この雑誌、金魚屋代表の齋藤女史がいたくお気に入りのため、順繰りに読んでいる。で、今回、ほとんど初めて手に取らせてもらった。
東北特集である。まあ、ここしばらくはあっちもこっちも震災特集だったわけで、ブルータスお前もか、ってなもんだけど。だけどこちら、震災特集ぢやなかった。生粋の東北特集。
それがやっぱり、なかなかよいのだ。えっ、東北ってこんなとこ。。。と、目からウロコというか、その目をこすってもう一回、行ってみたくなるっていうか。
そこが怪というこの雑誌の、怪なる所以である、ちうことかいなでありますが、現れているのはまったくの「異界」。東北出身の人ですら、えっ、ウチの田舎って、こんな妖しいとこ? と思いそうなもん。
それが意外と、そうでないかもしれない。そうそう、ウチの辺りはそーなのよ、とか言われたら、どーしよー、うろたえてしまう。
そうそう、ウチの辺りじゃ、死者と婚姻ってのもあってさ、とか言われたら、超尊敬しちまうかも。死者と婚姻ったって、文学的なメタファーとか観念的なイメージとかじゃない。文字通り、花嫁姿の骸と夜を過ごし、子を得るといった話だ。
最初はさすがに蒼ざめていた花婿だが、だんだんと骸の花嫁が愛おしくなるという。こういったことが、「お話」としてでなく、当たり前にあった (かどうかは知らないが) 風習として語られるのは、やっぱり何か違う、と不思議な感じがする。
同じ人間で、今や同じテレビとか見ている同じ日本人のはずだが、何か違うものを持っている、と思うのは幻想なのだろうか。東北人からすれば「いわれなき差別」とも言えるだろうが、そんなつまらない、平板な話に落とし込むことはない。私たちからすれば、紛れもなく「特権的」なことだ。
第二特集は、星。陰陽師などからの文脈で言えば、この雑誌ではまあ、普通の特集ということになるだろう。だけど、「災害 = disaster」という単語を、「dis・aster」= 「否定 (悲劇)・星」と覚えさせられた記憶がある。「アスター」ってのは、中華料理の「銀座アスター」、「アスタリスク*」のアスターで、ラテン語だか何だかで「星」なんだと。「スター」に「あ」が付いてるってか。
つまりは災害とは、「悲劇的な星」=「悲劇的な運命」ということになる。起きることがわかっていた災害が、古い古い伝承そのままに起きた。そのことに私たちは、東北人もそうでない人も、ただ黙するしかなかった。営々と積み上げてきた近代化はまるで無力で無意味、むしろ余計な事故まで起こして被害を拡大しただけだった。
「東北」と「星」の二つの特集で期せずして、あるいは期して震災特集となっているなら、それも興味深い。
りょん
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■