女子高生のミクはふとしたきっかけで社会人サークルに参加することになった。一足先に大人の世界の仲間入りするつもりで。満たされているはずなのに満たされない、思春期の女の子の心を描く辻原登奨励小説賞佳作の新鮮なビルドゥングスロマン!
by 金魚屋編集部
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「ミク、このあとどっか行くの?」
授業の後、ミライが話しかけてきた。未来と書いてミクとミライ。「同じクラスで、名前の漢字が同じ二人って珍しくない?」と声をかけられて以来、なんとなく行動を共にしている。
「いつもと一緒」
バイトのふりをしているけど、実は今日も社会人サークルに行くのだ。
「いいよね。推薦で決まってる人は。バイトとかし放題じゃん」
ハタから見たらそうなのだろう。ギリギリで焦りたくないから推薦で母親の母校に決めた。でも、決まってしまった今となってはなんだかもやもやしている。井戸に落っこちて、蓋を閉められてしまったような気持ち。ミライは、一般受験でマーチ以上を狙っているらしい。ずっと働きたいし、就職の心配をしたくないからと言っていた。私だって働きたくないわけではない。でも、今がんばるのもしんどい。一度しかない高校生生活を受験勉強一色で塗りつぶしたくない。もともと成績の良くない私は結果として、総合職で働くのはむずかしい大学に進学することになった。女子大の中では上位のイメージだけれども、実際はFランク。印象とは違ってこれは事実だ。
「そういえば、由紀ちゃん、今日は休み?」
由紀ちゃんは、ミライの隣の席の子だ。今まで休んだことがなかったから、少し気になっていた。
「うーん…」
なにか知っているみたいだ。
「ケンカでもしたの?」
「するわけないじゃん。別にそんな話すわけでもないし。親がリストラされて、専門学校を受けることにしたんだって」
「推薦で共学の大学に決まってたよね?」
要領いいよね、とクラスメイトが陰で言うのを聞いたことがある。
「そっちには行かないことに決めたって」
つぎの言葉が出てこなかった。
「でも、由紀ちゃんなんかまだ良いほうだよ。C組の桐ケ谷さんなんて、親の会社が潰れて、そのままだって」
桐ケ谷さんは学校の中でちょっとした有名人だった。親が経営者で、いつも本物のバーバリーのコートを着ていた。習い事はフルートと乗馬。そんな桐ケ谷さんに憧れて、偽物のバーバリーを着る人も多くいた。他人事のように回想しているけど、私もその一人だった。偽物でも衣料品は高いので、バイトして正規品のバーバリーのポーチを手に入れた。バーバリーを使いたそうにしているのに気付いて、ママがマフラーを買ってきてくれたこともあった。
「そのままってどういうこと?」
「来なくなって、先生からさらっと説明があっただけみたい」
「辞めたってこと?」
「だからそうだってば」
落ち着かないようで、髪の毛先の枝毛を見つめている。クセなのだ。
「受かったら、同じ大学の男子紹介してよ」
ミライの不機嫌さが伝わってきたので、とりあえず話題を変えた。
「彼氏いるくせに、こっちの領域まで荒らさないでよ」
笑っていたら、自分が幸せなような気がしてきた。けど、そんな気分は教室を出たら消えてしまった。他の人から幸せに見えたらそれなりに満足だから、女の子同士はすぐに「羨ましい」って言い合う。相手が惨めな気持ちにならないように。その選択、間違ってないよって言ってあげるために。優しさでも無責任さでもあるその言葉をどう受け止めたらいいのだろう。
|ワイン忘れちゃったから、来る途中で買ってきてくれたら助かります。なかったらいいよ! 後で払うから。
エリアさんからのメッセージ。仕方がないから、コンビニで安いワインを買って行くことにした。未成年なのでビクビクしていたら、認証画面で「成人していますか?」の画面をタッチするだけで終わった。会場は前回と同じく、マンションの空いた部屋だった。中目黒の、閑静な住宅街。
ドアを開けると、もう全員が揃っているようだった。
「グルド!」
「来てくれたんだ」
「ワインも買ってきたんだね。私が忘れてたのに、気が利くじゃん」
スリッパを履き、ワインクーラーにワインを立てかける。
「今日はエリアさんお得意の餃子パーティーだから、楽しんじゃって。ちなみにニラは自家製だぜ。ぽいぽいぽーい!」
「あんた、家で寂しくニラなんか育ててるの?」
エリアさんが呆れたような声を出す。
奥に、会ったことがない人も数人いた。もう具材を包みはじめている。今回は、マリエールさんは欠席らしい。皮が市販のものだと時間がかからないので、正直安心した。お腹が空いていたのだ。
「もうすぐできるし、グルドは座ってていいよ」
なにもしないうちに、戦力外通告を受けてしまった。そんな私の前に小皿と、小さく仕切りがされた中皿が目の前に置かれた。仕切り一つ一つに、異なるタレが注がれる。
「一番食べてほしいのが、薔薇風味。定番のタレと比べてみてほしい」
エリアさんは、「どうぞ」と小さく言ってテーブル中央にある大皿から私の目の前の小皿に餃子を乗せた。華奢な指にライムグリーンのネイルが良く似合っている。
周囲も、各自取り分けて食べ始めた。大皿の上の料理がとても温かそうに見えた。家族ではもう何年も同じ食卓についていない。父は土日、どこかに出かけている。うちではだれも「どこに行くの?」なんて聞いたりしない。いつからそうなったのかは思い出せないし、いまさら興味もない。
テーブルの花瓶には、数本のマーガレットが挿してあった。
「いただきます」
まずは酢醤油。シンプルだけど、具材の味が前面に出て美味しい。味噌ダレも、柚胡椒も、なぜかマヨネーズだってあるけど、あえて薔薇を先に試してみることにした。口に入れると、薔薇の香りが広がった。新しい感覚。花を食べるって、こんなかんじなんだ。
「そういえば、宿題やってきた?」
さりげない様子でエリアさんが言う。
「宿題?」
「グルドの夢だよ。ぽいぽいっ!」
「全然思いつかなくて、ごめんなさい」
雰囲気を壊しているような気がして、言った後で罪悪感が湧いた。匿名になるとブレーキが緩くなって、無神経になってしまう。
気まずくなるのを避けたくて
「進学先、このままでいいか悩んでるんだ。就職には有利じゃない学校だし」
と慌てて付け足した。しばらく沈黙が続いた。余計なことを言わなければよかった。
「必死で就活してガソリン切れした俺の前でそれを言う? まだ高校生のうちに就職の心配なんかするなよ。学生は勉強しろっつーの」
ぽいさんが、ピンク髪をせわしなく振りながらマトモな意見を言う。
「起業を目指してる人もけっこういるよ。ガフさんだってそれなりに成功してるし」
そんな簡単なものだろうか、と思いつつも気軽な気持ちになった。この日を境に、私はミクでいる日よりもグルドでいる日のほうが多くなった。緩やかな現実逃避だけど、私には逃げ込む先があって、それが日常になると信じたかったのだ。
(第02回 了)
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