女子高生のミクはふとしたきっかけで社会人サークルに参加することになった。一足先に大人の世界の仲間入りするつもりで。満たされているはずなのに満たされない、思春期の女の子の心を描く辻原登奨励小説賞佳作の新鮮なビルドゥングスロマン!
by 金魚屋編集部
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眠い。昨夜は早めに寝たはずなのに。
瞳を閉じて、まぶたに透かされたわずかな光とそれを覆う黒に満たされる。しばらくすると、水面に浮かんでいる時のように意識が漂い、私は完全に一人になる。
電車の中で立ったまま眠りかけたことに気づいて、はっとしてつり革を握りなおした。
目を開くと、曇った窓ガラス越しに雨に濡れた外の景色が平面に見える。ハサミで切り取れそうな、現実感のない形の木が並んでいる。
次は祐天寺 祐天寺
アナウンスに促されて電車を降りた。
Google MAP上では、指定されたパーティー会場まですぐだ。駅周辺はお店ばかりだけど、それを抜けたら住宅街で、しばらく歩いた先に美術館っぽいマンションがあるからと言われた。おおまかな説明だから、自分で地図を見ることにした。
同じような建物が並んでいる中に、美術館に似た施設を見つけた。ここだ。中に入り、廊下で深呼吸をする。人と会う前はいつもそうしているのだ。もう一度、大きく息を吸った後二〇一号室の扉を開けると、十五畳ほどのスペースに七、八人の人がいるのが見えた。
「ガフさん、こんにちは」
「マリエールさん、おはよう」
「ウナさん、久しぶり」
「もいさん、来てたんだ」
狭い部屋で、ニックネームが飛び交う。
もいさんから「週末、社会人サークルのタコスパーティーがあるから来ない?」と誘われて、なにも予定がなかった私は素直に来てみることにした。春には大学生になるのだから、サークルというものの雰囲気だけでも知っておいたほうがいいと思ったのだ。プールに飛び込む前に、つま先だけ水につけてみるようなかんじ。
見たところ、メンバーの年齢層は二十代から三十代くらい。十代はもしかしたら私だけかもしれない。内心ドキドキしていた。
部活の合宿で他校の友達ができ、その人の知り合いの中に女子大生のもいさんがいた。
「ここは初めて? 迷わずに来れた? すらっとしてるのね。荷物は棚の中に置いて。じゃあ、冷蔵庫の中のレタスをちぎってもらおうかな」
初対面の人が冷蔵庫からレタスを取り出して、洗った。私も手を洗うと、レタスを手渡された。
「細くて、羨ましい。モデルさんみたい」
「女子高校生だって。色が白いね」
慣れない手つきでレタスをちぎっている私に、次々にだれかが話しかける。この会には新入りの人をちやほやする習慣があるみたいだ。
レンタルスペースのパーティーで会費三千円。高校生には痛いけど、年上の人と交流したいし、仕方がない。お金を出そうとしたら、後ろから声をかけられた。
「初めての子はいいよ。今日は歓迎会だからこっちで出しとく」
先にテーブルに座って会計係をしている女性に、背の高い男性が六千円を手渡した。
「えー。いいな、いいな」という女性の声が聞こえた。ちょっと本気の混ざった声だ。
隣でトマトを刻んでいる子がこちらを向いて言った。
「ガフさんは、すごい人なんだよ。IT系の社長で、資本金も自分でバイトして貯めたんだって。今は社会人だけど、在学中に会社を興したんだよ! まだ三十五なのに人脈もすごく多いから、困った時には彼を頼りにするといいよ」
「会費、出していただいてありがとうございます」と会釈するとガフさんと呼ばれた人はくしゃっとした笑顔で頷いた。確かに、どんな場所に置かれても自力で食べていけそうな、何を見てもしれっと切り抜けていきそうな生命力を感じさせる人だ。
どうやら、ここではガフさんが幅を利かせているらしい。
もいさんをはじめとするメンバーのニックネームはガフさんが決めていると、もいさんから聞いた。
インターフォンが鳴る。
「エリアかな?」
ガフさんが、立ち上がってドアを開けに行く。玄関から、栗色のロングヘアーのわかりやすい美人が出てきた。白いワンピースにカーディガンで、お天気お姉さんのような雰囲気。
「雨なんだもん、どうしても遅れちゃうよ。悪いの、私じゃないよね? けど、白ワイン買ってきたから許して」
気軽に容姿のことを話題にできる親しみやすいポジショニングの私と違い、エリアさんは周囲の女性を緊張させた。一瞬、沈黙状態になる。エリアさんは冷蔵庫にワインを入れ、ちゃっかりガフさんの隣に座った。ガフさんの隣は、エリアさんの特権らしい。
「あとどれくらいでできる? お腹空いちゃった」
という様子からも、キッチンに立つ気はなさそうだ。トルティーヤの生地を作っている女性が「ごめん。あと三十分は無理そう」と言ったところで、エリアさんから「新しい人は座っていいよ」と声をかけられた。エリアさんと対面の席に誘導される。
「新人のニックネームを決めないとね」
「雰囲気がリスっぽいな」
「絶滅危惧種のすごい可愛いネズミに似てない?」
エリアさんが、私のほうを見ながら好き放題言っている。
「グールドニセマウスのこと?」
「さすがガフさん。それそれ!」
なんだか楽しそうだ。
「ニュースはできるだけ目を通すようにしてるからな。常にアンテナを張ってビジネスチャンスを探してるから。俺はいいと思うけど、本人の意見も聞いてみないと」
(はいはい。ネズミはネズミですけどね)
自虐的な気持ちになる。
「ちょっと画像で見てみますね。よく知らないので」
そう言ってスマホでGoogle検索してみた。ネズミだけど不潔感もないしまあいいかな、と思ってしまった私は、順応しかかっているのだろうか。
「いいと思いますけど、ニックネームにするとしたらニセマウスになってしまいそうでちょっと……」
別の候補を探してほしいことをほのめかす。
「ニセマウスはひどいよな」
そうそう、その調子。
「グルドとかは?」
「魔法つかいみたいでいいな」
勝手に盛り上がっている。もう、なんでもよくなってきた。
「グルドでいいよね? かわいいし」
とエリアさんが、一応の確認という感じで聞く。それ、普通のかわいいじゃないですよね? ゆるキャラとかキモカワなキャラにするコメントですよね? とか言ってしまうと角が立つのだろう。女子高生だから、ニュアンスはわかる。でも、ここまで縮めたら由来もわからないし、承諾することにした。ガフさんは、三角形のボディバッグからペンと手帳を取り出してグルド、と記入した。
「はい。ネズミですね」
ネズミですね、に嫌味を込めたけど、気づいてはもらえなかった。
「お待たせしちゃったけど、上手くできたと思う」
対面のキッチンから歓声が上がった。エリアさんも立ち上がり皿をテーブルに運ぶ。私はグラスを人数分並べ、ワインを冷蔵庫から出した。落ち着いて見てみると、部屋が装飾されていることがわかる。ハートや星の形の風船が宙に浮かんでいる。部屋の隅で、ガフさんが携帯で誰かと話し込んでいるのが見えた。
「はい。じゃあ、みんな座って」
電話を終えたらしいガフさんが声を上げた。
「今日は新しい人、グルドさんの歓迎をかねて、タコスパーティーをします。せーの。タコタコターコ。ターコタコターコ」
あちこちでタココールが起こった。明るいといえば明るい。不思議といえば不思議な光景だ。でも、これがサークルというものなのかもしれない。大学生になる前にわかっておいてよかった。
「グルドちゃんのために、一人一人自己紹介をお願いします」
エリアさんが声をかけた。
「って、自分で言ってしまったので、私から。えっと……エリアです。ニックネームの由来は、本名がエリなので、そこからみたいなかんじ。イマイチ周囲の人たちとなじむっていうのがどういうことかわからなくてウツになってた時期もあったけど、みんなに出会って救われたと思ってます……思ってる! 大学での専攻は中国語なので、ペラペラかな。でも、漢字は苦手なので難しい漢字の読みとかは聞かないでね。今日は楽しみましょう」
拍手が起こる。意外と内向的な性格らしい。
「エリア、ありがとう。本当にいい自己紹介だった。やっぱりここのみんなに出会えて最高だったよね。俺もそう思う。でも、ここでは本名禁止ね。敬語も禁止。あと、プライバシーの詮索もダメです。まあ、自分で言うぶんには構わないけど。グルドさんも、そこだけは気をつけてください。メンバーの本名を知ってるのは、俺とメルさんだけだから」
またしても、ガフさんの発言。エリアさんの隣の人は、白と水色のツートンシャツに貝ボタン、下はジーパンを着た男性だった。代官山を歩いてても違和感がなさそうな雰囲気。静まったタイミングで口を開く。
「ウナです。由来は蚊に刺されたとき、ウナコーワない? ってガフさんに聞いたのがきっかけ。普通はキンカンらしいですけど、うちに常備してあるのはウナしかないので。でも、実家暮らしではないです。地方から出てきて、もう三年以上ですね。実家のウナが懐かしいです。今住んでるマンションではキンカン使ってます」
黒髪の気の強そうな女性が一人で手を叩いたあと、話しはじめる。ウナさんの自己紹介は強制的に終わらせられてしまったらしい。
「マリエールです。名前は、これを言っちゃうと超ハードルが上がるんですけど、タレントの内田マリエールに似てない? って、メルさんに言われたことから」
髪の毛をかき上げるとき、ゴールドの三連ブレスレットが細い腕を滑り落ちた。
「マリエールさんは、このグループのスーパーモデルだから。今日はいないけどメルさんっていうのはいくつかある会の総まとめ役。いつも忙しい方で、パーティーにはなかなか顔を出さないけどね」
エリアさんがすかさず説明する。このグループの、という部分にトゲを感じたのは私だけだろうか。
「で、ニックネームもメルさんから頂きました。普段はアパレルの販売の仕事をしています。こだわりは料理で、タコスだって生地から作りたい人なの。そこはちょっと自信持ってるかな。困ることは、経済的に余裕のあるおじさんにばっかり声をかけられること。最近では、同年代はもの足りなく感じることもあります。これって不倫の告白みたいになってない? 次の人どうぞ」
エリアさんに遮られたと感じたのか、マリエールさんはちょっと不快そうにしながら最後まで話した。でも、口元は笑っている。わりとボディーコンシャスで、スリットの入った薄手のワンピースを着ている。落ち着いた表情から、アラサーに見える。
「メルさんってすげー人だよな。俺、前回会ったの半年前だもん。あとみんな、敬語がなかなか抜けないな。俺に気をつかわなくていいのにさ。じゃ、次の人」
「だれも気なんか使ってないってばよ! ぽいぽーい。ぽいが口癖のぽいです。音楽系の会社で社会人になって、適応障害から這い上がってきました。そこはクビになったけど、今は自分の働き方でサイコーにやってってます。ガフさん、世話してくれてありがとう」
やたらとハイテンションなピンク髪だ。たぶんだれかに憧れてるのだろう。何度も心が折れることを経験して、気をとりなおすことが上手になった人特有の明るさを持っている。お互いに本名を名乗らないせいか、言いづらいこともぽんぽん言えてしまうのがここにいる人たちの特徴らしい。
「俺にお礼を言うのは違うでしょ。この人は、メルさんが連れてきたエリート。ぽいには才能があって、このサークルのテーマ曲も作曲してるんだよ。いくらでもアイディアが出てくる。だから、ふざけてるだけじゃない奴。一目置いてるよ」
と、ガフさん。個性が強い人ばかりではなく、私のように知り合いから誘われてなんとなく来ている人もいて、自己紹介は私の番になった。ニックネームの由来を言うのがしんどい。
「はじめまして。グルドと申します。由来は、絶滅危惧種のネズミの……」
「グールドニセマウス」
何を言おうか考えていたら、エリアさんが補ってしまった。
「で、もいさんの紹介で来ました。緊張しています。タコスが好きです。よろしくお願いします」
情報不足な自己紹介。でも、拍手してもらえた。
「カタイカタイ。でも、いいね。初心を思い出した。みなさん、グルドさんをよろしくね」
次の人が自己紹介しようとして立ち上がると、ガフさんが
「紹介したバイト先、続いてる?」
と気にかけてあげていた。面倒見の良い人だというのは本当らしい。
「お腹がすき始めたからトークは短めにします」
そう言って笑いを誘った人もいた。それぞれの人に飲み物の入ったグラスが配られた。
「ガフさんに、シャンティ・ガフを渡してあげて」
という声が聞こえた。どうやら、ガフさんのニックネームの由来は好きな飲み物からとったらしい。
「ラブ、タコス。ぽいぽいぽーい。もいもいもーい。グルグルグルドさん大歓迎!」
「冷めちゃうから、絶品タコスを食べはじめましょう。立ってください」
グラスを持ち上げて、ガフさんが立ち上がる。マリエールさんは、冷たくなりかけたトルティーヤをレンジで温めなおしている。おじさんに目をつけられてしまうだけあって、気を利かせることが得意らしい。
「グルドさんの登場に乾杯!」
グラスが重なる音。登場という言葉が重要人物みたいで驚いた。白ワインを一口飲んだら、頭の中がぼやっとした。タコスは美味しかった。けど、私にはこだわりのトルティーヤの味が普通にしか思えなくて、それが悲しかった。私の味覚が鈍いのだろうか、それともだれにも伝わらないのだろうか。
「っていうかグルドさんは未成年じゃん。私たち、止めないといけない立場なのでは?」
マリエールさんが突然真面目なことを言う。
「じゃ、一口だけね。ところでグルドさん、夢ってある?」
唐突な質問だけど、エリアさんが優しい人に見えた。そんなことを私に聞いてくれたのは彼女が初めてだったから。私の顔を覗き込んでいる。
「ゆめ?」
「そう、夢」
「なんでも言ってみちゃいなよ。ぽいぽいぽーい!」
なんでも言っていいの? その一言だけで、私はまたこの人たちと会う約束をしてしまった。
*
「昨日、どっか行ってた?」
彼氏のタカヒロが、バイト終わりに電話をかけてきた。
「めずらしく勉強してて、コールバックできなかった。ごめん」
反射的に嘘をついた。別に悪いことをしているわけではないけど、全てを把握されたくはないから。
「今からいい成績とったって関係ないって。大学はもう決まってるんだし」
「うーん」
リアクションしないようにする。
「ミクはお気楽だよな。要領よくやっていかないと、社会人になってからだって困るだけだろ」
先輩風を吹かせてくるタカヒロがたまにうざったい。タカヒロは部活の他校のOBで、大学生になってからも度々高校生の指導に来る。合宿にも顔を出していて、テニスを教えてもらっているうちに告白されて付き合うことになった。はじめの頃は、話すことでなんでもわかり合えると思っていた。けど、今はそれが理想に過ぎないことがわかる。性別の違いのせいなのか、それとも二人のあいだで見えないすれ違いが起きているのかはわからない。
「ありがと」
本音を言わないことで、自分を守る。面倒くさいと思われてしまうのは嫌だった。きっと、お互いにそうで、そうしないと人間関係が壊れると思っている私はもしかしたら何かを諦めているのかもしれない。
「あと学祭、来るよね? 友達に紹介するよ」
「うん。そのつもりではいるけど」
「招待のチケット渡すからさ、会おうよ。いつがいい?」
「今はまだはっきりしないから、またLINEするね」
電話を切ると、もいさんからLINEメッセージが来ていた。
|エリアさんが、Discordでグループを作ってくれたから、よかったら参加して。私もグルドさんがなじめるようにサポートするから、よろしくね。
グループ名はグルグルグルドだった。グルドって、文字にすると案外悪くない。開催予定のパーティー一覧を見て、眠りについた。
(第01回 了)
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*『一月のレモネード』は4月は09日にアップされます。
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