偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 蔦崎事件が世を震撼して半年が過ぎ、印南哲治が壮絶な巻き添え死をもたらすことになるあのド派手なわりに徹底して二番煎じ的経緯がまことに物悲しい大爆死事件のほんの一週間前。大学の講義における印南の興味深い発言が、受講生の所持するボイスレコーダーに記録されていた。興味深いというのは主に二点。ネオおろち向けの印南式「純潔・反挿入教育」を読み解く素材として、つまりネオおろち教育の公開バージョンとして意義深いと思われること。そして、五年余り後の大阪市長による某発言を予知的に先取りしており、おろち文化が先駆的問題意識を内蔵していることの有力な証拠として作用しうること。
もっとも第二点については、この印南発言が、あるいはここから影響の発した類似の与太話が数年を経て大阪市長周辺に波及した結果、意識と無意識の波間で同型の発言となってマスコミネタを形成したという、常識的な(非─遡行的な)因果解釈も唱えられている。こちらの方が予知というオカルト色をおろち文化史に持ち込まずにすむため好ましいと言えるが、いずれにしても印南哲治のこの最後の講義では、だいたい次のような趣旨が次のような口調で述べられていたのだった。少人数ゼミならいざ知らず、百人を超える受講生を相手にした発言としては確かに異例で、印南が遺言的位置づけを明確に付与していたことが窺われるのである。以下、無意味なつっかえや咳払いや言い直し以外は語調も調えず、ボイスレコーダーからほぼ逐語的に採録する。
なんや慰安婦についてはホント、韓国とかだけじゃなくて最近じゃオランダとか、関係ないアメリカまでがなんと議会で決議してますね。非難決議を。日本に対して。言っときますけど私は皆さんご存知の通り大日本帝国大嫌いですから。大大大嫌いですから。反国家主義的人間ですから、南京事件とか重慶爆撃とかについては百万遍でも日本の政治家がむこうに土下座すべきだと思ってますよ。原爆投下も天罰とは言わないがハッキリ正しかったと思うしね。大日本帝国自身がなんとか戦争やめる口実探してた四十五年八月だから、それでもやる気満々の陸軍に牛耳られて戦争どうしてもやめられぬ窮地に陥っていた日本なので、ホント、原爆投下って天佑だったんですよ。それとソ連参戦ね。原爆よりむしろ引導渡してくれたのはソ連の方だって知ってますか。歴史学では常識だけど、意外と知られてないよね。あのタイミングでソ連参戦は天の恵みでしたよ。だから北方領土なんて放棄すりゃいいんですよ。歯舞色丹も要らないよ。スターリンが裏切ってくれたおかげで極悪日本陸軍も屈服したんだから。ソ連の功績は大きいですよ。原爆だけじゃ陸軍は痛くもかゆくもないからね、ソ連参戦が重なって、ようやく政府が天皇駆り出して陸軍を抑えることができたってことですよ。日本が地獄の本土決戦をせずにすむようにしてくれた大恩人なんですよ、スターリンこそは。ロシアに北方領土くれてやるくらいは当然じゃないですか。
ネタじゃないよ、本気ですよ。てなくらい、私はアンチ大日本帝国ですからね。独善的な皇国の血筋を引く現日本国の国民として、世界中に謝罪し続けなきゃならんのは当然のことでしょ。まったく。とくに朝鮮半島の人たちには、北の人にも南の人にも、ホント毎日でも謝りましょうよ。「日本の身代わりで民族分断されているあなた方にはまことにすまないことをした、日本人として心からお詫び申し上げる」。私はなんべん知り合いの韓国人に頭を下げてきたことか。皆さんそこんとこ、よく覚えといてくださいね。
で、慰安婦ですが。よその議会で非難決議されちゃった慰安婦制度ですが。人権擁護派の志を私はもちろん支持します。そりゃあもう。しかしどうなんですかね、志は志として、肝心の認識内容が事実と違っていたら、あるいはトンチンカンな価値観に基づいていたら、いかに反日家の私でも志にばかり同調するわけにはいかない。慰安婦をセックス・スレイブと言い換えて、非人間的な3Kな賤業に無理矢理駆り出されていたと。そう認定することが、元慰安婦らの人権を守ることになるんですかね? いや、名乗り出て声張り上げているハルモニたちにとってはそうなのかもね。しかしそのために、慰安婦の存在を「従軍慰安婦制度」とか架空の制度の名前でくくったり、すべての慰安婦が性奴隷であったと仄めかしたり、第二次大戦中に日本だけが女性を性的はけ口として強制労働させていたとか、そういう誤解を世界中に根拠超薄弱激薄弱のまま広めるためにわざわざ日本の大新聞が努力する必要はないだろう、そう思わない人、いますか。私は朝日新聞は基本的に信頼しているが、慰安婦関連の記事を捏造して訂正記事も出さないあれは首を傾げるね。せっかく南京とか他のことについてはなかなか良い反日的スタンス保ってるのに、好感持てるのに、慰安婦のことで一挙に信用台無しにしてるよね、知識人の間で朝日新聞てのは。
とにかく、名乗り出て声張り上げているハルモニにとっては、慰安婦はセックススレイブだったんでしょう。しかしハルモニたちも、責めるべきは自分を売り飛ばした親や、騙して戦地に連れてきた民間業者であって、ありもしなかった「日本軍の制度」を弾劾しても意味ないと思いませんか。日本政府が謝る筋合いのものじゃないでしょう。ましてや大多数の、声を上げない元慰安婦の方々、自発的に「お国のために」「お金のために」「お国とお金のために」戦争協力した女性たちに対して、「あなた方は性奴隷だった」「あなた方の携わっていた仕事は人間がするべき仕事じゃなかった」と貶めるのが、はたして人権擁護になるんですかね。
戦時中は売春は合法でした。そして、合法な職業には貴賤の差は本来ありません。自発的に兵士相手の売春に携わっていた女性たちに、「賤業」のレッテルを公然と押しつけることが人権擁護なんですか。あ、もちろん当時も、売春は合法でありながら差別されていた職業です。醜業と言われてね。従軍医師や従軍看護婦はいても従軍慰安婦が存在せず、靖国神社にも祀られていないのは、軍が慰安婦業を差別して正式に軍に所属させなかったためですね。募集を民間業者に任せていたからですね。しかし表向きは、売春も立派な職業であり、法的建前としては、慰安婦の仕事は何ら恥ずべき仕事ではなかったはずなのです。売春婦が現実に差別されていたからといって、差別を正当と認めてよいことにはならない。われわれの視点からすると、当時の売春は決して醜くも賤しくもない。お国のために、兵隊さんと苦楽をともにした元慰安婦の方々は、もし朝日新聞的マスコミのバッシングを受ける恐れさえなければ、「私たちは決して性奴隷ではなかった。誇りをもって仕事をしていた。人権擁護派こそ人権侵害を働いている」と抗議の声を上げたいところでしょうね。
ところで、慰安婦って必要だったのか? て疑問を持つ人、いますか。なんで戦地にまで売春婦が同行しなきゃならないんだと。失言には事欠かない日本の政界だから、いずれ、「慰安婦は必要だった。そんなことくらい考えれば誰だってわかる」くらいの発言をして物議を醸す政治家が現われるでしょう。ついでに、沖縄米軍の性犯罪がヤバいレベルに来てる昨今ですから、米軍司令官に直接「風俗店を活用してくれ」くらいの忠告をする日本の政治家も出てきそうです。
慰安婦は必要だったのか。あるいはそもそも売春って必要なのか。いま、風俗業って必要なのか。
まず結論から言いますと、慰安婦は必要でした。それから、米軍は風俗店を大いに使うべきです。これが揺るぎない真実ですが、まあ、いずれそういうことを言う政治家が出てきたら、マスコミの猛反撃を食らって、政敵からもここぞとばかり不純な非難を浴びて、諸外国からも公式の批判が届いたりするでしょうね。私がこうやって講義で喋ってるぶんには問題ないわけですが、政治家のそういう発言がテレビに映ったり新聞に載ったりすると、まあ、アウトでしょうね。発言する政治家は、間違っていないにせよ、発言を撤回しなきゃならない羽目になるでしょうね。まあ、政治家は周りのレベルの低さを考慮に入れろってことです。正しいことならなんでも言っていいってもんじゃない。南京事件はなかったとか、日中戦争は侵略じゃないとか言うのはそもそも内容が間違っているわけですが、「慰安婦は必要」「米兵は風俗に行け」は正しいにもかかわらず同種の失言と見られかねないNGな言説ってことです。いや、でも、数年以内にそういう発言する政治家、絶対出てきますよ。沖縄米軍があの体たらくじゃね。
しかし事実的に正しいそんな発言がなぜ政治的には失言になるかというと、慰安婦の必要性、風俗店活用の妥当性、その理由をしっかり理解している人間が当事者にもマスコミにもほとんどいないだろうということですね。理解してるのは、しかも非イデオロギー的に理解できてるのは、哲学者と進化心理学者くらいのもんじゃないですか。
まず慰安婦の必要性を考えましょう。なぜ必要なのかという理由づけとして、失言をする政治家の知的レベルであれば、「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要」って感じの、まあそういう理由づけになるでしょう。情緒的・思いやり的理由づけですね。しかし、それじゃ慰安婦の必要性を述べたことにはならんでしょう。「慰安婦」という名前に引きずられて、兵士を慰めるため、てないかにも軟弱な、消極的理由になってしまい、それこそ野球とか芝居とかビーチバレーとかトランプとか将棋とか、別のことで休息させろ、ってなことになってしまいます。慰安婦が必要である本当の理由、それはズバリ、「戦争に勝つため」ですね。「兵士の戦闘能力の維持」のためです。戦争に勝つ、が至上命令だった文脈では、慰安婦は絶対必要だったんです。失言政治家はそこまで言ってくれるかなあ。
考えてもご覧なさい。といってもここにいる中でも男子学生諸君にしかわからないことでしょうが、男子諸君、君たち、受験勉強していて、あした模試だ、とか、あした本番の入試だ、とか、運動部に入っていて、あした試合だ、というとき、どうです、溜まった状態のまま、全力が発揮できますか? え? はい、無理ですよね。気が散るよね、溜まってると。集中できないよね。必ず一発抜いて、試合や入試に臨むでしょう。もちろん学生時代は金がないから基本自分の手でやるしかない。この不景気に、彼女なんている人少ないよね。とくにすぐ抜いてくれる便利な彼女なんて、この不況に夢のまた夢。となるとムナシイが、溜まったままでいるよりはずっとマシだ。てなわけで、いざ戦いの前には、戦闘能力を存分に発揮するには、男子は放出しなきゃならんわけです。
戦場にはなおさら彼女なんてものいませんよ。
軍隊はまさに、日々本番です。殺すか殺されるかの戦いです。しかも自分の生き残りだけでなく、国家の生き残りを賭けた戦いだと叩き込まれているわけです。身体を素早く動かし、余計なことに気をとられず精神クリアに集中し、命令を冷静に守り、不慮の事態に臨機応変に対処し、という心身すみずみの効率性を保つためには、兵隊は、精巣をすっきり空っぽにしておくことが必要なのです。だからこそ、兵隊の月給の何十倍もの月給を掲げて慰安婦募集の広告が真っ昼間の新聞にも載ったのです。兵士は強制労働なのに、慰安婦は自由意思で応募してきたのです。まあ自由意思といっても半島では親の自由意思が大きくて、本人にとってみれば兵士と同じく強制徴用に感じられた場合もあるでしょうが、あ、「徴用」だけで強制の意味が入ってますが、とにかく強制の度合は、国ぐるみでの挑発の被害者だった兵士よりはずっとマシだったはずです。
「戦争中は兵隊が必要だった」と言われてもべつに誰も違和感を持ちませんね。兵士にされるのは悲惨なことでヒドスギる人権侵害だが、「だからこそ戦争中だからといって人を兵隊にしてはならない」というのはアホでしょう。そういうアホな方向じゃなく「だからこそ戦争をしてはならない」という論理になるはずです。兵隊だけでなく、従軍医師、従軍看護婦、従軍記者、等々についても同じことが言えます。「従軍看護婦は必要だった」。「従軍カメラマンは必要だった」。べつに問題ありませんね。「従軍画家は必要だった」。どうかな。画家よりは慰安婦の方がずっと必要性高かったでしょうよ、戦争遂行上。
慰安婦は必要でした。兵士や大砲や飛行機が必要だったのと同じようにね。看護婦が必要だったのと同じくらいに。でも反論が予想されます。「兵士だって、彼女いないブサ男と同じように、自分でシゴイてりゃいいじゃないか」。「マスかいてすっきりして、ハッスルしてろ!」。しかしですよ、兵舎で密集して集団生活する状態で、あちこちでシコシコやってたら、衛生上も、精神衛生上も、規律上も、よろしくないわけですよ。個室で受験生がエロ本見ながらって環境とは違うわけでね。おそらく「マス掻き所」みたいな「それ専用の密室」が必要でしょう。どこでも排泄していいわけじゃない、便所に行ってしろ、ってのと同じことで。
するとどうです。どうせ専用の場所が必要になるのなら、そして戦地にいちばん熱心に慰問袋を送っていたのが吉原とか飛田新地とかの娼妓だったりした経緯ももともとあるわけだから、兵士の戦闘能力維持、性欲処理には、生身の女性の協力を得るのが最も効率的だ、てことになるのは当然ですね。衛生面も軍が責任を持って管理すればよい。募集は民間業者に任せればよい。自由意思で応募する女性がたくさんいるだろうとは予想できることなので。
てことで、戦闘能力の維持のために、慰安婦は必要だったんですね。戦争目的の遂行のため、必要だったんです。
戦争目的なんて、実はおおっぴらに言えたもんじゃないんですけれどね。大日本帝国の戦争目的自体が全然褒められたものじゃないというか、そもそも目的なんてなかったんだから。日中戦争なんて何のために中国の奥地までわざわざ爆撃に行っていたのか、中国全土を占領するつもりもないくせにいったい何のために兵士がバタバタ死んでいったのか、政府も軍もわかってなかったんですからね。ただ、戦争に勝たにゃならんって条件下では、兵士が必要であり、機関銃が必要であり、石油が必要であり、そして慰安婦が必要だったんです。
ホント誤解している人がいるが、慰安婦は決して兵士を慰めるためとか、レクリエーションとか、性的ケアのために「必要」だったのではない。そういう贅沢な話ではない。そんな呑気な話なら確かに慰安婦なんか必要ない。慰安婦制度は悪だ。しかし現実にはそうじゃない。贅沢じゃなく、兵士の戦闘能力維持、戦力向上、風紀維持のために絶対必要だったんですよ。だから慰安婦が男のために犠牲になったという図式は正しくない。国のために、男女ともに犠牲になったんですよ。
ちょうど、戦争に勝つためには、人命の犠牲を最小にしつつ終わらせるためには、原爆投下が必要だったというのと同じです。
戦争に勝つためには、人命の犠牲を最小にしつつ終わらせるためには、ホロコーストなんて必要なかったというその必要性と同じ意味です。
戦争に勝つためには、人命の犠牲を最小にしつつ終わらせるためには、南京虐殺なんて必要なかった、逆効果だったというのと同じです。
で、風俗ですけどね。米軍の現状がこのままである限り、さっきも言ったように必ず近いうちに、しかるべき立場の日本の政治家から米軍に対して「風俗店があるんだから活用してくれ」なんて申し入れが、まあさすがに非公式でしょうが、そんな語りかけがあって、話題になるに違いない。性犯罪があって風俗があれば、当然誰かがそう言う。そのときアメリカがどう反応するかは目に見えてます。「風俗」がどう訳されるか知りませんが、セックス・インダストリーとか? とにかくフェチ後進国アメリカの国民が「風俗店を使え」と言われたら、買春を勧められたと受け取るに決まってます。だいたいイメクラからSMクラブ、デリヘルから回春エステにいたるまで、本番ナシの風俗店に大勢のセックスワーカーが自由意思で働いている日本みたいな変態大国の風土は、国際社会じゃ理解しがたいって可能性大だね。アメリカも含めて、格差の激しい、貧困から心ならずもセックスワークに身を投じる女性の少なくない国々から見るとね。
で、誤解される元凶は、慰安婦という存在が、売春婦であることなんですね。慰安所ではいかに避妊具が義務づけられるとはいえ、挿入OKの売買春、というところが慰安婦への同情を誘い、性奴隷とか犠牲者とかいう暗いイメージを定着させてきたんでしょう。自発的に応募した慰安婦が大多数であるとしても、「戦争中に兵士相手に挿入ありの性処理をさせられていた」となると、これ反射的に、レイプされていた、強制奉仕させられていたとなってしまうわけですね、兵士の給料の三十倍もらっていた慰安婦であっても。女性が見知らぬ男性とのセックスをいやがるというのは、古今東西普遍的な真理ですからね。進化生物学的に言っても論理的な真理だ。
しかし「いやなこと」をしている職業なんていくらでもある。売春婦だけが、慰安婦だけが不当な同情を受けてよい説明にはなりえないんだ。まるで犯罪の被害者みたいな。
しかしまあ、しょうがないとも言えるよね、なにしろ大日本帝国なので。南京事件とマニラ虐殺と七三一部隊と重慶爆撃と捕虜虐待の数々と真珠湾奇襲の日本軍なので。日清戦争以来常に必ず騙し討ちで戦争を始めてきた日本軍なので。卑怯で非人道的な日本軍なので。慰安婦をただ一国日本だけが非人道的に駆り集めていたなんて誤解を解こうにも、並行して「南京事件は虚構だった」なんて吹聴し続ける輩がうようよ居るこの日本ときた日には、まあ信じてもらえないのも当然でしょう。不徳の致すところですね。普段の無反省が、本当の誤解を解く妨げになっているわけです。自業自得ね。
しかし冤罪を放置してはいけませんね。日本の慰安婦制度が、他国に類例のない「国を挙げての強制連行」だったというのが、国際的な俗説になっているわけです。朝日新聞が女子挺身隊の誤報を訂正しないから、韓国がここぞと根拠ナシに噛みつき続ける、それを黙認するのはまあ大問題ですね。ちゃんと科学的証拠を出してくれと。私のような超アンチ大日本帝国ですら、そこは力説する義務を感じます。
ほんと、三十七年当時すでに世界的に報道され非難の的になっていた南京虐殺を今どき否定する日本人が多すぎるよね。侵略でなかったとか、たわごとを口走る政治家を日本国民が支持し続ける情けないレベルだから、事実無根の誤解について日本発の弁明が信用されなくなるわけで。
親に売られたり民間業者に騙されたりした慰安婦が「意に反して状態」「不本意状態」だったことが、「日本軍に・日本政府に拉致された」と解釈され、ナチスのホロコーストと同類の非人道的事件であったかのように世界から見られているのが現状です。とんでもない飛躍ですよ。当時だって現代だって、誰もが理想の職業に就けるわけじゃない。大半の人々は不本意ながら働かざるをえないわけだ。慰安婦の中にはそりゃ不本意に務めていた人も多かったろうが、不本意と強制は全然違うしねえ。不本意ってことでは戦争中は兵士を筆頭にみんなそうなんですよ。日本軍の慰安婦も兵士も「他国の軍隊と同じだった」ってことは声を大にせねばならない。いや、兵士の扱いに関しては日本って国は、無意味なシゴキやイジメが横行していた日本軍ってのは、世界的に見てかなりダメな部類の軍隊だったことは認めるべきですけどね。神風特攻なんて非人道的強制の極致だよね、ホント国際的恥。しかし慰安婦についてはそうした突出した非人道性は立証されていないことは確かだからね。そこは安倍内閣の閣議決定はよくやりました。
ともあれ、尊重すべきは自由な個々人の意思だってことくらい誰にでもわかるわけで。人権擁護派とかフェミはすぐに「女性の尊厳」とか言い始めるが、自由意思で慰安婦になった個人や、現代の風俗嬢の個々の生き方を肯定することが、なぜ「女性を貶める」「女性を蔑む」ことになるのか、そういう一般論になってしまうのか、私には全然わかりませんね。男とか女とかじゃなく個人の職業選択を尊敬しているだけなのにさ。
いずれ必ず政治的文脈で公言されるであろう「アメリカ軍は風俗店を活用してほしい」的発言は、だから個人尊重であって、女性蔑視なんかじゃないわけで。風俗嬢の地位擁護ですよ。
しかし面白いですよね。「風俗はダメ」と言ってる人権擁護派の方が、風俗嬢を差別しているわけでね。そう、そこが不思議なんです。失言政治家はたいてい「本音で喋るからダメ」と叩かれるのが通例です。米軍司令官に「風俗の活用を」なんて言う失言政治家も必ずや、本音人間扱いされるはず。しかし本音で喋ってるのはバッシング側であり、建前を押し通しているのはその種失言政治家の方なんですね。
法律で認められた職業は決して賤業でも醜業でもなく、大いに活用すべし、というのが建前論なんだから。てことは風俗の活用を求める失言政治家の方が法的・倫理的には正しいわけです。つまり建前的に正しいわけです。
人権擁護派は、合法的な風俗業を否定することによって、職業差別という本音をつねづねさらけ出しています。まあ私も、この教室にいる女子学生諸君の誰かが「風俗で働きます」と言ったら「やめた方が……」と言うかもしれませんが。いや、ソープ以外なら「そうか。風俗に就職か。しっかりやれ」と励ます用意はあるかも。挿入ナシなら。とにかくプライベートには「やめろよ」と言いたくても、公の席ではそういう差別は憚られるよね。世間には3Kへの偏見があるわけだが、職業差別を公言してはならんと私は思ってます。ところが建前の権化であるはずのマスコミや人権派議員が風俗業否定を公言している。そこが不思議でなりませんね。とくに現代日本は、風俗嬢のほとんど全員が、自由意思で、たぶん天職だと思って風俗嬢になっているわけですから。風俗肯定という「失言」の方が建前的に正しいんですよ。
だから慰安婦についても、建前はこうだ。大多数の慰安婦は、誇りをもって務めていたはずである。断固この建前。合法的職業だからね。セックススレイブなんて決めつけはほとんどの元慰安婦にとって侮辱でしょう。英語では、日本軍の慰安所に限って「レイプ・センター」なんて呼んでる例があるよね。国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会とか。とんでもない話だ。人権委員会が人権蹂躙の用語を捏造してどうするの。
とまあ、マスコミでは「本音のだれだれ、建前の反だれだれ、建前優先」というだれだれバッシングがいつもメインになるわけだが、実は正反対で、建前論はそのだれだれであり、人権擁護派の方が本音の差別意識をさらけ出していて矛盾している、なんてことがしょっちゅうなわけですよ。人権意識の皮肉な逆転だね。
しかしまあ、そんな建前的な失言する政治家は、公の場ではシモネタは口にしない、という最も単純なタテマエを破ってるわけだから、合法的な風俗業を擁護するって程度のタテマエじゃ逆転できないでしょうけれどね。人権的正義の所有権はやっぱ本音の差別主義者が握っちゃうよね。シモネタでアピールしちゃ政治家も終わりだ。
とはいえ、何遍でも言うけど風俗肯定は女性蔑視、てのは逆でね。風俗業ってのは「性的資本」の行使だからむしろ女性解放に繋がるわけでね。男性にはない女性の能力なので。まさに女子力の応用である風俗業を否定してしまっては、人権もフェミニズムもないよね、まったく。
慰安婦だって誇りをもってお国のために働いていたはずだとか、職業に貴賤はないとか言うと、お決まりのように返ってくるのが「ならばおまえの娘を慰安婦として送り出せるのか」という反問です。ほんと愚かな問いですね。本人が真剣な気持ちでやると言うなら、いかに親であっても止めることはできないでしょう。合法的な仕事である限り。確かに「よく考えてみたら?」程度の難色を示すのは自由ですが、それは娘や息子がプロボクサーを目指すと言い出したときに「危険だから考えなおせば?」くらい言いたくなるのと同様ですね。阻止する自由は親にだってありません。
とまあ、慰安婦制度を全面的に肯定した言い方をしてきましたが。実は私、ああいう制度についてはいろいろ言いたいことはあるのですよ。慰安婦制度には残念なところがたくさんある。
実際、これだけ「ダメだダメだ」と言われてしまっていること自体が、慰安婦制度に弱点があった証拠です。そうなんです。本能的にどうしても悲惨なイメージがつきまとうことは否定できないんですね。本能的なイメージですね。イメージ的に慰安婦は強制労働だったということになってしまう。どこの国も同じはずだが、とくに日本は大新聞が反日的言辞で売っているからイメージがそのまま膨れ上がってしまう。で、何がそもそも悪のイメージを作ってるかっていうと、慰安婦の名誉を穢しているそのすべての元凶は、挿入。そう、挿入だったんです。
挿入はいかんね。ホントに入れちゃったら芸術ではなくなってしまう。
いや、芸術はあれだが、挿入にこそ、女性の権利侵害のおおもとがある。進化論的にも、見知らぬ男の挿入を受け入れるというのは、女性にとって致命的なことなのだ。たとえ生殖に結びつかなくても、挿入は挿入。いかん。
ナマの挿入だけじゃなく、挿入そのものが禁止されてさえいれば、慰安所ってものに、そうそう陰惨なイメージがつきまとうことはなかったでしょうよ。いやほんと、私の本音を言えば、いくら戦争だからって、いくら兵士の戦闘能力を全開にさせるためったって、ひとさまの娘に挿入しては絶対いかんですよ。いくら当時売春が合法だからって、やはりひとさまの娘ですからねえ。挿入はいくらなんでも。挿入以外なら私も許すよ。だから挿入以外のあらゆる多彩な性的サービスを提供する存在が慰安婦である、ってことでよかったんですよ。いや、そうであるべきだったんです。
みなさん、風俗行きますか? まだ学部生じゃそんな金ないですかね。ともかくソープ以外の風俗に行ったことある人ならわかるでしょうが、あと彼女と幅広い楽しみ方してる特権的男子ならわかるでしょうが、ほら、手コキは、挿入よりはるかに快感度が高いんです。なにしろ刺激が違うから。手指とあそことを比べれば、どっちの方がどれだけ微妙な動きができるか。一目瞭然でしょう。刺激の強度と複雑さ、そして微妙な多彩さは、挿入よりもクチ、クチよりも手コキなんです。これ、常識です。自分の手でやっても本番より快感度高いという男性が多いくらいで、これが神経の繋がってない他人の手でやられたら、ましてや可憐な女性の手だったらその絶頂度は本番とは比べものになりません。
恋愛関係だったら、一方的にイク手コキじゃメンタル面で味気ないだろうけど、これがプロにやってもらうというなら、当然、本番より手コキですよ。
慰安婦もプロです。
だから慰安所も現代風俗の方式でやればよかったんです。手コキ中心で。クチは、やはりひとさまの娘ですから、そう簡単にしゃぶれというのもかわいそうですから、料金を上げるとかして、基本料金ではもっぱら手コキで。その方が兵士にとって、ヌキのサッパリ度も挿入の比じゃないんで、戦闘能力アップの点からも望ましかったはずです。もちろん、手コキじゃ心理的満足度は低いだろうとか、挿入の突撃感なしで受け身の手コキじゃ兵士の戦闘意欲が高まらないだろうとか、結局フラストレーションが溜まるだけじゃないかとか、いろいろ邪推する人もいるでしょう。しかしそれって、実際にヘルスやエステで本物の手コキサービスを受けたことのない玄人童貞の杞憂ですよ。本番より手コキの方がサッパリ感は大きいはずです。実際、風俗での手コキの強度が挿入に比べてあまりに大きいため、「風俗通いで感度が鈍り、過度の遅漏となって、EDになる男性が増えている」と危惧する医学レポートまで出てるくらいですよ。それにだいたい、むやみに本番をやらせちゃって、突撃感というか、ハンティング本能を満足させてしまったら、逆効果でしょう。本物の戦闘のときにこそ、溜まった鬱憤を晴らしてもらわなきゃ。肉体的には手コキでサッパリして身軽に動けるコンディションを調え、心理的には突撃不全のモヤモヤ感を抱えたまま戦場に出るというのが、兵士の戦闘能力を最大に引き出すやり方なんです。そのためにも、慰安婦への挿入は禁止して、手コキサービスで充足してもらう、トッピング料金で他のフェチ的プレイをさせてやる、というのが最善の兵士管理戦術だったんです。
まあ、いずれにしても、大日本帝国に赤紙一枚で強制徴用された若者のほとんど全員が童貞、という堂々たる事実がありますから、慰安所で初めて女の肌に触れるってのが大半のはずです。手コキで何の不満がありましょうか。むしろ初女性体験で人生活性化を自覚し、思い残すことなく我が命を捧げる決死的覚悟ができ、かたや幻の本番挿入までは生き延びてやろうとの合理的なバランス感覚に満ちあふれた戦士烈士が大量生産できたはずなのです。慰安所のファッションヘルス型経営により、日本軍の戦力は五割増以上見込めたに違いありません。性的処理だから即挿入、という軍の低俗な思いこみ、貧弱かつ定型的な発想が、数十年後に日本国にいわれのない汚名を着せる元凶となったんですね。慰安所の活用法の誤りが、日本軍の敗因とも言えるくらいです。
言っときますが、他国ではこれはさほど成功しないでしょうな。日本軍ならではの慰安所戦略です。黄色人種は、非生殖的性的行為、つまり挿入ナシの変態行為というか、セックスレスが白人や黒人に比べて非常に多い。現代日本の非挿入型生産業の隆盛を見てもわかるでしょう。だから、もともと挿入にこだわることなく、「兵士たるもの堂々と正面突撃せよ」なんて言わず、いいんです、奇襲攻撃で。もともと日本軍お得意の裏口攻撃で。「挿入以外に各々の快楽を工夫せよ!」って教育をすべきだったんです。その方がやたら他人種的マッチョを押しつけられるより、兵士らにとっても幸せだったはずですよ。
ああ、重ね重ね、当時、日本軍がファッションヘルス型慰安所を実現していたらなあ。売春防止法以降の性風俗産業トレンドの先駆として、文化としての意義を誇れたものを。日本軍慰安婦は、セックススレイブなどという侮辱を世界中から受けることなく、先駆的セックスワーク、最先端サブカルチャーとして文化史に不滅の名を残したものを。
とにかく、慰安所のシステムが手コキ主体だったら、売春特有の本能的暗さもなく、セックススレイブ色も薄く、兵士を高揚させる効果も高く、いいことずくめだったことは間違いありません。もちろん、手コキに限定しなくてもいいですよ。いろんな趣味の兵士がいたでしょうからね。童貞ながら、いや童貞だからこそ、いろんな不定形の妄想が脳裡に蠢いていたはずです。薄ゴムを手渡されるんじゃなく、本番禁止を言い渡された上で「やりたいプレイ」を申告させる、というのが賢明なシステムだったでしょう。顔面騎乗とか聖水とか格闘技プレイとか、戦後日本に花開くあらゆる種類のフェチが申告されたはずです。本番以外なら、そして暴力を伴うものでなければ、どんな変態プレイにも応じられる用意をさせておくんですよ、慰安婦に。挿入さえないとわかれば、慰安婦も進んでいろんなプレイに明るく応じたはずです。挿入さえナシであれば、戦後になってあれこれ不平不満など言わないはずです。アナル舐めやSMの体験を涙ながらに語る女がいますか? いませんよ。挿入さえなければ、シリアスな問題は発生せんのですよ。慰安婦に分野別に専門的訓練を受けさせるというのもありだったですね。兵士の注文に応じるだけでなく、逆に慰安婦の方から兵士にメニューを示して、「新しい性癖」に目覚めさせる手引きをするんです。そういうシステムなら、まさに慰安婦は専門業務型のセックスワーカーであり、創造的アーチストとして、「誇りをもって従事していた」ことに疑いの余地はないでしょう。歴史上稀なる創造的職業として今頃全世界で認められていたはずです。いや実際、日本女性の創意レベルと日本男児のフェチ度の高さからして、そして他民族の慰安婦を含めほとんどが黄色人種どうしの営みですから、実際にそういう高レベルの創造的慰安婦は少なからず実在したと推測されますよ。しかるに、なにせ表向き凡俗マッチョの挿入小屋で公に固定されてしまいましたから、高レベルの慰安婦と兵士との文化的やりとりは埋もれてしまって世に知られてないわけです。建前からして「挿入禁止」にしておけば、「何をしていたんだろう、どういう工夫をしていたんだろう」と好奇の目も向いて、慰安婦がれっきとしたアーチストであり、性奴隷だなんてとんでもない、ということが学術的にも理解されたでしょう。日本の名誉にとっても世界の性文化にとっても、そっちの方がずっと望ましいはず。現実には慰安婦制度弾劾側も擁護側も「慰安婦がやっていたのは無機的な挿入セックス」てことで一致してしまっていますが、そこは疑う余地がある。今からでも、「慰安所の性文化」という研究テーマを歴史家は追究すべきだろう。突撃一本槍の戦時中、という味気ない通念を覆す、フェチ文化の百花繚乱が判明する可能性大、と私は言いたい。
私は根拠もなくこんなことを与太っているのではありません。ひとつ証拠があって、私の伯父がですね。戦争中に、漢口、シンガポール、マンダレーと各地を転々としたそうですが、慰安婦にときどき、料金とは別に倍以上のチップをはずんでいたのだそうです。なけなしの給料からね。とくに意味もなく、我ながら急にしんみりした様子で、「今度は生きて帰れないかもしれないから。これで少しでも前借りを返す足しにしてほしい」とかなんとか。全然心の通い合った仲でもない慰安婦ばかりあえて選んでそういうことをしたので、相手は喜ぶというより一瞬怪訝な顔つきで、しかし感謝と親しみを表わさなければという表面上のなんやかんやが振る舞われて、伯父が言うには、「うん、そういうとき彼女ら、いかにも本心はこう思ってる顔なんだ。『何この兵隊さん。勘違い? 有り難くもらっとくけど、何千円っていうならともかくこれっぱかしのお小遣いでこれからどうこう特別な仲になるわけじゃなし、なんなのかしら。自己満足? 理解不能。バカみたい』ってね。あるいはもっとシビアな女は『何この人。うざい! あたしたちはただの性欲処理係。芸者じゃないんだから、めんどくさい疑似恋愛ごっこは持ち込まないでよね。いちいちメンタルなサービスに付き合ってたら身が持たないわ。決まった料金払ってさっさと入れてとっとと帰ってよ』とまあ、勘違い男を憐れむような、うわべの白々しい感謝の表情を一身に浴びて、俺は正直、勃起したね。うん、激しく勃起した。でそういうときは、勃ったイチモツをあえてそのままに、何もせずに帰るんだ。慰安婦に指一本触れずに、話だけして金を置いてく。それでますます俺が勘違いシンミリ男に見えただろうが、うん、それが気持ちよかったんだなぁ。激しく勃ったまま慰安所を出る。そのやるせなさがまたイイんだなぁ。あの快楽って、何だったのかなぁ。病みつきだったなぁ。実際、いつ死んでもいいという自暴自棄の精神状態だったのかもしれんな。そんな無意味な、美しさにも気立てにも恵まれないどうでもいい女に、運命の女でも何でもない女に大切な給料の一部を無意味にくれてやるその報われなさが、戦争に抗えない哀れな俺って兵隊の、一兵卒としての絶望的な状況を慎ましく正視するような快感だったんだなァ」……。
どうですこの伯父の気持ち。これ、ドMですよ。ドMプレイやってたんですよ。伯父はそうハッキリ自覚してなかったみたいですが、わけわかんなさが自慢みたいでしたが、自覚せぬまま十年前脳腫瘍で死にましたが、一言言ってやればよかったかな、「それSMプレイでしょ」って。言葉でくくっちゃうと興ざめだったかな、とにかく「慰安所で当時そういうメンタルMプレイやってたの、大したもんですよ。九割戦病死の部隊で生きて帰っただけのことはありますね」って。
そう。ときどき気の小さい慰安婦もいて、「えっ、そんな、いただけませんいただけません」って、どうしても辞退するのを無理に押しつけることもあったそうで。「たったこれだけのことで恩に着せてあとで面倒があるのではないか」的心配だったかもしれませんが、じゃあせめてとっておきのサービスをとすり寄ってくる女を押しのけて「今日はイイからイイから」と退室してしまうときの女の困惑の表情がタマラなかったそうで。そういうときには伯父は逆にドSプレイに浸ってたんでしょうね。美形でも聡明でもない女相手に勘違い熱誠主人公を演じてみせて、滑稽さを憐れまれてしまえばM的快感、無意味な不気味さにドン引きされればS的悦楽、ってわけですね。戦場の不条理に混乱していた、と伯父は反戦的自己分析をしていたみたいですが、なんのなんの、立派な正統的メンタルSMフェチじゃないですか。
とまあ、そういうふうに複雑微妙なフェチプレイが繰り広げられていたようですよ、日本軍の慰安所では。私が一例を知っているということは、たまたまってわけじゃなく、いっぱいあったということです。日本軍兵士は、非日常のフェチ魂にまみれていたはずです。本音を出せない男の場合、何か慰安婦との相互遠慮で、したくもない挿入行為に終始していた哀れなやつも多かったんじゃないかな。あ、入れられちゃう慰安婦はもっとかわいそうですけどね。ともあれ本音的振る舞いのできる兵士の場合、決して無機質のセックスが淡々と繰り返されていたわけじゃないはずです。会話だけで帰って行く兵隊さんも多かったらしいと。慰安婦にもそういうメンタルプレイの達人が結構いたのではないか。挿入なんて平凡な売春産業のイデオロギーに染まらず、別の工夫を探るべきだったとまことに痛恨です。機械的にコンドームを手配したりした軍当局が悪い。
ところで皆さんに質問。兵士を奮い立たせるためには、非挿入のフェチプレイのうち、フィジカルなのもメンタルなのも含めて、どれが一番有効かわかりますか? これは考えればわかります。兵士ですから、前線では、砲撃や爆撃や銃撃で人の、味方や敵兵や民間人の、首が飛んだ姿、手足がもげた姿、内臓がえぐり出された姿等々をいやというほど見なきゃならんわけですね。伯父によればその中で最も悲惨で気が滅入るのは、悪いことに一番起こりやすい光景で、裂けた腹からはみ出した腸を必死に押し戻そうとしている人の姿だといいます。そういう人は意識がはっきりしているだけに、自分の姿を懸命に復元しようと足掻くその姿がやりきれないんだと。とくにその藻掻きの主が、死と隣り合わせの戦地では稀有な存在である若い女性であった日には、翌日・翌々日の戦闘意欲にも響くほどであったと。現地の民間の娘が長い長い真っ赤な腸を路上に湯気と臭気ぷんぷんでぶちまけつつヨロヨロ這いずっている姿は、もう人類の幸福をついでに全否定したくなる悲惨さなのだと。戦争目的など吹っ飛んでしまうのだと。
そういうことじゃ困るわけです。兵士たるもの、いかなる悶え苦しみを前にしても毅然と前進せねばならない。慰安所でなされるべき鍛錬は、内臓系の悲惨現場を目の当たりにしても決して動じない強き心を育成することである。そう、慰安所は戦場のシミュレーションである。そういう考えです。そうすると自ずとわかるでしょう、非挿入プレイのうち、何が主体となるべきか。慰安所メニューで手コキにトッピングすべきメインとは。はい君。え? 違う。そんなんじゃない。それじゃ精神的訓練にならん。内臓はみ出し系だと言ったろ。はい君。え? 違うぅぅ! できるわけないだろ、切腹プレイなんて。大切な身体傷つけちゃダメでしょ。傷つけないニセ切腹、鶏の臓物なんか使う系は意味ないしね、ガチンコリアルで、しかも傷つけずに、内臓露出系じゃなきゃ。それは何プレイなの。じゃあ君。そう! 正解! 黄金ですね。ガチンコ黄金プレイですね。なんといっても黄金プレイしかありませんね。黄金プレイこそ、最強のフィジカル&メンタルプレイなんです。最強フィジカルってのは、あの物質性の粘着と臭気を思い浮かべればわかるでしょう。直腸の形そのままに、内臓のコピーを体外に離脱させるプレイですから。いや、南方だったりすると、赤痢や腸チフスには気をつけなくちゃいかんね、黄金プレイは。しかしそのフィジカルな危険を補って余りあるメンタル効果があるのですよ、黄金プレイには。そのメンタル効果とは? そう、慰安所という安全区域において、目の前でいきなり女が脱糞したくらいで動じているようでは、もろ人の腕が飛び脚がもげる戦場ではやっていけない。そうしたメンタル面を鍛えるシミュレーションの場になるわけである、慰安所は。内臓物質の散乱という苛酷な現場イメージに動じぬ修業的鍛錬となるのだ。あの制度の真の必要性がこれでハッキリしてくるだろう。
そして黄金プレイのメンタル性の意義はもう一つあります。実に陶酔的なほどの意義が。
まずこういうことから考えてください。戦地とはどういうところか。男が過剰で、女がいない。看護婦と慰安婦しかいない。前線に近づけば近づくほど、女は貴重になる。つまり慰安所は、逆大奥、逆ハーレムなんである。兵隊と慰安婦が結婚した話は少なくありませんが、慰安所込みの部隊の連帯感の中で、慰安婦ととくに親密になれる兵士は、ほんのわずかなんですよ、当たり前だが。ハーレムだったら一人の殿様がすべての女を孕ませられるが、逆ハーレムにおいては、少数の慰安婦がすべての兵隊の子を産むってわけにはいかない。いや、ホントに産む話じゃなくて、「この人の子なら産む」って候補になれるのは、一握りの選ばれた兵隊だけですよって話。かりに美しさにも賢さにも恵まれない女だとしても、戦地で女の選択眼によって選ばれた男になることは、これは名誉なんです。そこで効いてくるのが黄金プレイです。
ちょうど男から女への挿入・発射という通俗パターンのネガなんですね、黄金プレイは。ちょうど裏返し、ひっくり返しなんです。たとえばハーレムで、一人の女中がいて、自分のところへ来た王様がこってりと糊のような、超濃厚なのを大量に放出したとしましょう。わかりやすいように中出しまでモタず、不甲斐なく外で出したのだとしましょう。その濃度と体積が何を物語っているかは明白です。「すごい量。濃さ。王様はここに来るまで、長い間出していなかった」→「他の女のところでは最近出していない」→「私はかなり優先順位が高い! うれしい!」。
慰安所で黄金プレイがスタンダードになれば、同じ論理が男女逆転のうえで成り立つことになる。通俗の挿入なんぞと違って、そう、挿入は始末が悪い。幾多の体験談が物語るように、一日二十人も相手せねばならなかったためあそこが炎症を起こし腫れ上がってしまい、長らく後遺症に苦しんだなどと、それくらい、何人でも同じ調子で受け入れることができてしまう。だから挿入ってのは、何ら誠実性の証明にも特権性の証明にもならない。ところが黄金ならどうか。これは断固とした物質だから。男の精液にもまして、有限の物質だから。せいぜい一日に一回ですよ。とくに内臓系残酷シーンへの耐久性をつけて兵士力を増す訓練も兼ねるとすれば立派なウルトラソーセージをひり出してもらわねばならんわけで。そうなると一日に一度限りだ。そのために慰安婦の健康管理は細心を窮めることになろう。虐待だなんてとんでもないことだ。ウルトラ排泄量によって客は、「ああ、一日に一度のこの黄金。今日の処女! 他のやつは今日はもうもらえない。この慰安婦は私を特別扱いしてくれている」と確信することができる。下剤の力を借りていない証拠に、密度高い硬度たっぷりの円筒形物質をずっしりどっしりと横たえてくれれば、ここまで溜め込んでいたという質量的証拠だけでなく、精神的なリラックス度をも証明してみせることができるというものだ。なにしろ信頼できる客、くつろげる客の前でなければ、少しでも遠慮や緊張や警戒心があったら、肛門を一定時間以上開きっぱなしにすることはできないのが人間的生理というもののはずで、一定以上の長さが排出されれば、これはもう、「よし、俺はこの女にとって特別な、くつろげる客なのだ……」と幸せな確信に浸ることができる。
ベテランの慰安婦なら、誰に対してこの「特別扱いの証明」をひり出してみせれば部隊が最も能率的に作動することになるか、心理的構造がぴったり決まるようになるか、部隊のツボというかスポットを押さえることになるか、下士官と相談して作戦を練ることもできるわけだ。とくに内臓系シーンへの耐久性をつけるべきはどこか、本人を鍛えるべきか直属の上官か直属の部下の誰某か等々。……
……このような調子で、印南哲治による「黄金慰安」の事後的企画が詳細にかつ延々と続くのだった。ネオおろち相手にさんざん繰り返してきた非挿入主義の説教内容そのままなのだと推測される。壮絶な脱EDを経験してきた印南自身の中では客観的必然性を帯びた話題展開だったのだろうが、受講生側から見るとさぞ正論と妄想が縒れ合った意味不明ぶりだったのではなかろうか。路上系JK相手の非公式会話ならまだしも大学の講義としては確かにナンセンスと言わざるをえず、学生らの証言でも、後半はみな笑うでもなく席を立つでもなく、ぽかーんと呆然虚脱状態に近かったとのこと。印南哲治自身は身体をゆっくり前後に揺らしながら直立唾飛沫の弁舌、後半はほとんど白目を剥いていかにも体外離脱状態だったとも伝えられる。
受講生側から、セクハラもしくはそれに類した訴えが大学当局に伝えられた形跡はない。というより、かりに訴えがあったとしてもこの講義が問題化する暇もなく、あらゆる印南関連事項を塗り替える壮絶な印南哲治以下大量爆死事件が全国にリアルタイムで報道されてしまったのだから、もはや以上のようなボイスレコーダー記録を紹介する意義はいささか薄かったのかもしれない。が、ネオおろちに対して根気強く説き続けた「キョーソのテツガク」なるものがおおかたここに同型に反映されていると見て間違いはなく、初期おろち文化史上最重要人物の一人である印南哲治の娑婆向け修羅場向き遺言として、研究に値することは確かである。
(第16回 了)
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