偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 441 :名無しさん@べンキー :02/05/31 12:53
俺の前の彼女は俺んちに来ると食後に必ずといっていいほどトイレに行った。
音聞こえたら嫌だからなのか、いつも無言でラジカセつけてから行くのだが、
トイレのドア近くで耳を澄ますとおしっこの後に
ん~ん~っと力む声・・・そのあとに
ぶぅ~~~~~~ぶぅ~~ぶぶぶうううう、ぶっ、ぶぶ~~っ、と象なみの屁をこく。何度も。必ず!! いつも必ず!! ブーブークッションみたいに何度も何度も。
俺もそのとき、彼女のに合わせていっしょに屁をこいて楽しむようになった。連れ屁ですね。ドア越しの連れ屁。まあ、俺はヘタレ体質じゃないんで出るときは限られてたが。
ときどきその後でブリブリッブゥ~とかニチニチニチニチニチとかウンコしていたようだ。これは合わせるわけにはいかなかったけど。
ペーパーの音が聞こえ始めたら部屋に戻って何事もなかったように待つ俺。
緊張して腹が下るような仲でもなかったはずで・・・・・・
外で食事した後にはトイレなんか行かない彼女なのに、何で俺んちではいつも……、
そのたびにそれだけのことで終わったが、連れ屁のことも内緒だったが、
今考えると彼女のあれって何のサインだったんだろう……
■ 蔦崎公一は、見かけに反して食事が苦手な子だったのだ。その横太肉厚の容貌ゆえに、デリケートな食欲形態が誰にも、親にすら理解されなかった。山田第二小学校では、給食を全部食べきることができなかったが、級友も教師もみな、公一がふざけているのだとしかとらなかった。実際、遠足のおやつなどをバリバリ平らげる公一の姿は目撃されているだけに、あの顔で肉野菜果物魚惣菜系がどれも苦手ということを信じてもらえなかったのは無理もない。
給食時間の終わりが迫っても蔦崎の皿にパンが手つかずで残っているたびに、斜め前の吉成加代子が横取りして食べ、「やっぱりおなかいっぱい」と言って、糖分とイースト菌の味だけたっぷり吸い取った噛み固め屑を蔦崎のお皿に殻をペッと出した。おかずを残すたびに、コロッケや焼きそばの好きな斜め後ろの野中美智代がやってきてもりもりと頬ばり、嫌いなキャベツだけ唾でヌルヌルにして「ツタ公のゲーソ」呟きながら吐き出した。「せんせえ、また蔦崎くんが残してるんですよー」と隣の辻池聡美がいいつけると、いつも津田康子先生が見回ってきて、「駄目でしょう。残しては」と机の端を叩いた。蔦崎は仕方なく、かさが七分の一に減った女子軍団の噛み残しを、涙を溜めながら飲み込んでいった。(ちなみにこういうとき蔦崎は何ら快感は覚えていなかった。後年の中宮淑子の場合のようなキュートな吐き出し方を女子たちが心得ていなかったことがどれほど関係しているかは不明であるが)。
四年生の四月、蔦崎は管根南小学校に転校した。ここの四年生では「カンチョー」が流行っている最中だった(後述のように、四月の時点では正確にはプレカンチョースタイルの中期段階だったが)。御存知の通りカンチョーは、全国共通仕様、あの両掌を合わせ両人差指を立てた攻撃態勢で背後から「カンチョー!」と警告しながらズボン越し肛門を突く隠密遊戯である。この種の遊戯は子どもの間で自然発生するものと考えられがちだが、それが散発的にではなく組織的に実行されるようになるには、何かの管理体制側の誘因がなければならない。管根南小学校四年2組の場合は、担任教師・女四十歳がいわゆる「係マニア」ともいうべき「組織体質」で、生徒にさまざまな「係」を割り当てる仕組みを組織していたことがその誘因にあたる。三年2組からのクラス替えなし担任持ち上がりの四年2組だったので、この「係割り当てシステム」は蔦崎転入時にはクラスにすっかり根付いていた。
このシステムは、生徒四十二人全員が週ごとに順繰りに各「係」を務めるもので、その枠組み自体はどこの学校にも見られるありふれた仕組みだ。しかし蔦崎公一が転入した四年2組では、係は異様な細分化を呈していた(三年時二学期に係の数が多くなったため、係割り振りが週替わりから日替わりに変更されたほどだ)。「わすれもの係」(班ごとに、何件の忘れ物があったかをチェックする係)「上ばき係」(上ばきで外に出たり土足で簀子にのぼったりした者を注意する係)「発言係」(誰が何回手を挙げて発言したかを数え記録する係」)「えりもと係」(各人の服の襟に垢や汚れなどがついていないかどうか適宜調べる係)「黙祷係」(給食の前の黙祷のとき全員が目をつぶっているかどうか確かめる係)「行列係」(給食を受け取るとき、おしゃべりや割り込みをした者を列の後ろへ並び直させる係)「においかぎ係」(給食の前にちゃんと手を洗ったかどうか、全員の手の石鹸の匂いを確かめる係)「姿勢係」(食事中に犬食いしたり机に肘をついたりしている者を注意する係)等々。この組織の顕著な特徴は、給食に関する係が過半を占めていたことである(断片的報告として『ぴあ』1986年7/11号はみだしYouとPiaを参照せよ)。各係の報告が日直によって集計され、班ごとに点数化されて、一日の終りの「反省会」で「きょうのいい班は、四班です」「きょうの悪い班は、二班です」という具合に発表される。それがさらに週ごとに集計され「今週のいい班」の決定に寄与した班員は拍手を送られ、「今週の悪い班」の決定に寄与した班員は班員の非難を浴びたうえ立って「反省のことば」を述べなければならない。
当然、「食べのこししらべ係」も存在し、給食を残した人は記録されてしまう。記録されると班員全員から責められるため、その恐怖から、蔦崎公一はたちまち給食を全部食べるようになった。前の学校で女子に嫌がらせされても、担任から個別注意を受けてもどうしても食べきれなかった給食を、この学校では、ほとんど同じメニューだったにもかかわらず、がんばって食べきるようになったのだ。子どもにとって、いかに集団的規律の力が影響力大であるかを蔦崎自身このとき思い知ったという。
また、全員が毎日必ず何らかの係を担当するため、誰もが一つの分野に関して他の生徒に対し権限を持ち、優位に立つことになる。したがって、いじめというものが見られないのだった。係に逆らうとマイナス点を食らって班員から責め立てられるため、どの係もその任務は尊重される。どんなおとなしい子であっても、毎日何らかの係になっている以上、誰にも邪険に扱われることがないし無視されることもない。注意や警告をすれば誰からも必ず真剣な反応がある。というわけで、この担任女性教諭のいささか偏執的なクラス運営は、いじめ対策という点では絶大な利を誇ったと言えるだろう。
さて、それら多くの係のうち、「においかぎ係」と「えりもと係」にたまたま仲のよい者同士が当たると、二人で組んで、特別な「取り締まり」がなされることがあった。手洗い励行を促進する「においかぎ係」の主な仕事は、給食前に劣らずトイレ後における手洗いの確認にあったから、積極的な生徒がこの係になると、トイレから戻ってきたと認識された生徒一人一人がそのつど教室に入る前に両手差し出しを求められたりした。「えりもと係」はもともと必須事項の襟元だけでなく肩や裾の汚れも抜き打ちで調べてよいことになっていたから、「トイレの手洗い後の濡れた手をズボンや服の裾で拭いていないか」もまた取り締まり対象のうちに入りうると認識されていた。さて、この二つの係がしかるべきコンビによって占められたときにどういう取り締まりが開発されることになるか、もう察しがつくだろう。給食前にひとりひとりの掌のみならず首すじや頭の匂い、裾の匂いや湿り具合をつぶさに確かめるのだ。すなわち、「トイレでお尻を拭き忘れていないかどうか」を調べると称するところまで進むのは必然の流れであったと言えよう。このような密着取り締まりに及ぶコンビは「きびしいにおいかぎ係」と呼ばれ、恐れられた。
ただし、身のこなし素早い小四だから、「きびしいにおいかぎ係」におとなしく尻を嗅がれるままになっている生徒はほとんどいない。みな逃げてしまうので、そういうときは「きびしいにおいかぎ係」は各人について逃げた回数を記録しておき、「検査やり直し兼逃げた罰」として、当人が油断しているところを後ろからタックルして尻に顔を埋め、臭いをじっくり嗅いでやるという処分を下すのだった。
悪友的に気の合った二人が「においかぎ係」と「えりもと係」を務める確率はそう高くないので、「きびしいにおいかぎ係」は頻繁に実現するわけではない。したがって、トイレから戻るたびに二人によって尻を狙われ、逃げおおせてもその日じゅう警戒していなければならないなどという窮状に生徒たちが置かれることはめったになかった。……と思われるかもしれないが、実はそう甘いものではなかった。「においかぎ係」の取り締まりは、日付が変わっても有効だと主張されたからである。「翌日以降も係の権限は有効」という主張の根拠は、担任教師が「よい班・悪い班の決定は、係に嘘をつくなどごまかしが後でわかったときには訂正されることもあります」という指導だった。班員が忘れ物をしたときに、別の班員が一時的に貸し出したりして、事実を「わすれもの係」から隠し通すことでマイナス点を逃れた班がいくつもあったので、そうした不正を互いに監視させるための「さかのぼり適用制度」であった。そのため〈ごまかされた係〉は、何日経っても、該当日の不正を告発し正しい採点結果を復元する責任を負っているのだった。尻嗅ぎ調査を逃れた子たちも「マイナス点を防ぐための不正」を働いたと見なされ、後々まで「あの日のきびしいにおいかぎ係」につけ狙われることになる。もちろん、みなが毎日違う係に当たってゆくので、当日の仕事に精一杯で、以前の係のことにかかずらう暇などない。だから「さかのぼり適用制度」はめったに発動されなかった。しかし「きびしいにおいかぎ係」に限っては、何日経っても権限を行使し、該当日の検査逃れをいつまでも許そうとしないのだった。なので、「きびしいにおいかぎ係」によって尻をたっぷり嗅がれてしまうまでは、みな翌日以降も油断できない。こうして、いちど「きびしいにおいかぎ係」コンビが成立すると、しばらくの期間は、「クサイっ。こいつ拭いてないっ」と言われないよう、みな毛糸のパンツをはいてくるのだった。女子はともかく男子にとっては毛糸のパンツは何かのときに知られるとからかいの対象となり屈辱だったものだが、班の減点を防ぐためという名目ゆえに、もともと毛糸のパンツ派の男子もからかいの材料とならなくなった。この点でも、システムはいじめ解消に役立っていたと言えよう。「個人の偏った趣味ではなくすべては集団のため」という建前があると、何でも容認されるようになるという社会的風潮は、子どもの世界でも同じなのだ。
こうして「きびしいにおいかぎ係」が忙しい係に何回か当たってほとぼりが冷めるまで、クラス全員が毛糸のパンツを穿くようになる。丹念に尻拭きして臭わないようにしよう、という防御法より臭いものに蓋、という発想はこれまたいかにも社会的と言えよう。
「きびしいにおいかぎ係」の正式な取り締まり対象はもちろんクラス全員だったが、逃げた者の尻をいつまでもつけ狙う「検査やり直し」の対象にされるのは、なぜか男子に限られていた。なぜかというより当然、というべきか。「きびしいにおいかぎ係」は例外なく男子コンビだったから、女子に対しては小学校中学年らしい暗黙のタブー感覚が働いていたようだ。まだセクハラなどという言葉も流通していなかった時代だが、男子は容赦なく何度でも検査やり直しを狙われた。これがほんの少しエスカレートすればどうなるかは明らかだろう。そう。激しく抵抗する子に対しては手荒なやり方、すなわちふたりがかりで押さえつけてズボンを脱がせ、パンツ越しにあるいはパンツもズリおろして尻を直接、みっちり嗅ぎまくるというやり方がとられることになったのである。通常の「検査やり直し」には毅然と対応する子であっても、この「じか嗅ぎ法」をやられるとほぼ例外なく泣いた。
しかしこの「じか嗅ぎ法」は、さすがに「きびしいにおいかぎ係」自身にとっても負担の大きな方法だったと見えて、まもなく採用されなくなった。そのかわり省エネバージョンというか、背後から両手の指で尻を突き刺し、「さいけんさー!」と叫びながら引っこ抜いて指を嗅いで調べる、という方法に変わった。なんのことはない、全国の小中学校で普通に見られる「カンチョー」である。このありふれた遊びに到達するまでに、この管根南小ではかなり屈折した制度的ステップが踏まれたことになる。ただし前述のように、制度的ステップを踏んだからこそ、散発的いたずらではなく稀なる組織的「カンチョーシステム」として流行することになったのだった。
「カンチョー」は管根南小四年2組では「サイケンサ」と呼ばれ、「きびしいにおいかぎ係」が「サイケンサ」に進化したのはちょうど蔦崎が転入して二ヶ月が経とうという、一学期の半ばだった。他人の尻に顔を密着させねばならない「きびしいにおいかぎ」に比べて指突き刺し方式の「サイケンサ」の手軽さは誰の目にも明らかだったので、あっというまに広まり、「きびしいにおいかぎ係」コンビ以外の者によっても自主的に実行されるようになったのは当然の成り行きである。はじめは、前の週に「反省のことば」を述べた者だけが一種私刑として狙われていたのだが、そのうちに、今週に「反省の言葉」を述べることになりそうな者、その疑いのあるものに対象が拡大されてゆき、次第に無差別攻撃化していったのである。やがて四年2組のような細かい係システムを採用していない1組や3組、4組まで、すなわち4年生全体に「サイケンサ」は広まることとなった。
「サイケンサ」はこうしてその来歴が忘れられて、独自の秩序緊張維持装置であるかのようにクラスのボス格中島克之(もちろん「きびしいにおいかぎ係」最多担当者)の提案のもと、クラスで本当に組織的な実行がなされるようになった。だからといって「いじめ防止効果を帯びた係システムがいじめの道具を生んだ」と言えるかというと、そうではない。「サイケンサ」はそれなりの落ち度のあった者をそのつどの事情に応じて狙うのが原則だったか、完全な無差別攻撃だったか、いずれにしても特定の者だけが集中して狙われるわけではなかったからだ。すなわちいじめとはほど遠いスタイル。その証拠に、中島克之およびその側近たち自身が狙われることもあったのである。「サイケンサ」は男子全員をその洗礼に晒しつつ恒常緊張・相互牽制ムード維持に貢献していたと言えよう。
ただし、蔦崎公一というこの転校生に対しては、そのアブなそうなツラがまえの迫力ゆえに、転入後しばらくはその尻を狙うものはいなかった。蔦崎は、「きびしいにおいかぎ」も「サイケンサ」もされたことがなかったのである。まわりの男子がみな「サイケンサー!」の相互攻撃の試練を耐えているのに自分だけ女子並みに敬遠される状態があまり続くので、前の小学校とは全然違う意味での「こういう仲間外れ型のいじめなのではないか」と思ったくらいである。むろん実際のところは、べつに示し合わせがあったでもなく、過剰な規律によって鍛えられた集団に特有の「部外者フォビア」が新入生特待となって表現されたにすぎない。蔦崎の容貌が容貌だったからその傾向がなおさら発現しやすくなったわけである。
かといって新入りをカンチョー秩序体制の圏外に放置するわけにもいかない。中島克之は巧妙な取り込み政策として蔦崎を、一線を踏み越える役割に任命した。すなわち、初めて〈そっち〉を狙うという重責に任命したのである。これで謎の潜在力を秘めた半外部者を一挙に体制内部に吸収できる。のみならず共同体内のタブーを試す冒険の道具として活用できる。なんとも賢い解決。そう、つまるところ、少年たちの心に長らくわだかまっていた素朴重大なる疑問――
「女のケツの穴もくさいのか?」
(第11回 了)
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