「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
よく覚えているのですが、朝これを書いたときに、なにかふうっと抜けた感覚があったのは確かなんです。で、そのまま病院に行っていつものように診察を受けた。その日はまた胃カメラの日でした。手術の日も迫っていましたから、腫瘍の状態を念入りに観察することになっていました。ところが、その日医師が『あれっ?』と驚きの声を発したのです。わたしも目の前のモニターに映し出される画像を見て、あのいやらしい腫瘍が消えているのをこの目で見ました。転移していた箇所も、すべてきれいさっぱり治癒していることが発覚しました」
「『上条さん、なにか特別なことをなさいましたか?』と医師に問われたので、『ええ、ここのところずいぶんと物語を醸しております』と答えたところ、失笑されました。『いや、そういうことじゃなくてですね、なにかを摂取したとか、特別な場所に行ったとかそういうことですが』ということだったので、『いえ、それはありませんでした』と答えました。結局、治癒、原因不明ということになりました。でも、わたしにはわかっていましたよ、真田先生。物語が、物語を生み出すという行為が私を変えたのだと。私の意志を変え、生きる力を活性化させ、私を満たし、そして私を救ったのだと」
満場の拍手。割れんばかりの喝采がわき起こった。
真田寿福も、満足の表情で幾度もうなずいた。
「もう十分でしょう。今宵は、田所さん、吉岡さん、そして上条さんのお力添えによって、わたしが多くを語る必要はなくなったようです。おわかりだと思いますが、このセミナーの主人公はわたしではない。物語ることを知り、物語ることを楽しみ始めた皆さんこそが主役なのです。聞き手としてのわたしもまた、今宵はおおいに楽しませていただきました。感謝いたします」
再びの拍手。
「それではこれより、グループに別れて、物語体質醸成ヨーガ、催話紡筋瞑想呼吸法、百物語セッション、優雅な死体セッション、共作錬成即興セッション、作話朗読会などの各セッションに別れての修養をおはじめください。皆様に物語の祝福がありますよう!」
割れんばかりの喝采のなか、真田寿福は会場を背にした。
銃声が響いたのはその時だった。会場が静まり返った。
「ちょっと待てよ、おっさん」
会場係からマイクを奪い取った若者が、拳銃を手に大声で叫んだ。
寿福は立ち止まり、そのまま引き返した。あぶないからと止めようとしたスタッフを制して、再び壇上に戻った。
「皆さん落ち着いてください。この方は、わたしに呼びかけられた。標的とされるとしても無差別ではない。ターゲットはわたしだけです。みなさまに危害が及ぶ心配はありません。そうでしょう?」
銃を持った男はうなずいた。
「ほら、だいじょうぶ。話が通じる方のようです。それに、まだお若い方のようですね。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「田代っちゅうもんや。天誅を与えに来たで」
無理をして悪ぶろうとしている気配が剥き出しだった。苦しさが生傷のように痛々しく露呈していた。寿福は、そんな若者の顔をいとおしげに見つめた。
「田代さんですか。天誅ですか、よい響きです。あなたがわたしに天誅を与えるというのはどういう〈物語〉によってなのでしょうか? ぜひそれをお聞かせ願いたい。がんばって、強がらなくてもだいじょうぶですよ。普通に話していただければ」
「お前のせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ!」
若者は苛立っていた。
「どういうことでしょう?」
「俺はお前の本を読んで作家を志したんだよ。お前みたいに小説書いて、金持ちになって俺をいじめた奴らを見返してやろうって思ったんだ。だから、高校も中退して、引きこもって物語を書き綴った。それはほんとうにすごかったさ。自分のなかからこんなに物語が溢れてくるなんて、俺は想像もしてなかったからな」
「それは、よかったではないですか。充実されたということですよね」
「ところがだな、どこに応募しても俺の作品は受賞どころか一次すら通らなかった。俺の苦悩がお前に分かるか? お前の言葉にすべてをかけた俺の人生をどうしてくれるんだ」
「おやおや、これは参りましたね」
真田寿福は、銃を持った若者ににっこりと笑いかけた。
「なるほど、わたしの著書を読んで、あるいはセミナーを受講して作家を志し、大成された方は大勢いらっしゃいます。たとえば、本日もお越しいただいている芥山賞作家の勝山琴弾さん。受賞作『蝦にピラフ』は日本語にアクロバット体操を強いるまごう事なき傑作でした。同じくいつも多額の寄付金をお寄せいただいている直樹賞作家の遠吠ウルフさん。『過敏性大腸炎刑事原平』シリーズは、売れに売れて現在第十五作目『え、だから言ったじゃないっすか、俺が見たのは犯人じゃなくって半人、つまり半分になったホトケさんだって』も大好評。また寄付金が増える予感がしております。他にも、SF作家、ホラー作家、さらには官能小説家になられた方もおられます。作家以外でも、画家、音楽家、プロスポーツ選手、芸能人、政治家、実業家まで、わたしの著作やセミナーのおかげだと言ってくださる方は多い」
「そうだろ? お前は、そういう戯言を知り合いの有名人に口走らせて、本を売り、自分のセミナーへの来場者を募っている詐欺師だ!」
有名人の名前が列挙されたことが、若者の心の生傷に触れたようだった。若者はさらにも激昂した。
「まるで、簡単に成功できるような幻想をばらまきやがって」
「さあ、それではここでご来場の皆さんにお聞きしてみましょう。皆さんがここに来られているのは、そういう大きな夢のためでしょうか?」
「違うぞ!」
「自分を生きるためだ」
「人生を自分のものにするためだ」
「健康になるためよ!」
そんな声が上がった。
「おわかりですか? わたしがこんな本を書き、こんなセミナーを催しているのは、私利私欲のためではありません。なるほど、話題になったためにわたしの懐が潤っているのは事実です。でも、最低限の生活を営むのに必要な分をありがたくいただいた後、収益の残りすべてをわたしは寄付に回しています。つまり、作家になる前から、わたしは一切生活を変えてはいないのです。相変わらず安アパートの一室に住み、近所のスーパーで買った食材で三食自炊をし、必要最低限のモノしか購入しません。なぜだかわかりますか?」
「知るかよ!」
「そうかもしれません。知ったこっちゃないかもしれませんね。ではお教えしましょう。それは、必要が無いからです。いまの質素な暮らしでわたしは十分満たされているからです。物語を紡ぐという楽しみがある以上、それ以上の贅沢はさほど必要とはしないということなのです。物語があれば、それで十分満足なのですよ」
「それがどうした? それが俺の絶望となんの関係がある?」
わかりたくない、わかってしまったら絶望と直面しなければならなくなるからだと、若者の表情が告げていた。
「わたしは、わたしの著作のなかでも、このセミナーにおいても、一度もこれが成功の鍵だと申し上げたことはありません。ただ、自分の物語を醸せるようになることは、健康の源である、活力の源であると申し上げているだけです」
「詭弁だ! また俺を煙に巻こうとしているな、このペテン師が!」
わかりたくない人間が相手なのだから、わからせようという努力は無駄だ。そのことを、数々の修羅場をくぐり抜けてきた真田寿福はよく心得ていた。だから、彼に焦りはなかった。
「それじゃあ、あなたの物語を聞かせていただけますか?」
「なんだと?」
「あなたの物語を語ってくださいと、わたしは申し上げているのです」
「そんなものは、・・・ない!」
若者は銃を振り回した。
「ない? だってあなたは幾つもの賞に応募されたのでしょう?」
「焼き捨てたよ、すべて。海原泰山先生の教えを受けたからな」
会場に衝撃が走った。なんと、海原泰山とは!
「ああ、あの方の」
なるほど、海原泰山は、真田寿福のことを常に目の敵にして、詐欺師だペテン師だ金の亡者だと攻撃しまくっている急先鋒だった。
真田の『物語健康法』へのアンチとして書かれた『われに委ねよ!』が、一部の層から熱狂的な支持を受けていた。また、これまた真田のセミナーへの対抗イベントとでもいうべき『暗唱と賛美の宴』もかなりの集客を誇っていると言われていた。
「なんとまあ、極端に走られたものですね」
真田寿福は心底残念そうにそう言った。
「よりにもよってあの方の元に走るとは」
「あの方は俺と直接面会してくれた」
「ああ、対面授言ですよね。有料の」
「そうだ。そして、俺に暗唱すべき言葉を贈ってくれた。『あわれなるかな! 貴君は、邪悪なる者に、過てる希望を植え付けられた。その希望は君の心を苛む害虫である。恨みを抱け! 憎悪せよ! 君に絶望を与えたその源を排除せよ。さすれば、次なる希望が芽吹くことだろう』とな。もう幾度となく暗唱したから、こうして空で言うことができる。暗唱し、その意味を噛みしめるうちに、俺のなかに湧いた怒り、憎しみは、やがて義務感となった。命令となった。使命感となったのだ。お前を殺すことでのみ、俺の救いは得られるとな」
「完全なる思考停止。なんと哀れなことでしょう。おわかりになりませんか、海原泰山は、自らを生きることをやめさせ、彼のために生きる人間を作ろうとしているということが。しかも、こんな年端もいかない若者を操るとは、実に悲しい人です」
「ご託はもういい。排除あるのみ」
若者は銃を構え、そして引き金を引いた。けれども、経験も無い素人の射撃だったために、弾道は大きく逸れ、真田の付き人だった女性の肩を貫いた。
「いい加減にしろ!」
実際に人に当たったことで動揺した若者に、格闘技の心得があるらしい来場者が飛びかかった。蹴りをくらって銃は宙に飛び、若者は数人がかりで取り押さえられた。
「皆さん、きわめて残念至極ではありますが、今宵はここで閉会といたしましょう。わたしは、吉村さんに即刻治療を受けていただかねばなりません」
救急車とパトカーが到着し、怪我をした付き人に寄り添うようにして真田は救急車に乗り込んだ。銃を失ったった若者は、力が抜けたようにへたり込んだ。それでも相も変わらず御言葉をぶつぶつと暗唱しつづけていた。
(第07回 了)
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