性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
三浦 もう最近、松本問題ばっかり見てて、仕事に支障が生じていて。
小原 文春が報じた、ダウンタウンの松本人志さんの性加害疑惑ですね。複数の女性たちが証言しているようですが、松本さんは否定しています。どこがそんなに三浦さんの心を捉えたんですか。
三浦 お笑いは好きだからね。松本人志のDVDも全部持ってるぐらいだから。
小原 松本さんは弁護士も選定して、法廷で争う構えですよね。
三浦 第一弾の記事にはね。あれが事実なら性犯罪だから。そのあと三週分は印象操作というか、ちょっと恥ずかしい振る舞いをあたかも犯罪であるかのように書いてある。性犯罪ではない。ただ第五弾では飲み会ではなくマッサージ店での、別種の明らかな性犯罪が報じられましたね。あと第四弾もちょっとまずいといえばまずいかな。やらせろと言われて拒絶したら罵倒、人格否定されたとかね。別のソースでは、やはり松本の飲み会で性行為を拒んだら30分間土下座させられたというのも出ています。
小原 土下座だと強要罪ですかね。それが事実なら、ですけど。
わたしは、ダウンタウンのどこが面白いのかよくわかってなくて。まずそれを教えてください。
三浦 『すべらない話』とか、他の芸人に比べると反射神経がね。
小原 そうなんですか。ただ、それほどの重要人物っていうのが、わからない。
三浦 松本人志だから特別のように思われている節もあるけど、いわゆる男女の関係の基本的なパターンというのが明るみに出ている。別に有名人でなくたって、同じようなことがあちこちで起こっている。私も女子大勤務歴が長かったから、女性目線での男女問題は嫌というほど聞いていて、そういう話と同じなんですよ。
これは悪質性が際立っているとして報道されているけど、それほどでなくても男女の関係は、これをモデルとして理解できるということですよ。
小原 報道が事実だったとして、ですね。
三浦 何が面白いか説明するって、ダウンタウンを観てないとわからないところがあってね。
小原 なんとなくはわかるんですよ。わかるんだけど、わたしの印象では、ああいうタイプの笑いって、どちらかというと女性は男性よりもピンとこないんじゃないかな。男女の関係、強者と弱者のモデルに当てはまるなら、喜ぶのはイジメる側になるわけですから。まあ、眉を顰めるほどではないですけど。
三浦 立花孝志のYouTubeは観ましたか。
小原 はい。それでやっとイマココがわかりました。
三浦 つまり、政治絡みの話に結びつけようとしている人たちもいて。
小原 松っちゃんに立候補させたいんですよね。N党から。
三浦 あれはついでに言ってるんでしょうけどね。
小原 そうかな。立花さんはそれが目的だと思うけど。確かにすごい集票マシーンだろうし、国会議員が一人生まれたら政党助成金が3億入るんでしょ。政治家になるのは芸人としては花道、終わりなんでしょうけど。
三浦 お笑い好きの人にとっては、ダウンタウンの笑いが完全に今、時代遅れになってることの一つの象徴なんだよね。
小原 それは感じます。イジメに近いイジリというか、そういうのはもともと生理的に好きじゃないんだけど。『笑ってはいけない』っての、皆で笑うのをガマンしてたのは、ちょっと面白かったな。
三浦 いや、あれはダメ。実にくだらない。
小原 そう? 皆で仲良くやってるから、見てられたんだけど。
三浦 『笑ってはいけない』もそうだけど、『ドキュメンタル』とか、松本の笑いの質がものすごく低くなってる。
小原 では、その辺から説明してください。黒柳徹子みたいだね。どこが面白いか説明しろって言われるの、芸人泣かせなんだって(笑)。
三浦 トークは相変わらず冴えてるんだけど、コントや企画の質が急激に落ちてきている。もともとネタの作り方はうまくて、そしてネタの合間の応酬だよね。『すべらない話』なんかで、話し手に対するとっさのフォロー、抜群によかったんですよ。
小原 なるほど。
三浦 だからお笑い界にはなくてはならない人間なんだけれど、最近はもうネタそのものがすごく低級になって、時代にそぐわなくなっている。
小原 時代遅れに対する自覚と焦りがあった、ということはないですか。
三浦 もともと下品なの。もともと下品なんだけれど、世間は下品なものを嫌う風潮になってる。昭和とは違うから。ドリフターズにしても、ビートたけしにしても、すごく下品だった。我々が小学生の頃にはドリフ見ちゃいけないって、PTAが騒いで。
小原 え。ドリフは一生懸命、観てたよ。可愛いもんだったじゃないですか。加藤ちゃんの「ちょっとだけヨ」とか。
三浦 めちゃくちゃ小突くし、今だったら放送できないですよ。当時は子供の無邪気な目で観てるから。大人の感覚入ってしまうと、今はもうポリコレの時代だし、ダメなんですよ。
小原 うーん。小突くっていっても合いの手みたいなもので、痛がるのを喜んでたわけじゃないし。『ゲバゲバ90分』も欠かさず観てた。ナンセンスが好きだから。さんまちゃんとか、ウッチャンナンチャンとか、綾小路きみまろとか、言語的なやつはわかるんだけど。冷たいイジリは笑えなくて、コント55号は見る気がしなかった。「野球拳」は別としてね。
三浦 イジリはね、イジメの模倣みたいなもんだ。今回、松本と浜田のスキャンダルの受け取り方が対象的だっていうのは知ってるでしょ。浜田の場合、しょっちゅう不倫をすっぱ抜かれてたわけですよ。
小原 うん。でも、なんか可愛げがあるんですよね。
三浦 報道の仕方が違う。フライデーだからかな?文春みたいなガチじゃない。初めからエンタメとして消費するために報道しているところあって。浜田の場合には逆にそれで株が上がっちゃったりするわけね。
小原 でもその彼女と恋愛関係ってわけでもなくて、四ヶ月ぐらいの付き合いでしょ。
三浦 浜田の場合には、呼び出しても初回はハグだけで何もしない。そして何回も逢って、30万円ぐらい払うわけですよ。で、フレンチクルーラーを買ってきてもらって、こんなんされたのは初めてやって泣いた、とかね。本当かどうかわかんないけど、そのように記事には書いてあるわけですよ。
小原 フレンチクルーラーってドーナツですよね。そういう具体的な情報って、暴露する人からしか出ないから。その人が手心を加えて言ったから、そういう話の流れになるんですもんね。そこが違う。
三浦 そうそう。その意味では、現場での関係性は決して悪くない。愛情みたいなものがある。あと、編集部が勝手に書いたのかもしれないけど、浮気の相手が奥さんによく似ているとかさ。松本もそれをバラエティでイジったりするわけ。
小原 フフフ。意味わかんないよね、奥さんに似てるって。
三浦 松本の場合にはずっとスキャンダルはなかった。バレるような長期的な不倫もたぶんなかった。その都度の、その場限りのものだけで、浜田みたいに尻尾を出さなかったんだけど。いざ出ちゃったら、こんな大問題になっちゃって、もう相方の浜田もちょっと、イジりようがない。下手にイジると、とんでもないことになる。松本はいわゆるスキャンダル童貞で、スキャンダルに慣れてない。対応の仕方も、シミュレーションができてなかったってところがありますね。
小原 芸人なんだから、笑ってもらわないと、ねえ。
三浦 だからこれ、お笑い芸人だっていうのがポイントで。お笑い芸人ってのはモテたくて、ああいうことやってるわけですよ。
小原 そうなの?
三浦 男の属性として、やはり女に一番モテる属性は何かっていうと、もちろん金を持ってるっていうのがあるよね。これは芸能人で売れれば満たす。で、その次ぐらいに重要なのはやっぱり「面白い」ってことなんだよね。
小原 まあね。
三浦 面白い人、笑わせてくれる人。面白さっていうのは知性の問題だから、頭が良くないと人を笑わせられない。
小原 すっごくいい男で、すっごく退屈な人、いるもんね。
だけどさ、女の子の方も笑ってあげるってのは、サービス精神もあるんですよ。で、女の子がワーッと笑うと、本人がまず気が大きくなる。自信を持てるって感じがある。
三浦 そうそう。残念ながらね、本当に女性にモテる面白さって、お笑い芸人の面白さとはちょっと違うんだよね。
小原 うん、違う。だから今みたいな話を聞いてて、ちょっとずれてんなって思う。
三浦 お笑い芸人なんて、ライブのミュージシャンと同じで、とにかくモテたくてやってるんだから。ただそれは昔の話で。いまは「お笑いが好きだから芸人を目指した」という真面目な芸人が多いらしい。皮肉なことにダウンタウンブームの影響でね。でも基本はモテ志向。
小原 ミュージシャン同様、芸を磨けばモテると思い込んでる、女性たちは励ます意味で笑ってあげてる。善意なんです。
三浦 問題は、お笑い芸人っていうのは何でもお笑いに変えると。そういう特技を持っている人のはずなんですよ。こういったスキャンダルが出たときにも、すぐお笑いに変えて対応する。そういう反射神経が売りなわけです。浜田はまわりの協力もあってそれが出来ていた。だけど今回の松本問題では、それがまったく見られない。
小原 うん。上手くないですよね。でもちょっと笑っちゃったのは、ムキムキの身体で素っ裸で「俺の子供を産めえ」って迫ったと書かれていて。で皆、大真面目で「そんなことされたら怖いですよね」とか言ってて。まあ、怖いかもしれないけど、想像するとギャグだな、って。
三浦 そうね。
小原 だから、お笑いの延長みたいなつもりもあったんじゃないかなーって。
三浦 この記事の通りだとするなら、お笑いどころではないね。だって女性の服を破いたりしてるんだからさ。
小原 うーん。書き方にあまり影響されず、フラットに見れば笑い話になるかな、って。善意の願望もあったんだけど。
一方では、女性たちが嘘をついているとは全然、思わない。その場では、まあいいか、って気持ちになったとしても、うちに帰ってからすごく悔しいってことあると思う。自分への扱いのすべてが見えてから。
三浦 まあいいか、って思っちゃった例と、そうじゃない例が混在してるのよ、記事には。抑えつけられて口の中に発射されたとか。
小原 それが事実なら、レイプとは言わないんですか。
三浦 挿入はされてないから。不同意性交等罪、当時でも強制わいせつ罪ね。時効だから刑事責任は問われないけど。じゃあ、なぜそれがすぐに訴え出られなかったかという話ですよね。
小原 今、それで争っている。
三浦 文春の第一弾には、明らかに性犯罪であることが書いてあって、それのみ争うようです。第二弾以降は、なんとなく断れない雰囲気にさせられて部屋に連れてかれて、しょうがないと思って最後までとか、断ったら罵倒されたとかね。詳しくは、芸人たちに促されて寝室に行くだけでいいからって、そこで松本に性行為を求められた。嫌だと言うのに無理やりキスされそうになって、逃げたら追いかけてきて、芸人たちに囲まれてずっと罵倒され続けた。「自分ってものがない」とか「こういう女はダメだ」とか。これも事実であるなら、侮辱罪とか脅迫罪、強要罪とかに該当する可能性はありますね。第五弾はまたこれはこれで第一弾と同レベルの性犯罪。
小原 その辺の事実関係は争わないんでしょうか。いわゆる罰ゲームに似てるけど、やられた方はひとつも楽しくない。楽しく遊べない芸人たちって烙印を押される方が、刑事罰よりむしろ致命的な気がするけど。
三浦 『すべらない話』を全部見てるから知ってるけど、しょっちゅうそういう性加害的なエピソードを話してた。今、どんどん発掘されているわけね、こんな話もしていた、あんな話をしていた、と。テレビで放送されているときには、皆それを笑って見ていたけれどね、芸人が盛ってしゃべってるんだ、と。今回、文春やフライデーで報じられたことと符合するので、なるほど、これ日常的にやってたんだなという印象が生まれて、どんどん話が大きくなっちゃってる。だからまぁ、完全に作り話です、っていう申し開きは難しいんじゃないか。
小原 五本の指に余るぐらいの証人がいて、もし全員の話に整合性があるならば、ですけどね。心証主義的には、女性寄りに判断することが多いですが。
ただ事実関係は別として、やはりそれが遊びの笑い話なのか、犯罪行為なのか、ニュアンスは変わり得るんですよね。イジメと同じです。
特に芸人もクリエイティブだから、わりと正直に表現するでしょ。逆に言うとクリエイティブだから許される、芸の肥やしに必要なんだ、というエクスキューズも出てくるように思います。際どい話ですが。
三浦 うん。YouTubeなんかで論評をしている人の中にも、第一弾と第五弾に書かれている暴挙は性加害だけれども、それ以外の記事は報ずる価値ないんじゃないか、というスタンスが多い。
小原 そうなるかもしれません。
三浦 ただやっぱりね、芸人たちが取り囲んでさ、例えば最初カラオケで飲んでたんだけれど、移動しようってタクシーに乗ってから「週刊誌が張り込んでいるから松本さんの家に行きます」と。断れない雰囲気にして、そのまま。二次会は松本さんの家だと最初からわかってたら行かなかったのに、と女性たちは言ってる。
もしその通りだったなら、巧妙なわけですよ。そういうやり方がパターン化していたことになる。松本に女性を献上する方法だね。
小原 早稲田大学で女の子たちを常態として集団レイプしてたって、あの事件を思い出したんですが。
三浦 あれは酔わせて、いわゆる準強姦という犯罪ですけど、この記事に書かれているのは、あくまで自由意思だったという体をどんどん作っていく。だから第一弾だけを争ってるわけね。強制的に抑えつけて口の中に射精した、また小沢という芸人と放送作家のところにも順番に回らされて、触られたり触らせられたりしたという記事なので、明らかな強制わいせつ罪。
小原 犯罪になり得る部分だけを争う、ということなんですね。
三浦 これは、だけど明らかに男女関係の初めから潜在していることでもあって。この記事では、ほぼ初対面の女性たちがこういう目に遭ってるということだけど、一般の男女関係においても普通に起こっているパターンが誇張されたものですよ。
小原 断ろうと思えば、断れた、というところですか。
三浦 これは芸能界である程度、仕事をしたいと思っている女性たちなわけですよ。
小原 そこですよね。
三浦 枕営業というのは女性側から持ちかけるものだけど、結果として枕営業と解釈されてしまう状況を、権力を持つ男性側が作り出す。そういうことがよくあるんだってことが暴露された。こういう業界とは関係なしに、通常の男女関係でも、よくある。
小原 そういう例はあるでしょうね。
三浦 私自身の経験、勤め先の関係でも、すごく話を聞いた。当事者から。
小原 え、東大でしょっちゅうそんなセクハラが起きてるの?
三浦 いや、東大じゃないですよ。前任の女子大だけどね。
小原 まあ、東大女子は、自分の身体を使ってどうこうしないと仕事をもらえないなんて、夢にも思わないですからね。
で、そもそも芸人たちはイケメン俳優でもあるまいし、女性たちも呼ばれたら一種の営業として行ってるわけですよ。仕事欲しいから、大物だから。でも、そこまでされるとは思ってない。
三浦 松本ファンは、本当は誰も驚いてないと思うよ。やりそうなことだと思ってるわけよ。
小原 もし万一、誤解だったら気の毒だなあ。ギャグっぽいドラマにしたらどうだろう。タイトル『これ芸風なんだってば』。
三浦 これを笑いに変えるのは難しいかもしれないけど。本当にこれ、松本がうまく対応していないのが不思議なのよ。それは皆が不満に思ってる。
小原 上手にやってほしいよね。誤魔化せとか、逃げろとかって意味じゃなくて。
三浦 それとA子さんが小沢に送った、お礼のメールってやつ。
小原 翌日だったか、「松本さんもステキでした」とか書き送ったって。ああいうの、逆にかわいそうだよね。女性は気が動転していて、出来事をどう解釈していいのか、わからない。とりあえず相手を様子見するんですよね。
三浦 「そういうとき、女性は本当はイヤであっても、イヤじゃなかったようなふりをするもんなんだ」って、松本自身が過去にコメントしている。伊藤詩織事件のときに。松本自身、女性との付き合いも多いし、女性が性的な関係において過度に従属的に振る舞ってしまうことがある、それを男は気づかなきゃいけない、それで後でトラブルになったら、男はとにかくもうひたすら謝るしかないんだって、松本自身の会話が今、発掘されているのね。
小原 うーん。
三浦 なぜ自分には当てはまらないと思ってしまっているのか、そこがちょっとわからないんだよね。
小原 「いや、女の子たちも喜んでますから」って、松本さんを慰め、女の子たちもなだめるって、そういう構図というか、組織が出来上がってることが問題を拡大させたとしたら、松ちゃんにも同情するなあ。
三浦 ただね、ミュージシャンにしても、俳優にしても、自分で女性を開拓するんだよ。なんで自分でできるかっていうと、モテるんだよ。だけどお笑い芸人って実はね、言うほどモテないんだよね。
小原 そりゃそうだよ。
三浦 やはり芸能人だから、しょっちゅうテレビに出てる人ってのは一定程度はモテる。松本もね、若い頃は自分の力でできてたはずだけど、四十歳あたりから限界が出てきて後輩やネットワークを使うようになったと思う。
小原 特にミュージシャンはめちゃくちゃモテるもんね。不思議なぐらい。
三浦 自分の力で開拓していれば、段取りとか関係性とかもできて、ある程度親密になるし、恨みを買うこともめったにないけど。
小原 そうね。経緯があれば、恋愛だったとも思えるけど。中間に取り持つ人たちが複数いて、効率よくやられると、非常に異様な感じが残るよね。
三浦 どこでねじれちゃったのかわからないけど、特にお笑い芸人の界隈では、特殊な上下関係の風土が出来上がってると思う。でも男女関係って多かれ少なかれこういった構造を持っていてね。男性が女性に求めるのはやっぱり身体なわけですよ。女性が男性に求めるものっていうのは、自分の生活を安定させてくれることなんで。女性はやっぱり特定の本命の男性に全力をあげる。自分の子供を産むんだったらこの男性って定めるしかないんですが、男性はそうじゃない。女性が思ってる以上に男性は不特定多数に向かうんだよね。
小原 さあ。わたしの周りの男の人たちは、誰も彼もがそういう感じということもないですけど。
三浦 それは単に機会がないだけです。これはもう断言する。男は誰であれ、仕方なく環境や能力の制約ゆえに一人の女性に執着するだけであって、好きなようにできる状況になったら、必ず不特定多数に向かう。
小原 あまり見かけないけどね。
三浦 だって権力者は必ずハーレムを作るじゃない。
小原 権力者は子供をつくるのも仕事のうちだし、好きでやってるとは限らない。苦痛だということも見聞きします。源氏物語とか。
三浦 あれは女性の目を通して、女性の願望が書かれてるんですですよ。女性は、男性はそうであってほしいと思うよ。
小原 国宝・源氏物語がそんな薄っぺらな女性の願望の産物だとは、まず認めませんけど。昭和天皇だって大奥がなくなって悲しんでたって話は聞かないけどなあ。
三浦 あれはもう時代でさ、そのようにがんじがらめにされてしまったからね。人権がないからさ。皇族には。
小原 男は絶対に一人残らず、という原理を論ずるのに、時代とか人権とかが関係するのかな。
そういう欲望にそれこそがんじがらめになって、飽きもせず繰り返すって方がメンヘラな感じ。知性を感じないというか。松ちゃんの件も昔のことみたいだし、最近はさすがに飽きてたんじゃないかな。
三浦 知性は、あんまり関係ないかな。島田紳助も似たようなもんだったからね。
小原 紳助さんは頭の回転が早いし、知能は高いと思うけれど、いわゆる知的な人とは違うかな。暴力沙汰を起こしたり、古いタイプの芸人って感じ。
三浦 まあ、ビートたけしもそうだよね。
小原 ビートたけしはすごく知的な人だと思う。彼の起こしたフライデー襲撃事件は、なんか説得力があった。変な言い方だけど、人としていいと思う。犯罪なんだけど、彼らにとって戦争だったというか。守るものがあったんでしょ。
あのね、わたしはたけしさんが最初に撮った映画を観たんですよ。東宝の人から試写に招待されて。終わった後に「どうでした?」って訊かれて、「びっくりしました。あんな才能がある人と思わなかった」って答えたら、「女性にわかるとは思いませんでした」って言われたんだけど。
男の愚かしさとそれゆえの抒情性は、男性にアピールするものだろうけど、北野武監督はそれを万人に伝える映像の文法を把握していました。第一作からそれができる人に、知性がないはずがない。
三浦 松本の映画もいくつか観て、『大日本人』はよかったよ。評価されないのがかわいそうだけど。
小原 知性というのはIQ的な頭の回転ではなくて、EQ的な他者を理解する力も含めて。まあ、お笑いの評価とかは音楽と同様、人それぞれなので、言い合ってもしょうがないけど。もちろん、松本さんも近しい人たちにはすごく優しいと思う。でも今回の問題と同様なことが、たけしさんや明石家さんまちゃんで起きるのは考えにくい。
三浦 いや、芸人はね、誰でもやってるって。芸人はほとんど全員やってますって、早速ネタでやってる人もいるらしい。ハチミツ二郎だったかな。
そもそもたけしは、「タイプの女性は?」って聞かれて、「やらせてくれる女だよ」とか、そのぐらいのことはもうしょっちゅう言ってるから。
小原 言うのとするのは違うじゃないですか。やらせてくれるその女をモノ扱いするか、感謝して優しく扱ってあげるかで、天と地ほども違う。
三浦 濃淡あっても、不特定多数志向は同じ、ってことです。男性に対する女性の認識は断然、間違ってると思うんだよ。小原さんも信じないかもしれないけど、男性は必ず不特定多数に向かいます。この大命題をまず抑えないと、ああいうことはなくならないわけです。
小原 そういう男がたくさんいるのは、絶対にその通り。でも、全員が、となると、どうかな。
三浦 ただね、これは全員と思っといた方がいい。
小原 そのつもりで気をつけろって意味なら、ピンクレディーも『SОS』で歌ってますもんね。阿久悠先生の言う通り、あのひとだけは大丈夫だなんて信じたらダメなんでしょ(笑)。それでも全員、一〇〇%というなら、根拠がいるでしょ。
三浦 もちろん同性愛者なんかは別だけど。例えばラットの研究で、オスとメス一匹ずつ入れて交尾させる。そこでオスはいったん、メスに興味を失うわけ。ところが新しいメスを入れると、また交尾するわけですよ。
小原 それと人間と、何の関係があるんですか?
三浦 動物のオスっていうのはそういうもんなんで。
小原 ラットはそうかもしれないけど。でも薬だって、ラット実験では効いても人間には効かないものなんて山ほどありますよ。
三浦 あるけど、基本的な行動パターンは哺乳類は皆、同じであって。
小原 何を基本とするかで、任意のパターンを見い出すことになりませんかね。そもそも同じラットのオスとメスの差異より、ラットと人間の差異の方がずっと大きいわけだし。
三浦 進化論的に意味のある命題の場合には、つまり進化論的な理由付けのできる命題であるならば、ということですよ。だってオスの場合には、単独のメスだけに執着するオスがいるとしたら、その遺伝子がすぐ淘汰されるじゃない。で、チャンスがあれば交尾するオスの遺伝子の方が広まってるじゃない。
小原 でも生物学的な遺伝子をたくさん、いわゆるネズミ算的に残すことに意味があるという前提は、まさにラットだからでしょ。
三浦 人間だろうがラットだろうが、広まる遺伝子に対応する性質が定着するというロジックは同じです。だって遺伝子が残んなかったらその性質は行き止まりなんだから、勝ち組の行動パターンを伝える遺伝子が広がるのは、当然のことでしょ。
小原 遺伝子を広めることが自分にとって最大の命題だって思ってる人類のオスって、そんなにはいないんじゃないですか。
三浦 そんなの思ったらダメなの。思わないから本能的に行動できるんです。思うか思わないかは、関係ない。例えば熱いものに触れたらパッと手を引っ込める。我々は頭で考えないけど、そういう遺伝子を持たない人は絶滅するわけです。子供にそういう遺伝子を伝えても意味がない。というか子供を作る年齢まで生きられない。
小原 熱いものに触ったらパッと手を引っ込める遺伝子と、生殖行動の遺伝子とは別なんじゃないですか。
熱いものに触れたら反射的に逃げるのは、人間もラットも、男も女も同じですよね。そういう生物共通の生体反応を伝える遺伝子と同様に、人間のオスの性的行動を制御する遺伝子が、ラットが人間に進化するまで何万年も変わらずに伝わってきたという保証はないですよね。
三浦 これは進化心理学の話で、生殖機能の違いから演繹される命題なので、信じてもらわないといけないんだよね。因果法則より信憑性の高い命題です。遺伝子を分子に見立てれば、熱力学の法則に相当する必然性を持つのが進化心理学です。
小原 進化心理学という学問があるなら、その学者さんがラットを使って真面目に実験をしたことは信じますけど。遺伝子がそのまま人間の男に進化するまで変わらないはずだ、という論理は乱暴すぎます。
三浦 じゃ、まあいいや。もともと統計的必然性の話だから、9割の男は、ぐらいでいいですよ(笑)。
小原 遺伝子によって、あらかじめプログラムされている、という話でしょう。それならそもそも1割もの例外があるのは変じゃないですか。一つでも例外があれば原理は成り立たない。仮に遺伝子は関係ないとしても、人間とラットほど脳の容量が違うと、それだけでスパコンやAIみたいに、量的な差異が質的な差異に変容する可能性が高いですよね。
松ちゃんに話を戻すと、ラット並みだからああいうことになったというより、人間の、あの業界に特有の社会的な力関係が欲望を肥大化させた、という説明の方が、飛躍がないように思います。
三浦 原理はともあれ、世の中の大半の男は、本能的に松本と同じような欲望を持ち、似た状況では同じように振る舞うんですよ。社会や制度を変えれば男の行動パターンが女並みになる、なんてことは絶対にない。
小原 大半というなら、きっとそうでしょう。ラットに教えてもらわなくても、人の世を見ていれば。わたしの友人たちは、ラット並みではないですけど。
三浦 でもさ、歴史上の偉人だって、どれほどそんな愚行を重ねていることか。
小原 愚行って? 愚行がないから偉人なんじゃないですか?
三浦 え? 女関係よ。
小原 そんなこと、どうだっていいじゃないですか。
三浦 歴史的な偉人、将軍でも政治家でも、誰でもいいですよ。下半身のスキャンダルには事欠かないんじゃないか。
小原 歴史的な功績を上げるのに息抜きが必要なら、女のスキャンダルなんて別にいいじゃないですか。そういうのが問題視されるようになったの、最近だし。
わたし、楽天の「お客様の声」で、いつも「三木谷さん、女なんかいくらでも買っていいから、楽天経済圏の発展に向けてがんばれ!」って書こうと思うんだけど。でもそもそも根も葉もないって言ってるのに、そんな励まされても嬉しくないかなって。
三浦 まあ、いいけどさ(笑)。
じゃあこういうことにしましょう。男が、自分たちがこうであると認識している女性への振る舞いと、女性の認識にはずれがある。これだったらいいでしょう。
小原 お手数おかけします(笑)。
三浦 女性はさ、男性をそれほどじゃないだろうと思い込んでいるわけ。
小原 それは間違いなくそうです。ピンクレディも言っている。
三浦 そう、その落差を認めてください。
小原 だから、そこまではしないだろうと思って、呼ばれて行っちゃったんだと思う。仕事上、断ったら後悔するかもしれない、と。それで危ない橋を渡る。
三浦 そうそう。男性と女性の認識がまず、ね。男性がある状況において、例えば女性がたくさんいて、もし自由にできるんであれば、たぶん全員と付き合うよね。
で、女性は必ずしもそうじゃないね。つまり、自分の自由にできる男性が十人いるとする。十人全員とセックスするかっていうと、そうはならないんですよ。ところが男性は必ず、これはもう本当は必ずと言いたいけど、それに抵抗を示すのであれば、9割、8割と言っておきましょう。
小原 わたしの周囲では、5割以下ですが。
三浦 だから、それはね、それをすると例えば人間関係が悪くなるとかね。
小原 もちろん。そのぐらいのことで生物学的な必然が失われるなら、それは必然ではないのではないですか。
三浦 一番大きいのは状況で、状況が許さないから男性はそうしないだけで。
小原 理性が働くってことですよね。人間にはラットにはない理性がある。それこそが100%の生物学的必然だと思うんですけど。
三浦 理性が働くからこそ、男は全員とセックスする方に向かう。
進化心理学が理解できているかどうかの試金石になる質問があってね。女性にモテモテで、どんな女性でもすぐにピックアップできるような有名な俳優、ハリウッドの俳優とか歌手とか、そういうセレブがなんで高級コールガール、つまり売春クラブの会員になっているのか、その答えを知ってますか?
小原 トラブルにならないため、後腐れがないように、じゃないですか?
三浦 そういうことですよ。誰とでもできるのに、なんで高い金を払ってるのかっていうことですよね。
小原 それは理性の発露には違いない。
三浦 そう。たいていの人はセックスするため、って答えるんですけど、それは正解じゃない。何万円、何十万円、場合によっては何百万円も払わなくっても、無料でできるんだから。
これは進化心理学の言葉では、「終わったらさっさと帰ってもらうために金を払う」と言うんです。素人を相手にすると、帰らない。もっと付き合ってくれって、せっついてくるから。男はそれが嫌なんです。
小原 恋愛幻想が生まれるのを避ける、ってことですね。
三浦 とんでもない数のセレブがさ、高級コールガールクラブのリストにいるんですよ。その事実からしても男の本性はそういうものだってわかるじゃない。
小原 でも、そのリストに載っていない人が一人でもいれば、生物学的必然で100%、ということの反証になりますよね。
「わたしが間違っているなら一人が反証を示せばよい。大勢で抗議する必要はない」って、アインシュタイン博士が言ってます。
三浦 だから統計的必然ということです。あと、金がないからですよ。金がない男はそういう振る舞いができないというだけの話で。ふんだんな金を持っていたら、まず間違いなく大半の男性はそのようなことをする。もしそのようなことをしない男性がいるとしたら、それは同性愛者か、あるいは他のいろんな事情がある特殊な別の性癖を持っているか、ですよ。
小原 大半の男が、というのに異論はないです。ただ、例外のある原理なんて認められないじゃないですか。なぜ同性愛、または別の特殊な性癖がある男性が存在するんですか? ラットにはない、そんな性癖が人間にはあり得る。その事実がある以上、ラット並みの本性なり本能なりが、人類の男性をも支配しているとは科学的に証明されないのではないですか。
三浦 だから自由に金が使えて、女性を自由にできる状況の男に絞れば、例外はないわけ。
小原 わたしはお金ないけど、投資家の知人・友人が結構、いましてね。億はおろか兆円に近い資産家もいますが、少なくともラット並みに励むようなヒマ人はまれですけど。
三浦 年齢はどのぐらい?
小原 40代ぐらいからです。
三浦 絶対してないって確証があるのか、ってことですよね。
小原 それは悪魔の証明です。そしたら一人残らずしてる、って確証は、どっから来るんですか。
三浦 そう思うのが女性にとって身のため、ということです。自然法則だから。
小原 法則なら、なお例外は許されないし、科学的に証明しないと。
三浦 一人残らずではなく、前も言ったように熱力学なんです。熱力学的には例外的な分子の振舞いはいくらでもあるけれど、統計力学に落とせばすべて必然なんです。男とはそういうものだっていう統計的傾向性を言っているわけで。
小原 傾向性なら、もちろんそうだと思います。わざわざラットで実験なんかしなくたって、世間を見渡せば。で、その傾向を示す理由が、果たして自然法則なのか、と。
同じ富裕層でも、お笑い業界などで特に激しいということは、極端な性行為が許容され、賞賛すらされる特殊な環境で、過剰な欲望が社会的・後天的に肥大化されているのではないですか。生物学的・遺伝子的な欲望ではないからこそ、「JALのCAを連れてこい」といった社会的プレステージにこだわる要望も出てくる。
三浦 先ほど言った弱い条件、一般的な傾向で結構ですけど、女性の思っている男性の振る舞いと、男性自身が認識している振る舞いとの間にはギャップがあるってのはいいですよね。
そして女性自身が、性的な振る舞いにおいて何が許容できるか、どういうものを求めているか、どういう場合にオーケーなのかという認識においても、男女でずれがあるということです。
小原 それはそう。それもピンクレディーが歌ってる。
女は自分と違うモノだと思ってれば、三千円も渡せば刺されないって勘違いするよね。頭の回転が速くても、想像力が働かないのはやっぱり知性に欠けるんじゃないかな。まきちゃん、バカきらい。
三浦 プロでは自尊心が満たされないんだね。プロと遊んでも、自分がモテている証拠にはならないでしょ。モテているっていう自覚が欲しいわけ。素人の女性と付き合えるっていうのが満足感につながるわけね。プロとやるっていうのは、純粋に性欲を満たすためだから。
小原 そうすると、やはりラット以上の存在ではある。自分がモテたっていう達成感、つまり社会的・精神的な満足感があるわけでしょ。その満足には、きりがないよね。明らかに生殖のためにやってるわけじゃなくて、むしろお金儲けと似ている。一生かかっても使いきれない資産があれば、すでに生物学的な生命維持については問題ない。それでも社会的認知のために、いくらでも増やそうとするんだから。
人間はラットと違って、言葉やお金といった抽象的な概念によってリビドーが増幅される。それがある以上、一部の人間の極端な性活動を説明するのに、哺乳類一般の生物学的な性差だけに依拠するのは無理じゃないですか。
三浦 それが人間の男の、モテているっていう自覚の重要性ですよ。もちろん仕事や研究、何か特定のことに打ち込んで、女どころじゃないって人はいっぱいいるよ。今言ってるのはさ、統計的・潜在的傾向性だからね。男はそういうものなんですよ。
小原 傾向性は潜在的なものでなく、社会の中ではっきり顕在化されてますよね。そういう男性の傾向は、見てればわかりますもん。
状況が変わって自由にできさえすれば、傾向性が強まる、というなら、それは男だけじゃないですよ。女だって、いろんなタイプのイケメンを総ざらいしてやろう、人のものでも何でも奪って達成感を得ようなんて、いくらでも例がある。これも、すべての女の無意識に内在する欲望だ、と言われれば否定しようもない。
三浦 うーん、それがね、男性と同じレベルかっていう話ですよね。
小原 何でレベルを測るか、物差しによりますが、性的な力を使って自身を認めたい、人に認めさせたいという欲望は、特殊なものではないです。
三浦 いろんな女性がいるのは私も知ってるけどさ、人数的には少ないでしょ。
小原 男性と比べて相対的に少ない理由が、生物学的差異によるものか、経済的・社会的な許容度の違いによるものか、厳密にはわからないです。
原理と言うなら、自分の可能性を広げたいというリビドーは、人間一般にあるので。それが性的な相手に向かう興味として顕在化する場合、自由にいろんな男を試したいと思うのは別に奇矯なことではないでしょう。潜在的と言うなら、なおのこと女性にはないと考える理由はないと思います。
三浦 女性の場合にはそれはね、個性として現れるんでね。すごい女性がいくらでもいる。性欲がすごく強くて、いろんな男性とやりたいという人がいるのは私も個人的に知っていますけどね。
小原 同じ現象を示すのに、男性は生物学的必然だけど、女性は個性だ、とする根拠がわからないです。人間一般の本能というなら、まだわかります。それに対して経済的・社会的な足かせをされる度合いが、女性の方が大きい、というなら。
三浦 繰り返しになるけど、女性自身の安全のためには、男女の性欲の違いを誇張して考えるくらいがちょうどいいんですよ。しかもそれは誇張ではないんだから。私が知ってる限りでは、大半の女性は、どういう状況に幸せを感じるかについて、男とは違うってことですよ。これは男の幻想ってことにしといていいんだけど。
小原 幻想ですよ。もちろん美しい幻想ですけどね。
「経済的・社会的・倫理的な足かせによって縛られているだけで、状況が許せば、女性も必ず、これは100%、ラット並みに男を漁るでしょう」という論理も矛盾なく成立しますよね。
三浦 そういう女の遺伝子はすぐ滅びるでしょうけどね。私がいろんな女性を見て、話を聞いて得た知見では、進化心理学の知見も同じなんですが、女性は一人の男性とものすごく親密になることに幸福感を感じるらしいんですよ。
小原 わたしの知見では、一人の女性と親密になることで幸福感を感じる男も、たくさんいますけど。
三浦 いるんだけど、男は一人の女性を確保しながら、同時にいろんな女性とやることを夢見るわけですよ。
小原 そうではない男もいる、と言えば、「潜在的にそれを望んでいることを知らないだけだ」となるわけですよね。そしたら女性もそうではないですか。潜在的には。
三浦 彼氏がいる女性は、彼氏がいるということを吹聴したがる。けれども男は隠したがる。これ、どう思いますか。
小原 吹聴する、隠すということに、それぞれの立場で、社会的なメリット・デメリットがあるからではないですか。生物学的な幸福感からかどうか、わからない。
ナレーション・コンパニオンの仕事をしていた同級生は、結婚指輪を隠してました。営業的な理由です。男が隠すのは、もっといい女が現れる可能性を捨てきれない場合が多いかもしれない。そのことで彼女からの信頼を失う場合もあるし、素敵な相手と結ばれたら男だって自慢して歩く。トロフィーワイフとかね。何もかもケースバイケースでしょう。
自分でも言っといてなんですけど、こういう人もいる、ああいう人もいた、友人はこうで、みたいな例示で議論するのって、ちっとも科学的じゃないですね。
三浦 学問的な背景を言えば、進化心理学者って女性がすごく多いんです。そもそも生物学者ってね、女性が多いんですよ。
あのね、ちょっと勘違いしてるかもしれないけど、生物進化っていうのはメスが主導権を握ってるんです。人間社会はオスが支配しているかのように思われているけれども、実を言うと生物の歴史っていうのは、特に生殖権を担っているのはメスなんですよ。一対一の関係性で、女性が主導権を握っているというのが進化心理学の常識で、これがよくわかるのが動物の交尾行動を見たときなんでね。
だからこそ女性が進化心理学を研究すると、すごく心地がいいわけ。なぜならばメスの意志で生物が進化してきたってことがはっきりするから。
小原 いえ、こちらも勘違いされると困るのですが、ご承知の通り、わたしはフェミニズムにいっさい興味はありません。ですから別に、男性の性的自由度が高い、という事実に反感を持っているのではないんです。ただ、それが「生来的・遺伝子的に」というなら、その科学的根拠が知りたいだけです。
わたしは大学を二回卒業しましたが、最初は理工学部で専攻は数学です。最初に科学を学んだことは、わたしにとって自分が女であることより重要です。生物としての存在格より抽象概念に重きをおくなんて、人間しかいませんよね。わたしはラットとは根本的に違うんです。
そしてもし、その進化心理学というものの女性研究者たちが、自身の心地よさにしたがって研究をしているなら、その成果は信用できない。それは科学ではありません。
三浦 進化心理学は数学と同じ演繹的学問なんだけどなあ。人間における科学的な検証例を挙げると、同性愛者の振る舞いね。女性同性愛者と男性同性愛者を比べれば一目瞭然です。
男性同性愛者っていうのは、これはエイズが男性同性愛者から始まったことからわかるけど、エイズだけでなく、あらゆる性感染症の媒介となって広げることが多いわけね。なぜかというと、すごく相手の数が多いんですよ。それは、「ノーと言う女性がいないから」なんですね。
対してレズビアンは、それほど経験人数は増えないんですよ。異性愛者とほぼ同じなわけ。
小原 それは面白い。確かに違いがはっきりしそう。
三浦 これで何がわかるかというと、異性愛すなわち男女の関係っていうのは女性同性愛者の関係と同じなんですよ。つまり女性の思い通りになってるってこと。で、男性はもともと持っている行動パターンを抑えられているってことなんです。
小原 なるほどね。抑える存在、つまり女性がいない状態だと、生来の生物学的必然が露呈する、というロジックですね。
三浦 進化心理学の演繹的必然性のアプリオリな結論を、男女の同性愛者の振る舞いがアポステリオリに確証しているというわけです。
小原 そうですね。男性と女性は、全然違う振る舞いをする。ラットのオスとメスも全然違う振る舞いをする。では、この二つの違いが一対一対応で結びつくのか、というところを検証すべきだと思うんですけど、そこに人間の同性愛者の振る舞いを差しはさんで解釈する。興味深い思考実験です。
ただ、ラットに同性愛はない。そもそもなぜ人間に同性愛が生まれるのか。生殖と無関係の、いわば抽象的な性行動ですから、「自分の遺伝子をたくさん残すため」というラットの行動の前提はどっか行ってしまっている。
人間が同性愛といった生殖と無関係な真似をするのは、ラットから遠く離れて進化したからですよね。そこにやはり、ラットと人間の振る舞いを同一原因として対応させていいのか、躊躇が残ります。
三浦 サルとか類人猿には同性愛はありますよ。とにかく現象としては男は皆、男性同性愛者と同じ振る舞いをしたがっている。
小原 松ちゃんの相手が、男ならよかったんですよね。未成年だとジャニーさんになっちゃうけど。忠実な子分たち相手にやればよかったのに。女性たちを集める苦労に比べれば、罰ゲームみたいなもんでしょ。男性の性行動を理解し合っている者同士なんだから、さ。
三浦 男性が、自分がこうだと思っているあり方が、男性の振る舞いの認識としては正しいじゃないですか、どっちかっていうと。女性が、男性に対して考えているその振る舞いのパターンよりも。
逆に入れ替えても同じこと。女性が、自分はこうだと思っている認識の方が、女性に関しては正しいでしょ。ところが、男性はそうじゃない認識を持ってるわけですよ。つまり、はっきり断らない女性はオーケーなんだって、男性は思う。
小原 そう、そう思ってる。
三浦 だから松本は、逃げなかったんだから同意したって、本当にそう思ってるんですよ。
小原 そうだと思う。そこまで悪人じゃないはずだもの。
三浦 そうよ。間違っているんだけれども、男はそう思うんです。
小原 バカだなー。
三浦 女性もまた、男性を誤解している。男性はそんな邪悪ではない、好きでもない女、あるいは軽蔑している女とか汚らわしいと思っている女に性欲を感じるはずがない、と。
小原 そんなことはないのは知ってますよ。年増になれば。
三浦 男はセックスをするのに相手を尊敬する必要もなければ、好きである必要もない。大嫌いな女性とでもセックスできる。むしろ大嫌いな女性の方に興奮したり。
小原 性暴力の場面では、特にそうでしょうね。暴力による支配欲の面の方が強いから。開発途上国の話ですが、90歳の女性を集団レイプしたりするのは、社会に対する不満が爆発したものでしょう。性欲とはあまり関係ない。
だから、動物一般の性的行動の説明について当てはまる事柄はわかるし、人間も動物の一種だというのもその通りですけど、今、問題になっているのは生殖以外の利害が大きく関わる人間社会の中で、動物同様に理性が働かなかったケースですよね。
三浦 進化心理学というのはそういう学問なんですよ。環境ごとに遺伝子が柔軟に作動する、その環境に「社会」を当てはめたのが社会生物学。進化心理学はそこから始まってるから。
じゃあ、小原さんの見解がある程度正しいことを進化心理学で説明しましょう。
小原 うーん。その学問上で正しいって誉められても、あまり嬉しくないかな。
三浦 なぜ人間は一夫一妻的なのか、ということ。一対一の深い愛に幸せを見出すことは、もちろん男も女も同じなんですよ。
本来、進化論的に純粋に考えると、男はそうじゃない方が有利だっていう論理が導かれるんだけれども、人間の場合はそうではない。それはなぜか。人間の場合には、子供に手がかかるんですよ。人間は脳が大きいので、出産が大変なんですよ。霊長類の中でも例外的に、出産が危険な動物なんですね。
小原 通常の一対一の男女関係、また一対多の今回の松ちゃんのような事象、あるいはさまざまな性犯罪、いずれの場面においても、そんな、いちいち出産のことを踏まえた性行動ではないと思うんですけど。
三浦 意識に上るか上らないかってことは関係ないんですよ。意識に上らなくてもこういう行動パターンを取ると遺伝子が有利になるって話。
で、人間はなぜ出産が大変かっていうと、赤ん坊の頭が大きくて産道を楽に通れないからなんですね。手助けがないと命にかかわる。原始時代、病院のない時代にどうやって生んだかっていうと男が傍らにいて手助けをしたんです。で、やっと赤ちゃんを産む。そういうふうに進化したんですよ。
小原 全然、ピンとこないんですけど。今だって産婦の母親とか、主に女たちが手助けするのが当たり前だし。
三浦 赤ん坊が簡単に生まれて、動物の子供みたいにすぐに立って歩けるなら、男は精子をばらまいたらもう去っていけばいい。なるべく多くのメスを渡り歩けば、それだけたくさんの子供が育つ。ところが人間の子供はほっといたら育たない。種をばらまくだけ、っていうのは、人間のオスの場合には必ずしも利益にならない。
せっかく多くの女性に種をまいても、片っ端から子供が死んでいく。だからある程度タネを撒いても、一番気になる女性のところにとどまって世話をする。そういう誠実さを持った男が有利になるんですね。他の霊長類は、雌にタネを蒔いたら去っていけばいい。つまり本能のまま、精子が広がるような行動パターンを取ればいいんですよ。ところが人間の場合にはそういうわけにいかない。一番自分が惹かれる女のところに留まる、そういう本能を持った男が確実に自分の子孫を残せる。だから人間のオスっていうのは非常に誠実なんです。相対的にはね。
小原 そういうストーリーが成り立つのはわかるんですけど、やはり一つの物語に過ぎないんじゃないか。別の物語を否定するだけの説得力もエビデンスもないし。
人間の、桁違いに発達した複雑な社会における性行動を、赤ん坊の頭の大きさだけで説明するのは、難しいと思う。人の社会的・抽象的価値観が、いちいち出産に対する意識と結びつくかなぁ。
三浦 意識には上らないのよ、何度も言うけど。行動パターン、遺伝子に操作された本能の話をしてるから意識には上らないの。
小原 「これはあなたの無意識であって、あなたの意識に上るわけではない。論理的に理解できなくても、あなたの無意識にあるんです」って、なんの宗教ですか。
「あなたの普段の意識には上らない、過去の先祖の霊がやってるんです」っていうのと変わんない。もしそういう学問なら、それ自体が信じられない。
三浦 霊には説明能力はないけれど、進化論には説明能力があるんですよ。
小原 「進化論の通りに発達してたら、遺伝子エラーが起きる確率から計算して、いまだに人類に到達していない」という説を読んだことがあります。進化論と言うだけでひれ伏すほど確立されたものなんでしょうか。進化心理学というものがどうかは知りませんが、学問という名の眉唾モノなんていくらでもあるでしょう。今、聞いたかぎり、説得力については統一教会の方がまだある。
三浦 まあ、信じなくてもいいんだけど、そういうことなんです。人間の男性っていうのは、そういう誠実さと不誠実さの両方持ってるんですよ。だから男には誠実さが確かにあるんだけれども、隙があれば不倫をするんですよ。
小原 人間は皆、そうですよ。男に限らず女も。
三浦 今まさに小原さんがそういうふうに、拒絶的な感情を持ってしまうのと同じように、女性は誤解しているのね。その誤解が、女性にとって危険だという話です。
小原 何度も言いますけど、わたしの感情の問題ではなくて、その結論に至る科学的根拠が見当たらないのです。男はそうじゃないでしょ、って拒絶してるんじゃなくて、女も同じですよって、むしろ共感しているんですけどね。
三浦 小原さんが今その拒絶的な反応をするのと同じように、世間の人々は松本等の行動を見て、拒絶的な反応をするんですよ。普段は我々が意識すまいと思っている本能をさらけ出してしまって、好き勝手できる男は実はこういう振る舞いをするんだ、と暴露してしまった。だから松本のような男が叩かれるんですね。
小原 拒絶する、といった非科学的な表現もまた、ふさわしくないように思います。
わからないのは、生殖でたくさんの個体を産むのは、原始的な生物ですよね。高度に発達すればするほど、個体の発生数は減ります。犬もチンパンジーも、ラットほどは増えない。ならば人間になる遺伝子には、もはや多くのメスに精子をばらまかなくてもいいようにプログラムされているはずです。それこそ生来の生物学的必然なので、ラット並みに性交したがるというのは、むしろ本能が壊れていると言えます。やりたい放題やってる、と羨ましがるのは、そういった本能を持つラット並みの生物だけではないですか。
三浦 だからあれがスキャンダルになるわけです。そういうことでしょ。
小原 それはあまりにも自明なトートロジーなので。
興味深いのはむしろ、本当に彼は好き放題だったのか。「目には見えない無意識の下では、実はどんな男性もああいうふうにしたいのだ、それが本能だ」という仮説が成り立つならば逆に、「本当はそんなことは人間の本能にはプログラムされてなくて、無意識的にはそんなことはしたくなかった」という仮説も成り立ちます。
人間としての本人の活動においては、むしろ不利益しか生まない行為なのに、それを望んでいると本人を勘違いさせるような、社会的・業界的なシステムがある。3億円持っている人が5億円を望み、5億円持っている人が10億円を望むような、欲望の吸い上げシステムがあるんだと思います。欲望は、他者の欲望によって喚起され、社会の認識によって肥大化するので。
三浦 どんなシステムがあろうが、好きでなければあんなことしないでしょ。
小原 好きとか嫌い、したいとかしたくないということ自体、意識的な思い込みなんだ、という話でしたよね。無意識下では、本当は違うのかもしれませんよ。人間の遺伝子はラットの遺伝子とは大きく違うのだから。進化心理学というもののロジックだと、そういう結論もあり得ることになりますよね。
三浦 じゃ、ああいうことをする女優がいると思いますか?
小原 女優に限らず、経済的強者である女性のニーズがあるから、ホストクラブが成り立つんでしょう。
三浦 権力のある女性なんていっぱいいますよ。でも、なんで松本人志的な、ああいうことが起こらないのか、ということですよね。
小原 今のところは、と言うしかありません。社会が変わっていって、権力や財力を持つ女性の絶対数が増えてくれば、さまざまな現象が起きてくるでしょう。その中には、今回と似たようなことも含まれてくると思います。
けれども、もし生物学的な必然として、人間の男女の性行動がラットと同じ、とするならば、たとえどんな世の中になっても、女性はこういう事件は絶対に起こさないわけですよね。橋本聖子議員がフィギュアスケートの高橋くんにしたこととか、ぽつぽつ起こっていることを見るに、そこまでの確信が持てる人がいますかね。
わたしには、人間の男女の性行動の差異には、社会システムにおける欲望の刷り込み・吸い上げの影響も否定できないように思われます。生物学的な差異の影響はまったくない、とも思いませんが、ラットの実験だけで説明できるほど人間社会は単純ではない、と。
三浦 女性の場合、男女の違いっていうのを意識したがらないわけ。意識すると不愉快になるんですよ。ただ意識しないと女性の身体が危険に晒されるんだよなあ。
小原 何度も言いますが、わたしはフェミニストではありません。さっきから一度も不愉快にはなっていませんよ。ただ、思い込みを排して理解したいだけです。
もちろん男女は違うし、それを優劣と捉える時代でもない。ただ、違いが果たしてそこなのか、それがなぜラットの振る舞いから証明されるのかが、わからない。
ラットと人間は、遺伝子からしてすでに遠い生き物なのに、松本人志さんの振る舞いがラットを連想させるからといって、目に見えない無意識レベルでは同じ、というのは文学的メタファーでしょう。科学ではない。
それより興味深いのは、事実としてもし松本さんが子分まで使ってそんな行為を繰り返していたのなら、ラットと違って子供をたくさん得たわけでもなく、達成したものがあったのかということですね。
三浦 松本の場合には達成されるものがあるんですよ。
小原 それは単に、生物学的に男だからなのか、社会的な欲望が満たされるからなのか、微妙な問題だと思うんですよ。
三浦 生物学的に男だからですよ。
小原 それだけなら、売春婦を相手にしたら手っ取り早いじゃないですか。
三浦 だから松本も風俗には盛んに行ってるじゃない。
小原 そもそも、なんでそれで済まなかったのか、って話でしょう。
あくまで報道によれば、ですけど、松本さんは、女性の職業を指定しています。女弁護士を連れてこいとか、JALのCAを連れてこいとか。ラットはそんな選り好みはしませんよね。それはその行為が、生物学的な達成というより、やはり社会的な達成だったのではないか。
三浦 社会的じゃないよね。あれはいわゆる性癖ですよ。社会的な地位が欲望のリビドーの側に落とし込まれるわけですね。職業に対してそれぞれの社会的条件付けがあってね、それに伴う職業のクオリアが付着するんですよ。
小原 職業は社会的なコードですし、それによって欲望が増幅もしくは生み出されている、ってことじゃないんですか。そしたら松本さんの事象に、生物学的な遺伝子の進化論がどこまで食い込めるのか、人間の赤ん坊の頭の大きさがどこまで関係するのかっていうのは疑問です。
三浦 社会っていうのは別に、生物学の枠外じゃないですよ。環境に応じて、遺伝子っていうのは働き方を変えるから。
小原 確かに、人間の社会をこのように発展させたのも、人間の遺伝子ではあると思います。ただ、それはすでにラットの遺伝子とは大きく違うはずなので、ラットの行動こそが人間の本性だと説明するのは飛躍があるのでは、ということです。赤ん坊の頭が大きくなってしまったから、ラット以降の万世一系の本性を発揮できなくなった、というのは、仮説もしくはSF小説としてはあり得ると思いますけど。
それだったらまず、この〇〇〇番の遺伝子がラットからずっと人間にまで伝わっているそれである、と特定してもらって、その遺伝子の働きを人工的に阻害されたオスはこうなる、という実験結果が出るのを待ちたいですね。
三浦 誤解しているようだけど、脳の肥大化が遺伝子の自然選択を変えて、別の本能を優勢にしたということです。本能が阻害されたわけではありませんよ。ともあれ、松本は「俺の子どもを産めや」と多数の女性に迫った。それが実現可能だからです。橋本聖子が「私があんたの子どもを産むワ」と多数の男性に迫っても、実現不可能です。進化論そのままじゃないですか。松本人志案件が社会現象になったのは、紛れもない生物学的性差をめぐって、男女の認識がずれているから。ここまでは確かなことです。
小原 起きたことについては、そうですね。
三浦 認識がずれる根底には、根本的振る舞い方が互いに違うということがありますよ。どうしても自分を基準にして相手を理解しようとする。
小原 詐欺師に騙されるとき、自分が善人だから相手も善人だと思っちゃうのと同じ構造ですね。
三浦 そういうことです。それで勘違いしたときに、損をするのは女性、被害を受けるのは女性なんです。セックスの後始末で、コストとリスクがかかってくるのは女性です。認識改善は女性にとって喫緊なんです。
それがフェミニズムの影響もあって、女性も男性と同じような性的自由が得なのだ、という思想が一時期流行って、まだその余波がある。
小原 一時期というか原則、今はそうなってますよね。日本はまだ治安もいいし。
三浦 不同意性交等罪とか、そういう罪に問われるハードルをどんどん下げていっても、です。女性が男性並みに振る舞うことが表面上、美徳なんだという建前がまかり通ってしまっているわけですよ。
小原 不同意性交等罪ができたからこそ、ますますじゃないですかね。美徳とか道徳はよくわかんないですけど、気をつけなくちゃダメというピンクレディーの教えは常に正解ですね。いずれにしても人はボーっと生きてちゃダメだし。
三浦 そう。女性が男性並みで、配慮を必要としない前提だからこそ芸人たちはさほど罪悪感を覚えず、女性に自分と同じ性欲を前提とした振る舞いを要求できる。
小原 あんたもやりたいんだろう、とか言ったんですかね。
最初に声をかけられたとき、女性たちは警戒していたようだけれども、仕事のことを考えると、断ったらチャンスを失うかもしれない。虎穴に入らずんば虎子を得ずと、うまく乗り切るのがブロだと、そこを試されてるって感じてしまう。仕事上で後悔するかもしれないと思うことで、断る口実を失ってしまう。けれど誘う方はそこまで計算している。
三浦 そういった場外の付き合いはしないもの、という社会的同意があれば違うし、またそれで女性の枕営業もできなくなるはずなんだけれども。男女平等というこの流れの中には、性欲の上でも男女平等なんだということが含まれがちで、そこで防御的な体制をとったり、断ったりする女性は、男性並みに業界で活躍していこうというとき、やはり劣った存在と見られるんじゃないか、セックスもできないのか、そんな冒険もできないのか、と。それが男女平等というスローガンには隠されている。
小原 でも芸人たちは、自分たちの目的を達することで頭がいっぱいで、女性たちがどうなのかなんて考えてないでしょう。だから大勢で追い詰めたり、携帯を取り上げたりしていたわけで、逃げられることは前提だった。拒否した女性を罵倒したり、責め立てたりするときは、飛んでる女じゃない、とか理屈を並べたかもしれないけれど、それが言いがかりだってことぐらいわかってたでしょ。仕事をやらないぞ、と露骨に言うことを避けてるだけで。
三浦 わかっていても、過小評価してるんですよ。女性の性的防御の本能を。だから損するのはどうしても女性です。だけどこれはね、ジェンダーじゃないんだよ。なんで女性がリスクやコストを負うかっていうと、出産する性だからなんだよ。
小原 そりゃ中学のときの保健体育の先生も、そう言ってたよ。
三浦 妊娠して出産するということが大きい、それに応じた防御反応もあるし、警戒心を持っているにもかかわらず、それを全部括弧に入れて、男がリスクもコストもなしに性的に自由に振る舞うお供を暗黙に奨励されるわけで。
小原 無法地帯ではね。だから災害や戦争が起きると、特に危ない。
三浦 身体レベルではっきり違うことを前提にすべきだけれど、今はポリティカルコレクトネスで、男女平等建て前になっているがゆえに、しかもジェンダーというものが表に出て、セックスが後退しているがゆえに、男女の基本的な仕様が誤解されて、女が危険に晒されつつある。
小原 確かに社会が進んだという認識のもと、女性たちの気は緩んでいるかもしれません。
三浦 だから、ああいう飲み会だとか言ってね、一同に集まって、男女が同じようなつもりで、性的な危険地帯をまたぐのが平等の条件なんだ、という建前がまかり通ってしまうんですね。
小原 あれは性加害でなくて、楽しい悪ふざけだった、という解釈なんですね。だから三千円も渡せばいいんだ、基本はワリカンでしょ、みたいな。
三浦 大金を渡すと逆に不平等というか、買春だ、売春婦扱いだとなってしまうからね。だけど男女はそこでは平等ではないんだって、ハッキリ表に出さないといけない。けれども、それは今、表面上は言えないことになっている。
だって、小原さん自身があれじゃない、男女が違わないんだって言う。違うということを押し付けられるとさ、やっぱり。
小原 いや、もちろん男女は違いますよ。押し付けるも何も、そんなのは当たり前じゃないですか。ピンクレディーも、保険体育の先生も言っていますからね。中学生ですら異論はないでしょう。
ただ、そんな自明のことをわざわざ説明しようとする学者さんの論理に、非科学的かつ初歩的な破綻があるように聞こえる、と言っただけです。わたしの性別なんか関係ありません。科学的ロジックと、性の政治的力学をごっちゃにするのは、混乱のもとですよ。
関係ないと言えば、男女の身体の違いと、男女平等の概念も関係ないと思います。平等というのは社会的な権利のことで、身体の造りが同じだなんて、誰も思ってないです。背の高い人も低い人も平等、目が二重の人も一重の人も平等、何人も法の下で平等なので、男女もまた平等なだけ、なんじゃないですか。
で、もちろん身体は違うから、それによるリスクとコストが違う。同意です。そのバランスを積極的にとるために、不同意性交等罪ができたんでしょう。でもそれって、男性にしてみれば、過剰なリスクを負わされるような。
三浦 リスクは何もないよ。男性にとっては、別にやらなきゃいいんだから、よほどのことがない限り、性交しなけりゃいい。
小原 時代がすごく遡りそうですね。フリーセックスなんて、とんでもないって時代になる。そのぐらい重い行為なんだ、と。女性にとっては、たぶんずっとそうだった。
三浦 そういうことですよ。それが認識されていない時代だから、社会の防衛本能が作動してあの法律ができたわけで。
小原 とはいえ、リスクがなくなるわけではない。女性が家にこもる時代に逆戻りはできないから、仕事のことを考えると、やはり多かれ少なかれ、リスクは犯さざるを得ない。
三浦 そういうことですよ。どっちを重んじるか、どのくらいのリスクが予想されるか、という話です。不同意性交等罪の認識が普及すると、少しはリスクが下がるとは思いますけどね。
ただ、あれは普通の接触まで含んでいるので、女性も不利益を被ると思うね。女性というのはいわゆる挿入されることに対してはすごく抵抗を示すけれども、スキンシップに対してはむしろ男性よりも欲求は強いくらいなんですよ。男はそんな中途半端なのはごめんだよっていう、つまり後腐れを避ける傾向もあるんだけどさ。あの法律によって、女性のいわゆるロマンチックな恋愛、親密な関係を築く欲求に対する障害にもなってるんだよね。
小原 あとから考えると、やっぱりイヤだったとか。そもそも別れた後は全部イヤだったと思うわけだから、どうしたらいいんだってなりますよね。
三浦 警戒心のない女性に誘われたとしても、男性の方が尻込みする可能性もあるよ。今までの恋愛だと、ちょっといい雰囲気になったぐらいでハグとかキスしたり、そのぐらいの経験はできた。女性も生涯に、まあそのぐらいの関係だったらさ、十人や十五人の男性としてもいいじゃないですか。そういう豊かな情緒的喜びを得にくくなるよね。
小原 情緒的喜びかどうかわかんないけど、松ちゃんの件ですごく可笑しかったのは、なんか呼ばれていったら、十人ぐらいの男女がいて、そのときはなぜか、どん兵衛の回し食いをしたんですって。ただ皆で、一個のどん兵衛を回して、それで解散って(笑)。
三浦 それは、好みの女性がそこにいなかった、というだけかもしれない。
小原 たぶんね。でもやっぱり面白いなと思って。そういうのだけだったら、いいのに。馬鹿々々しくて笑えるからさ。
三浦 男はあの事案を見て、正直、当然じゃないかと思うわけ。松本のような地位にいる、つまり自由が効いて金を持っている男だったら。ケチだったという落ち度はあるんだけど。女性は逆に理解しがたくて、でもある程度は理解できるよと、無理に納得したふりをしないといけない。
男は松本を理解できるのに理解できないふりをする。女は理解できないのに理解できるふりをする。その理解できるって度合いと、理解できないという度合いを縮小して、お互いに近づけ合わなきゃいけないって偽善的な構造ができているわけね。そこに非常に無理があるんで。男はよくわかるんだよ。松本があんなことをしてるって、当たり前じゃないか、当然やるでしょ、って。だけど、ひどいよね、びっくりだ、ってふりをしなきゃいけないんだよ。女性は女性でさ、ある程度理解できます、のこのこついていく女も悪い、というふりをしなきゃいけないわけ。
小原 確かに、理解魔になっちゃうところがありますね。エセ科学じゃないかーって熱くなることはあっても、他人の性欲のことなんか実はどうでもいいからさ(笑)。
でもね、女が眉を顰め、男も批判するとしたら、その、生殖行為や頻度そのものじゃなくて、粋(イキ)じゃないからですよ。さっき「ケチだったという落ち度はあった」とおっしゃいましたけど、落ち度どころか、そこに本質が露呈している。一人三千円って、いったいなんなん(笑)。そこで笑ってくれよ、ってか?
その金額、数字って、相手への気持ちを端的に示すものでしょ。たくさんもらっても納得しないときはしないし、ほんとに楽しければお金はいらないけど、渡すからには最低限の挨拶になる。自分がやってることはわかってる、ただ相手をひどく軽く考えているって解釈される。
三浦 売買春になるかならないかの塩梅がまた難しいんだろうけどね。人聞きの悪さで言えば、後輩芸人にお膳立てさせて、みたいなのが非常にみっともないわけだよね。
小原 たけしさんも、上沼恵美子さんも言ってた気がするけど、要するに遊び方の問題だって。あまりにもイキじゃないから、皆がすごくがっかりした。それだけ。
銀座や京都の花街には、すごくイキに遊ぶオジさんがいるらしい。そんな世界をよく知ってるとは言わないけど、物書きなんだから想像つくじゃないですか。昼間の世界にだって、イキで気持ちのいい人はいる。
三浦 もともとお笑い芸人というのは、そうかっこつける職業じゃないから。本来はあれでいいのよ。芸人って、その程度のものなんだから。いつの間にか幻想を持たれるようになっちゃったけど。芸人の地位がなまじ上がったのは、これも皮肉なことにダウンタウンの功績か……?
小原 河原乞食とよばれていたのが、セレブって? でもね、芸人でも歌舞伎役者でも、いや誰であっても、遊ぶときはイキに遊んでくださいよって、こと。
だって遊びって、皆が楽しくないとつまらないじゃない。パーティでは白けている人がいないか、気を遣うのがホストの役目でしょ。どん兵衛の回し食いの方がよっぽどいいよ。誰か犠牲者をつくって自分たちだけ楽しむってのがゲス。
三浦 じゃあ、もっとゲスでいいじゃない。お笑い芸人っていうのは、まさにそのゲスな部分を普段から公言してるんだから。
小原 オンエアされている部分は「ゲスなことを公言しちゃっている」というシーンであって、言語化、相対化されているでしょ。言うのとするのは違う、というのはそういうことです。いやマジでゲスだった、とわかって視聴者が受け入れるのか。受け入れそうにないから困ってるんだろうに。
三浦 そう、これ、これ。
小原 ゲスだろうと人非人だろうといいんだけど、どこか許せる、愛すべきところがある、と思われなければ人前に出せないですよ。まず、出してあげる人がいない。
だから裁判でどうであれ、そう思ってもらえなければ結局、露出は少なくなっていくんでしょうね。
三浦 たぶん、もうテレビに戻れないと思うよ。十年前だったら、もしかしたら大丈夫だったかな。どんどん清潔になってるんですよ。ああいうけしからんことは許さない、という時代になってるの。
小原 そこをひっくり返して、笑いに変えてほしかった。ファンじゃないけど、ちょっと奇跡を祈った。
今の時代、人々の倫理観が高まったとは全然思わないけど、スポンサー企業のコンプライアンスが厳しくなった。芸能人が王様のように振る舞うったって、露出できなければただの人です。番組もCMもスポンサーのもの。スポンサーは株主のものだし。
三浦 ただ、それはテレビの話なんですよ。YouTubeに来れば普通に活躍できるでしょう。
小原 もちろん、そうですよね。だから立花さんが誘っているわけで。
三浦 でも、たぶん来ないだろうね。ああいう古いタイプの芸人は。プライドがあるからね。
小原 そうね。お膳立てされずに、自分で一から積み上げるのはできないかもしれない。当たるに決まっているし、自由にできていいんだけど。
三浦 コーディネーターがいればね、活躍するかもしれない。
小原 ただね、仕事に真剣に、面白みを感じてたら、あそこまでつまんない遊びにはまり込まないんじゃないか、って気もするけど。
三浦 それは的外れなんでね、性加害でない限り、どんなみっともない遊びをしようが自由なんですよ。そんなことで非難される筋合いはなくて、どんな恥ずかしい遊びしてようが、後輩にその手伝いをさせようが、そんなことは自由であってね。
小原 自由ですよ。するのは勝手。だけど万人それぞれに、足かせがある。大衆の心証を害すれば、仕事がなくなる立場でしょ。リスクを冒してそれをやるってのは、そもそも仕事に興味を失ってるのでは、と推測しています。
三浦 でも本当は、あれがバレたからって仕事を失うっていうのは理不尽な話なんだけどね。性加害は別よ。性加害があったら、それなりの制裁を受けなきゃいけないけれど、たとえば渡部健は性加害なしでも酷い目に遭ったよね。あれは理不尽だった。遊びがみっともないからといって、いちいちスポンサーがそれで離れるべきかというと、さ。
小原 いや、スポンサーはすでにいい迷惑を受けています。松本さんのためにこうするべきだった、なんて、それこそ言われる筋合いはないですよ。
三浦 だってさ、松本を支持してる人も多いんだよ。視聴者の多数決を採ったらどうなるかわかんない。スポンサーも、そのままついている方が利益も上がるかもしれないよ。
小原 その可能性は否定できない。だけどスポンサー企業に対し、リスクをとって試しにそうしてみろと、誰が指図できるんですか。失敗して損害が出たら、間違いなく株主代表訴訟が起きますけど、誰が責任をとるのか。企業はたくさんの従業員と家族を抱えているんですよ。
芸能人も、スポンサーも、お金のある男性も、身体的に弱い女性たちも、誰もが誰かの顔色をうかがい、自由を制約されて生きているんですから。その意味では公平だし、この世には裸の王様すらいませんよ。
三浦 何年前の話なのかな、勝新太郎が外国で捕まって。
小原 麻薬ですよね。パンツの中に隠し持ってた、とか。
三浦 でも記者会見でさ、もう笑いを取ってさ、許せちゃったっていうのあるじゃない。そういう時代もあったわけよ。
小原 時代もあるし。まあ、でもあのときは、勝新のキャラクターだよね。可愛げがあったし、浜ちゃんの方は許されるけど、っていうのと同じで。
三浦 人間って、そういうもんなんでさ。それに浜田の方は、被害者がいないからね。
小原 勝新の場合も、麻薬所持は国によってもちろん犯罪で、でも迷惑を被った被害者がいたわけじゃないから。うちの家族の者が昔から言うんだけど、テレビの芸能人は人畜無害でないとダメだ、って。結局はそうだと思う。一般人を一人でも泣かせたら、基本的にはアウト。
三浦 ただ松本人志自身は弁明もせず、隠れちゃってるけれど、同時に槍玉に上げられている、いわゆる女衒芸人たちね。たむらけんじって、あれなんかは上沼恵美子とのやりとりで変な言い訳して、その自分のその振る舞いがイジられて、意図せず笑いの種になっている。そういう人って今、結構出てるんだよね。
小原 爆笑問題の太田さんがさ、「JALのCAを連れてこい、LCCのCAはダメだなんて、LCCのCAさんたちは抗議すべきだ、何がダメなんだ!」って、ずーっと言ってて可笑しくて。もうずーっと言い募って、発達障害芸っていうのかな、笑っちゃって悪いんだけど。てか、誰に悪いのかわかんないけど。
三浦 だから身に覚えのない芸人が堂々と松本批判を繰り広げて、身に覚えのある芸人は思い切ったことを言えずに差が生まれて。その差を視聴者が感じ取って、スポンサーも感じ取って。で、比較的、身に覚えのない潔白な芸人が少しの間、前線に立つような。それがしばらく経つと、振り子が戻るんだよね。またそういう汚いものも許される時代になっていくという。
小原 全然、戻らなかったら怖いですもんね。この状況からまた新しいタイプの芸人や新しい笑いが、もしかしていろんな形で出てきて。要するに、こうやって時代が変わっていく、時代が作られていくってことなんだろうなぁ、と思います。
というところで、お時間ですね。おあとがよろしいようで。
三浦 だからね、男女の身体の造りが違うものだということを素直に認める風潮が後退したがゆえに大騒ぎになってるんだ、という話ですよ。
小原 はいはい(笑)。
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*『トーク@セクシュアリティ』は毎月09日にアップされます。
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