『残像』(2017年、ポーランド)ポスター
監督アンジェイ・ワイダ
いつも通りの曇り空の朝、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの住居兼アトリエが、とつぜん真紅に染まった。建物の外壁に、スターリンの肖像を配した巨大な幟が掛けられたのである。彼の暮らすポーランド第二の都市、ウッチに赤軍が進行したのは1945年1月18日であった。ソ連にとって最重要の衛星国となっていたポーランドはいまや傀儡政権しか持たない。破壊しつくされた首都ワルシャワの再建が始まった1948年、ウッチは工業都市としてスターリニズムの栄光を支えるべく、ますます徹底した管理下に置かれることとなる。「抵抗三部作」で名高いアンジェイ・ワイダ監督の遺作『残像』(2016年、ポーランド)の幕が開くのはまさにそのときである。
時代の幕を開く赤い「膜」
ストゥシェミンスキは困ったことに芸術家であり自由を希求する。第一次大戦では命がけで戦い、身体に障害を負った愛国者だが、だからこそ占領軍の押しつける「リアリズム」には迎合できるはずもない。創立にも関わった勤務先の美術学校を追い出され、著書は発禁になり、芸術家の「登録証」を更新できなくなったために画材を買うこともできず、無職であるという理由で食料の配給も受けられなくなるのである。愛弟子たちはそれでも師を囲んで芸術談義を続けるが、彼らもひとりまたひとりと離れてゆく。新聞にはこんな記事が出る。
イデオロギーに欠け社会問題に無関心な絵には、進歩を敵視する思想があり、それはすなわち労働者の敵である。
いまや人が社会を作るのではなく、社会が人を作るのである。そうなると最大の関心事は当然ながら社会ということになり、社会にとっての価値基準とは、それが役に立つか立たないかの一点である。スターリンの赤さに染まらないキャンバスは無益であり、すべからく断罪されなければならない。
一人娘のニカさえ、無意識に赤に染まってゆく。ニカはいつも赤いコートを着ている
これは伝記映画であるから、ここでスクリーンの外へ出てみよう。ストゥシェミンスキ(1893-1952)は第一次大戦が終わるとリトアニアへ渡り、同国初となるアヴァンギャルド美術の展覧会を成功させると帰国、ユダヤ系の画家でありグラフィック・デザイナーの先駆者でもあったヘンリク・ベルレヴィと「ブロック」を、ついで妻であった彫刻家のカタジナ・コブロらと「a.r.」結成し、表現主義はもやは完全に構成主義に取って代わられたと高らかに宣言した。その後もさらに理論を追求し、「ウニズム」と称する分析的抽象絵画の方法論にたどり着くと、周囲の作曲家や建築家にも影響を与えたのである。
なるほどロシアのマレーヴィチやカンディンスキーらによる無対象表現の確立という大きな美術史をふりかえれば、ストゥシェミンスキを辺境の小ぶりな画家と見ることもできようが、その主著『視覚の理論』は今日でも重要性を失ってはいない。そのなかでストゥシェミンスキは、人間のものの見方は常に変化しており、それには文化や歴史、社会によって構成される外的な要因も大きく関係していると説く。「大切なのは、目が何を見ているかという機械的な事実ではなく、自分は何を見ていると思うのか、ということなのだ。」そして「統合」という言葉を想起させる「ウニズム」の理想は、芸術をそれが生まれた土地と結びつけ、芸術に人生を秩序づけるほどの力を与える、というものであった。つまりストゥシェミンスキにとって、芸術とは何よりも「役に立つ」ものだったのだ。
1932年のストゥシェミンスキと作品『太陽の残像』(1949)
何かが役に立つかどうか、という問いを聞いて、ロラン・バルトの『エッフェル塔』を思い出す向きも多いだろう。やり手の建設会社社長、ギュスターヴ・エッフェルは、橋のように有用このうえない建造物の専門家であったから、塔のようにただそこに立っているだけのものを作る、という事業にはちっとも乗り気でなかったのである。エッフェルだけではない。それがこの時代の精神であった。
役にもたたないものを作るという考えは、ブルジョワジーの巨大な企業の合理性と経験主義の二つながらにおのれを捧げていた当時の時代精神にとって、許すことができなかったのである。
(ロラン・バルト『エッフェル塔』ちくま学芸文庫、14頁)
だが塔は立ち、これまで世界で最も多くの人間が入場料を払って訪れた場所として新記録を打ち立てるまでになった。それどころか、塔はパリそのものになったのである。エッフェルは竣工式で当然ながら誇らしく演説をしたし、あろうことか、頂上近くの地上285メートルに、自分専用の小さなアパルトマンまで造らせている。要するにブルジョワの時代精神とは日和見の時代精神であり、それは鉄鋼の時代の陰画と呼ぶにふさわしい柔軟性を持つ。おそらく「役に立つか」という問いは本質的に、資本主義やブルジョワジーよりもはるかに社会主義に向いているのだ。
エッフェルご自慢の屋根裏部屋
実際、ストゥシェミンスキがどんなに抵抗を続けても、政府が彼の芸術を「役に立つ」ものと再定義することはなかった。結核を発症しても満足な治療もできず、離婚した妻の墓前に青く染めた花を供えたところで、ストゥシェミンスキは力尽きる。
この場面に重きを置いたのか、フランスでの本作の題名は「青い花」である
ところで『残像』はその主題や色の使い方の点でも、ヴォルフガング・ベッカー監督の『グッバイ、レーニン!』(2003年、独)と鏡写しのようになっているところが面白い。こちらは母親がショック死しないように東西ドイツ統一を隠し通そうとする息子たちの苦戦を描くコメディであり、せっかく遠ざかってゆく赤色を追いかける羽目に陥るところに皮肉がある。(そのベッカー監督が『僕とカミンスキーの旅』(2015年、独・ベルギー)では画家を主人公にしていることも、興味深い偶然ではある。ただこの映画、二十世紀美術史のパロディに溢れているのはよいものの、設定に足を引っ張られて精彩を欠く。)
ひとつはっきりしていることは、「役に立つ」かどうかを問うことはあまり役に立たない、ということである。近頃は大学などでも人文系の有用性が云々されることが少なくない。そのような茶番にまともに向き合うならば、プラトンの『国家』から始めて、スピヴァクやヌスバウムを引用しながら建設的な議論を展開することもできるだろう。だが私は文学を学んだ結果、大学に職を得て立派に飯が食えているから、その時点で話は終わりなのである。そして『残像』の教訓を活かすならば、これからはこう答えることもできるだろう。「あなたは研究者を企業人と同列に置いているつもりなのかもしれないが、実際には資本主義と社会主義とを履き違えているのです」と。
大野ロベルト
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■