長岡しおりさんの文芸誌時評『No.018 すばる 2015年09月号』をアップしましたぁ。『信頼に足る読者=編集部には、判断の基準があった。それは「分をわきまえる」といった社会性である。それによって作家たちは安定した評価と立ち位置を与えられ、不満はあっても結果的に物書き生命を延ばすことになった。・・・どれだけ貧しても決して鈍しない精神もあるし、それが文学、文学者というものであった。ならば責められるべきは売上げ低迷に苦しむ普通の組織の編集部ではなく、やはり書き手の方だ、ということだろう』と、編集者の石川には耳の痛いことを書いておられますぅ。
文学の世界でだいぶ前から、裏方であった元編集者さんなどが表舞台で活躍し始めてるのは確かですねぇ。まーはっきり言えば大手出版社(日本の大企業から見れば中小ですが)の給料はそこそこ良くって、高給もらってんだから物書き欲望があっても我慢してちょ、そーでなければきっぱり会社やめて好きなことやってね、といふ不文律がごぢゃりました。最近では元○○誌編集長とか編集者とかいふ肩書きで批評を書いたり大学で教えておられる方もいらっしゃいます。もちろん優秀な人がそうなさるのは結構なことですが、その背景に文学の地殻変動があるのも確かだなぁ。
文学の世界も現世ですから、やっぱ本(作品)が売れないといふことは力関係に影響しまふ。少なくとも売り上げ下降気味の純文学誌で作家より編集者の力が強くなってるのは確かです。紙雑誌はページ数制限がありますから、個々の編集者が強く推してくれなければ載らない。単行本化する時も同様です。でもセールスには編集者にも責任の一端があるわけですが、組織の論理として、その責任の大半を作家が負うことになるのも事実です。
結局のところ、作家も編集者も粛々と仕事をしていくしかないんだろうなぁ。編集者の仕事は優れた作家を見出すことですし、作家の方も、現在の極めて厳しい出版状況を重々認識した上で、〝売る〟といふことにもっと積極的になる必要があると思います。編集者が完全な裏方といふ時代は終わったかもしれませんが、詩人や小説家が無条件的に先生である時代も終わったかもしれませぬぅ。
■ 長岡しおりさんの文芸誌時評 『No.018 すばる 2015年09月号』 ■