en-taxi’s SERIES 「このひとについての一万六千字」というインタビュー記事は重松 清の取材・文となっている。重松清って、あの重松清、だろうか。だよね。
年三回しか刊行しない雑誌だからか、第四回 鈴木成一 「一万日で一万冊+α」と、第五回 是枝裕和 「テレビよ、おまえは―。」が同時掲載。ちょっと妙だが、記事の性格がわかる。
その第五回、映画監督の是枝裕和氏のインタビューを興味深く読んだ。それというのも、ずいぶん昔、是枝さんにインタビューしたことがある。「幻の光」に続き、「ワンダフルライフ」を撮られた後のことで、やや持ち直しの機運が高まっていた日本映画の若手監督の中でも断トツの才能を感じさせて、ちょっと緊張して臨んだ記憶がある。
それは緊張してもし足りないぐらいで、是枝さんは非常にピリピリされて、やや不機嫌でもあった。立て続けのインタビューにお疲れか、もしかして才能において自身と比較にならない「若手監督」と同列に置かれた連載インタビューがお気に召さなかったのか、とも考えた。が、もちろん才能の格差なんてものは、隠そうと押し込めようと、どうしたって露わになるものだ。「私の方から編集部に、この方にインタビューさせていただきたいと申し上げたのは、是枝さんだけなんで…」とか小さな声で言ったのも、ぜんぜん耳に入った様子もなく。
ついでに言うと、このとき、何年も先に「誰も知らない」として実現する作品の話が出た。「その企画、絶対に成功しますよ」と私は予言したのだ。これは、オバマがまだ泡沫候補だったときに「あの人が絶対に民主党の代表、大統領になる」と大予言したのと並ぶ、私の自慢である。ちょっぴりご機嫌を直されたかに見えた是枝さんだったが、カンヌまで覚えていてくれていたろうか。
昔のことを長々と書いたのも、インタビューというものの難しさを思い出したからだ。たいていの雑誌に出ているものは通りいっぺんでつまらなく、あれが続けば是枝監督やハリウッド女優でなくとも、まあウンザリするだろうと同情する。が、この en-taxi のインタビューは新しい視点、切り口で飽きさせない。
是枝氏はもとはテレビマン・ユニオン所属で、頭角を現したのはほとんど勤務時間外に(自主?)制作したドキュメンタリー作品からだったことを思えば、「テレビ」という媒体にこだわりがある、というのはさほど不思議ではない。ストイックな芸術至上主義者ともみえる是枝氏とテレビとの取り合わせは、だけどいつもエキサイティングな出来事を生じさせる予感がする。これは予言でなく、すでに実現している。
あの昨今の連続ドラマもその一つで、何が起こっているわけでもないのに、観た者は目を奪われて釘づけになった。それがテレビに映っている、ということが驚きなのだ。数字は例外なく誰にでもシビアに襲いかかるが、その出来事も含めてシュールな光景だ。是枝監督の(多少まるくなったとはいえ)ピュアで妥協のない、ピリピリした感性が、テレビの現場に許されてある、ということそのものが。あるいはもしかして、テレビの「無意識」がそうさせるのか。
インタビューアーの理解もさることながら、映像・視覚芸術に鋭敏な en-taxi 誌面だからこそ露わになるものがある、ような気もする。
小原眞紀子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■