辻原登の連載「東大で文学を学ぶ――ドストエフスキーから谷崎潤一郎へ」が完結した。近代小説というものの性格や進化を、探偵小説、冒険小説、家族小説として分類・説明するのは、若い読み手には示唆に富むと思う。今回で完結とあって、講義は特に盛りだくさんだ。
探偵小説を、制度とそれを破壊する力と捉えると、父性とそれに成り代わろうとする力と重なり合う。このようにして探偵小説は家族小説と響き合い、そこには「秘密」という共通項もある。探偵小説には秘密は付き物だし、父は息子にとって秘密と力に満ちている。それは母親を支配する力でもあろう。
そして「秘密を保ち続ける力こそが権力」というのは、まったくもって曰く言い難い、しかし含蓄のある言葉だ。若い学生たちにはぴんとくるまいが、それがわかるようになった頃の彼らは、どのようになっていることだろう。東大だから官僚かな、と思った途端、なんか不愉快になってしまったが。
話は最終地点、谷崎潤一郎まで進む。講義で配布されたと思しき辻原登特製の関西地図が付いていて、お得感もある。東京人である谷崎が関西に移り、数多くの傑作を書いたこと、(辻原がパスティーシュした『ねじの回転』の著者である)ヘンリー・ジェイムズもまたアメリカ生まれだがヨーロッパで活躍したことなど、やはり文化・文学を生む土壌というものはある、と理解できる。同じ東京でも東横沿線に文学者はいない、などと言われるけれど。単に不動産が高いからか。
大谷崎が関西でその文化的なエッセンスをいかに吸収したかは、読者も書き手も学ぶべきところが多いだろう。谷崎はまた、関西に多く遺されている日本文化そのものの源であり粋でもある『源氏物語』を現代語訳した。谷崎の訳は(筆者の私見では)最も素晴らしく、それを読んでいると原文もなんとなく読めるようになってしまう。原文の雰囲気をそのまま残すことに成功しているからで、しかしそれは読者のため以上に、谷崎自身のためであったように思える。谷崎潤一郎は何より自身の創作のために『源氏物語』を訳したのであり、学者作家がよくやるような翻訳作業ではなかった。
講義では『源氏物語』を、光源氏が「父」を超え、「父」になる物語として捉える。普段、それを女性たちの魅力を描くための物語で、光源氏は女性たちを繋ぐ媒介変数(パラメーター)として捉えている私には、たいへん新鮮だった。
また、源氏の重要な恋人を「藤壺、紫上、六条御息所、明石の君」というのも、男性的な見方で面白い。確かこの講義の初回を取り上げたときにも「では女性のミステリー作家にとっては、父殺しとは」といったことを書いた記憶があって、何だかいつも『男流文学論』ばりのくだらないことを言うのは本意でないけれど、女性性の理想的な発露という点から言うと、夕顔は外せない。もちろん藤壺と紫上は源氏の「母」と直結する「紫の系譜の女」であり、六条御息所は源氏-葵上-六条御息所という無意識のトライアングルにおいて興味深い。ただ、須磨・明石が最重要の巻であることは議論をまたないが、明石の君は入道の娘であり、明石の姫君の母、という以上の存在ではない気がする。
しかし、これはたぶん読者(特に女性の)にアピールする魅力という価値観であって、「源氏という男性を主人公とした『源氏物語』」にとっては、自身の運命が開けたときにいた重要な女性、ということになるだろう。そもそも女が誰かの付属物に過ぎないなんてことは、男の「主人公」にとって、はなから当たり前なのである。
小原眞紀子
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