毎日暑いですーう。気温がどうこうってより、めちゃくちゃ蒸すよね。こんな中で渋谷に長―――い列を作って並ばされた、若いっつっても39歳までの人たち。。。まったく、どうしてくれるんだよって感じ。よく暴動起きないよね。結局、若い人はどうとか、年寄りはどうとか言ったって、そんな一面的な見方って何の意味もないよね。おとなしくて常識的な人たちがこんなにいるんだからさぁ。写真見たところ、やっぱウレタンマスクの人は少なそうだった笑
なんか墨田区は、ワクチン接種も、病棟の管理もすごく合理的にうまくやってるみたい。重傷者0って事は、やっぱり初期治療を適切にやって、放置しなければ助かるんじゃないの。なんでこれが、組織が大きくなるとできないんだろう。いろんな集団がいろんなこと言うから、足かせになってるとは思うけど。たださ、我々の生命を軽く見て、もっと別なことに気を取られてるようにみえる政権っていうのは、絶対もたないよね。
本当は、すごく一生懸命やってるんだと思うし、これ以上のことは、誰がやっても無理っていうことかもしれない。だけど我々が求めてるのは、一般の我々が苦しんでるとき、一緒に苦しんでくれてるって感覚なんじゃないのかなぁ。メルケル首相は冷徹な才媛だけど、目に涙を浮かべて、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行っちゃいけません、て。ドイツ国民にも堪えたんじゃないかな。
東日本大震災のときは、枝野さんも菅さんも、とにかく寝ないで頑張ってたよね。首尾についてはあれこれ言われるけど、でも全力で頑張ってた。自民党政権だったら、もっともっとうまくやったのかもしれない。だけどあんなに「いつ寝てるんだ」っていうあり様を、今の自民党のトップがみせるかね。。。国難のとき、とにかく呑気にみえたらいかん。今、天皇陛下だけが誰にも文句言われてないのは、天皇だからじゃないと思うんだよね。
まぁフツーの愚痴はここまでにしといて。
昨日YouTubeで、ちょっといい動画見ちゃった。すごいんだよね。まぁ、すごいってのは、そこで喋ってたお医者さんがすごいって言ってたし、それに説得されただけなんだけど。要するに、10年ぐらい前にSARSに感染して、治って生還した人たちを捕まえてさ、今のコロナワクチンを打ったんだって。そうすると、その人たちはもともとSARSの抗体を持っていて、それで今のコロナの抗体も体内にできるわけだけど。そしたら、ありとあらゆるコロナ変異種、これから現れるであろうものも含めて、とにかく全部に対応できる身体になっちゃったみたいなんだって。
これって、かなり有名な医学雑誌(つまり信用できるってことなんだけど)に載ったらしくてさぁ。どのぐらいすごいことかって、これからどんどん変異種が現れたらどうなるのかとか、未来永劫こういう戦いが続くんじゃないかっていう、先の見えない不安に終止符が打たれるかもって。その見通しがつく、希望が見えるってことだけでもすごいんだよね。だってそういうもんじゃない、人間て。先が見えないのが一番エネルギーを削いでしまう。
つまりコロナっていうのはみんな親戚みたいなもんで、共通する性質があってさ。それをあっちのコロナへと、こっちのコロナへと挟み撃ちにして、いわば立体的に対応していくと、もう全体が諦めてしまうんじゃないか。これでいわゆるコロナと名付けられる病気、動物由来の感染も全部、一網打尽にできるかもしれないってことなんだよね。
そういえば、これは街の噂みたいなレベルなんだけど、ワクチンを2回分をおんなじ種類で揃えるのが大変なんで、混ぜて打っちゃったら、その方が結構、効果が上がったって話があるよね。抗体カクテルってのも、最近よく聞くけど。りょんさんは全然、そういうのわかんないんだけど、このカクテルって言葉も、ちょいとそそられるよね。エイズの薬もなんかそういうふうにすると効くって聞いたことあるけど、感染症ってまぜこぜになった薬に弱いのかね。
すなわちさ、これっていう決め手に頼るんじゃなくて、いろんなもので多面的に攻めていって、徐々に追い詰めていくっていうのが結局は一番合理的ってことなんだよね。それって、実はでも一番労力がかかるし、本気で取り組まないとできないことだと思う。何か一個決め手があるって想定して、それだけをガンガン推し進めればいいんだったら、こんな楽なことないんだけどさ。
厄介な敵はいつだって、こっちの弱点をめがけて攻撃してくる。ウィルスって変異したりして、ほんとに生き物だよね。ボクシングとかで、相手が自分の弱いところを狙って撃ってくるのとおんなじで、ようはどこにも隙を見せちゃいけないんだ。あれはイヤとか、これはダメとか、そういう決めつけは自分のエゴに過ぎなくて、それがすなわち弱点ってことになっちゃうんだと思うな。
そんで、コロナが長引くことで、ほんとに社会も変容するかもしれないって思う。前は、そんなコロナなんて収まったら、すぐ元通りになるのにって思ってたんだけど。どうもそうならないかもしれない。そうすると、それにはどんな意味があるんだろうって考えちゃう。〈意味〉って、ただの結果に過ぎないものに、神の意思とか言い出すと、おかしいかもしれないけどね。でも後から振り返ると、ああ、こういう方向に持っていこうとしてたのか、って納得しちゃうことってない?
旧約聖書にバベルの塔って話があるよね。「バブル方式」のバブルじゃなくて、バベル。バベルって英会話学校があるからさ、言葉に関することってイメージできるよね。まぁ実際そうなんで。昔ノアの大洪水の後、人々が高い高い塔を立てて、天にも届きそうになったのに神が怒って、人々の言葉を今みたいに各国語にバラバラにしたんだって。それで工事が続けられなくなって、塔は朽ちたっていう話ね。当時は皆、おんなじ言葉を喋っていて、それで寄り集まっていたわけだ。ずっと密だったんだね。方舟に乗ったあたりからかね。
でさ、神はなんで、いきなり塔をぶったたいて壊すとかしないで、皆の言葉をバラバラにするなんてまどろっこしいことしたんだろうね。旧約聖書っぽくない気がするんだけど。それで、人々は寄り集まるのをやめて世界各地に散ったっていうんだから、垂直方向、一辺倒の方向性が水平方向に広がったってことだよね。それが神の意思だった、ってことなんじゃないのかね。密はいかんという笑。
もし、コロナの流行で密がなくなることが神の意思だとしたら、って、ちょっと考えたんだよね。そのことでやっぱり新しい世界観が生じるっていうのが、広い意味での神の意思なんだろうか。でも、コロナの治療薬とかワクチンの開発では、人類の力を密集してる。今回の敵は、人類共通の敵だからさ。まぁ、もしどっかの国に責任があるなら、そのお仕置きは後から、ってことになるかもしれないけどね。
ITの力で世界は小さくなっているし、言葉の壁も乗り越えやすくなってる。こんな時代に確かに、人が密集するっていうのは必要ない。密集して何かやってる気分になったり、大勢でいることで力があると勘違いしたり、そういう文化をなくすっていうのは、人類がこれからもっと賢くなるのに必要なんじゃないか。そういう時期に差し掛かったって、考えることもできるよね。
世界が狭くなったことが恩恵だとしたら、群れるのをやめることで、われわれはその本質的な部分を最大限に享受できるようになるんじゃないかな。こないだ長期の投資家で、日本のバフェットって呼ばれてるオジサンが言ってたけど、これからは〈仲介〉でお金を稼いでいく企業は伸びないって。つまり、われわれは世界から直接いろんなものを受け取るようになるのが正しいんだってことだね。
人は群れればヒエラルキーを作るし、それが実力相応のヒエラルキーだったらいいけど、時間が経つと形骸化する。中間にいて、下の人が上に行くことを阻んでる人が、その立場で利益を得る、それが当たり前みたいになっていく。まあ、中抜きとかいうやつね。それを可能にするのが天下りとも言うね。そしたらバベルの塔の物語で、神が壊そうとしたのは、もしかしてこの形骸化したヒエラルキーかもしれない。そうだとすると、メディア=〈仲介〉しようにも言葉が通じなくなるってのが、たしかに一番効果的かもね。
じーっと家にこもっていることで、不健康なメンタルになっちゃうってことはあるかもしれないけど、一方でものすごく透明化した、やたら健康なメンタルの持ち主も量産されてきそう。コロナはものすごい犠牲を強いたけど、それを超えてまた世界が、というより我々が変容していくんだろうね。無敵の抗体を体内に生み出しつつ。
りょん
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■