新連載小説の盛田隆二 「残りの人生で、今日がいちばん若い日」には、2組のカップルが描かれています。元編集者の直太郎と作家の卵の冴美の「結婚を前提にしないカップル」と、元百貨店勤務の百恵と公務員の津村の「結婚を前提としたカップル?」の話。「?」をつけたのは、彼らが正式に付き合うのかも定かではないからです。仕事の延長線で関係を持った直太郎と冴美とは違い、百恵と津村は結婚相談所の紹介で出会いました。
直太郎はバツイチ子持ち39歳、小学生の菜摘を抱えて恋もままならない。その9歳の菜摘がスマートフォンでツイッターをやっている描写が出てきます。9歳でスマホを使いこなす。そんなものかもしれませんが。
直太郎と冴美は互いの私生活には立ち入らない。ただ、あくまでセックスフレンドのような関係にも変化が訪れます。冴美に家へ連れて行ってくれと言われてしまった直太郎はタクシーを拾い、渋谷の居酒屋から観覧車の見える自宅へ向かいました。ところが家には菜摘がいたんですね。菜摘は我孫子にいる祖母のもとへ預けていたはずなのに・・・!
菜摘が来ていることは直太郎も知らず、ベッドになだれこもうとしていた冴美はそこで朝を迎えることはできませんでした。この展開、よく考えると、なかなか恐ろしい。どうして直太郎が離婚したのか、はたまた死別したのかわかりませんが、セックスだけが目的で結婚する気もない彼女を家に連れ込んだら、一人娘が部屋にいる、と。
スマホを使いこなすような9歳の娘が、父親のセックスフレンドに何を思ったか、わかりません。また肉体関係がありながら、主人公と彼女とも同じ将来を見ているわけではない。このディスコミュニケーションは怖くて寂しい。
一方、百貨店勤務の百恵39歳はそろそろ結婚を焦っていた。今回のお話では二人で食事をしたところが描かれています。百恵が勤める百貨店の話、津村が過ごしてきた12年間の話。二人は様々なことを話し、和やかな雰囲気のまま食事を終え、どこかへ行くのかと思いきや、あっさりと別れてしまいます。
くっつくのか、くっつかないのか。そんなじれったさは少女漫画的なくすぐったさを感じます。少女漫画的というのは、いわゆるときめきです。いい歳の百恵と津村ですが、互いにどう思っているのか、恋に落ちたのかどうか、もしかしたら二度と出会うこともないのかもしれない。
はっきりした描写も、それとわかる台詞もありません。古き良き日本的ともいえる奥ゆかしさ――現代のお見合い = 結婚相談所を介した二人だからこそ、この相手の気持ちがわからないディスコミュニケーションを落ち着いて味わえるのかもしれません。いずれ結論は出さなくてはならないのですから。保守的な男女の保守的な食事の場面が、保守的であるがゆえのドキドキ感、刺激的で気持ちのいい昂揚感をもたらすとは発見でした。
一方で、怖くて寂しいディスコミュニケーションの脇には、9歳の少女が使いこなすスマホのツイッターがあり・・・。現代のコミュニケーションの有り様が覗けます。
有富千裕
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■