偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 体質的波動の波及範囲が「視聴嗅覚体験」にとどまらないところが袖村茂明の「本物さ」を物語っている。すなわち、「コンセプチュアル体験」とも言うべき「おろち語偶然聴取体験」すら醸し出しているのだ。その代表的な記録が、『ぴあ』1983年4/8号はみだしYouとPiaに投稿されている。
…「2/11多摩美図書館2Fの建築学科平面構成の試験中、試験官に切羽詰まっていたのか「あのー、糞がしたいんですけど」と言ってのけた女の方、合格しましたか?」〈あたいは補欠のヘルメットペンギン〉…
ペンネームから投稿者は女性と思われるが身元は判明していない。いずれにせよ問題の科白を発した女子受験生の隣に座っていた受験生(名は重要ではないが一応沢木敏一という一浪生だった)が試験会場へ向かう電車内で袖村茂明と隣り合っていたことが、現在のおろち地理学ではほぼ実証されているのである。そう、袖村には自らの周囲のみならず接触した心身に対してもおろち体質を希釈形において伝染させるオーラがあったことを証明するエピソードなのだ。おろち現場目撃確率圧上昇という気象現象のためには袖村本人の臨席は必ずしも必要なく、当日袖村と接していた人物であれば、その周りに少なくとも「擬似おろち現場」が形成されがちになることの傍証として、最も初期の記録の一つと言えよう。
本稿で紹介している袖村エピソードの総計は、彼の遭遇した偶然おろち体験の、百分の一にも満たぬほんの一部であることを念頭に留めなければならない。また、これほど強固なビジュアル体質となると、諸例が自ずから示している嗅覚的側面が、おろち史初期の特異体質双璧の他方、そう、蔦崎公一的「食ワサレ体質」とほとんど区別できない領域へ袖村茂明を昇華させかけていることも確かだ。エレベーター内のような逃走できぬ閉鎖空間で否応なく少女ナマ臓腑のテリヤキ臭やチーズ臭を間近長時間嗅がされるのはほぼ「食ワサレ体験」に等しいとも言えるからだ(エレベーター内といえば袖村は、エレベーターガールにほぼ密着する形で混雑をぼんやり立ち過ごしていたとき、ほとんど耳もともしくは鼻先で当該ガールにかなり明瞭な長めのゲップを発射され、情緒豊かな赤面とともに繰り返し謝罪されたという聴覚嗅覚ハイブリッド体験を、池袋東武、新宿小田急、渋谷東急の三デパートにて蓄積していることも忘れてはならない)。むろん真の食ワサレ体験の直接性には及ばぬであろうものの(ちなみに蔦崎公一のデパートエレベーター体験といえば、池袋西武において小走りに走ってきた女子大生が駆け込みセーフの直後高らかなくしゃみをした瞬間対角にいた蔦崎の唇に大きな灰黄色の粘液が張りつき半分以上が喉まで滑り込んだという図が一度実現していたが、概して蔦崎の食ワサレ体験は袖村ビジュアル体験のような行きずり的偶然味は薄く、もっと顔見知り以上的密接度で条件付けられているのが普通である。また一般にビジュアル体験の遠隔性よりも食ワサレ体験の密着性の方がおろち水準高であると考えられるが、大便領域で言うならば尻─口密着食糞は却って遠目の当該物質より臭いが気にならないという体験的スカトロジストの証言も傾聴すべきであろう)、逆に蔦崎の方には偶然ビジュアルの要素が皆無に等しいことを考えると、初期おろち史上二大特異体質者の因業度はおおむね拮抗しており、均衡が取れていると評するべきかもしれない。
いずれにせよ袖村茂明の豊富な目撃談を猛烈に羨み、身を揉んで妬んでいたのは、錦糸町裏通りの飲み屋で偶然会ってから付き合いを再開した予備校時代の友人・三谷恒明である。えてして、歴史の重要な分岐をごく凡庸な四流人物がきりもりすることがある。おろち史においてはまさに三谷恒明がその典型だった。三谷はよくいる背伸び系ボヘミアンというかディレッタント系マッチョというか、大したビザール趣味も持たぬくせに、具体的にはたとえば腸内物質の一片すら舐めた経験一つないくせに鬼畜系アングラ誌に匿名記事を書き殴り、ビザールアーチストを偽悪的に気取り、スプラッター自主映画やソフトスカトロ系ビデオをろくに見もせず集めまくる系のキッチュ野郎だったが、そうした三谷恒明だったからこそ、スカトロマニアッ気のない袖村がやたら偶然スカトロ体験の旨みに浴している不合理に苛立ち、エレベーター内女子高生茶色〈速射雀便〉大量放出事件のような例外を除いては偶然体験の貴重さを正しく鑑賞できておらず、おおむね勃起すらしていない無自覚男袖村の身になぜそれほど潤沢な光景光景また光景が恵まれるのかと世のエネルギー浪費的不均衡配分に憤り、一転、エネルギー勾配を一挙正して
「むしろ袖村的ビジュアル体質のご利益を我が方向へ招き寄せられないか……」
と思いつき、さすれば今までの浪費集積の反動得て真の価値開花間違いなしその余禄に三谷自身が与かれること間違いなしと踏んで、前から目星をつけていた全国の「絶好の穴場」――ただし三谷のパワーが足りなかったために一度も自ら絶景目撃の悦楽に浴せずに歯ぎしりしていた穴場、穴場、穴場――に袖村を順次引っ張っていったのである。三谷自身が臨戦体勢でうずくまり隙間に鏡と隙間の両方を密着させている個室に、いやがる袖村をいっしょにとどめておいたのだった。袖村は当時三谷から累計十五万円を借りていたので断わりきれなかったという俗な事情があるにはあったが、袖村自身も適格者三谷の方に偶然ビジュアルが配分されない不条理に我ながら罪責感を抱いていたふしがある。ともかく三谷の通俗的欲求を満たすため、袖村は不本意ながらスレにしては不自然なビジュアルハンティングに協力を余儀なくされたのである。
袖村のビジュアル誘引パワーはてきめんだった。三谷は袖村が呆れながら見下ろしている個室内で、感動に打ち震えながら平均十個の激臭絶景を目撃しえたのである。
「うーむ……、こやつの体質はもはや妬み対象のレベルではない……、負けた……、味方につけねば……」
袖村体質の価値を理解するだけのセンスはかろうじて有しながら、三谷恒明はとことん美的意思よりも通俗的衝動で動く男だった。スカトロマニアの願望充足を満たしつづけながらも、盟友袖村茂明のパワーを経済的方面に転用しない手はないと気がついてしまったのである。三谷が真のアーチストでもマニアでもなかったことを示す実利的な針路であるが、長期的に何が企まれていたのかは諸説紛糾の分岐点といえよう。かつての三谷自身のような不遇な覗き男どもが街にあふれている。その者どものリビドーを元手にした錬金術が可能なはずだ。――三谷はかねてからの事業構想だったのだと前置きして、袖村相手に何日も真顔の説明を繰り返した。そのアイディアは仮称「サラ金トイレ」、正確には「OLローントイレ」であった。いわば「街角の汚尻観賞所」を営業するのである。公衆トイレ兼覗き部屋と聞いて直ちに実体を推察した袖村は、いかに己れのビジュアル吸引体質とて直接貢献できるものかどうかに疑問を抱きつつ、
「なるほど不自然な覗き部屋なんぞより、自然な便意尿意を待ち受けるってわけだからな……、画期的な商売かもしれない」
こうして袖村は共同経営者として波動パワーを送ることに同意した。ふたりは本気で取りかかり、駅や街の男女トイレにビラを蒔いて営業を開始した。
都内雑居ビル地下のワンフロア、高級エステが廃業した跡地を借り切って、「利率マイナス百パーセント公衆トイレ」という看板が掲げられた。
この書き方が数学的経済学的に正しいのかどうかはともかく、返済義務のない貸付という意味である。女性に限り、専用トイレを一度利用するごとに貸付を受けることができる。上半身は観賞対象から外されているので、容貌の質は問わない。ただし年齢ごとに、利率マイナス百パーセントからマイナス十パーセントまで段階が設けられていた。返済分については貸付と同時に返却義務が生ずるので、実質は貸付金額が異なるだけである。十代ならびに二十二才まではマイナス百パーセント、二十五才までマイナス九十、二十七才までマイナス八十、三十才までマイナス七十、三十五才までマイナス六十、四十才までマイナス五十、四十五才までマイナス三十、五十才までマイナス十、六十歳までは無料、六十歳以上は有料(一回百円)。ただし年齢を証明する身分証明書などは不要で、年齢は受付で見かけによって判定された(容貌の若さが尻艶に反映するという前提である)。ちなみに、三谷は年増尻マニアであったため個人的には四十~六十近辺の尻を歓迎しており、一度利用したその層の女性にはポケットマネーで割増金を支払い、知り合いの同世代女性への宣伝も依頼していたようである(三谷がなぜ年増尻好みになったかといういきさつについては必要が生じ次第別途論ずる)。
個室内に、金隠しのない全方位型和式便器が採用された。小だけの場合は五千円。放屁は微、中、巨、激に分かれてそれぞれ二千、三千、五千、八千円プラス。大が加わると五十グラム(目算)あたり一万円が加算された。毎日複数回通えば大変な稼ぎになる。お触りも何もない、ただ生理現象を開放するだけで、なまじの風俗嬢の何倍もの効率だ。
個室を取り囲んで、覗き客の待機空間が設けられた。個室の床より低い視角的適正ポジションにぐるっと椅子。覗き客が支払うべき基本料金(入場料)は、個室内女性の真ん前が十万円、真後ろが七万円、その他が三万円で、意外と多い斜め後ろフェチにとって有利な料金設定と言えよう。入場女性五人ごとに客は総入れ替えとなるシステムで、場所を変えた延長が一度だけ可とされた。はじめは下半身を丸ごとマジックミラーにして前後左右から覗ける仕組みになっていたが女性客の入りが悪かったため、通常の個室間の仕切分のみをマジックミラーとし、金隠しレス便器スタイルと、スリットのような細い隙間から前後左右めいめい位置を決めて覗ける形態は維持した。この視界の限定加減が却ってリアルな窃視体験をもたらすと好評で、サラ金トイレは尻フェチ界でたちまち好評を得た。宣伝はウェブサイトと駅トイレの張り紙くらいだったが、少なくとも男性客は常時満員で、個室内に女性客が入るたびに一斉に覗き窓に張り付く蠢動的熱気は三谷・袖村の経営意欲を大いに盛り上げた。
女性側にもこれは文化として受け入れられはじめた。見られるのは尻と局部と排泄物だけで(覗き客には靴フェチも混じっていたと言われるがそういったディテールについての注釈は省こう)、出入口は厳密に客側の空間と分断され身元が絶対にわからぬよう配慮されていたので(靴などから突き止められることを防止するために、排便は自前の靴で自然体で行なってもらい、帰りにフロントで多種類そろえられた高級ブーツやサンダルに自由に履き替えていってよいことになっていた。万一男性客からストーカー的行為の被害に遭うに至った場合はサラ金トイレ側が損害賠償を払う保険も無料で提供されている)、ユーザ女性の羞恥心や警戒心も解除され、そこそこの人数の女性がお小遣い稼ぎに利用するようになった。通勤途上のトイレはここと決めているOLや、便意を催すと電車やタクシーに乗り継いで駆けつけてくる女性、ちょっとした屁意を催してもわざわざ駅の反対側から渡ってくる女性も増え、個室内も覗き室側も常に満員という繁盛ぶりだった。これはほぼアイディアの効果であって、袖村のビジュアル誘引パワーはほとんど寄与していないと思われる。三谷の事業開始の勇気が袖村守護神のビジュアル体質に起因していたことは事実だが、袖村のビジュアルパワーはあくまで「偶然ビジュアル」にのみ作用するものであったことが今日のおろち遺伝子解析学によって証明されているからである。逆にいえば、三谷のアイディアがそれだけ独力のパワーを内蔵していたことになろう。
しかし初歩的な疑問を抱く読者もいるかもしれない(実際おろち学者の中にはこの種疑問に固執する者が二、三ではなかった)。覗きというのは対象が無自覚である「ヤラセなし」こそが命なのであって、そう、スカトロマニアの間で浣腸などによらぬ自然排泄が重んじられるのと同じ理由で自然窃視こそが覗きマニアの至上命令であることは常識ではないか、このような、対象女性が納得の上で覗かれるという状況に、覗きマニア客たちが満足し繁盛に至るなどということがありえたのかと。とりわけすでに世紀末世紀初頭には、なにわ書店やスラム、盗幻鏡などの各種レーベルトイレ本チャン盗撮ビデオが絢爛たる普及を達成していた時代である。わざわざヤラセ覗きに大枚はたいて入れ揚げる客がそんなにいるものか。
もちろんこの疑問はナイーブすぎる。覗きスタイルをとっているからといって、客は覗きマニアに限定されはしない。ストリップの変種として虚心に観賞する者がむしろ大多数だったし、単なる尻フェチ・局部フェチにも〈質より数〉的コレクター気質は当然多い。一回に五種類の尻をじっくり拝めるOLローントイレが繁盛しない方がおかしい。
隙間からの足もとを、尻と便器縁のかすかな距離において飛沫・滴・剥落・落塊の一瞬において凝視するといったここOLローントイレで唯一可能な奥床しき古典的アングル以外にも、盗撮ビデオ文化はあらゆる角度からの映像を実現提供していた。マジックミラー越しの顔出し全身姿撮り。真後ろ、真横、真ん前。斜め前からのローアングル。M字しゃがみの股間を直写。表情のアップ。たいてい2~5カメのマルチビジョンで。天井から見下ろし、全身越しに便器内に溜まりゆくブツを捉える。便器の中から肛門ドアップ。超多彩アングルの氾濫の中でここOLローントイレの平凡パースペクティブがヒットしたのはなぜだろうか。まず常識的な理由として5点を挙げておこう。
1 ビデオとは異なりモザイクレス@OLローントイレ
2 近接リアルタイムの臨場感@OLローントイレ
3 命を削って覗きに邁進した良き若き日々へのノスタルジー@OLローントイレ
4 一定料金内でゲットできる不確定ビジュアルのギャンブル感@OLローントイレ
5 客席での同時覗きによる連帯感@OLローントイレ
以上言わずもがなの五点をあえて挙げたのは、次の第六点を強調するためである。OLローントイレ人気には一種芸術的サスペンスが寄与していたことが無視できないのだ。すなわち、OLローントイレは表向き公衆トイレとなっており、行きずりの女性ユーザに対してはそれ以外の説明はあえてなされない。有料トイレをなぜか反転させて報酬をもらえるトイレというのだから、「そういうことか……」と容易に察せられるのは当然ではある。しかし「このトイレでどうぞ排泄を」と促されるだけという論理構造は大きく、覗き客にとってみれば、被視体女性は「?」と思うか何も思わないかうすうす覗かれることを察するかはっきり察するかあるいは覗かれている上にヤラセ盗撮ビデオのモデルにも使われるのではという買いかぶりの疑念(ちなみに三谷・袖村はカメラの設置は一切考えなかったので)に打ち震えつつ排泄しているのか、さらには確信しつつ喜んでいる露出症的メンヘラ女なのか、広範囲のスペクトルのうちどのへんの意識で女性が排泄しているのかわからぬままなのである。このファジーな感じを堪能しながら男性客たちは覗いているわけだ。明らかな演技でもない、プロのサービスでもない、にもかかわらず金のために尻を売っている女たちには違いない、とはいえどの程度の自覚があるのかはわからない、こうした中途半端な陰翳の情緒である。盗撮映像が本物かヤラセか、その境界上に観賞者が宙吊りにされつつ苛立ちの快感に浸った「ブブカモデル」がここで反復されていたわけだ。ただしブブカ・マニアックス製品を始めとするファジー系盗撮ビデオの場合は被写体女性の心の真実は一つに決まっていて単に鑑賞者が知ることができないという不確定性だったのに対し、OLローントイレの場合は被視体女性の心そのものがいくつもの可能性の間で揺れており、それを覗く客たちは被視体内不確定性込みで不確実な推測を巡らさねばならぬという二重の不確定性に包まれた重厚なるブブカ性にまみれねばならないのである。修業的とすら言えるまさに理想的ブブカモデルの境地と言えよう。
さらに工夫として三谷は、知り合いの医事評論家の名義を借りて、内科・肛門科無料診断サービスの看板をも掲げた。痔疾の正確な診断のためには排便時の肛門の状態を観察することが必要である(正規の肛門科でもこの診断法がときおり実施されている)。痔以外ではたとえば、便秘改善の正しい処方を受けるためにも、難産の様子の直接観察を含む緻密な診断を受けることが望ましい。はじめは医学博士を持つ評論家に「診察」を依頼して報酬を払っていたが、ほどなく男性常連客の中に医師が多く含まれていることがわかったため、覗き無料サービスと引き換えに医師客に診察を担当させるようになった。
むろん、受診を主目的とするローン利用女性痔主・便秘患者らも、観察者の中には医師以外の呼気荒いマニアたちが参集していることに気づかずにはいなかったはずだが、無料診察かつ手軽な稼ぎとあっては目をつぶって耐え、それがまた素人覗かれ女のファジーな役割を自ずと演じるともなく演じきる超・脱無意識的顛末となって、「ブブカモデルファン」たちを狂喜させた。
「経済」と「健康」が結びつけばビジネスは無敵である。一回あたりの収入を増やすために排便量増量を図って消化器系のケアに気を遣った結果ダイエットがはかどった、と常連女性から感謝のメールも寄せられたほどである。「公衆トイレ式クリニック」は新型ヒーリング施設として健康業界の評判を呼び、やがて女性誌のいくつかが「裏のダイエット文化」として三谷サラ金トイレを取り上げるようになった。ファイバー系のダイエット健康食品の企画広告と連携して、せっかくの腸の大掃除の大噴火絶景を、どうせなら人に見てもらえば達成感も増すでしょうという意味のスローガンでキャンペーンが張られ、一大トレンドを形成したのである。女性的肉体の権利主張から権勢誇示へ(「エロチックキャピタル」!)、さらには一種のボディアートと捉えるニューエイジ雑誌もあった。
かくも公になっても警察が介入しなかったのは、経営者三谷が風俗営業の届け出すら出していなかったことを考えると、おろち史的に興味深い。有料トイレでもあり貸金業でもありアートシアターでもあるという建前を司法が黙認したのは、客同士の接触を伴わぬ営業形態と、前述ストーカー対策等のおかげで通常の風俗業に比べて悶着を起こしにくい工夫とが評価されたのに加え、もちろん常連客に警察官が少なくなかったからだと言われる。
それよりも大っぴらなる無垢な宣伝の問題点は、OLローントイレの仕組みを利用女性に周知させる結果となるゆえ、ファジー心理の陰翳的確率を収束させてしまう危惧というか、覗き客にの間に興醒め感と失望を広めかけたことだったが、「ダイエット系自己洗練やアート系自己表現の衝動と、単純な経済的動機とのいずれの方が、視姦被害感情の補償として一層働いているのか?」といった推測に耽る高次の心理フェチが覗き客間に新たに流行し、OLローントイレのメンタルクオリティを高めた。
ユーザ女性の中には、ダイエットのモチベーションが高められてもいっこうに結果の出ない者も当然いる。そうしたダイエット固有の限界に突き当たった女性らはまたそうした女性らで、空回りの努力の中で、たとえば排泄物の形・色を自由意思でかなり調整できることを発見し、そこで「美貌」を再主張できることに目覚めたりもしたのである。こうしてOLローントイレはほどなく、ダイエットの動機付けに利用されると同時に、スリム化という一元的動機づけを脱した、エステ界面拡大という刷新的モチーフに後押しされ始めたのだ。鑑賞側の男性客の方も、女性の内面、内面の軸の奥の芯に直結した「美貌」の証しとして、より高い精神的境地において排泄物の色形を評価できるようになった。
勤勉なエステ系女性が観賞客として入ることも珍しくなくなった。他の女性の便秘状態や健康便の実態を観察し研究しようというのである。他人の尻肌や排泄内容を観察することが美容生活上の自己規律にどれだけ役立つかを調べた研究論文まで発表された(この種勤勉女性は、視覚と排泄時体感覚とを強くシンクロさせるミラーニューロンがとくに発達していたことも後の研究で判明している)。もしかして昨日いや一時間前に自らこのマジックミラーの向こうで排泄したばかりかもしれない勤勉女性が尻フェチ男らに混じってじっと目を凝らし、極太大便や爆裂噴射に感嘆の溜息をつくその隣席にたまたま当たった男性客の多くは、勤勉女性の深い溜息が傍から漂ってきて鼻孔をくすぐる情感目当ての「連れ覗きフェチ」に目覚めたという。覗き客同士での結婚は少なくとも十二組確認されている。
女が女を覗くならと、開業半年にして被視側として男子トイレが試みに増設された。しかし思惑は外れ、排泄客はどんどん入っても覗き客の方は三日に一人も入らず、増設分はほどなく女子トイレに改装された。つまるところ勤勉女性は男尻では参考にならぬと見向きもせず、同時にスカトロ系ホモなる人種がいるにしてもただ見るためにだけ金を払う非肉弾系はほとんど存在しないことも立証されたと言えよう。
客たちの間で自然発生的に、評価の座標軸チャートが出回った。太さ、排泄速度、肛門の毛の揺れ方・大便表面との擦れ具合、肛門の皺の伸び縮み具合、肛門の開閉速度と頻度、ブツのちぎれ方、屁の音(湿り屁と乾き屁それぞれのポイント)、ブツと屁のタイミング的相関、太いブツが出ている最中の前性器の蠢き気配、ブツと小便のタイミング的相関、営み前後の息み声、陰部を払拭中の手指の動き具合、ブツ表面の罅割れ密度、未消化物の色と大きさ等々、細かい評価ポイントが設定され細分化されて、値の割り当てをめぐっていくつかの流派が分かれ、論争が起こり、客たちが十人単位のグループを三、四形成してはそれぞれ夜中に飲み屋に繰り出して評価基準や当日のランキング、美尻トップテン、排泄主の人物推測等をめぐって喧喧諤諤徹夜の議論を交わした。こうした酒席で半ばランダムながら自然と整理された知見が、後のおろち学に多大な寄与をすることになるのである。
終夜営業を意義あらしめる繁盛ぶりゆえ三谷と袖村は夜中もなかなか店を離れることができなかったが、三日に一度は二人のうちどちらかが飲み屋の討論会に参加して、客たちの評価のトレンドを把握し、女性客への貸付金利調整に反映させたりするのだった。
かくして、熱心な男性客たちの提案により、見ながらヌイいた客は証拠物付きティシュを一票投じる人気投票システムが採用され、一番多くの男にヌカせた「今月の一番尻・一番糞」が選ばれた。一番人気に投票した男たちが投票出資金を分配獲得するという賭け尻イベントの定着である。優勝女性が住所または連絡先を提示していた場合には彼女にも配当金と賞状が送られるシステムになっていたが、さすがに連絡先を置いていった女性は皆無だったという。
いや、一人を除いては。開業一年を過ぎた十一月の投票では、前述の年齢制限ゆえ自ら百円を払いながらこのサラ金トイレで三日間連続排泄した奇特な女性である。その七十四歳の某地方都市在住無職女性がほぼ満票を得て優勝し、話題となった。優勝の要因としては、この女性が年齢に比してきわめて美麗な肛門の持ち主であったこと(五歳年上の夫が半年前脳出血で死亡する直前まで彼女相手にAセックスを続けておりその尻応えゆえの自信が――この粘膜絶対自信ある! 若い人たちに見せてあげてぇ! 東京にそんなトイレがあるなんて居ても立ってもいらんねぇ!――彼女を新幹線回数券購入を厭わぬ情熱的トイレクリニック通いのモチーフとなったらしい)、ほとんどが二十代から三十代で占める利用女性尻の中で七十代の年季入った微妙な皮膚の濁り艶が却って新鮮な輝きを発していたということ、そしてAセックス五十年の経歴による超極太便は若年女性には決して真似できない迫力だったということ、等などであろう。この女性は連絡先を提示しており(自宅のみならず都内在住の長男および長女の自宅住所電話番号まで記載していた)、賞状賞金を送付された(ただし当初の計算設定で予期されぬほぼ満票という快挙だったため却って配当金はほとんど投票者側に流れ、胴元分を控除して優勝女性取り分は僅か136円に過ぎず、トイレ使用料との差引で赤字という皮肉な不条理会計であったが)。のみならず賭け尻二周年記念日のオープニングセレモニーに招かれ、模範脱糞を披露し、盗撮仕立てに誂えた美麗パッケージのビデオ『美尻女王は超絶熟女!』まで発売された(VHSとDVD各限定百本が即日完売となった)。彼女は賞状と記念ビデオとその印税を仏壇の夫の遺影脇に飾り、彼の肉棒的貢献の素晴らしさを毎朝称えたという。
常連客たちは優勝女性が七十四歳と聞いて愕然としたが、むろん怒る者はいなかった。拍手喝采、褒め称えこそすれ、失望した者もいなかった。もともと尻フェチ人種は、生殖行為と無縁の萌え要素をまとう体質ゆえに、熟女趣味の比率が多かったという理由もあろう。しかしハッピーエンドではなかった。要らぬハプニングのせいで、七十四歳の栄光が泥まみれになってしまったのである。次のような恥ずべき背信が本物の怒りを呼び、サラ金トイレが崩壊するときがやってきたのだ。女性の入りが悪い日には(そうした日も多々あったことこそ袖村天然ビジュアル体質がこのテ作為的窃視ビジネスのリアル守護神たりえなかった理を証明していよう)日当いくらのサクラ女(三谷のもと恋人やその妹、友人などだった)が浣腸や下剤仕込みで排便していたのだったが――自然日常排泄の売り文句に反するこの手は、たとえサクラが十代の美尻であったとしても無価値なのである――、あまつさえサクラ調達のできぬ折には時に袖村茂明と三谷恒明自身が、自ら尻毛を剃って女尻を装い排便してしのいでいた、ということまでもが二年目の夏に発覚したのだった(袖村は関与していなかったという説もある)。もちろん常連客に訴えられ損害賠償が請求された。
この発覚は、ただし決定的要因ではなく、すでに進行していた累積的崩壊に単にとどめを刺す「最後のわらの一本」でしかなかった。というのも、サラ金トイレはすでにそのころ、女性客の「プロ化」によって破滅に瀕していたからである。プロ化というのは、サクラではない自由意思のトイレ利用客のプロ化ことなのだが、すなわち金を目当てに何度も足を運ぶ、その多くは水商売女による麻薬覚醒剤購入目的の金欲しさの「通勤」であった。そのような毎回おなじみの尻による、しかも肌荒れ著しい不健康尻による不純な、大半は低級安易な下剤を服用した、さらにもともとヤクで汚れきった黒ずみ排泄物のビジュアルはてきめんに目の肥えた男性客の不興を買い、サクラの雇用以前から「サクラを使っているのではないか」という不自然感の指摘があったのだった(そのような濡れ衣を着せられたためにこそ、三谷は「ちくしょう、どうせ疑われるのなら」とサクラを雇うように、そして自ら演じるようにまでなってしまったのだ。相互不信の悲劇……)。というふうにもとより無理の重なりまくりだったベンチャービジネスのこと、自然崩壊の度が天然進行して飽和しかけたときに、駄目押しのとどめとばかりサクラ発覚、三谷尻発覚の二事件が続いたのである。さらには、賭け尻で三度にわたって三谷の尻が準優勝していたことも判明したからたまったものではない。非難が殺到した。無精髭野郎の尻とクソ見て興奮していた俺らって何だったの!
「どうしてくれる! いままでの勃起分をどうしてくれるんだ!」
「これまでのガマン汁とドッピュンのすべてが穢された!」
男たちは取り返しようのない心の傷を負ったのだった。さらには厚底サンダルの高い位置からじっくりと真っ茶色の罅割れ円筒が降りてくる「理想のつやつやダイエット蜷局」として『アンアン』秋のダイエット特集号に掲載され絶賛された物質写真が実は三谷恒明自身のものであったことが詳細な顕微鏡検査によって発覚し、この写真を中核に据えたダイエット本の出版準備を進めていた出版社および食品メーカー・化粧品メーカーからも訴えられたのである(……「美容ダイエット文化に男性の消化器が参考になる度合いは人類脚力の速度限界測定に女子百メートル走の世界記録が参考になる程度に等しい!」)。
男尻とは知らず勃起・射精させられていた男性客たちの払った料金プラス事後的精神的ショックへの慰謝料とで――実際、EDになったり、PTSDに悩まされるようになった元男性客の人数は四桁に及んだ――総額八億円もの損害賠償が争われ、一千万単位の慰謝料請求を認める判決がぽつぽつと出始めたのもその頃である。輝ける七十四歳女王の名誉が台無しになったのはここにおいてだった。男の尻が違反であるなら、例の七十四歳の尻はどうなのか。遡って問題化され始めた。二十代から四十代の男性客が、年齢的に我が母親や祖母の尻を見て勃起し射精を強いられたも同然だ、慰謝料は当然だという便乗訴訟に乗り出し(七十代・八十代の男性客による美尻礼賛弁護の声もあったが金が絡んでいることもありやがて掻き消えた)、べつにサラ金トイレはもともと年齢制限は謳っていなかったゆえにサクラ問題とは異なり契約違反ではなかったものの元来が違法臭芬々たるこの商売、予想通り司法の判断は厳しく、七十四歳尻に勃起した客たちにも精神的ダメージ回復料の支払いが命じられて、総計二十六億円もの賠償および追徴金を命ぜられたのである(実のところ、違法寄りであるがゆえに客の訴えは門前払い、というのがむしろ常識的だと思われるのだが、ここがおろち文化特有のねじれと言うべきか)。
七十八歳になっていた美尻女王は訴訟の経緯を知って失意のあまり自律神経失調症で入院し、寝たきりのまま、直径六センチ長さ十センチの寸胴おろちを毎日一時間おきに搾り出しつづけながら主要判決の翌日に死亡した。残念ながらその名は公表することができない。彼女の悲壮なる栄光を理解しない遺族が許可しなかったからである。三谷・袖村コンビは自己破産を申告せざるをえなくなってしまった。二人に支援の手紙を送ったのはサラ金トイレに自主通勤して稼いでいた覚醒剤女約六名のみだった。【弁護士仁科敦夫の記録より】
袖村からすれば、このようなパブリックな形でおろち文化に我が行状が組み入れられたことは悔やんでも悔やみきれなかっただろう。おろち文化研究者ならぬ観賞者たるわれわれからみても、あくまで傍観的スタンスでありながら核心的おろち光景が次々降りかかるという〈望まぬビジュアル体質〉の悲喜劇こそが袖村茂明の持ち味というか、キャラ特性であり続けてほしかったわけであるから。確かに袖村のおろち産業への積極的関与は、いかに三谷恒明なる四流人物に引きずられた結果とはいえ、遺憾と言わざるをえない。が、スキャンダルには事欠かぬ情報社会において、あっというまに「OLローントイレ訴訟事件」など忘れられ、袖村が街角でネオおろち系と出会う頃には、そんな異端風俗産業が芽生えかけていたこと自体思い起こす市民もいなかったのである。袖村は速やかにおろち史の不可視的底流に没し、真に有意義な彼本来の自覚的暗躍へと身を翻し直すことができた。
(第17回 了)
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* 『偏態パズル』は毎月16日と29日に更新されます。
■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■