りょんさんの詩誌時評 『No.007 現代詩手帖 2013年06月号』 をアップしましたぁ。最近りょんさんにお会いしていないなぁ。あいかわらず凶暴な顔してチョ~可愛らしいイラストを書いておられるのでせうか。りょんさんはお会いするたびに石川をいぢめるのでこわひのであります (笑)。といふわけで、りょんさんの 『現代詩手帖』 さん時評の新作であります。
不肖・石川、文学金魚の編集をやるようになってから時々詩誌に目を通すようになりました。詩作品はよくわかりませんが、正直言って 『現代詩手帖』 さん掲載の評論はかなり厳しいと思います。〝プロ〟 をまったく感じ取れない。『現代詩手帖』 さんに俳句誌のような初心者向け記事が載ることはほとんどないですが、鋭い詩の読解があるかといえばないですし、詩の思想を巡るハッとするような記事もない。むしろ 30 枚程度の原稿ですら論旨が混乱しているものが多い。詩的ってのはいい加減ってことなんでしょうかね。
こりは業界裏話ですが、いわゆる文芸誌では掲載までに少なくとも数ヶ月の時間をかけます。長いものだと掲載まで一年近くかかることもある。その間に編集者から修正等の指示が出るわけです。それによって作家の書くものが、その雑誌のカラーを帯びてしまうという弊害はありますが、それなりに時間と労力のかかった原稿が掲載されるわけです。しかし詩誌の場合、原稿注文が来てから掲載されるまでたいてい一ヵ月程度です。この短期間で、例えば萩原朔太郎や西脇順三郎についてまともな評論が書けるわけがない。しかも原稿はほぼノーチェックで掲載されます。それだとパブリックな同人誌だなぁ。
多くの詩人さんたちは 『現代詩手帖』 さんに原稿を掲載してもらいたいのではなく、『現代詩手帖』 さんを足がかりにして、一般誌などの世界で活躍したいと願っているようです。それはいいことだと思いますが、だとすると、自分自身で考えて原稿のレベルを上げていくしかありません。この程度の原稿でもメディアに載るんだ、通用するんだと思い込むのは危険です。実際、詩壇以外で活躍している詩人たちは、専門詩誌に掲載されている原稿とは質の違うものを書いています。わかりやすい文章を書くつまらん奴らだと高をくくるより、その理由を根本的に考えてみたほうがよいと思いますですぅ。
■ りょん 詩誌時評 『No.007 現代詩手帖 2013年06月号』 ■