「ふるさと怪談」特集である。「ふるさと怪談 大座談会」、「大競作 ふるさと怪談実話」( 実話を競作するとは?)、「日本全国怪談事情」、「ふるさと怪談トークライブの一年」、「日本怪談紀行 スカイツリーとふるさと怪談」、「四谷怪談ゆかりの地に生まれて」、「御当地怪談読書案内」といった内容で、怖さも吹っ飛ぶ賑やかさだ。
つい目に留めて読んでしまうのが、「大競作 ふるさと怪談実話」の「たこ焼き怪談」( 伊計翼 )。なんと言っても、タイトルに惹かれる。が、内容は必ずしも、たこ焼きならではのものとはいかなかった。
粉ものの商売は上手くいく、と思い込んで始めた H だったが、あるとき髪を振り乱した女が買いにきて、叫び声を上げて通りに飛び出し、車にはねられた。H はそれを誰にも言わなかったが、客足がばったり途絶えて店仕舞うことになってしまった。挨拶にまわると、「あんな気持ちの悪い女が店先にいたんじゃ、客は入らないよ」と言われる。女は以前、家族連れで来ていたのだが、亭主のリストラで一家心中を図り…といった話。店が寿司屋でもラーメン屋でも、同じ話になるのが残念だ。
それで怪談と食べ物との相性というのは、どうなんだろうと、ふと思った。ちょっと日常に引き戻すというか、そういう効果はあるだろう。なかなか口に入らないものとか、ひもじさとかが出てくると、切実な感じを与えることもあるかもしれない。
たこ焼きというのは、怖くなさそうなところに惹かれるわけだが、いずれ食べ物は肉体的なものだ。淡々と、食べたり食べなかったりというのがよい。叫び声を上げるにしても、「虫でも入っていたのかと思った」などと言わせたい。
そんな語り口で天下一品なのが稲川淳二で、「こわくてたのしい怪談」というタイトルで一柳廣孝と対談している。
初耳だったのが、稲川淳二の持ちネタに、それを語り始めるといろんなことが起きる、というものがある、ということだ。放送事故で画面が砂嵐になるなどしょっちゅうで、誰か車にはねられる、大きな音を立ててパソコンが壊れるなど、枚挙にいとまがない。
それが本当のことなのか、怪談師としての営業上のサービスなのかはわからないが、稲川淳二のあの淡々とした語りは「芸」の極みだと思っているこちらとしては、何だか妙な気分である。
対談の中で、稲川淳二は「怪談は、事件であってはいけない」と言っている。けだし名言である。日常の延長線上で、当たり前のように起こるからこその怖さであり、説得力である。そしてその思想の上に立った、稲川淳二の語りだろう。
にもかかわらず、何かについて語ろうとすると「事件」が起こるのだ、と言うからには…。本当のことなのか。
ぞっとしてしまう。それもさすがの説得力の類いだろうか。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■