日本文学の古典中の古典、小説文学の不動の古典は紫式部の『源氏物語』。現在に至るまで欧米人による各種英訳が出版されているが、世界初の英訳は明治15年(1882年)刊の日本人・末松謙澄の手によるもの。欧米文化が怒濤のように流入していた時代に末松はどのような翻訳を行ったのか。気鋭の英文学者・星隆弘が、末松版『源氏物語』英訳の戻し訳によって当時の文化状況と日本文学と英語文化の差異に迫る!
by 金魚屋編集部
夜顔(「夕顔」)
「まだ早うございますよ」と返す夕顔の声は、落ち着いておりました。事も無げに言ってくれる、嫌ではないのだな、そう思うと源氏はいよいよ大胆になり、女房の右近を呼びつけて車の支度を済ますよう言いつけました。夜が白々と明けてまいります。朝鶏が鳴りを潜めると、潔斎する行者でしょうか、何処やらで念仏を繰り返す年寄の声に気がつきました。先々長くもなかろうに何を祈念するのやら。そう思いながら耳を澄ませば、生者必滅の老いらくに託つ「南無当来導師(未来に天降る仏のお導きよ)」の六字。「聞こえるだろう、念仏が」と源氏は夕顔に振り向き、「君とは今生限りの恋ではないらしい」そうして歌を口ずさみ――
うばそく*1のことのおよりて たまのおのむすびとなさば
いぬうちによをさりしとて ともねしてむあまつあさまで
「永久の契りを、弥勒菩薩*2にかけて」と誓ったのでした。
先々など如何なるかわからない、夕顔は浮かない声で返します――
わがうきみはおぼえなき いんがのためとおもひなし
さらばきみとあらむとて すえのやすきためしはあらじ
そのとき、風に渡る叢雲が俄かに空を覆い隠し、夕顔の顔に影を差しました。この暗がりに乗じて、源氏は夕顔を引き立てて車に押し込みました。右近も追って乗り込みます。
車は程遠からぬ六条の堤に突き当たり、隣家から離れ立つ屋敷の門前に停まると、そこで家守を呼び出しました。四方は人気なく静まり返り、濃い霧に包まれていました。車の御簾を下ろしていなかったため、袖が湿って張りつくようです。「こんなに骨を折ったためしはない」と源氏が言いました。「恋とはなんと苦しいものか。
いにしえびとのためしにやあらむ はしこきこいのてびきに
かけいでかくもむねのとどろく きりがくるあさのあひびき
君はどうだ」
夕顔は顔を背けて恥じらいながら答えます――
やまのこころはそらかまことか しらでいりゆくつきににて
かえるみちなきこひじにいれり きりをみおろしくもをあおぎて
そこへ家守が現れて車を門から曳き入れ、中門の前まで来ると、どの部屋も迎えの支度に慌ただしくしておりましたが、霧が晴れるころには一通り整ったようでした。
この家守は左大臣の邸に通うのにもいつも供に伴れるほど心を許した家来でございました。
車を降りた源氏らを見るなり「おやまあ」と家守は声を上げました。「供の一人もおつけでないとは」そして源氏に耳打ちするように、「いま少し家人が要りましょうか」

源氏はすかさず勿体らしく答えます、「人に邪魔されないようあえて此処へ来たのだ。気遣いは無用、他言もな」
膳の支度も控えさせ、朝餉は御粥で済ませました。
日が中天に差し掛かる頃です。源氏が起き抜けに格子戸を上げると、庭は荒び、手入れもされていないようでした。屋敷を囲んだ木立は暑苦しいほどに繁り、垣根の柴も野分に折れたり散ったりし、池は真中まで藻草に覆われております。わずかばかり置いていた家人の住まう曹司のほかには、長らく人の出入りが途絶えていたのです。
これほどに見苦しいのでは鬼も近寄るまい。そこで源氏は夕顔が目を外に向けないように苦心して優しく甘い口ぶりで話しかけるのでした。源氏は少しずつ身元を隠していた面を外し、ついに正体を明かすや、歌いかけます――
よつゆにぬれてかがやけむ はなのいざなふさきのえん
夕顔が訝しげに源氏を見やって返すには――
ゆふがおのはなにつゆおけむ よるのくらみにみちをたがえむ
源氏との出逢いについて何を仄めかしておりますものか。やがて打ち明けられたことによると、例の扇盆の歌、あれはじつは女童が源氏と先の恋人を取り違えて渡してしまったのだとか。
【註】
*1 梵語のUpasakaから。在家のまま戒を守って修道生活をする仏徒のこと。
*2 梵語のMeitreyaから。計り知れないほど遠い未来に仏として現れるとされる菩薩(Buddhisatna[sic])。
(第29回 了)
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