「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに その意味を理解したため」
by 小原眞紀子
影
僕には影がいる
だから一人じゃない
ピーターパンのように
踵に縫いつけてあるから
ときどき糸を抜いて
置いてきぼりにすることもできる
そのとき影は
置いてきぼりにしているのは自分だと思う
思わせておけばいい
僕でなければ
誰も相手にしない
寂しいふりして長く伸びたり
厚かましい鼠のように太ったりして
気を惹こうとするが
ないに等しい言葉が響く
風船じみた存在にすぎない
影がいるのは
光があるからだが
僕がそっちへ顔を向けると
影はいっそう暗くなる
いつか光輝が満ち溢れ
僕の目が潰れれば
影の方がくっきりして
人けのない島へ手引きする
嵐のときは影に隠れる
街なかみたいに呑んで騒げば
時が絡まった団子のような
一個の醜い獣になって
僕自身がその影になる
週
月曜に雨が降り
黄色い傘を買った
憂鬱な気分が吹き飛んで
映画を観に出かけた
傘は電車に忘れてきた
恋愛ものなのに一人だったから
火曜から日記をつけはじめた
バイトの日で、時給が五〇円上がった。と
水曜には喧嘩をした
アパートの隣人で
何かしらうるさいと言う
きっと僕に違いないと言う
何もしてなくてもうるさいと言う
存在そのものが
木曜に足が震え
悪寒がすると思ったら風邪をひいていた
ずっと眠っていて
気がつくと枕もとに桃缶があった
触ると冷たかった
白い甘さが脳髄に沁みた
誰が持ってきたのか
いくら考えてもさっぱり思い出せない
金曜に買い物に出たら
あの傘を持った女の子を見かけた
背の高い奴と一緒だった
よかったと思った
週末は洗濯をする
何もかも流れて消える
僕も過去そのものとして
角
切り抜いて貼りつける
君の姿を
しゃがみこんでビー玉をいじっていた
日が暮れて 窓がかがやくまで
光と影が出会って わかれるまで
君はころがるビー玉を追って
くりかえし手を伸ばす
いつかその手が握り返され
君は立ち上がりついてゆく
より深い影が地の半分を覆う領域へ
そこで君は歳をとらない
いつも同じ姿勢で
目を見開いて思い出している
生まれる前のことを
生き終えた後のことを
ふと意識をなくして目を閉じると
君は角にいる
しゃがみこんでビー玉をいじっている
子供というものはそういうものだと
いつも角にいるものだと
父の声がする
君は立ち上がりついてゆく
夕餉の湯気のぼるところへ
君が育つのをかなしみながら
苛立ちせかす人々の間で
君は気が遠くなり
ふたたび角にいる
そうやっていたはずなのに
いつの間にかいなくなる
写真 星隆弘
* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月05日に更新されます。
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