「日本ファンタジイの現在」という特集である。S-F とファンタジイの関係についてはこれまでにも金魚のレビューで俎上に上がったと記憶しているが、今回の特集では S-F というジャンルとの関係性を意識することなく、ファンタジイというジャンル単独で大きくスポットを当てているようだ。
と言っても「ファンタジイというジャンル」とは何なのか、いまだにピンとこない。どうやら今、ファンタジイ小説は活況を呈している、ということなのだが。
一般に小説というのは、現実に起こったことと錯覚させるように書かれている場合が多い。だからこそ「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは関係ありません」といった注意書きが必要にもなる。小説の愉しみの一つは間違いなく、その事件、あるいはそれに近いことがどこかで実際に起こった、と思い込みながら読むことにある。
もちろん起こったという保証はないのだが、逆にいつ起こっても不思議ではない、というところから「普遍の感覚」がもたらされる。そうすると、モデルがあるにせよ、モデルというほどのものはないにせよ、実在のそれを超えた「小説世界」が確立されることになる。これがいわゆる物語とは異なる「小説」というものだ。小説とは「説」であり、何かを論じているので、その対象はやはりこの現実世界なのだと思う。
そういった一般の小説にも、現実には起こり得ないような事件、存在し得ない人物が登場する場合もある。かといって即座にそれが夢物語、ファンタジイとして分類されるわけではない。あり得ない部分、奇想が全体に占める「割合」が重要なのではないか。
「割合」が多かったとしても、そういったことが誰かの錯覚、病んだ人物の幻想として書かれている可能性があると感じさせれば、現実離れはしない。またある領域における科学技術があと少し、SF ほど進歩したのでなくとも、何らかの進展を見せれば、そういったことがあり得ると考えることもできる。ようは何らかの現実的な説明が可能かどうか、それによって現実世界と繋がっていようとする意思があるのかどうか、ということに尽きる。
ファンタジイとは、この意思がない物語のことをいう、ということでいいだろうか。ファンタジイのように見えても、風刺を意図しているものはだから純粋なファンタジイではなく、むしろ純文学的なものとされるだろう。ファンタジイは現実世界と繋がる意思がないのだから、現実世界を論じることなく、すなわち小「説」とはならない。ファンタジイ小説、というのはしたがって語義矛盾だ。
現実世界への批判意識がはたらかないのは、現実世界に利害関係を持たない者、すなわち子供である。ファンタジイの読者として、多くは子供を対象にしているらしく見えるのは、そのためだ。しかし現実世界への批判もインタレストもなくても、「世界そのものの真実」に到達しようという意思は存在し得る。子供あるいは子供の魂を持つ者はそれこそを希求しするので、ファンタジイなるものの真骨頂と思われるが…。「ラノベ界で活躍するファンタジイ作家」とは、これいかに? 読んでみなくてはならないだろうか。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■