性が指摘され、さらに、原則として、糖尿病、高血圧、血液凝固異常、内分泌疾患、悪性腫瘍など、副作用のリスクを増大させる疾患等を伴わない場合に行うべきものとされること等からすると、生命又は身体に対する相当な危険又は負担を伴う身体への侵襲ということができる。
性同一性障害者は手術をしない自由があるだけでなくホルモンもやらない自由があるって言っているわけです。
小原 へー。ほー。ふーん。
三浦 だからホルモン療法もやらない。異性化ホルモンも摂らず、まったく男のまんまで性別変更をさせなさい、とこの人は言っているんですね。
小原 あたしもしてみたい。
三浦 身体的に他の性別に近づけるという定義まで放棄しろとは言ってないから、服装変えたり、言動を女っぽくしたりするぐらいで手を打て、とこの裁判官は言っていてね。とんでもないですよね。
小原 マニッシュな恰好したら、土俵にものしのし上がっていけるんですね。宝塚の男役なんか皆、男だってことになったら、逆にファンが減りそうだけど。
三浦 まあ、障害の診断が必要だから、昨日までなんともなかった人がいきなりっていうことはできないわけだけど。二人の医師の診断書を取れば、裁判所が認めるってことです。
小原 伊勢丹で男の服買って、その足で歌舞伎町辺りの精神科医に行けばいい。そんな診断書を大量生産するクリニックとか、きっと出てくる。ちょっと余分にお金払えば、診断書二枚、封筒に揃えて入れてくれるに決まっているじゃないですか。
三浦 それは今だって、十五分で出るらしいですからね。初めて行って、たった一回の面談で十五分で出すと。現に私の知り合いの女性だけど、性同一性障害の診断書をもらっていますよ。確かにメンタルヘルスに問題があるんだけど、本人も半信半疑というかね。試しにちょっと行ってみよう、みたいな感じで。性同一性障害だというふうに主張したら、すぐにくれて。
小原 医者だって平和に暮らしたいよ。厄介そうな人には関わり合わない。鉄則。
三浦 で、
このような浴室の区分は、風紀を維持し、利用者が羞恥を感じることなく安心して利用できる環境を確保するものと解されるが、これは、各事業者の措置によって具体的に規律されるものであり、それ自体は、法令の規定の適用による性別の取扱い(特例法4条1項参照)ではない。
つまり風紀の維持はどうするんだ?ということで、お風呂に、じゃあそういうホルモン剤すらやっていないような人が入ってきたときどうするか、と。さっきは、そういう人は少数だから、そんなことする人は少数だということで問題ないと言ったけど、この人は「各事業者の措置によって具体的に規律されるものである」って。女性なら女性と認めておきながら、各事業者、銭湯の経営者とかが扱いを決めろって言ってるんだけど、これは無理ですよね。特例法四条一項で、法令の定めがない限り性別を反対側の性別として認める、そういう例外措置はあり得るって書いてあるんだけど、その例外とやらは具体的に書かれていない。理解増進法も通っちゃって、それぞれ現場で決めろって言われたってね。利用者から差別だと言われて、営業上認めざるを得なくなってしまうって、ロサンゼルスその他で話題になりまくってる。
小原 性自認について切迫した事情がある人がいるように、事業者にも固有の事情があるでしょう。少数の特殊な事情を抱えた人たちより、普通の女性の方がマスの客だから、そちらを守るのが一般的だと思います。だけど突き上げを食らって、トラブルを抱えているという風評を立てられるのも死活問題です。どっちへ行っても営業は続けられないのに、自分で決めろっていうのは酷です。
三浦 現実にそういう人は少ないから、なんていうのは詭弁であってさ、そういう人が来る可能性っていうのがすでに恐ろしい。
小原 それが事業者側の切迫した事情でしょう。だって、わたしなんかさ、もう何日も前から、違憲判決が出たら、これからは大浴場の温泉とか行かないで、ちゃんと個室にステキなお風呂のある旅館にしようかな、海外のホテルだったらお部屋で着替えてビーチに直行だし、とか、そんなことばーっかし考えているよ。ゴメンナサイです。
三浦 そうなるよね。。
小原 もう公衆浴場、潰れるよ。
三浦 まあ潰れるでしょうね。世界的には公衆浴場って少ないからなんとかなってるわけで、日本は一番その影響大きいですからね。
さらに、性同一性障害者は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づき、身体的及び社会的に他の性別に適合しようとする意思を有すると認められる者であり(特例法2条)、そのような者が、他の性別の人間として受け入れられたいと望みながら、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせると想定すること自体、現実的ではない。これらのことからすると、5号規定がなかったとしても、性同一性障害者の公衆浴場等の利用に関して社会生活上の混乱が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。
これひどいよね。結局は性別変更者が自粛するだろう、って言っているわけですよ。身体的外観が、例えば女性になってない男性が法的性別を女性にしたからといって、そんな、女性と認めてもらえそうもない場所にわざわざ行くはずがない、と。他の性別の人間として受け入れられたいと望みながら、あえて他の利用者を困惑させ、混乱を生じさせるのは現実的じゃない、と。
小原 裁判官はいつから性善説になったんでしょうね。どんな人だっているのが世の中でさ。ものを盗む人間なんかいるはずがない、とかそういう話になるんでしょ。何のための法律なんだって。
三浦 性善説というより、自粛に期待している時点で、同調圧力による差別を公認しているわけだよ。性別変更者にはみんなで同調圧力を加えて風呂は自粛させましょう.、と。
小原 風評被害は風呂屋だけじゃなくて当人も怖いですから。
三浦 そうそう。人からどう思われるかを気にするから、性別変更者は完全に性別変更を楽しむことはできまい、って最高裁は言っているだけでしょ。
小原 すっげー。
三浦 「性同一性障害者の公衆浴場の利用に関して社会生活上の混乱が生ずることは極めて稀なことであると考えられる」、と。でも法的性別変えたんだから堂々と入る権利はある。そういう権利を認めなかったら、差別になりますからね。今は男女で区別しているだけだから、性同一性障害であっても戸籍男性はお断りですよ、っていうのは、ただの区別ですからね。だけど、これからは女性と認めるんだから。そしたらペニスがついてる女性をペニスがついているという理由で女風呂に入れないよっていうのはこれ完全な差別になりますね。Aカップ以下の人はお断り、みたいなもんです。
小原 たしかに事業者には、客を選ぶ権限がありますけどね。だから事業者に判断の責任がある、と。だけど「立派な女性なのに、たかがペニスが付いているなんてことで女風呂に入れないなんて」ってな非難を、経営者が一身に受けろ、と。お上っていうのは非道だねえ。
三浦 もう、女子スポーツ見ればわかりますよね。臆面もなく出場してるんだから。権利を盾にスポーツにすら出る人たちが、銭湯を遠慮するはずがないですよ。
小原 ほとんどの人は物なんか盗まないけど、それは法律の抑止力が効いているからで、だから窃盗罪は明記されている。犯罪者は例外的であっても、それをどう裁くかが裁判じゃないですか。職務放棄しているとしか思えない。
三浦 性同一性障害のなりすましばっかりを皆、心配しているけれども、当事者そのものも絶対入りますよ。女性に変更した人が、だってそれだけの権利を得たんだから。いわゆる女性スペースしかないですからね。男女の区別を今、しているところって。あとは結婚ぐらいなもんです。その女性スペースを使えないとなったら、性別変更した意味がありませんからね。それなのに、それを民間レベルでなんとかしろって言ってるわけですよね。自粛を強制する雰囲気を作れと、圧力で。そしたら当事者が気の毒ですよね。
小原 いや、そうですよ。国も裁判所も、ちゃんと筋は通せよ。女にしたんだから、女風呂も出入り自由にしてやって。わたしはもう行かないからさ、それでいいじゃん。
三浦 そういうことになるわけよ。
小原 お風呂はいいとして、あとはトイレですよね。女性たちが全員、大音量の防犯ベルを持っていて、ちょっとでも怖いと感じたら、常にそれをガンガン鳴らす。女性たちにもそのぐらいの自由はあるでしょう。でもそういう社会になったら、当事者は本当に行き場がなくなっちゃうじゃないですか。今よりヘイトにさらされるわけで。そういう分断を招くようなことを考えなしに、ねえ。
三浦 しかもさ、こういう当事者っていうのはかなりの割合で発達障害なので、他人の気持ちって分からないんですよ。スポーツに臆面もなく出場してしまうのもそのせい。
小原 空気読まないんじゃ、裁判所の期待にはなお応えられないね。
三浦 そういう人たちは悪意はなくて、本当にわからないんですね、他人の気持ちが。だからまったく純粋無垢な気持ちで使いますよ、女性スペースを。だから当人を責めるのは筋違いで、やっぱりこんな法律で認めてしまうってことが、当人たちにとっては非常に不利益になると思いますね。
小原 子供とおんなじか。ダメって言ってあげないのは無責任。
三浦 「上記規範が社会的にも維持される」ってあるでしょ?そういう前提だったんですけど、法律が変わったら規範が変わる、ってことが、裁判官たち、わかんないんですかね。
小原 ほんと。多くの人が盗みをしないのは、窃盗罪があるからですもんね。幼稚園で怒られたからじゃないですよ。
三浦 法律が変わったら社会規範は変わるんですよ。現に、あの理解増進法を根拠として自分たちこんな決定を出しているわけでしょ。あんな理念法と言われているものが出ただけで、裁判官自身がもう変わっちゃっているじゃない。だからこんな最高裁の決定が出ちゃったら、規範自体が変わるんですよ。あ、これは当然、女性スペースを使っていいんだな、とならなきゃ逆におかしいですよね。
「特例法四条一項にちゃんと例外は規定してあるから」って言うけれども、具体的には規定してないので、どういった場合に「これ例外ですから、身体男性はいくら法的女性であっても遠慮してください」って言えるか、また、そういうことを言った人が差別者だって言われる危険性は常にあるんですよね。だからお風呂の経営者とか大変ですよ。
小原 医者も事業者も、我々も、たぶん裁判官も、それぞれ自分の身を守らなくちゃならないでしょう。だから意識の方が、状況に合わせて柔軟に変わってくる。こないだ旧ツイッター、今のエックスを見ていたら、やっぱりこうなるよね、って投稿があって。「よく考えたら、男だろうと女だろうと、自分の裸体を他人の目にさらすのって実は不愉快だったんじゃないか」って言い出す人がいた。わたしもそれは思っていた。実は個室でお風呂を一人、使うのが実は一番快適じゃないですか。更衣室なんかも他人と共有なんか、本当はしたくないわけ。
三浦 必要悪だったってことに気づくわけね。
小原 女同士だからって、なんとなく共有を許容している状態だったのが、寝た子を起こされたみたいになって。警戒心をきっかけに許容度が減ってきてしまうと、女同士ならいいとか、そんな根底は不在であったと気づいてしまう。そもそもそういうスペースに出かけることの意義とか、ビジネス自体がもう要するになくなってしまうということですよね。
三浦 そうなんだよね。ある意味、特殊な場なんだよね。普段は羞恥心で、とんでもないと思っていることが解放される場で、だからこそ逆にリラックスできるというね。ハレの場というか。特に地域社会なんかで、普段は服を着てしか接してない近所の人と隣り合って、なんていうね、ただそれ男女混合だったら大変なことになるよね。
小原 一人暮らしのおばあさんたちが、銭湯の脱衣所で背中を拭き合ったり。そういう浮世絵みたいな微笑ましい光景があるらしいですよ。
三浦 それはもう、ごく限られた時間だから。
小原 そこになんか特異な人が紛れ込んできたら、おばあさんとはいえ、そういうのでリラックスできないのは、年齢関係ないので。
三浦 これはそこで性犯罪が起こらない、ギリギリのところでとどめてるから意味があるのであって。江戸時代は混浴文化だったじゃないかっていう人がいるけど、そこでレイプはもう起こりまくってたわけですよ。湯の子っていったっけ? その浴場でできちゃった子供という言葉がある。レイプなんて頻繁に起こってるのね、だから江戸幕府が混浴を繰り返し禁止してるわけです。
小原 そういうのを許容する層の人たちと、もうそういうところには行かないっていう層の人たちと分かれてくると思うんですね。二重、三重の形で分断を招くっていう気がしますね。
三浦 もともと高い層の人たちは変わりないですから、他人事ですからね。
小原 経済格差もあるけど、旅行の回数を三回に一回に減らしてでも、いいとこにしか行きたくないって人たちと、家族が多くて回数も年一回だしとか、商店街の慰安旅行とか、大浴場なしになんとせん、という人たちと。規範という以前に、価値観からして変わってくる。
三浦 トイレについては、「外観を認識する機会が少ないから、別にいいじゃないか」って言ってるのかな、これは。
小原 だから怖いんじゃないですか、って話でしょ。
三浦 表面的にはお風呂の方が問題のように見えるけれども、ただお風呂でレイプが起こるっていうのは、江戸時代なんかには盛んにありはしたけれども、人目があるからね。そんな大っぴらにはできない。だけどトイレは連れ込まれて口を塞がれてってことあるからね。男同士だってトイレで犯罪が起こりまくっているわけだから。それが女子トイレに進出していくってことですよ。
小原 つまり、やられそうな人たちが男子トイレは怖いからって、女子トイレに来るわけでしょ。
三浦 まあそういうことですね。
小原 こっちでもレディースがボコボコにするかもよ。
三浦 そういう人は、もうね、どこに行っても居心地の悪さを感じるわけで。20ページにまた「性別変更審判をすることにより治療の効果を高め」って出てくるけど、これが実証されてない。ちゃんと追跡調査してないんだから。特例法で性別を変更した人のその後の人生、自殺率はどうかとか、性別変更した人としてない人でどう違うかとか。性別変更というものがどういう効果があるかって、特例法ができてもう20年経つのに、なんらその調査がされていない。非常に無責任ですよね。どこにもデータ出てないのに、頭ごなしに言っているだけで。
心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有するという、その心理的及び意思的な状態を基本的な要件とし
これも本当に疑わしいわけで、絶対に確信なんか持ってないですよね。自分が例えば男なら男だって、それに違和があるだけの話であって、確信なんか持ってないですよ。女性であるという確信なんか持てるはずがない。もし持っているとしたら単なる錯乱です。妄想ですよ。願望は当然あるでしょうね、なりたいという願望は。でも願望は確信とは違います。定義に入っていませんから。ただし「かつ」の後は、「適合させようとする意思」があればいいのであって、実際に身体的に他の性別になっている必要はないということです。たしかに言うとおりですよね。他の性別に適合させようとする意思を有するという意味でいい、だからその適合には至っていない。ほんとは手術して適合させたいんだけど、怖いからしませんっていうのでも、いちおうこの定義には合ってはいるんですね。だから、現に実際に身体を変えなきゃいけないっていう条件にしちゃってるのは、特例法にも違反していると。もう意思を持ってさえいればいいんだと。この両規定の違憲を理由として、特例法全体を無効にすることは立法の目的に反するという。今ここで4、5号を違憲だと言ったからといって特例法全体を無効にするってことはあっちゃいけないよと言っているわけですね。
小原 国民の負託を受けた立法府は、そんな指図は受けないはずですが。
三浦 特例法を廃止にすればいいと思うけどね。私もね。
小原 裁判所は法に基づいて各事例を審判し、もちろん違憲審判はするわけだけど、その先どうしろなんて指図する権限ないでしょ。日本は法治国家で、法は立法府が定めるって小学校で習わなかったのかしらん。
三浦 えー、本件規定および5号規定だけが無効に…特例法上の他のものを触っちゃいけないって言ってるよね。
小原 だからさ、余計なお世話だっつーの。別に新たな法ができたときに、また違憲だっていう訴えがあれば、そこで審判する。それを真面目に、ただやればいいわけでしょ。この人たちの仕事はなんなん?
三浦 そうそう。ただ当事者たちの中には、この特例法は絶対守るっていう人が多いので、私の知り合いにもいるし、ちょっと反対しづらいですけどね。本音は私は特例法、なくなった方がいいと思いますね。
小原 作り直したらいいんじゃないかな。試行錯誤して、皆が納得できるような形になるまで。
三浦 診断書には、心理的に他の性別であるとの持続的な確信の有無及び自己を他の性別に適合させようとする意思の有無とそれらの根拠とともに、治療の経過及び結果について、精神的サポート、ホルモン療法、乳房切除術及び性別適合手術に区分して、それぞれ治療の期間、内容及び結果等を具体的に記載し、また、他の性別としての身体的及び社会的適合状況についても、具体的に記載することとされている。
診断書で厳しくしろ、と。でもそれ、できないと思いますよ。医師は。このGID学会認定医制度みたいな、あやふやな制度に言及して、診断は大丈夫だと保証しているけど。
小原 GID学会が政治に走らずに当事者の幸福を本当に考えているならまだしも。
三浦 まったく。それで次の草野耕一の反対意見、この人が一番アグレッシブなんじゃないかな。「性自認に合った性別上の取り扱いを受けるのは重要な法的利益である」とまた繰り返していますが、これは違うと何度でも言わなきゃいけないですね。たしかに身体性別と合致した性自認に従った性別の取り扱いを受ける利益はあるよね。女性なのに、男性扱いされて生理休暇もらえないとかね、そういうのは不公平ですけれども。ただ身体が男性だったら別にそんな女性扱いを受けなくたって、法益が侵害されていることにならないですね。で、この人なんかね、いろんな変なこと言ってんですよね。「確かにこれを合憲とした方が静謐な社会だろう」と言っているわけですよ。静かで平和な社会だろう、と。でも、それこそを裁判官が心掛けてくれよってことですよ。
小原 そんな文学的に達観されても、ねえ。
三浦 結局、羞恥心とか性犯罪への警戒心とかを軽く見てるってことですよね。飛行機に金属とか持ち込むのがなんで禁止されるの、ってことだよね。いいじゃない、武器、ナイフとかいいじゃない、と。
小原 そんなことする人いないよ、だって危ないじゃん、ってか。まずその航空会社の格付けが下がる。
三浦 厳罰化の流れに完全に反していると思うんだけどな。
小原 厳罰化するから、そんなことをする人はいなくなるんだって、そういうこと? そんなことするやつがいなくならないから、厳罰化したんだと思うけど。
三浦 法律と現場が一体になってないと困るんだよね。
で、施設の管理者においては、男女の区別はもっぱら身体的な特徴でなされるべきだって、それ守れって言ってるわけだけど。そんなこと言ったら、身体的な特徴以外によってなされるべき男女の区別っていうのは、今はないわけだからさ。だったら法的性別を変えさせた意味がないですよね。差別の存在を前提にしないと、つまり身体特徴によってではない区分、それを重要な区分とすることを前提としないと、こんな認識はあり得ないですよね。そういうものがあるんであればね、性別を変更するっていう意味はあるよ。だけど、それが今ない、というかあってはならないことになっているわけだから、そしたらこの後は身体的な特徴だけですよ。
小原 だからさ、誰が男だろうと女だろうと、興味ないんだって。好きにしたらいいじゃない。ただ身体的に、他者と接点があるところが心配なだけでね、皆。
三浦 だから結局そこで、接点がありそうなところ、風呂なんかでは、女性と認めないよって言ってるわけでしょ。だったら性別変えた意味ないじゃん、と。
小原 そうですよ。最高裁まで争って、当人の社会生活にとっては無意味じゃないの。ただ裁判所が権限をアピールしただけで、さ。
三浦 だから詭弁というか、自己破綻してるんだよな、これ本当に。で、この次のページも、管理者が細心の注意を払えって言ってるわけよ。
小原 現場に投げるな。そこでトラブルが起きたら、また裁判所に戻ってくるよ。
三浦 管理者の裁量によっては、あるいは当人の自粛は強制できないから、自粛しなかった場合とか、おちんちんがついたまま女風呂に入ってくることもあり得る。それは非常に、かまびすしい社会であると言えるかもしれない、だけれどもそれはしょうがないんだって言ってる。冗談かね。
小原 裁量によっては、って。誰にとっても、一つも救われない判決ですよね。いったい誰が勝ったんだろ。
三浦 かまびすしい、そんな社会を防ぐのが立法行政司法の役目ですよ。
小原 温泉なんてリラックスするためにもっぱら利用されているので、そんなところで戦ったり、自分の偏見と向き合ってみたり、他人を許容するために思考を変えたり、そんな覚悟で、かまびすしい温泉に浸かろうとする人はいないですよ。
三浦 ゲームの世界じゃないんだからね。かまびすしい社会とやらを実現すべきなのは、芸術とか、虚構の世界ですよ。だから虚構の世界で思考実験やりゃいいだけの話であって、現実世界に持ち込むなって話ですよね。
小原 かまびすしい世の中なんて、そんなレトリックに逃げるのは悪手ですよね。我々にはわかる。そういう出来の悪い原稿をいっぱい見てきたし、自分でも反故にしてきたんだから。物事は現実、もしくは起きたことでしか変わらないって、小説家が一番よく知ってる。
三浦 そんなに法的性別を変えるって必要ですか? って話で。手術しても性別を変えてない人も、いっぱいいる。
小原 意味ないって、きっと当事者が思ったんでしょ。だからさ、医学的にどうこうと言ってんだったらデータを示してもらわないと。医学的根拠ってデータなんですから。かまびすしいとかなんとか、修辞は意味ない。
三浦 それそれ。データが一つも出てないっていうのは、これすごいね。論文だったら一発でアウトだな。卒業論文でかろうじて通るぐらいかな。修士論文だったらアウトですね。
小原 卒業論文でもAはもらえないと思う。
三浦 もらえないね。少なくとも東京大学文学部の修士論文としては完全アウトですね。まあ学部は、こんだけ長いの書いたんだったらいいよ、ぐらいのもんだよ。
小原 しつこいけどAは無理。
三浦 しょうがないね。これ、論理破綻が。「このかまびすしさは・・・国民が享受し得る福利を最大化しようとする努力とその成果」って、だから「5号要件非該当者」にとって福利にならない可能性を全然考慮していないのがスゴイ。あと、この凍結保存のあたりはどうでもいいとして、特例法三条一項の他の規定に関して、十八歳未満であってはいけないとかっていうやつ。それすら、なくせと。子供の性別変更を認めろって話ですよね。冗談ではないよ。子供はタバコも酒も結婚もできないわけであって、それは判断が未熟だからで。じゃあこの性別に関しては、判断がたしかなんですか、と。子供はすぐ影響受けちゃうわけだよね。とんでもないこと言ってるよね。なんでこんな人が最高裁の判事やってんの。
小原 いったいどんな利権があって、こんなことを。
三浦 利権というよりは、やはり国際社会のトレンドに合わせなきゃいけないっていう強迫観念だと思うね。
小原 そんな善意だけでこんなことを。
三浦 いや、人間ってそういうもので。悪意を疑うより、やはりそういう方が自然だと思いますよ。
小原 だってそれじゃ、ものすごく頭が悪いってことになっちゃうじゃない。
三浦 そうそう、頭悪いですよ。だから歴史に学んでないんだよね。明治維新のときにはさ、先進国といわれる国の真似をして、追いつけ追い越せでうまくいったわけです。だけど今はそれぞれ多様性、と言ってんだから。こんな性別変更を認めていない国の方が圧倒的多数なわけだから。認めているのは一〇%以下ですからね。
小原 はるか昔に構造主義の時代を経て、オーベーか、ってなもんでしょ。一般的な西欧コンプレックスとは思えないけど、アメリカ大使からの圧力が相当なのかな。日本の司法は政府べったりっていうけど、だから岸田さんがだいぶあのアメリカ大使にやられてるのかな。
三浦 そうでしょうね。アメリカの言う通りっていうのは、これもずっと戦後変わらないから。
小原 それにしたって、こんなくだらないことで言うなりになっても、恩に着てもらえないと思うけど。せいぜいサミットで岸田さんがカッコつけさせてもらうとか、それでLGBT法案を通したんでしょ。
三浦 取引というか、そうしているのが一番、面倒がないんですよ。アメリカの言う通りってやってれば。ただ、アメリカの中で混乱が起こっていることはわかってるはずなんだけどね。
小原 また共和党政権になって、トランプ大統領にでもなったらどうすんの?
三浦 トランプになった方が健全だよね。マスコミと対立が起こるからね。
小原 そしたらまた日本は置いてけぼりじゃない。四年ごとに最高裁判決がひっくり返るって、大統領選に合わせてんのか。へんなの。
三浦 早く共和党政権になってほしいね。
小原 民主党政権だと必ず戦争が起きるんだもん。
三浦 イスラエルをめぐっては、民主党でも共和党でもあんまり変わんないと思うけど。
次のページの「性的アイデンティティ」なんてさ、こんな概念、日本になかったんだから。ドラッグ依存とか、セックス依存とか、いろんな依存があるけどさ。アイデンティティ依存みたいな、くだらないイデオロギーの輸入は、我々、これ一番責任感じなきゃいけないところでね。欧米発のイデオロギーを無批判に受け入れるっていうのは、我々哲学徒も心当たりがあるわけであって、ここのところ人ごとじゃないから。自分たちがやってることと同質のことでさ、向こうの思想的な潮流をありがたがって受け入れちゃうわけでしょ。だからこれ、ちゃんと選択できる芯がないとそういうことやっちゃいけないね。
小原 もうそんな時代じゃないと思ってたんですけど、いまだにそんな感じですかね。
三浦 入ってくる情報が全部それだから。私自身顧みても、使う文献とか情報とか、知的な遺産は中国とかロシアとか、そういう方面じゃないもんね。世界の国際社会のマジョリティは圧倒的に、九〇%以上が性的アイデンティティなんてもの、認めてないんですよ。欧米の一部の、ごく最近のトレンド、しかも混乱した状況を生み出している賛否両論あるトレンド、それを無批判に受け入れるという。
小原 うん。性別は他人が決めることで。ヒヨコのお尻見て、オス、メスをぽんぽん分けるのと一緒で、性的なものは他人が決める。自分のアイディティティは関係ないですよね。
三浦 そうそう、アイデンティティは、いわゆる個性で十分。多様性っていうのは個性によって実現するものであって、カテゴリーによって実現するべきもんじゃないんだよね。せいぜいカテゴリーは二つでいいわけです。性別カテゴリーっていうのは二つだからこそ、で。
小原 そんなのさ、私は日本人じゃない。実はアメリカ人なんですとか言ったって、別にグリーンカードくれないじゃないですか。
三浦 だから個人で勝負できない人がさ、こんなカテゴリーでのアイデンティティにこだわるわけであってね。
小原 怖いのはね、自分の性別のことで頭がいっぱいの人が、やっぱりどうしても性的に突出した行動を取りたがる。つまり、わざわざ女子トイレに入ってきたがる。自分が女なのか男なのかとか、そういう性的なことばっかりで頭がいっぱいの人が、あえて女性スペースに入ろうとしたりするわけじゃないですか。それが怖いんですよ。
三浦 性別は一切関係ないんだよね。性別とまったく関係のない強迫神経症的な症状が、たまたま性別というトレンドに乗っかってるだけの話で。それを真に受けて性別の表面上のその現象を本質と混同して、こんな措置を取りに行くっていうのはちょっと判断が狂ってますね。この裁判官たちは。
小原 イギリスか何かのデータで、一般の男が性犯罪を犯す率と、そういった人が性犯罪を犯す率が何百倍も違う、と。だから男だけど女に近い人だから、この人は性犯罪を犯す率が低いんじゃないかと思うと大間違いで。ようするに性的オブセッションの強い人なわけだから。結局、性的な事件に関わる率が普通の男性よりも高い。
三浦 私の知ってるデータは、監獄に収監されている人の中での性犯罪者の率が、普通の囚人に比べてトランスの囚人が圧倒的に高いってことらしい。だからそう、性犯罪者は多いんだね。全犯罪率そのものが同じだとすればね。
小原 だから、共用トイレが怖いんじゃないんですよ。男女兼用のトイレはよくオフィスの中にあったりして、人が襲ったりできないし。
三浦 そういうトイレは一人しか入れないことが多いし、そうなると手洗い場も一個しかない。だけど歌舞伎町のみたいな、ああいうトイレになっちゃうと。
小原 トイレの設計は全部やり直してほしいですね。ただ、女性と一緒では居心地が悪いと感じるような、普通の男性ならさほど怖くはないんです。女性トイレにあえて入りたがるような身体男性が怖い。だって本人の自認がどうあれ、こっちから見たら今までの犯罪者と同じですもん。実際、普通の男に比べても何百倍も犯罪率が高いわけだし。そういう人だけを選択的に女性トイレに入れてあげましょう、って正気かって。もし普通の男の人がそこに居合わせたら、むしろ助けてくれるかもしれないけど。
三浦 もうトランスは、その辺の話は通じないんですよね。ただ、やっぱり悪意を持っているわけじゃないんですよ。不幸にも性別にこだわっちゃっているんで。だからジェンダーレストイレを設けても、そこは使わない。あくまで女子専用トイレに行くんですね。
小原 あえて行く。なんかちょっと笑っちゃう。ほんと子供みたい。
三浦 実際そういうツイートをしてますよね。私は女性なので、近くの共用トイレを使わずに、上の階の女性トイレを使いに行きましたとかって、生物学的男性の人がね。まぁいろいろ批判を受けたりしてましたけど、言われてムキになって言い募った可能性もあるけど。
小原 そこのところ、その執着がイヤなわけ。そのオブセッションが鬱陶しいのであって。人間はトイレのことばかり考えて生きるべきではないよ。
三浦 だから、いちおうそれを全面肯定するという判断になっているわけで。非常に問題が多いですね。性別だけ、なんでこういう扱いするんでしょうか? 錯覚をこんなに尊重して、当人の利益になるとも思えないよ。錯覚を助長するような扱いを受けて、表面上は尊重されているけれど、結局はその錯覚が拡大するだけですからね。
小原 そうですね。
三浦 身体性別と法的性別が乖離してるっていうのは過酷な状況ですよ。その二つが一致しているからこそ、かろうじて不安定な心だけが取り残されている状態だったのが、法的性別と合致させられちゃうわけでしょ。これは齟齬が逆に深まっちゃうわけであって、当人は厳しい状況に置かれる。ただ心理学で言われる通り、自分が望んだ状況には苦情を言わないという、そういう傾向が人間にはあるわけ。当たり前だけど、アンケートで幸福度調査みたいなことをやったとして、性別変更した人っていうのは自分の状況をよほどのことがない限り悪くは言わない。自己欺瞞がそこで発生するわけですね。それでもトランスを後悔して戻ってくる人っていうのはいるわけだけど、ほとんどの性別変更者は我慢するんですよ。自由意思で選んだことについて社会の支援を受けちゃったんだから。そしたら、これ思ってたのとは違うと、以前の方が良かったという人であっても、自ら愚か者になりたくないわけです。「言わんこっちゃない」とは言われたくないわけですよね、私、実はそういう人知ってるんですよね。法的に性別変更しちゃったんだけど、後悔している人って結構いるんです。それ、表立っては言わない。
小原 まあ、コレジャナイっていう感じですよね。コレジャナイ・ロボですよね。
三浦 Abemaかなんかで二人ぐらい出て証言してたけど、そういう人が実際何パーセントいるか、国は追跡調査すべきです。
小原 裁判官たちがそういう人たちととってもフレンドリーな関係で、心情を聞き出せるとも思えないですね。
三浦 そういう人たちが社会に迷惑をかける可能性というか、自身が不幸な目に遭って、それを我慢してる悪影響が他人に及ぶということもある。犯罪に関しては理解増進法が通った直後にはトレンドみたいに女装者がトイレでいたずらしたとかの報道が増えたけど、今は沈静化してね。当人が後悔しているとか、余計に取り上げられないですよね。せめて当人の利益に、本当になってれば、こちらも一歩譲って社会的な不便も天秤にかけて当人たちのために、ってなるけど。もともとが虚偽に基づいた自認ですからね。事実に反した、錯覚に基づいた自認をそんなに持ち上げて、正常な自認と同列に、基本的人権のように扱うっていうのは、本来治療の対象であるもの、治すべきものを治さないってことでしょ。錯覚を助長することが法的利益になりますか?っていう話。それ、ちゃんと幸福度を実証してほしいですよね。
小原 さらにヘイトが進むでしょ。一般の人々の警戒心が増せば、防犯ブザーや防犯カメラでガチガチになって。入ってくる権利もあるかもしれないけど、女性たちだって警戒する権利はある、みたいになったら、やっぱり当事者の幸福感は増さない。それもヘイトで対立が深まったせいで、自分たちの自認が間違っているせいではない、と。問題の本質が見えないままになってしまう。
三浦 ヘイトされやすくなるのもあるし、そうじゃないマイクロアグレッションが増えるんですね。悪意のない細かい侮辱ね。性別を変えた男性なんだけど法的女性だから毎年、子宮検診の案内が送られてくる。それによって本人はイラつく。当てつけか、と怒っている当事者のブログを見たことがあります。じゃあ、何のためにお前は女性になったんだよ、女性扱いされてよかったじゃない、と言いたいよね。でも、女性扱いされるはずのないところでされる、無視できないマイクロアグレッションが積み重なる。性別変更にはそういう副作用がいっぱいある。
小原 望み通りにしていったい何が不満なのか・・・。
三浦 日常生活で、本来は自分には全然適合しない扱いが社会からどんどん、自然になされてくると、これがストレスになって。だったら元の、男だったときの方が良かったなっていうのは、今の社会のシステムからして起こるんですよね。だって、身体での区別の方が圧倒的に多いんだから、社会的区別なんて称するものはどんどん撤廃されていくわけだから、そんなところで特に女性扱いされることはまずないわけでさ。ただ、身体に基づく女性扱いばっかりされるわけですよ。なのに風呂には入れてもらえない、だけど子宮検診の案内が送られてくる。なんだこれは。ってことになる。
小原 でも、あなたが望んだことでしょって言われちゃうから。
三浦 そう。そこなんです。だからこれ法的利益と言っているけど、その根拠は、私は皆無だと思うんですね。ちゃんと理屈を言ってほしいですよ。なんで性別変更が当人の利益になるのか?単に表面上の気持ちが満足させられるっていうだけの話でしょ?
小原 最初の一瞬だけ、ね。後から詐欺にあったように感じるかもしれない。そしたら女性スペースに突入ぐらい、したくなるかもしれませんよね、たしかに。でも我々はその気持ちを理解しない。身勝手だ、としか思わないでしょう。
三浦 実質の社会的扱いは、ほとんどが身体に基づく扱いなんだから、まったく救われてなくて。男のまんまのときの方がはるかに自分の現状に合致した扱いを受けていたわけで。身体変えずに法的性別変えたって人は、おそらく多くが後悔することになる
んじゃないですかね。
小原 女性的なところのある男性も、マニッシュな女性も、また男が好きな男も、女が好きな女も、それこそ多様性として、あるがままに認めればいいじゃないですか。親からもらった、たった一つの肉体を否定して反対側の性別カテゴリーに入ることに、当人たち自身がどっかの段階ですごくこだわってしまう。そのことが逆に社会からのヘイトや分断を生むとすると、本末転倒ですよね。
三浦 そうそう。たった一つの肉体を否定、しきれるならまだしも、否定すらできないまま否定したことにして、何重もの自己欺瞞で自縄自縛というか「5号要件非該当者」はほんとに大変です。身体以外のところで男女にこだわるっていうのが、すなわち男女差別と言われるんだから、当人たちがそういう差別意識が強い人、ってことも無意識ではわかっているはずだし。
小原 性別変更した人たちって、性差についての最先端をいっているってイメージがあるけど。こう言ったらなんだけど、むしろ遅れているのでは、という気がします。
三浦 社会はもう、そういう区別をどんどん撤廃していて、学校の制服もジェンダーフリーになって、ところが当人たちの意識が遅れていて、身体に基づかない男女の差というものにこだわったまま。非常に不幸ですよね。そういう人には、社会改革の方向を教えなきゃいけない。
小原 あなたが生まれたときから男であって、あるいは女であって、なんの不都合があるのか、って、冷静に考えて。排除しなくてはならないのは、男らしさや女らしさのオブセッションであって、それぞれの法的性別ではないですよね。肉体でもないし。
三浦 男女の区別って身体しかない、ってことを頭でわからせればいいだけなのに、それこそ認知行動療法や論理療法でさえ差別だっていう人もいるけど、とんでもない話でさ。それでも身体がどうしても嫌なら手術で変えればいいわけであって、手術を要しない人っていうのは結局、社会的な幻想にすぎない男女の区別にこだわっているだけの人なんだから。そういう人は元の性別のままで、ちょっと個性的な、性別越境をした人として、その個性を発揮すればいいわけですよね。
小原 性別ってこんなもん、肉体の域を越えないもん、と見切れば、意識が次のステップに移っていくと思うんですね。もっと生産的なステップ、と言ったら悪いけれど。だから、そこになんでいつまでもこだわっているのかっていう。その人のどこが女なのか、とかいう問題よりも、なんで性別にいつまでもこだわってて次の段階に思考が動こうとしないのか、っていうのが理解できない。
三浦 そういうところを諭してほしいよね。性別変更をどんどん認めるのが先進的なんだっていうつもりでいる自称支援者らが、実は遅れた意識を甘やかしてしまっている、というね。
小原 裁判官もいわゆる最先端に追いつこうと努力してるんだろうけど、周回遅れって感じ。
三浦 すごいよね。困るんですよ。ヘイトとかフォビアよりさ、このスポイルの方が、当事者にとってははるかに害悪を為すわけです。
小原 うん。それはそうだと思う。なんちゃって教育者の端くれとしても。
三浦 というわけで、いちおう最後まで大法廷決定のポイントを見てきましたが、恐ろしいですね。この裁判官十五人がすべて根本的に反対を言わないという。これだけ世論が分かれて、嫌だと言っている女性が多いにもかかわらず、これだけの裁判官がまったくマスコミ的同調圧力に抵抗しない。女性が二人ぐらい入ってるんですか? にもかかわらず、何にも言わないという。
小原 まあ、女性だからといって、「女性ならではの意見」とやらを期待されるのは不愉快だ、というのはよくわかります。男の裁判官にこそ、女性たちを代弁してもらいたいな。それがジェントルマンの美学というものでしょ。
三浦 最高裁の判事になる人たちは、後のポストも用意されて、割り振られてきたものに順応してきてる人ばっかりだから、ここであまり目立ったことできないんですよね。申し合わせて、あんまり出っ張ったことはしないと。
小原 そうなんだ。でも全員一致って、かえって目立つけど。
三浦 そうね。個人の意見で、ちゃんと論理に従った判断をすれば、それはもう我々が今ここで言ってるようなことになるよね。全然、論理破綻してないですよね?
小原 このトーク連載の最初から、一貫してると思います。
三浦 うん。とりあえず論理的に破綻してないこと、その可能性の選択肢を15人の裁判官の誰一人言わないという、この恐ろしさに尽きます。
小原 それと失礼だけど文章の稚拙さ。すごく頭のいいはずの人たちなのに。たった四年で合憲判断をひっくり返すことになって、ご自身たちも本当に納得してできあがった文章なのだろうか、と思いました。物書きとして。
三浦 そう。だから次は国会ですね。今度はこの、新しい法律を作るという。
小原 期待したいですね。
注1
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231005/k10014216411000.html
(第06回)
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