世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
十六、『三四郎』第六章 帝国大学運動会(上編)
a:絵葉書VS大論文
「偉大なる暗闇、から始まる章ね」
「そうだね。講義の後、与次郎から文芸時評に載せた、いわゆる大論文を渡されるところから始まるわけだからね。これは広田を東大教授にするために称揚するという魂胆が見え見えの作文なわけだ」
「与次郎なりに、居候させてくれている広田に恩返しをしようとしているわけよね」
それを読むつもりで三四郎は家に帰るが、そこに美禰子からの葉書が来ている。小川のほとりに寝そべる二匹の羊と、ステッキをもった獰猛な顔の男を描いたもので、男の絵のわきにはデビルと注釈までつけてある。差出人は迷える羊。読書=体験者には、その葉書が見える。それぞれが想像するデビルを伴ったかたちで。三四郎は羊が二匹である点にいたく感激する。自分と美禰子が同胞として扱われていることがうれしいからだ。三四郎は、この葉書ばかり見て、与次郎の論文を読む気にもならないし、その絵を『よし子のかいた柿の木の比ではない』と思う。
「つまり、美禰子の機知、絵心すべてを愛おしく思うわけよね」
「『イソップにもないような滑稽趣味』ってあるけど、これって悪魔が羊飼いに見立てられているっていう部分のことだろうね」
「よき羊飼いじゃなくて、悪しき羊飼いってわけね。だから、羊たちはよけいに迷う。責任を持って自分たちを導いてくれる人がいない状態にあるってことの寓意ね」
「むしろ間違った方向に導く人しかいない」
「結婚前の男女が二人きりでいるだけで憎悪の目でにらみつけられねばならないような時代風潮に、西洋文化に親しんだ美禰子は憤りを感じてるってことかもしれないわね」
「英語やキリスト教を学ぶことは、海外の歴史や文化を学ぶことにもつながるからね」
「三四郎が、九州と東京を重ねているように、広田たちインテリは日本と西洋を重ねて見ることができる。そして、美禰子もその文化圏にいるってことね」
ちなみに、「薀蓄」によれば、日本とイソップ物語とのかかわりは結構古くて、日本で最初に翻訳された外国文学ともいわれている。十六世紀末にスペインの宣教師によってもたらされたものが、九州の天草で『伊曾保物語』としてローマ字で印刷されたらしい。そして、明治になって再度アメリカからこのイソップ物語を持ち帰って、文語体の教訓話として翻訳したのがあの福沢諭吉だったということである。明治期には教科書にも載せられて、イソップ物語は広く人口に膾炙していたようだ。
しばらくしてようやく三四郎は与次郎の「偉大なる暗闇」を読む。途中から夢中になって読むのだが、読み終わって『何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらい、なんにもない』。それで三四郎は与次郎の技量に感心する。
内容はといえば、外国人のみが教鞭を執っている現在の文学文科の状況を批判し、『適当の日本人』である広田先生を教授として迎えるべきだという趣旨である。とはいえ、『「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学からは生まれない」』といったようなレトリックが連ねられているばかりで、『まったく実がない』。つまり満足できない。それに対して、もう一度手に取った美禰子の葉書に関しては『こっちのほうは万事が快調である』と快感を感じることになる。
「美彌子の絵葉書VS与次郎の大論文の勝負は、絵葉書の圧勝というわけだ」
「与次郎という人物の中身のなさが、この論文で表現されてるわけね」
「そうだね、あれこれ忙しく動き回るのだけれども、彼にはいわゆる内実がないっていうことの隠喩だね。つまり、存在しているようで、彼は現実にいない。つまり、現実に影響を及ぼすことができない。そんな感じがするんだよな。顔や容姿の描写がない点も、そのこととつながっているような気もするんだけど、どうだろう。実際、彼の試みはうまくいかず、結果広田のみならず、三四郎にまで迷惑を及ぼすことになる」
「悪影響はきちんと及ぼすのね」
b:馬鹿貝
与次郎を誘いに広田の家に行くと、ちょうど夕食の最中である。その夜のおかずは馬鹿貝である。この「馬鹿」という言葉が、さきほどの与次郎の大論文と響き会う。そんな感覚を読書=体験者は得ることができる。もちろんほのめかし程度のものなのだが、それが体感となることで、一層感じ取りやすくなるのである。馬鹿貝はよく噛まないと味が出ないが、味がでるまで噛むと歯が疲れるという広田の言葉に対して、与次郎が美禰子なら食べられるという。その理由は、『「ああ落ち着いていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」』というものである。
そこから男たちによる美禰子談義が始まる。広田が『「あの女はおちついていて、乱暴だ」』と一見意味不明のことを言う。その意味は、露骨にその言動が乱暴なイプセンの女と違い、美禰子は表面的には落ち着いて見えるが『心が乱暴』なのだという意味である。そして、外見上は乱暴に見えるよし子の方が女らしい、という流れになる。三四郎には、『乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議』でならない。
「つまり、外見は落ち着いているけど内面が乱暴なのが美禰子で、外見は乱暴だけど内面が落ち着いているのがよし子だって、二人は言ってるわけよね」
「乱暴っていうのは、お転婆という意味かしら」
「まあ、落ち着きがない、落ち着きどころを見いだせていないっていう意味で、迷い子ともつながる気がするけどね」
「要領をえない三四郎は、与次郎にその意味を問うわよね」
「そしたら、『現代の女性はみんな乱暴にきまってる』と与次郎は答え、『ただ男も女もイプセンのように自由行動をとらないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている』という」
「社会には欠陥があり、現代社会制度の欠陥をいちばんはっきり感じているのがイプセンの人物だと与次郎は説明するわよね」
「さっきの、デビルを思い出すな。未婚の男女が二人きりでいることを咎める道徳観に、ああやって反発するところが美禰子の内面の乱暴っていうことになるのかな」
ちなみに、「薀蓄」によれば、馬鹿貝とは、寿司屋でよくみるアオヤギのことであった。貝殻付きが馬鹿貝、殻を外せばアオヤギになるらしい。グルメ文豪の第一人者として名高い池波正太郎によれば、貝の王様は鮑で、王妃は赤貝である。それに比べると、アオヤギは商家の下女だそうである。かなり格下の扱いを受けていることがよくわかる。貝の社会も格差社会であるようだ。まあ、殻つきの時点で馬鹿が冠せられているわけだから、だいたい予想がつくこととはいえるけれど。
c:懇親会―知りもしないくせに―
二人は同級生の懇親会場に到着する。ここでも、与次郎は広田先生を持ち上げる方向に議論をもっていくつもりだと三四郎に告げ、協力を要請する。論文の感想を問われた三四郎は、『おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだ』と答える。『惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない』『細工に落ちておもしろくない』と評するが、与次郎の返事はシンプルである。『細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ』というものである。
二人は星空を見上げるが、三四郎が美しいと言った星空をみながら、与次郎は『「女は恐ろしいものだよ」』と言う。知っていると答えた三四郎を、与次郎は『「知りもしないくせに。知りもしないくせに」』と笑う。
「美しい星空、つまり美しい女は恐ろしい、っていう意味かしらね。わたしみたいに」
「お前の場合は、美しいからじゃなくって、全身が獰猛な筋肉だから恐ろしいんだろ」
「実際次の台詞で、与次郎は、明日は運動会で美しい女がたくさん来る、っていうものね。やっぱり星空と女性をつなげているのよね」
懇親会が始まると、与次郎はさっそく運動を始める。九州では野蛮な飲み会しか経験していなかった三四郎にとって、ナイフとフォークを使う紳士的な親睦会は珍しく感じられる。VRで読書=体験すると、精養軒の宴室の内装が見えるし、ナイフやフォークと皿が当たって出る音、ビールを注ぐ音までがリアルに体験できる。当然、料理も見えるし、仮想的には味覚体験もできる。精養軒は、日本にフランス料理を広めた草分けとされており、三四郎は当時の最先端の料理を食したということになる。
隣に座った金縁眼鏡の学生が、学生集会所の料理はまずいといったので、ほんとうはおいしいと感じていたにもかかわらず、三四郎は『「そうですな」』と生返事をしてしまう。国を問われて熊本と答えると、その学生は『「ずいぶんひどい所だそうですね」』と馬鹿にしたようなことをいう。それに対して三四郎は、怒るどころか『「野蛮な所です」』と、金縁眼鏡の学生の意見に媚びるような返事をしてしまう。
「中央志向になっちゃってるのね、残念だわ」
「だって、帝国大学学生として、九州から東京まで移動してきたんだよ。田舎出の肌の黒い男が、都会のエリートに転生しようとしているんだ。ここで田舎出の肌の黒い男に戻るわけにはいかないじゃないか」
「学歴、帝国の中央での居場所、白人に比せられる女たちとの交流、そんなものを獲得するためには、実は大切なより所としている九州を、否定して見せなくてはならないわけね」
「熊本の宴会は、赤酒って呼ばれる地域固有の地酒を飲みながら、牛肉が馬肉でないか確かめるために手づかみで肉を壁にぶつけるって感じなわけだろ。ナイフとフォークを使い、ビールで始まりコーヒーで終わる気取った東京の会食とはまるで対照的なわけだよね」
「薀蓄で調べるとあれね、このころコーヒー一杯三銭、ビール一本二十三銭もしたのね。そば一杯が一銭だった時代だから、すごい高級な嗜好品だったわけよね」
「親の脛をかじりながら、三四郎はけっこう贅沢三昧していたわけだな」
そして演説が始まる。最初の演者は『新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭を生やしている』背が高く恰好のよい男である。この男は、自分たちは古き日本と、新しき西洋の両方の圧迫を感じていると述べる。そして、西洋にとらわれるためではなく、このとらわれから解脱するために西洋を研究しているのだといった趣旨のことを述べる。
続いて与次郎が、そんな新時代の青年を満足させるには、西洋人じゃなく日本人の教授が必要だと場を誘導する。
(第24回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』は毎月14日に更新されます。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■