Interview:筒井康隆インタビュー(1/2)
筒井康隆:昭和9年(1934年)生まれ。同志社大学文学部で美学芸術学を専攻。展示装飾を専門とする会社を経てデザインスタジオを設立、昭和35年SF同人誌「NULL」(ヌル)を発刊。江戸川乱歩氏に認められる。代表作に「アフリカの爆弾」「時をかける少女」「家族八景」「大いなる助走」「虚航船団」「残像に口紅を」「文学部唯野教授」など。「筒井康隆全集」(第一期)24巻。創作を開始した当初より演劇から多大なる影響を受け、俳優としても活動。ホリプロ所属。平成5年、マスコミの用語自主規制に抗議して断筆宣言。平成8年、主要文芸出版社3社から自主規制の撤廃の覚書を勝ち取り執筆再開、さらに5社と覚書を締結する。泉鏡花文学賞、谷崎潤一郎文学賞、川端康成文学賞、日本SF大賞、紫綬褒章受章。
筒井康隆氏は日本におけるSFの大御所として知られている。しかしその手法はナンセンス、パロディ、メタフィクションと多岐にわたり、存在そのものが 〟 SFとは何か 〟 を逆照射し、定義する。ひとつだけ確かなことは、欧米において文明批判の方法論であったSFは日本でも 〟 筒井康隆 〟という存在を介し、あらゆる制度への批判精神そのものとして機能してきた、ということだ。社会における組織、また文学そのものが批判とおちょくり、パロディに晒され、様々な波紋を拡げてきた。筒井康隆とはそれを巻き起こし、そこに耐える 〟 存在 〟 として常に私たちの視界に立っていた。今回はエア・インタビューとして、筒井康隆氏の肉体存在をあえて封印し、宙を飛び交うテキストで、しかし変わらぬ存在感の波紋の強さを確認する試みである。
文学金魚編集部
■ 演劇と文学 ■
編集部 文学金魚では、現在は文学における大きな転換点、過渡期にあると考えています。私たちが読んできた小説はこの時代の過渡期を経て、読まれ方が変わってくる可能性もあります。もちろん数十年を経て再評価されていく作品もありましょうが、戦後文学的な制度の中でのみ読むことができたのではないかという作品も多くあります。ここ数年で、文学作品に対する見方が大きく変化する兆しを感じます。
その中で、筒井さんがなさってきたこと、書かれてきた作品には古びる気配がない、これからの文学のあり方に大きな示唆を与えるように思います。この新しさがどこから生まれたものなのか、ぜひおうかがいしたいと考えます。筒井さんは同人誌、すなわちジャンルや制度に縛られない、自由な場所からスタートされたわけですが、それは現在、若い人たちが向かおうとする方向に近いようにも感じます。いかがでしょうか。
筒井 いやあ、このご質問の答えは長くなりそうですねえ。確かにぼくが戦後文学を読み始めたのは石原慎太郎、開高健、大江健三郎の処女作あたりからでしたから、主に私小説系の、文学の制度の範囲内にある作品だったように思います。ただぼくはその頃、一方で芝居もやっていまして、その頃の戯曲はずいぶん前衛的でしたから、文学は遅れているのではないかなどと思っていました。
意外に思われるかもしれませんが、演劇の方が近代小説よりもずっと早くからあったわけなので、ぼくが仕事として小説を選んだのは、先駆的な演劇の中の前衛性を取り入れた小説を書こうとしたんだと思います。本来は制約の多い演劇よりも小説の方がはるかに自由である筈ですからね。そしてそれを実現するためには、当時アメリカから日本に輸入されてきたSFこそが最適だと考えたに違いありません。これは大学でシュールリアリズムや心理学を学んだことや、父親が動物学者で、科学的認識の何たるかを自然に心得ていたこととも関係がありそうです。
今の若い人たちがどういう方向を目指しているのかは知りませんが、とにかく何ものからも自由であることが肝心です。まあ、その辺のこまかいことは、これからのご質問の答えの中に出て来ると思いますがね。
『モナドの領域』
筒井康隆著
定価:1,512円(税込)
発行:2015年12月 新潮社刊
編集部 確かに、筒井さんの御作品はSF、ナンセンスなど様々に呼ばれていますが、現実の制度や社会組織の現状を別の角度からすぱっと切ってみせる不条理劇だと思います。
たまたまですが文学金魚でも、最も古く、またそれゆえに最もラディカルに先鋭になり得る演劇という芸術の重要性にちょうど気がついたところです。
他でもお話しされているとは思いますけれども、どのような演劇に影響を受けられたのか、具体的に教えていただけますでしょうか。
『筒井康隆全戯曲① 12人の浮かれる男』
筒井康隆著
定価:3,456円(税込)
発行:2016年5月 復刊ドットコム刊
筒井 最初に読んだのはルイジ・ピランデルロの「作者を捜す六人の登場人物」という戯曲です。イタリア文学を専攻した小松左京も、当然のことながらこれを読んでいて、よく話題にしたもんです。その後、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を読んで、これが不条理演劇に目覚めたきっかけかもしれませんね。その流れでイヨネスコの「犀」だの「授業」だの「椅子」だの「禿の女歌手」だのを夢中になって読んだもんです。
日本では安部公房が出てきて、この人の新しい戯曲とその芝居とはほぼリアルタイムで見ています。SF作家ともずいぶんおつきあいがありましたよ。この人の書く小説も好きでした。SF作家はみなこの人を仲間だと思っていたんじゃないかなあ。
前衛的な芝居を数え上げはじめたら、きりがありませんよ。その流れは「発見の会」などのアングラ演劇へと繋がっていきます。発見の会の瓜生良介からは台本を頼まれたりしたなあ。
■ ダーウィン、フロイト、マルクス兄弟 ■
編集部 筒井さんの文学は、SFとか大衆文学とか純文学とか、いろんなジャンルに押しこめられて書店の本棚に並んだわけですが、一つ確かなことは、それまでの文学や同時代の文学にくらべ、圧倒的に新しかったということです。そのキーの一つは、なんとなくですが、演劇にありそうですね。
現在、演劇は文学とはまったく切り離されて語られがちですが、書き文字の文学の起源は演劇です。目の前で観客を驚かす演劇が、文字になると大人しい物語になってしまったという面があるんじゃないでしょうか。
「発見の会」のお話が出ましたから、ぜひ、あの演劇運動というか、舞台がどういうものだったのか、筒井さんの印象をおうかがいしたいです。ほとんど伝説的な演劇集団ですから。また直接関係はないのかもしれませんが、「発見の会」にあった、ものすごいエネルギーから、筒井さんが会長に就任されることになる『全国冷し中華愛好会』も発足してゆくわけでしょう(笑)。
『大魔神』
筒井康隆著
定価:1,300円(税抜)
発行:2001年5月 徳間書店刊
筒井 小生が「発見の会」の舞台を見たのは「エンツェンスベルガー」以後の三作品だけで、そろそろアングラの衰退期にあった頃です。すべて上杉清文の台本だったと思います。そのあと「冠婚葬祭・葬儀篇」という台本を書かされましたが、これはついに上演されませんでした。彼らの舞台は迫力と笑いに満ちていて、借りた小屋の実際の背景を借景にするなど、いろんな実験をしていました。一緒に旅をしたり、企画会議に加わったり、その熱気は好ましいものでしたね。
当時は新宿の店で唐十郎の一派、土方巽などの暗黒舞踊の人たちとも出会いましたし、そこへ連れていってくれたのが相倉久人で、一緒に行ったのが山下洋輔、その山下君を通じてのちに土方の弟子の麿赤児とも知り合います。麿さんのやっている大駱駝館では現在、息子の筒井伸輔の友人の村松卓矢がナンバー2になっていますから、いやあ、早いもんですなあ。
『筒井康隆劇場 エロティックな総理』(DVD)
出演 原著 筒井康隆 監督 鹿島勤 出演 さとう珠緒、伊藤あい、小野真弓、森下千里ほか 発売:2007年2月
編集部 そうそう、ご子息の筒井伸輔さんは画家で、かなり手の込んだ制作手法を取られているようですが、作品をパッと見るとシュルレアリズムのデカルコマニーやレイヨグラフのような雰囲気です。筒井さんは大学の卒論がシュルレアリスムについてですから、多少影響があるのかなぁ。そんなこと言うと伸輔さんに怒られるかもしれませんが(笑)。
それはともかく、「発見の会」の「エンツェンスベルガー」の初演は一九六七年四月です。筒井さんは六〇年代末には、アングラ演劇はすでに衰退し始めていたと感じておられたんですね。それはやはり六〇年代安保以降の世の中の停滞感が影響しているのでしょうか。また「発見の会」は、一応左翼劇団ということになっていると思いますが、左翼と筒井さんがどうしても結びつかない。初期からノンポリというか、高等遊民っぽい雰囲気です。
『不良少年の映画史 PART1』
筒井康隆著
Kindle版:378円(税込)
発行:1979年11月 文藝春秋社刊
筒井 伸輔は武蔵野美大で、具象のゼミに入ろうとしたら満員、抽象のゼミに入ろうとしたら満員、しかたなく具象と抽象の間を教えるゼミに入ったためにあんな絵になったわけでして、小生のシュールリアリズムとは無関係です。
アングラ演劇の衰退はやはり蜷川幸雄などの商業主義への移行によるものでしょうね。尚、発見の会の連中と議論したきたところでは、彼らはまったく左翼的ではありませんでした。小生自身は同志社時代、学生運動が盛んでしたが、見ていただけでした。全学連の連中をルポしたことはありますが、小生、左翼ではありません。「マルクス&エンゲルスの中共珍道中」というものを半分ほど書きましたがね。昔から言っていた通り、小生が信奉するのはダーウィン、フロイト、そしてマルクス兄弟です。
■ シュルレアリスムについて ■
編集部 ダーウィン、フロイトは科学者、それも根本的な考え方をまるっきり覆してしまった。筒井さんの作品は、ラディカルな思考実験という側面がありますね。実験的、科学的だからSFという、日本における SF の定義はそうなるのでしょうか。アメリカなどと違い、文明批判、文化論といった役割りを担うことはなかったと思います。
ただ実験、思考実験なら、それでどんな真理を明らかにしようとしたか、ということになりますね。筒井さんは当たり前のものとしてある社会の制度や、個人のアイデンティティを揺さぶり、徹底して追い詰められておられます。その不条理は笑いと紙一重で、マルクス兄弟というのは、そこから繋がると考えてよいでしょうか。
筒井 父親が動物学者で家にはダーウィンをはじめその手の本が山ほどありましたから、科学的認識の何たるかは自然に心得ていたと思います。
日本SFも初期の頃はSFの使命は文明批評であるというアメリカ渡来の観念に支配されていましたね。だけどその後、ニューウエーブがイギリスから来て、思考実験の傾向が強くなりました。小生、どちらからも影響を受けていますが、やはり大学時代に学んだシュールリアリズムの影響が強かったようです。同志社大学にはシュールリアリズムの先生はいなかったので、京都大学から河本という先生が来られて教えていました。
この授業の影響もありましたが、少し後に、フランスのシュールリアリストたちがマルクス・ブラザースを高く評価していることを知り、わが意を得たりという思いがしました。不条理に目覚めるのはカフカなどによるものですが、時期的には同じ頃になるでしょうかねえ。
『時をかける少女』角川文庫〈新装版〉
筒井康隆著
定価:4754円(税抜)
発行:2006年5月 角川書店刊
編集部 「左翼ではない」というお話しの続きで、もちろんどんな政治上の立場からも無縁でいらっしゃるとして、ではなぜそのような問いなり、確認なりが出てくるのか。それはやはり、影響を受けられたシュールリアリズムにあるのではないか。つまりシュールリアリズムが本来的に持つ政治性ですね。具体的な立場でない、メタ政治性というべきものかもしれません。
私たちより上の世代に、シュールリアリズムはとりわけ決定的な思想的衝撃を与えたと思います。筒井さんの作品や言動がいつも注目を集め、議論の対象になるのは、そういった〟メタ政治性〟にもよるような気がしますが、いかがでしょうか。
『発作的作品群』
筒井康隆著
発行:1971年 徳間書店刊
筒井 シュールリアリズムの前身で、スイスのチューリッヒで発生したダダイズムという芸術形式がありました。トリスタン・ツァラが名付けたもので、ダダとかダダイズム自身は意味のない言葉ですが、その通り、ダダイズムは理性の否定でした。その後、ダダイズムが衰えてアンドレ・ブルトンの提唱するシュールリアリズムが現れます。これと時を同じくしてフロイトやユングがあらわれ、理性の否定ではなく無意識とのかかわりが運動の源泉になった、とまあ、これは小生の考えですけど。
だからシュールリアリズムというのは、政治的なものから遠ざかっていたい者にとっては便利だったんですよ。実際にも一時期、大江健三郎や井上ひさしの本が、「作者が左翼だから」というので図書館になかったりする現実がありました。今も続いているのかな。だからこれが小生の、極力ある政治思想に肩入れしなかった理由のひとつです。
「政治的でない」ということは、逆に言えばどんな政治思想でも取りあげて茶化すことができるんですよ。シュールリアリズムを学びドタバタSFの道に入った小生にとって、現在の文壇のこうした位置に身を置いて、偶然それ故に人気が出たことは、逆にある意味必然だったように思います。右翼か左翼か、という区別自体、小生は馬鹿にしておりますからね(笑)。
ただ、宗教団体から生まれた公明党だけは、なんとなく許せないという思いはあります。あはは。
(2017/02/16 下編に続く)
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■ 筒井康隆さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■