一条さやかは姉で刑事のあやかのたってのお願いで、渋谷のラブホテル街のど真ん中にある種山教授の家を訪ねる。そこはラブホテル風の建物だが奇妙な博物館で、種山教授は奇妙に高い知性の持ち主で、さやかは姉が担当する奇妙な事件に巻き込まれ・・・。
純文学からホラー小説、文明批評も手がけるマルチジャンル作家による、かる~くて重いラノベ小説!
by 遠藤徹
(三)象の目(中編)
そんなわたしたちの目の前に「お待たせしました」、と現れたのは、出たぁって感じのエスニックファッション。七分袖の虹色クルタシャツに、紫色のだらっだらのサムエルパンツ、そして頭にはドレッド風のニットキャップ、そして顎から黒ヤギさんみたいな髭を垂らしたいかにもな出で立ち。なにもかもがこうしまりがないというか、なんか大事なものと自由とを履き違えてるぞ感が満ち満ちているのであった。しかもそれが若者ではなく、四十がらみのおっさんなのだから、なんともいえないだめだめな気配が漂いまくっているのであった。
「ああ、ああこれはこれは」
唇の端に生クリームをつけたまま、がばりと種山は立ち上がり手を差し出した。
「どうも、種山と申します」
「あなたにシヴァの祝福がありますように」
和也氏が右目をつぶって微笑んだ。
「あ、わたしさやかです。一条さやか」
「あなたにパールヴァーティーの祝福がありますように」
今度は左目をつぶって微笑んだ。
うわあ、つながっちゃったじゃないの先生。わたしは胸のうちで大騒ぎしていた。そりゃそうでしょ? なんせ、ガネーシャのパパとママの名前が出ちゃったんだもの、和也さんのお口から。
「ええと、滋郎さんでしたっけ」
まったく、先生ときたら、いきなり大ボケかましてくれちゃった。ああもう、これだから、この人は!
「何言ってるんですか、先生。しっかりしてくださいよ。滋郎さんっていうのは、亡くなった弟さんの方ですよ。こちらはお兄さんの和也さんじゃないですか。わたしちゃんとお話しましたよね、この前」
「ああ、いやいや、お気になさらないでください、お嬢さん」
寛大な笑みを浮かべたまま、和也さんはわたしたちの向かい側の席に腰を下ろした。
「いつものね」
と頼むと、
「わかりました。和也さん」
チベットの民族服らしきものを着た店員がにっこり微笑んで去っていった。なるほど、こりゃ間違いなく常連だわ。
「確か、事件の夜はこのお店にいらっしゃったんですよね」
「ええそうです。ここは昼は喫茶店ですが、夜はいわゆるエスニック料理店になりますもんですから」
ってさあ、働きもしないでこんなところで酒呑んで、たかる相手が居なくなったこれからいったいどうするつもりなんだかね、この人。
「ところで、滋郎さん」
また間違えやがったこの男。
「和也さん、です」
「あれ、そうだったっけ」
素っ頓狂な声を上げる種山に、店のお客が皆振り返っているではないか。恥ずかしいではないか、このわたしが。
「この二年ほどはあれですね、アジアやアフリカじゃなくって、ヨーロッパ旅行が中心のようですね」
「ああ、そうなんです。ちょっとホメオパシーとかカバラとかに興味を持ち始めていましてね。その本場というか講習会というか、そういうものがロンドンとか、パリとか、ブダペストとかにあるもんですから」
「でも、アジアと違って滞在費とかはばかにならないんじゃないですか。ホテルもそれなりのところにご宿泊になっているようですし」
まったく、この臑かじりめが。わたしは死んだ滋郎さんに同情せずにはいられなかった。こんな兄の素っ頓狂な道楽のために、金を与え続けたあげく、殺されてしまうなんて。
「それはまあ、年齢的なものもありましてね。さすがにこの年でバックパッカーは少々辛いものがあるんですよ」
「まあ、そうでしょうね。それに、やっぱり衛生的ですしね。病原菌とか寄生虫とかも、ヨーロッパにはあまりいないでしょうから」
「ええ、アジアやアフリカはねえ、いまでも病気が心配ですからね。いろいろ予防接種なんかも受けなきゃならないし」
「なるほど」
溶けかけていたパフェのアイス、店員の説明によればアセンションにむけた精神浄化の作用があるセージの香りつきのバニラなのだそうだが、それを口いっぱいに頬張ったかと思うと、スプーンの先を和也氏に向けてうなった。
「ほんとうにセージの香りがするよ、このアイス」
「なんですか、先生、なにを言ってるんです」
「ああいや、これはこれは」
いうべきことを間違えました、とわたしが手渡した紙ナプキンで口をぬぐった。
「なるほどと申し上げたのはですね、これではっきりしましたという意味なんですよ」
「ほう、わたし何か申しましたっけ」
「ええ、よくわかりましたよ。あなたはやっぱり滋郎さんですよね」
「えっ」
どういうことだろう。まだ性懲りもなく間違えているのだろうか、このへっぽこ教授は。わたしの名前と姉の名前を間違えてるだけでなく、「この世のあらゆる兄弟姉妹の名前をあべこべに覚えてしまう病」にでもかかっているのだろうか。
「だって、先生、この方は滋郎さんの兄の」
「和也さんではない。そうでしょう?」
面食らった顔をした和也さんだったが、運ばれてきたハーブティーを一口味わい、シャンティ、シャンティとつぶやいてから、
「どうしてです」
と問い返した。なかなか余裕あるわこの人。
「いいですか、滋郎さん。和也さんは、アジアやアフリカに旅するとき、一度だって予防接種を受けたことはないんです。そのせいで、インドではアメーバ赤痢になり、タイではマラリアで一度病院に運ばれさえしている。アフリカでは放置していた傷跡にツェツェバエの卵を産み付けられて、外科手術まで受けたことがあるんです。それでも、あくまで『ナチュラル』な自分で居ることに固執した結果、予防接種的なものは一切拒んでいたことがわかってるんです」
「ほう、わたしがですか」
「いいえ、あなたではありません。和也さんがです」
「ですから、わたしが和也だと」
うわ、混線状態ってやつだ。わけわかんない。それでも種山はひるむことなく言葉を継いでいく。
「それに、和也さんはヨーロッパなんかには興味がなかった。文明の香りが嫌いだったからです。アジアやアフリカでも、できる限り都会を避けて田舎をさまよっている。特に少数部族や、電気もないような生活をしている村なんかを好んで回っていたんです」
「おや、先生、どうしてそんなことを」
これはわたしからの質問。だって、わたしそんなこと先生に教えてないし。っていうか、姉からも聞かされた覚えがない。
「それは、あやかさんにちょっと調べてもらったから」
「なんですって」
「いや、実に優秀だよ、あやかさんは。それに美しいし」
「どういう意味ですか、先生」
それに美しいしって、比較対象は誰なわけ?
まったくこれだから。なに、どういうこと、どうしてわたしを飛ばして二人でコンタクト取っちゃったりしてるわけ。そして、あやかの奴はどうして、そのことをわたしに教えもしないわけ。なんかもう、ちょっとっていうか、ちょー悔しいんですけど。
「つまりですね」
耳障りな音。種山がシャリシャリしたのだった。耳障りな音をたてて、パフェの底上げのために入れられていたと思しいシリアルを食らったのだ。それからむせて、水を一気に飲んだ。
「ヨーロッパというのは、滋郎さん、あなたの趣味なんですよ。もしかしてあなたは、二年前に和也さんと社長職を交代したのではありませんか」
「なんですって!」
度肝を抜かれたわたしと和也さん(?)が同時に声を上げた。
「理由はわかりません。でも、とにかく期限付きではあったかもしれませんが、和也さんが社長になり、あなたは和也さんの変わりにヒッピーとなった。その証拠に、二年前からあなたの会社は突如ビデオレンタルやスローフードなどという無謀な分野に参入していった。石橋を叩いて渡るあなたの経営手法とは対極にあるような暴挙でした。あなたはお父様から引き継いだ仕事をとにかく着実に、失礼な言い方をすれば臆病なほど堅実に守っていくことに固執しておられた。それなのに、二年前のあの拡大政策は異様なものでした。そして、見事に失敗した。もしかしたら、そろそろ不出来なお兄さんに交代を言い渡そうなんてことを考えていた矢先だったのではないですか?」
「いや、それは」
しどろもどろになる和也(?)、それとも滋郎(?)なの、あなたは。
「そして、あなたも同じく二年前に、生活拠点をそれまでの江戸川区から中野に移した。これは、以前の和也氏の仲間に正体がばれることを恐れたからでしょう? ほとんど、以前の仲間とは接触しなくてすむ環境をわざわざ選んだということですよね」
「参りました」
突如、和也でなくなった和也がニット帽を脱いだ。文字通り脱帽したわけだ。
「確かに、わたしが滋郎です。兄と入れ替わったのもちょうど二年と二ヶ月ほど前です」
うひゃー、こりゃ驚いた。死人が、っていうか死人だったはずの人がわたしの目の前に座ってるわけだもん。
種山は平然としている。
「それにだいたい旅行といえばヨーロッパだった人が、フィラリアに冒されるなんて変ですからね。あれはやっぱりアジアの病気でしょう」
ついに出た、西郷どんの病気の話でごわすよ。
もはや素直にうなずく滋郎。滋郎となった和也。和也だったはずの滋郎。ああもうややこしい。
「ええ。あの病気については兄もけっこう悩んでいたようです。なにしろ場所が場所ですからね。これじゃあ結婚なんて夢のまた夢だなんてぼやいてました。そんな矢先、何を思ったのか、二年と三ヶ月前に兄が突然私の所へ来たんです」
「金の無心ですか」
「まあ、それもあったんですけど、想像もしていなかったような要求をしてきたんです」
「ほお?」
「三年でいいから、社長職を交代してほしい。経営をやらせて欲しいっていうんですよ。幸い自分たちは一卵性双生児で、傍目には入れ替わっても見分けがつかないはずだからだ、なんてね」
「なるほど」
「でも、どうしてだって尋ねましたところ」
「尋ねましたところ?」
これはわたしの発言。ちょっと割り込んでみました。だって出番ないのって悔しいもの。でも、視線をちょっと種山からわたしにずらしたものの、すぐに和也さんは種山の顔に視線を戻してしまった。
(第09回 了)
* 『ムネモシュネの地図』は毎月13日に更新されます。
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