表紙がカレーになっている。カレーって文字通り、あのカレーだ。第一回 ビーフカレー、とある。王道だ。
カレーとしては王道であっても、文芸誌の表紙になることにおいて、正当性があるのかと言われると、やはり少しは考える。編集者がカレーが大好きであっても、それは個人的な嗜好に過ぎないのではないか、と。
しかし雑誌のために言っておくと、一見して「カレーだ」とわかる写真が料理雑誌よろしく、スプーンとともにカバーとなっているわけではない。真っ白な雪(ご飯である)に覆われたようなきれいな表紙に、その右側に縦に細長く金色のライン(カレーである)が覗き、背表紙から裏表紙へと連なっている画像を確認して、初めてカレーであると認識できるというあんばいだ。
これから先、どんなカレーが続くのだろうか。ポークカレーは庶民的だが、映像的にその違いを出すのは難しくはなかろうか。骨つきのチキンカレーというのはどうだろう。本場インドのナンとか、ほうれん草とチーズなら色のコントラストは出る。色彩と言えば、タイカレーならレッド、グリーン、イエローと豊富である。煮込んでないから、ベビーコーンとかピーマンとか、くっきりした輪郭だし。そう考えると、カレーという統一概念でもって国際色もバラエティが示せて、結構とりどりの、しかしオーソドックスな食材も写せて、わりと優れたアイディアではなかろうか。
余計なお世話をあれこれ考えてしまうのも、やっぱり食べ物、それもカレーという誰もが馴染みで、嫌いな人がまずいないものに対して、ひとこと言いたくなるからだろう。そうするとまた、編集者がカレーを好きだから、というのも事実であっても上手い口実のように思えてくる。
そもそも表紙なんてのは、どんなもんであってもそれなりのデザインとして見せることは容易だし、接写となればなおのことだ。国民的人気の食べ物で、小説、エッセイと展開すれば、それ自体が企画にもなる。(実際、「カレーエッセイ」が始まっている。)
GINGER L。には、もとより食べ物から連想される記事やタイトルが多めかもしれない。平松洋子の「メニューは文学である」、佐々木克雄の「食わず嫌い女子のための読書案内」、と。そしてジンジャーと言えば、カレーの主要な香料の一つとも。
女性誌であり、文芸誌であるという微妙なところを突き、なおかつそれ以上のバイアスをかけない、というすっきりした編集方針は、わけのわからない純文学誌の掲載基準やら特集の作り方と比べると、読者を呼び込む可能性がある。そこに誰もが口に入れる食べ物を持ってくるあたり、深淵なものはないのだが、妙に虚を突かれる。。。
もちろんそこには、カレーの文学性をどうこうという視点を持ち込もうとする気配はない。日本文化の香り、あるいは舶来文化の高い香気はすでにして “ 文学 ” なのだが、読むことの楽しみは問答無用のカレーの匂いのようであってもらいたい。どれほど複雑にスパイスが配合されていようとも、ようは読者の食指が動くか、という問題でしかないだろう。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■