エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングズ。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングズの処女作『The Enormous Room』の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第1章 聖地巡りへ
目玉のうちの二つは文民らしい身なりの弁護士っぽい男のもので、退屈しきった顔、そこに理想的に釣り合いの取れた口髭をたくわえた様は一杯飲もうとカウンターの呼び鈴を鳴らす紳士をいつも気取っている風だった。つぎの二つは貫禄ある耄碌じいさんの顔にすっぽりはまっていて(スキージャンプやリュージュ滑降の競技場にうってつけの面だ)その突き出た胸にはレジオンドヌール勲章の薔薇飾りがふんぞりかえっていた。五番目六番目の目玉が該当するのは長官殿で、俺の目がいささか戸惑って焦点を失した隙にいつのまにか席に着いていた。
長官殿の英語は潔癖に聞こえた、前にも言ったことだけれども。
「名前は」――「エドワード・E・カミングズです」――「二つ目のはなんだ」――「イー・エス・ティー・エル・アイ・エヌ」わかりやすいように綴りで答えた――「なんと読む」――なんのことかわからなかった――「これはなんと読むんだ」――「あっ」という声につづいて、発音してみせた。長官はフランス語で口髭にまず最初の名がエドゥアード、次のが「E・S・T・L・I・N」、最後のは「C・U・MM・I・N・G・S」と説明し ――口髭はそれらをみな書き記した。長官殿はまた俺に向き直った。
「アイルランド人か」――「いいえ」と返事し、「アメリカ人です」――「家系はアイルランドか」――「いえ、スコットランドです」――「先祖にもアイルランド人はひとりもないというのか」――「自分の知る限りでは」と答えた、「アイルランド人はひとりもおりません」――「百年遡ってもか」長官は食い下がってくる――「ありえません」と俺は断言した。それでも長官殿は引き下がらなかった。「君の姓はアイルランド系じゃないのか」――「カミングズというのは古いスコットランド系の姓です」俺はよどみなく答えてみせた、「昔はコミンと言ったんです。赤髪のコミンというスコットランド人の男がいまして、教会でロバート・ブルース卿に殺されました。自分の遠い祖先でとてもよく知られた人物です」――「では二つ目の名は、どこでもらった」――「あるイギリス人が名付けてくれました、父の友人です」この話はどうやらたいそう薔薇飾りのお気に召したようで、彼は『親父のダチはイギリス人か、けっこうけっこう』とぶつぶつ呟いていた。長官殿は、見るからにがっかりして、口髭に向かって俺がアイルランド系の血筋を認めなかったことを書き記すようにとフランス語で指示し、口髭は素直に従った。
「アメリカの父親の仕事は」――「福音伝道者です」と俺は答えた。――「教派は」――「ユニテリアン派です」長官は困惑の色を浮かべた。一瞬置いて閃いたのか、「自由思想家の類か?」――そうではなくて父は聖職者なのだと俺はフランス語で説明した。結局長官殿は口髭にプロテスタントと書き記すよう指示し、口髭は素直に従った。
ここから先の問答はフランス語でおこなわれた、長官殿は少し無念そうであったものの、薔薇飾りにはありがたがられ、口髭もそれに賛同した。質問に答えるなかで、五年間ハーバードで学んだこと(三人ともハーバードという名すら聞いたことがないというのにはまったく面食らってしまった)、ニューヨークへ行ってからは絵画の勉強をしたこと、ニューヨークで志願運転兵に登録したこと、そのすぐ後の四月中旬にフランス行きの船に乗り込んだことを話した。
長官殿が訊ねた、「その定期船でB―――と出会ったわけだな」俺ははいと答えた。
長官殿は意味深にまわりに目配せをした。薔薇飾りが何度もうなずいた。口髭が呼び鈴を鳴らした。
この親切な御仁らは俺をずる賢い悪人の餌食となったお人好しな被害者かなにかに仕立て上げようとしているんだと思うと、俺は頰が緩むのを抑えられなかった。ばからし、と独り言をつぶやいた。こんなことをして楽しんでなにが楽しいんだか。
「友人とはパリでも一緒だったのかね」俺は「はい」と答えた。「期間は」「ひと月ほど、制服が届くのを待っているあいだでしたので」
長官殿の意味深な顔つきが、同席の二人の表情にも伝播していた。
長官殿は身を乗り出して冷ややかに慎重に切り出した。「パリではなにをしていたのかね」俺は簡潔にぬくもりを込めて答えた。「楽しくやっていましたよ」
この返しが薔薇飾りに大ウケした。頭をわっさわっさと揺らすので椅子から転げ落ちるんじゃないかと思った。口髭まで顔をほころばせていた。ノヨン警察庁長官殿はきゅっと唇を噛んだ。「書かんでいい」と弁護士に指図した。そして、取り調べ再開。
「A中尉とはずいぶんもめていたそうじゃないか」
このおべっかじみた呼び名に俺は遠慮もなく吹き出してしまった。「ええ、それはもう」
長官は続けた、「どういうわけだね」――そこで俺はA中尉の人物像を生き生きと述べ立ててみせた、分隊に配属されていた小汚ねえフランス人の一人で隠語の達人だったパリっ子仕込みのフランス語から選りすぐりの美辞麗句を盛り込んでやった。その言葉遣いに取調官たちは目を丸くし、だれかが(たしか口髭だったが)パリで過ごした日々はまったく充実していたらしいと皮肉を漏らした。
つづく長官殿の質問はこうだ。以下は事実か否か、(A) Bと俺はいつも一緒にいた (B) 同僚のアメリカ人たちよりも配属されたフランス人らと好んで付き合っていた ――俺は事実だと認めた。どういうわけだ、と長官は理由を訊ねた。だから俺はフランス人のことを知れば知るほど仲良くなればなるほど、快く付き合えるからだと答え、戦争に勝利した暁にはラテン系とアングロ・サクソン系は徹底的に相互理解を深める必要があるなんてことまで力説していた。
このたびも薔薇飾りはうなずいて賛意を示してくれた。
長官殿は分が悪くなってきたことを察したのだろう、すぐに切り札を出してきた。「君の友人がアメリカの友達や家族に宛てて極めて良からぬ手紙を送ったことは知っているね」「知りません」と俺は答えた。
一瞬のうちに長官殿が第二十一分隊まで出向いてきた動機がはっきりした。Bの出した手紙の何通かがフランス側の検閲で引っかかった、その報告がA氏と通訳のもとに入り、二人はこれ幸いとBのことを不良分子だと証言し(勿論あわよくば俺たちをまとめて追っ払えるって腹づもりで)さらに俺とBがいつも一緒にいたと告発した挙句俺のことも不審人物と見て然るべしと訴えた。それから連中はノヨン殿が到着して身柄を預かるまでまで俺たちを分隊に拘留しておくように命じられ ――だからいつまでたっても休暇がおあずけだったってわけか。
「君の友人は」と長官殿が英語で語り出した。「すこし前までここにいた。もしお前がドイツ人の上空を飛ぶ飛行機に乗っているならドイツ人に爆弾を落とすかと訊けばいいえと言う、君の友人はドイツ人の上にはひとつの爆弾も落とすつもりはないという」
こんなでまかせで(恰もたまたまそんな話になったみたいに)鎌をかけられて正直なところ俺は動揺した。まずなにより、このときはまだ拷問や誘導尋問がどういうものかなんにもわかってなかった。そのうえで、思い出したんだ、一週間かそこら前、Bと俺ともうひとり分隊のアメリカ人とで手紙を一通したためた ――しかもそれは、二十一分隊付きの通訳係だった例の少尉に勧められて、フランス航空局次官に宛てたもので―― アメリカ政府が赤十字社を管下に収めようとしている以上(つまり衛生分隊がみんなアメリカ軍属になって、フランス軍からは離れることになるわけだから)我々三人をラファイエット飛行隊に編入させることでなんとしてもフランス軍のもとに置いてもらうわけにはいかないだろうかという内容だった。小汚ねえフランス人のひとりが代筆してくれて、俺たちの言い分を想像しうる限りの名文に書き起こしてくれた。
「差出人はお前たちだな、お前と友人の二人で、航空局に手紙を出したな」
俺は訂正をくわえた。三人です、どうして三人目の犯人は捕まえなかったのか、教えてくれませんか。長官はこんなちょっとした余談も許さず、詰問をつづけた。なぜアメリカの飛行隊ではないんだ
――俺はこう答えた。そうですね、でも親友がよくこう言っていたものですから、世界で最もすばらしい人たちはどうしたってフランス人なんだと。
この二重の反撃を受けてノヨン殿は声を失った、がそれもほんの一瞬間だった。
「親友が手紙を書いたのか」――「ちがいます」俺は嘘偽りなく答えた。 ――「書いたのは誰だ」――「分隊配属のフランス人のひとりです」――「その者の名は」――「自分は知りません」そう答えつつ、心の中で、俺はどんな目に遭ってもいいです、代筆の彼は見逃されますようにと誓言した。「無理を言って頼んだものでしたので」と言い加えた。
またフランス語に戻って、長官殿は俺にドイツ人めがけて爆弾を落とすのにためらいはあるかと訊いてきた。いいえ、ありませんと答えた。それからどうして飛行機乗りに向いていると思ったのか。それは、と俺は答えた、自分の体重は百三十五ポンドしかありませんし、四輪でも二輪でも運転できるからです。(この話が本当かどうか証明させてくれればいいのにと思った、そうしたら俺はミュンヘンまで休みなしで一気に飛ばしてみせると断言したってよかったのだけど、そんなはずもなく)
「自分の親友がアメリカ軍の軍務から逃れようとしただけでなく反逆をも目論んでいたとでもおっしゃりたいんですか」と俺は訊き返した。
「まあ、そういうことになるだろう、なあ?」長官は冷ややかに言い放った。そして、また身を乗り出して、質問の矢玉を浴びせてきた。「なんのわけがあって高級士官に送りつけた?」
俺は無遠慮に笑った。「なぜってA中尉が困ったときに通訳をしている例の立派な少尉殿にそうするようにと勧められたからですよ」
この一転攻勢に乗じて、今度は口髭に向かって言った。「供述書に書いてください ――自分は、今この場で、我が親友がフランス国家と国民に対して抱く愛情の真実において世人に劣るなどという考えは断固として拒否すると! ――あんたからも書き記すよう命じてください」俺は石のように冷たくノヨンに命じだ。ノヨンは首を横に振って言った。「我々には君の友人がフランス国家の友人たりえないと判ずるうえで何にも勝る根拠があるのだよ」俺は言った。「自分には関係ありません。自分は親友に対する自分の考えを書き記しておいてほしいというんです。わかりますか?」「そりゃ道理だな」と薔薇飾りがつぶやいた。口髭が供述書に書き記した。
「どうして自分たちが志願兵になったと思います?」供述の終わりに、嫌味を込めてそう言い添えた。
長官殿はあからさまに不愉快そうだった。椅子に腰を下ろしたまま軽く身じろぎし、あごをつねる仕草を三、四回繰り返した。薔薇飾りと口髭は活気づいた言葉をぺちゃくちゃ飛び交わせていた。ついにノヨンが動き、二人のおしゃべりを身ぶりで制してほとんどやけっぱちのような調子で、答えを迫ってきた。
『貴様はドイツのうすのろどもを憎んでいるか』
俺はついに正当な言い分を認めさせた。こんな質疑は形ばかりのものだった。晴れて自由の身でこの部屋を出ていくのにあとはもうイエスと一言答えればよかった。取調官たちにとっても俺の返答は言わずもがなだ。薔薇飾りは前のめりになって元気づけてくれようと微笑んでいた。口髭は空中に遊ばせたペン先で小さく「ouis」の字をなぞっていた。そしてノヨンも俺を犯罪者に仕立て上げる見込みをすっかり失って降参していた。考えなしなのは否めないが、俺は無邪気だったんだ、優れているが毒にもなる知性を持った無邪気なカモだった。きっと今度からはもっと慎重に付き合う友人を選ぶようにと説教されるだろうし実際それに尽きるわけだけど……。
俺は考えに考えて、自分の答えを声に出した。
『いいえ。自分はフランス人を愛しています』
イタチの如きすばしっこさで、長官殿が優位に立った。「フランス人を愛してドイツ人を憎まないなどありえない」
長官の逆転勝利などどうでもよかった。薔薇飾りの一泡吹かされたというザマがただただ気持ちよかった。驚愕する口髭もじつに愉快だった。
薔薇飾りには気の毒だったな。彼は打ちひしがられてぶつぶつ呟いていた。「親友に味方して、あっぱれだが。誤りは誤りだ、ひどいもんだ、悪気もないのに」
シミひとつない顔に極めて不服そうな表情を浮かべながら勝利者である警察長官は落ち着きを取り戻して敗残者に念押しした。「だが君もドイツのうすのろどもがしでかした残虐行為は無論承知のはずだろう」
「そういうものも読みましたね」俺は明るくはきはきと返答した。
「信じていないのか」
「ありえるとは思いますが」
「ならばありえるとして、もちろんあったことなのだが」(心の底から信じきっているという調子だ)「それでもドイツ人を憎まないのか?」
「まあ、そうならば、もちろん誰だって憎んで当然ですね」俺は申し分ない礼節を持って断言した。
これで俺の正当さは失われ、二度と顧みられることもなくなった。やっと自由に呼吸ができる。もう緊張することもない。親友と俺とに別々の運命を辿らせようとしていた正面に座す三紳士の努力は取り返しのつかない形で水泡に帰した。
この短い面談の締めくくりに長官殿からこう伝えられた。「気の毒だが、親友くんのために君もしばらく拘留されることになる」
俺は訊き返した。「何週間かですか?」
「おそらくは」と長官殿が言った。
これをもって裁判が閉廷した。
長官殿は俺をまた一号室に案内した。「巻きタバコを没収していたがこれはそのまま預からせてもらう、代わりに噛みタバコはどうだ。イギリス製とフランス製じゃどっちが好みだ」
フランス製(青い包み)のほうが強いし長官は俺がイギリス製と答えると思っているだろう、だから俺はこう言った。「フランスのほうで」
哀れむような顔をしてノヨンは書棚の前へ行きそこから青い包みを一つ取り出した。マッチも頼んだ気がするが、じゃなきゃ持ち物検査の際に見つけたマッチ数本を返しておいてくれたんだろう。
ノヨン、スズ帽、そして大悪党(またの名は俺)の三人は大仰に階段を降りてフィアットに戻った。なおいっそう狐に化かされたような様子の運転手がちょっと車を走らせるとどう見ても刑務所という場所に着いた。長官殿は俺がかさばった荷物を下ろすところをじっと監督していた。
俺の荷物は刑務所の事務室で長官殿の入念な点検を受けた。長官殿に言われてひとつ残らず上下裏表をひっくり返した。巨大な薬莢に長官殿が驚いて目を瞠った。どこで手に入れた? ――フランス軍の兵士が形見にってくれたんですと言った。この弾頭は? ――それらも形見です、本当ですよと俺は呑気に言った。長官殿は自分がフランス政府爆破容疑で逮捕されたとでもお思いで? じゃなきゃほかになにがあります?――このたくさんのスケッチブックは、なにを描いている? ――長官殿、かんべんしてくださいよ、絵じゃないですか。――要塞のか? ――まさか。フランス兵とか、子供達とか、いろいろの廃墟とかです。 ――うぅむ。(長官殿は絵を点検し俺の言うことが嘘じゃないことを確かめた。)長官殿はこれらのがらくたをまとめて小さな袋に詰め込んだ、気前のいい赤十字社から俺に配給された物資だ(あとは巨大なズック袋がひとつ)。そこに次のラベルを付ける(フランス語だ) 「カミングズ氏の荷物中に発見され本件には無用と見られる品々」。次のものは先述のズック袋のなかにそのまま残された。ニューヨークから持ってきた毛皮のコート、簡易ベッドと毛布と巻き布団の一式、私服、最後におよそ二十五ポンドある泥汚れのついた敷布。「巻き布団と折りたたみ式の簡易ベッドは独房に持ち込んでもかまわない」――残りの物は事務室に保管される。
「ついてこい」ひょろ長い獄卒が薄気味悪いしゃがれ声で言った。
巻き布団とベッドを抱えて、俺はついて行った。
しかしそう遠くまではいかなかった、実際は数歩ほどの距離だった。一度角を曲がってからは刑務所に隣接した広場のようなものを見かけたのを覚えている。軍の楽隊が数えるほどしかいないボロい身なりの民間人相手に演奏して打っても響かない心を慰めていた。我が新任看守が一瞬足を止めた、どうやら彼の愛国心の琴線に触れたらしい。そのあとは両側に鍵のかかった扉の並ぶ路地を通り、右側最後の扉の前で立ち止まった。開錠。楽隊の演奏はまだはっきりと聞こえていた。
開いた扉の向こうに部屋があった、約十六フィートの奧行かずと約四フィートの狭まり、奥の一隅に藁が一山積んであった。俺の精神状態はあの尋問の間の味気のなさから徐々に活力を回復していた。そしてついに本物の決して忘れ得ぬスリルに打ち震えて、いわゆる境界ってやつを踏み越えたときにこの言葉が俺の口をついた。『いいところじゃないか』
すさまじい衝突音が最後の一音をかき消した。俺は大地震に見舞われて刑務所が崩壊したのかと思ったのだが、ただ単に扉が閉まった音だった……。
(第04回 了)
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■ e・e・カミングズの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■