ルパン&ルパン三世という特集である。ルパン三世原作者のモンキー・パンチへのインタビューと、モーリス・ルブランの「~日本の読者へ~」「ルパンとは何者か?」「コナン・ドイルへの弔辞」、短編「初出版 アルセーヌ・ルパンの逮捕」がある。
ルパンはシャーロック・ホームズへのアンチテーゼでもある。善と悪の二項対立は、ミステリの生まれたキリスト教圏での定石パターンだ。ビートルズに対してローリング・ストーンズ。もちろん日本でも、松田聖子に対する中森明菜、と。
もちろん善と悪は微妙に侵食しあう。シャーロック・ホームズは悪と戦いたがる正義の味方なのではなく、観察と推理の魔に取り憑かれた男で、纏う雰囲気はルパンより暗い。その魔は麻薬の麻にも通じる。またルパンが狙う財宝をそのオーナーが所有している、そのこと自体に資本主義社会の悪も感じられる。その手から財宝を奪うルパンには、正義の爽快感に類似の匂いがしても不思議でない。
今回の特集は対立関係の二者によるものではなく、ルパンとその末裔 (という設定の) ルパン三世という「系譜」をさぐる特集である。しかしそもそも、その設定以外に、ルパン三世がアルセーヌ・ルパンから引き継いだ系譜などあるのか。あるとすれば、かなり雰囲気の異なる原作漫画とアニメのどちらに、何が継がれたのか。
実際のところ継がれたのは名のみであり、アンチヒーローの泥棒であれば、それで十分だろう。そしてこの特集の目的は、さらにそれをひっくり返したところにある。つまりルパン三世の正統性を云々するのでなく、ルパンという存在が後続の泥棒ヒーローに生かされ、生き続けていること。
石川五右衛門の例を示すまでもなく、そういった存在への共感も需要も、昔から根深くある。ミステリマガジンという雑誌そのものの目論見としては、古典であるミステリに、現在の現象としてのミステリは本質的にはことごとく含まれているのだ、ということではないか。
新しいものなど何もない。新しいと感じる部分があるだけなのだ。映像化の目くらましであれ、風俗のものめずらしさであれ、新しさを加えることは技術に属する話に過ぎないのだろう。ミステリに関わろうとするかぎりミステリの原理を意識するべきであり、とすれば変わらない部分を強調することになる。
そういったことはしかし、雑誌にとっては企画を立てにくくするかもしれない。次々と現れる新たな現象を追いかけてゆく方が、ずっと「ジャーナル的」だからだ。
色鮮やかなルパン三世と峰不二子の表紙の上部に、伝統あるミステリマガジンのロゴがあるのを見るのはだが、なかなかよいものだ。古典を消費しつくして困ったあげくに「現象」を追いかけることにしたのでなく、「現象」を古典に回収しようという、ミステリマガジン特有のスタンスを見て取ることができる。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■