森岡浩之のスペースオペラ《星界》シリーズから9年ぶりの新作『星界の戦旗5 宿命の調べ』が刊行され、その特集である。森岡浩之「介入 星界の断章」、渡邊利道の評論、《星界》シリーズのブックガイド、シリーズの年表・増補版、という構成である。
これで第1部完結篇となるということだが、9年ぶりの刊行という話に、SF 的な悠久の時の流れを感じてしまう。読者がついていて、何年経っても戻ってくるということだろうか。ならば創作を続けるに、それほど素晴らしいことはない。
スペースオペラという呼び名は、しかしずいぶんと久しぶりに聞いた気がする。ちょっと流行らない時期が続いたのではないか。9年ぶりの刊行というのも、それと関係があるのか。なにしろ SF 業界というのは、新刊本が “ 一冊も ” 出ない年があったというぐらい、ラディカルな不景気を乗り越えてきているジャンルなのだ。
不景気といえば、スペースオペラの流行というのは、社会全体の景気と連動しているような気がする。銀河英雄伝説にせよ、あるいはスターウォーズにせよ、短いスパンではなく、長期的な経済発展の見通しとともに楽しまれてきたように思う。それは長期間に何十冊となるだろうシリーズ全体の売り上げや、続編に継ぐ続編をプロデュースする資金計画の見通しを立てるためなのだ、と言われてしまうと、ひどくつまらないのだが。
スペースオペラの “ 衰退 “ を科学技術の発展に対する期待(または幻想)の消失と結びつける議論は、それが SF 全体に対してならば言えないことはないかと思うが、あまり的を射ているとは思えない。長期的な好景気の時期というのは、すなわち高度成長期となるから、科学技術への期待も膨らむわけだが、スペースオペラというジャンルは本質的にサイエンスとは関係がないと考えられる。
舞台をスペース(宇宙)に置くのは、社会構造から前提を奪うためで、人間たちの器としての社会をまず現実と切り離し、無色透明にすることで、その人間たちの振る舞いがどうなってゆくか、その形づくっている透明な器がどのように変容してゆくのか、思考実験の場と化すためだろう。とすれば、スペースオペラとは、スペースであることは手段でしかなく、あくまで人間たちが織りなすオペラである、ということだ。
世界のありかから、社会の仕組みから経済基盤から、何もかも抜本的に変えてしまった中で起こることは、壮大な歴史書にならざるを得ない。それが単なる膨大な荒唐無稽であるか、ラディカルを装いながら “ スペースオペラ ”というジャンルの常套にはまっているにすぎないか、現実世界の歪んだ、しかし魅力的な鏡像になり得ているかは、もっぱら著者の知性と志による。
9年ぶりの刊行で特集が組まれるシリーズとは、もちろんこの最後の範疇に属するものだろう。しかしまあ、何よりもスペースオペラが待望され、特集が組まれたという現在、世界的な景気回復基調は本物ではないか、と思わず期待してしまう。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■